精霊の加護
「はぁ。俺の婚約者が可愛い」
……また言っているわ。
私は呆れたような目で自分の婚約者を見つめた。
ベルダ様が前世を思い出したと言い始めてから、登下校を共にするようになった。
馬車の中で向かい合わせになると、彼は飽きることなくニコニコと私を見つめては、独り言のように、よくこういう言葉をこぼす。
……少し慣れてきたけれど、こんなに見つめられたら、やっぱり恥ずかしいわ。
それでも、冷たい態度を取られていた頃に比べれば、今のベルダ様の方がずっといい。
そう思うからこそ、あまり強く注意できないのだ。
「……わかりましたから、もうそんなに言わなくてもいいです」
せいぜい、小さな声でこう言うくらいだ。
「ぐう……ッ、殺される。ルナリアの可愛さに尊死する……」
「えっ!? だ、大丈夫ですか、ベルダ様!?」
「あ、大丈夫大丈夫、むしろあまり近づくと色々ヤバいから、ぜひ放っておいてください」
胸を押さえて苦しそうにする彼を心配するが、近づくのはダメだと言われてしまった。よくわからないけれど、『ソンシ』というのは本当に死ぬという意味ではないらしい。ややこしい。
「もう。心配するではないですか」
「俺を心配してくれるルナリアが尊い……。婚約者の可愛さに果てがないんですがどうしたらいいですか……」
ベルダ様が頭を抱えて苦悩しているが、もう心配しないことにする。こういう状態の彼は理解しようとしても無駄なのだと、だんだんわかってきた。
「そういえば、ベルダ様。最近、ずいぶんと剣術の稽古に精を出されているそうですね。伯爵様が喜んでいらっしゃいましたよ」
「うっ。父上の話はしないで……思い出すだけで吐き気がしてくる……」
ベルダ様が、口元を押さえながら顔をしかめた。伯爵との稽古が、よっぽどきついらしい。
「俺に似て筋がいい、と褒めてもいらっしゃいましたよ」
「それは褒めてるんじゃなくて、ただの自画自賛だよ……」
ベルダ様はげんなりとした様子でため息を吐いた。
「けどまぁ、ルナリアが頑張ってるんだから、以前のように追いつけないなんて腐ってないで、俺も頑張らないとね。俺には精霊の加護なんてものもないわけだし……あれ?」
ベルダ様が急にピタリと動きを止め、何かを考えるように黙り込んだ。
「ベルダ様?」
「えっ。俺、あったじゃん、加護。いや、今はないけど、確かあったよね? ゲームでは……あっ!」
突然、重大なことを思い出したというようにベルダ様が大きな声を上げた。
「どうされたのですか?」
「ルナリア、俺、精霊から加護がもらえるかもしれない! ゲームの中では、ベルダはイベントで炎の精霊から加護をもらってたんだよね。しかもそのイベントがある精霊祭って、わりとすぐにあるんじゃなかったっけ!?」
ベルダ様が目を輝かせている。またゲームとやらの物語の話をしているようだが、事態が飲み込めなくて、彼の勢いについていけない。けれど、本当に精霊の加護がもらえるのなら、それは大変なことだ。
精霊が加護を与えることは稀だ。
私は運良く氷の精霊から加護が貰えたが、世の中に精霊が溢れているとはいえ、精霊の目に留まる何かを成した者だけが、加護という恩恵を受けられるといわれている。
それは生活の中で何気なくした些細なことであったり、誰もが称賛する偉業を成した時であったり、様々である。精霊が個人に加護を与える条件は、未だに解明されていない。
私の場合は幼い頃に初めて雪を見た日、あまりの美しさに感動して、周囲の大人たちが止めるのも聞かずに風邪を引くまで外で雪を眺め続けていたら、面白がった氷の精霊が加護をくれたのである。
幼い頃の恥ずかしいエピソードではあるが、結果的には良かったのだろう。
加護を受けると、その属性の魔法はほとんど魔力を必要としなくなる上、扱いやすさや威力が格段に上がる。誰もが欲する力だが、望んでもなかなか手に入るものではないのが精霊の加護なのだ。
……それなのに、そのイベントとやらをすれば、ベルダ様は本当に加護をもらえるの……?
