前世を思い出したんだ
「さて、じゃあ私はこれで失礼するとしよう。うちのバカ息子は、君と二人きりで話がしたいようだからな」
からかうような伯爵の言葉にも、ベルダ様は落ち着いた様子で笑顔を返している。以前の彼ならば苦々しい表情を浮かべそうなものだが、こういうところも変わったらしい。
伯爵が出ていき、リリーも部屋の外にいるので、部屋の中に二人きりになる。
ベルダ様のエスコートで、ティーセットなどがセッティングされた席へと腰を下ろした。その時の彼の仕草が丁寧で、宝物でも扱っているかのようで、なんだか不思議な気分だった。
私を席へ導くと、ベルダ様も私の向かいの席へと座る。
そして私を見ると、またニコッと微笑んだ。
こういう時は自分も笑みを返すべきなのかもしれないが、私ができたのは、戸惑ったような表情で彼を見つめることだけだった。
ベルダ様は、一体どうしてしまったのだろう。
伯爵の強烈な拳骨を受けて少しの間気を失ってから、まるで別人のようになってしまった。これから、その理由を聞かせてもらえるのだろうか。
「さて、今の俺の状態について、訊きたいことがたくさんあると思う。ちなみに、別人になったわけではないから安心してね」
まるで心を読まれたようなことを言われて、驚いて思わず目を瞬いた。すると、ベルダ様が急に自分の額に手を当てて顔を背け、またおかしなことを言い出した。
「あぁ、推しのキョトン顔最高ですありがとうございます」
「はい?」
ボソボソと呟くように、ひと息で言葉を紡ぐベルダ様。先日も言っていた気がするが、「オシ」とは一体何なのだろうか。私のことを言っているように思えるが、意味がよくわからない。思い切って聞いてみるべきだろうか。
「あの、『オシ』とは何のことでしょう?」
私がそう尋ねると、ベルダ様はにっこり笑いながら、あっさりと答えてくれた。
「ああ、『大好きな人』という意味だよ!」
「だ……!?」
私が口をパクパクさせていると、ベルダ様はなぜか嬉しそうに顔を蕩けさせた。
「あぁ、ルナリアが可愛すぎる。推しが目の前で息をして喋っているだけでも幸せなのに、彼女が自分の婚約者だなんて俺は知らないうちに前世でどれほど善行を積んだんだろう。社畜として会社に尽くしていた記憶しかないんだけどな」
「……」
怒涛のような独り言だったが、内容の意味はほとんどわからなかった。「オシ」もそうだし、「シャチク」や「カイシャ」など、なぜ彼は私の知らない単語を使えるのだろう。
「あの……」
「あぁ、ごめんね。ルナリアといると、つい舞い上がってしまうみたいだ。まず、今から俺が言うことはきっと信じがたい話だろうと思うけど、本当のことだからできれば信じてほしい。言わないでいることもできるけど、そうするとこの先きっとルナリアに疑念を持たせてしまうことになるだろうから、正直に伝えると決めたんだ。それに、俺はいつでも君に誠実でいたいと思っているからね」
「は、はい。わかりました」
彼の話というのが全く予想できないが、とりあえず、一旦聞いてみるしかなさそうだ。
覚悟を決めれば、私は持ち前の落ち着きを取り戻してきた。キリッとした真剣な表情で、ベルダ様と向き合う。
「俺はね、前世の記憶を思い出したんだ」
彼が笑顔で切り出した話に、取り戻したはずの私の平常心には、あっという間にヒビが入ってしまった。
……前世? 前世って、この世に誕生する以前に別人として生きていた時のことよね?
ある宗教上では、人は前世の罪を記憶と共にまっさらにして、新しく生まれ変わると言われている。前世を覚えていたり、思い出したりした人の話もなくはないけれど、どれも伝説や創作の範囲を出ない話であることは間違いない。
それなのに、ベルダ様が前世を思い出した……?
とてもすぐに信じられる話ではない。
私は思わず眉をひそめた。
「すぐに信じてもらえるとは思っていないよ。俺が君の立場でもそうだと思うから。でも俺は、前世の時からずっとルナリアのことが好きだったんだ。それだけは信じてほしい」
ベルダ様の真剣な瞳に息をのんだ。
なんだか見ていられなくて、私はお茶を飲むことで彼から視線を逸らした。
「前世から私のことが好きだったと仰いますが、理解できかねます。ベルダ様の前世がどこのどなたかは存じませんけれど、そこに私がいたはずがないのですから、私のことを好きになるはずもないでしょう?」
私とベルダ様は同い年だ。
彼の前世というのは当然ベルダ様が産まれる前ということなので、必然的に前世の彼が私と会ったことがあるはずがないのだ。
「あぁ、それはね。俺の前世は冴えない社畜会社員……つまり、仕事ばかりしていたつまらない男だったんだけど、趣味はゲーム全般だったんだ。その中で、妹が持っていた乙女ゲームも興味本位でいくつかやったんだけど、ルナリアはその中の登場人物だったんだよ」
「…………はい?」
ダメだわ。彼が何を言っているのか、全くわからない。
これほど相手の話が理解できないのは初めてで、私は混乱してきた。
それでも根気強く彼の話を聞いた結果、私はこう解釈した。
「……つまり、ここはベルダ様が前世で読んだ小説のような物語の中の世界であり、私はその中の登場人物だったということですよね? そして、ベルダ様はその物語の中のルナリアという人物のことが好きだったと」
「うん。そういうことだね」
「……」
彼の話を全て納得できたわけではないが、おおよそ理解はできた。
でも、それってあり得るのかしら? なぜこの世界の話が彼の前世で物語として知られていたのかという疑問もあるけれど、彼の気持ちに関しても不思議に思ってしまう。本の物語を楽しむことはあっても、その中の登場人物を好きになるなんてことがあるはずがないと思ってしまうのだ。
「……」
ちらりと彼の顔を見てみると、愛しげな表情をこちらへ向ける彼の視線とぶつかる。これだけ人が変わったようになるのだから、彼の中で何か大きな変化があったのは確かなのだろう。
「ああ、もちろん、実在しない『物語の中のルナリア』を恋愛対象として真剣に好きだったわけじゃないよ。可愛いな、好みだなと思っていただけ。でもこうして実際に目の前に現れたら、ルナリアは本当に可愛くて、一気に恋に落ちてしまったんだ」
そう言って、ベルダ様が目を細める。
「ベルダとしての記憶と前世の記憶が混ざってしまうことになったから、初めはひどい頭痛と混乱に陥って大変だったけど、俺は前世を思い出せて良かったと思ってるよ。自分の口から君に婚約破棄を告げるなんて本当に馬鹿なことをしたと思ってる。でも、今の俺はこれからもルナリアの婚約者でいたいし、ゆくゆくは結婚してほしいと思ってるんだ。その、駄目かな? 散々君に冷たく当たったから、もう許せないほど嫌われてる……?」
少し不安そうに見つめてくるベルダ様は、嘘を言っているようには見えない。それでも、まだ彼の言葉全てを信じることは難しかった。
「あまりに突飛なお話ですし、少し考える時間がほしいです。けれど……元々婚約破棄は私も望むところではありませんでしたから、ベルダ様がそう仰ってくださるなら、婚約を継続することに異論はございません」
「良かった! ありがとう、ルナリア! あぁ、安心した~……」
今のベルダ様は、以前と何もかもが違う。
本人曰く、違う人物の記憶が混ざってしまったのだから当然かもしれないが、以前は見ることのなかったこの気が抜けたような笑顔を、私は可愛いと思ってしまったのだった。




