精霊祭
今日は精霊祭の日だ。
慣例に従い、貴族だとわからないよう、リリーに町娘風の装いに仕立ててもらった。
「どう? リリー」
「最高ですお嬢様。銀髪はどうしても目立つので茶髪のカツラをつけましたが、それでもお嬢様の美貌は隠れるどころか白い肌を引き立てていてとても魅力的ですし、髪色と服装を地味にしたせいでいつもと違って親しみやすい雰囲気があるのでナンパが心配です。やはり精霊祭へ行くのは止めにしませんか?」
「もう、リリーったら……」
リリーはまだベルダ様を信用していないので、二人で出かけることに難色を示しているのだ。
「ベルダ様と一緒に行くのだから、ナンパなんてされないわよ。もしされたとしても、私ならきっと問題なくあしらえるはずだし」
これでも、氷の精霊の加護を受けた魔法使いなのだ。たとえ暴漢に襲われたとしても、返り討ちにできる自信はある。
「お嬢様が愛らしすぎるのでむしろそのベルダ様に警戒しないといけないのでは……」
「まぁ。リリーったら、どうしてベルダ様を警戒するの? 彼が私に危害を加えるはずないでしょう?」
「いや、危害といっても色々種類があると言いますか……」
「……まさか、ベルダ様がそういう意味で私を襲うと言っているの?」
リリーが心配性すぎる。
確かにベルダ様は最近私に対しての感情が暴走気味なところはあるが、さすがにそんな馬鹿なことをする人ではないはずだ。
「大丈夫よ。そんなに心配しないで?」
「お嬢様……。仕方ないので、今日は奴にお嬢様を預けることにしますが、もし何かあれば絶対に言ってくださいね。何としてもわたくしが処理しますから」
「リ、リリー……」
何をどう処理するというのだろうか。最近、うちのメイドが過激になってきているようで、心配になってしまう。
トントントン。
「お嬢様、ラングストン様がお越しですが、いかがされますか?」
「あっ、今行くわ。ありがとう」
「チッ」
メイドから報告を受け、私はベルダ様が待つ客間へ急いだ。リリーのと思われる舌打ちが聞こえたような気もするが、きっと気のせいだ。
「ベルダ様。お待たせいたしました」
「ルッ、ルナリア……!?」
私が部屋へ入ると、ソファに座っていたベルダ様がガバッと立ち上がった。そして、驚いたように私の姿をまじまじと見つめている。
「……あの、やっぱり茶髪はおかしいでしょうか?」
「いっ、いえ、何もおかしくありません。何も問題はございませんとも」
……どうして、また敬語になっているのかしら?
ブンブンと激しく首を横に振るベルダ様も、今日は裕福な平民といった様子のシンプルな装いだ。それでも、背が高くてスタイルがいい彼は、そんな服も完璧に着こなしている。赤い髪は平民にもいないわけではないので、そのままのようだ。
「はぁ、推しのコスチュームチェンジやばい。しかもそれが俺とデートするためって何のご褒美ですか。生きてて良かった神様ありがとうございます」
「……ベルダ様? 大丈夫ですか? もしかして体調が悪いのでは」
「大丈夫大丈夫! めちゃくちゃ元気だから。ルナリア、今日の格好も最高に可愛いよ!」
胸を押さえ、うつむき加減で何事か早口で喋っていた彼を心配して声をかければ、次の瞬間にはものすごく元気そうに顔を上げた。彼の情緒がよくわからない。
「さぁ、行こう。ルナリア」
「はい、ベルダ様」
ベルダ様が自然に差し出してきた手を、素直に取る。彼のエスコートを受けるのも、なんだか慣れてきた気がする。
そうして、若干ベルダ様に厳しい視線を送るリリーや他のメイドたちに見送られながら、私たちは精霊祭へと向かったのだった。
街へ到着すると、賑やかな喧騒が気持ちよく私たちを包んだ。誰も彼もが、この精霊祭を楽しんでいるようだ。
精霊祭は、火、水、風、地といった、精霊たちの四大属性に合わせた催しが、それぞれ行われている。かなり広範囲で開催される、大規模なお祭りなのだ。
「さぁルナリア、どこに行きたい?」