「精霊祭は一週間後ですわ。イベントとは、精霊祭が関係しているのですか?」
「一週間後か! うんそう。精霊祭でヒロインと出かけた時に……はっ!?」
ベルダ様がとっさに口元を押さえたが、すでに私に聞こえてしまっているのでもう遅い。
「ヒロインと……なんでしょう、ベルダ様?」
ガタゴトと、馬車が進む音だけが一瞬場を支配した。
つい、私がいつもより低い不機嫌な声で尋ねてしまったせいだろう。
ヒロインとは、私やベルダ様が登場する物語の主人公であり、そして最近までベルダ様が親しくしていた女性である。本人は元々それほど親しくはなかったと言っていたけれど、噂がたつ程度には親しくしていた相手なのだ。
前世の記憶を思い出してからはもう関わることはないと言っていたのに、まさか精霊の加護がもらえるからと、再び彼女に接触するつもりだろうか。
「いや、違うよ? ゲームでは確かにヒロインと精霊祭でデートしてた時に起こったイベントだったけど、そのために彼女をデートに誘うなんてことしないから。誤解しないでね!?」
「……そうなのですか?」
「本当だって! 絶対にありえないから!」
「……」
私がつい疑いの眼差しで彼を見つめると、彼は顔を青くしてブンブンと首を横に振った。
「……わかりました。では、精霊祭には行かないのですね?」
「えっ、いやそれは……」
「行くんですか?」
「う……だって、精霊の加護をもらえる機会なんてそうそうないし、一人でも行ってみる価値はあるというか……」
「……」
確かに、精霊の加護をもらえるとわかっている機会があるのなら、それを逃す人はいないだろう。
でも、ヒロインと一緒に行くはずだった精霊祭へ、彼女と行けないなら一人で行くと言うベルダ様に、なぜか少し苛立ちを覚える。
「私と行こうとは思ってくださらないのですか?」
「……え?」
言ってから、自分は何を言っているのだろう、と恥ずかしくなってきた。私は膝の上でギュッと手のひらを握りしめる。
「そ、その物語の中では、二人で精霊祭に行った時に、加護を得られるような事件が起こったのですよね? それなら、あまり筋書きを変えない方がいいのではないかと思ったのです」
「え、待ってルナリア、ルナリアが一緒に来てくれるってこと? え? やばい、怪我の功名とはこのことか!」
私の言い訳じみた言葉はほとんど聞こえていない様子で、ベルダ様がはしゃぎ始めた。
「でも、ルナリアはいつも忙しいからこういう遊びのような行事に参加することなんてなかったのに、本当にいいの?」
精霊祭は、自然の恵みを豊かにしてくれている精霊たちへ感謝を捧げるという名目で、平民たちが企画・運営している民間行事だ。
普段はないような出店がたくさん並び、有志による演劇まで行われる、とても活気溢れるお祭りである。
貴族も参加しないわけではないが、その日はみんなお忍びの平民服で出向き、権力を振りかざすことはしない、というのが暗黙のルールとなっている。
そのため貴族の社交とは無縁の、完全なる娯楽行事なのだ。
「……私も、少し反省したのです。婚約者という立場に甘えて、ベルダ様を追い詰めてしまうほど共にいる時間をほとんど持てなかったのは、私の落ち度でした。ごめんなさい……。でも、あなたと一緒にいたくないわけではないのです。それに、今まで真面目に勉強に取り組んできたのですから、一日くらい休んでもきっと大丈夫ですわ」
「えっ、いや、ルナリアが謝ることなんてないけど……っていうか、本当に一緒に行ってくれるんだ? うわー! やった! やっぱりルナリアは最高だよ! ありがとう、楽しみすぎる!!」
ベルダ様が大きな声を出して喜ぶので、私は一瞬ビクッとしてしまったが、彼があまりに嬉しそうなので、怒るのは止めにしておいた。
全然可愛くなんてない誘い方だったのに、ベルダ様はこんなにも喜んでくれるのだと思うと、少しくらい騒がしくてもいいとさえ思った。
しかし、思わずクスリと笑みがこぼれたのをベルダ様に見られてしまい、彼がまた興奮して騒ぎ出したので、やっぱりあまり騒がしすぎるのも困ってしまうかもしれない、と思い直したのだった。