ベルダ様がウキウキとした表情で私を見る。けれど、私は彼の質問に首を傾げた。
「え? ベルダ様が火の精霊の加護をもらえるという場所へ行くのではないのですか?」
精霊祭でそういうイベントとやらがあるから、私たちはここへ来たはずだ。だからまっすぐにそこへ行くのだと思っていたのだが、私の答えにベルダ様はショックを受けたような顔をした。
「ルナリア……せっかく精霊祭デートに来たのに、もしかして目的だけこなしてさっさと帰ろうとしてる……?」
「そ、そういうわけではございません! とりあえず、その場所へ行くものだと思っていただけで……!」
あまりにも悲しそうに言われて、焦りながらも否定すると、ベルダ様はホッとしたような顔をした。
「あぁ、良かった。イベントは夕方に起こるはずだから、まだたっぷり時間はあるよ! ルナリアとたくさん楽しみたくてせっかく早めの待ち合わせにしたんだから、色々なところに行ってみようよ」
「は、はい」
……そうだったのね。でも、夕方だとわかっているなら、そうと教えておいてくれても良かったんじゃないかしら。
そう思ったが、彼のはしゃぐ様子に水を差すのも気が引けて、私は彼の言う通りせっかくの精霊祭を楽しむことにした。
周囲を見回せば、色とりどりに飾り付けられた街中はいつもの雰囲気とはまるで異なっていて、人々はみんな楽しそうだ。
「私、精霊祭に来るのは四年ぶりです。あまり雰囲気は変わっていませんね」
「伝統を大切にしている行事だからね。それでも、飽きないよう所々に変化は加えているみたいだけど」
「……ベルダ様は、もしかして毎年来ているのですか?」
「あはは」
……これは、きっと肯定よね。
「ルナリアは、四年前に俺と行ったのが最後ってことだよね。あの時のことは覚えてる?」
「もちろん覚えていますわ。どうしても行きたいと言って私を連れ出したというのに、ベルダ様はとてもはしゃいでしまって、人ごみに私を置き去りにしかけたのですよね」
「うぐっ、そんなことまで覚えていなくていいのに……」
気まずそうにするベルダ様に、私はクスクスと笑う。
「ふふ。でも、その後にお詫びとして綺麗な髪飾りを買ってくださいましたよね。そのことも、ちゃんと覚えていますよ」
「あぁ! あの半透明の花の髪飾りは、ルナリアのために作られたかのようなデザインだったよね。露店で売られていたにしては、質も良かったし」
さすがにもう市井の露店にある髪飾りをつけられるような年齢ではなくなってしまったが、楽しかった思い出として、あれは今でも大切にしまってある。
……こういう思い出があるから、関係がこじれても、彼のことを嫌いになれなかったのよね。
一時は婚約破棄も覚悟したというのに、今こうして、ベルダ様と笑い合いながら歩いていることが信じられない。それもこれも、ベルダ様が前世を思い出したと言って、私への態度をまるっと変えてしまったからだ。
別人のように態度を変えたベルダ様だけれど、こうして昔の話を覚えていることからしても、彼は確かに四年間婚約していたベルダ様本人なのだろうと思う。
もう諦めかけていた関係だったのに、あれ以来、彼と話すのが楽しい。
それはきっと、以前にはなかった、確かな好意を彼から感じるからだろう。
……私、嬉しいんだわ。彼が今のように変わってくれて。
少し前までは婚約破棄を受け入れるつもりでいたはずなのに、今はそうしたくないと思っていることに気づいてハッとする。
彼が変わったことで、いつの間にか私の気持ちにも変化が生まれていたのだ。
「ルナリア? どうかした?」
「……いいえ、なんでもありません」
そんな自分の変化が少し怖くなって、表情が強張ってしまったようだ。すぐに笑顔を作って、彼に返事をする。
……もしまたベルダ様が以前のように戻ってしまったら、私はどうしたらいいのかしら?
そんな少しの不安が、私の心に、小さな染みのようにいつまでも残った。




