醜い気持ち
人生って何が起こるかわからない、という話は、よく聞くけれど。
自分にとって恐れていることや、衝撃的な出来事とは、本当に何気ない時にやってくるのだと、私はこの日実感した。
ベルダ様の自主練のため、下校を共にするのは止めようということになっていたけれど、今日は私もクラスの用事があり、少し遅くなった。ベルダ様の自主練が終わっていたら、もしかしたら一緒に帰れるかもしれない。
そんなことを考えて、彼の様子を見に、訓練場へ向かうと、誰かと会話しているのか、彼の声が聞こえてきた。
……誰と話しているのかしら?
そっと訓練場の中を覗いた私は、自分が見た光景に衝撃を受けて、動きを止めた。
何を話しているのかは聞こえないが、声のトーンから、とても楽しげに話す二人がいた。
そのうちの一人は、よく目立つ赤い髪をしていた。後ろ姿でもすぐにわかる、私の婚約者だ。そしてもう一人は、ふわふわした長い桃色の髪を揺らしながら、楽しげにころころと笑う、愛らしい女子生徒。
「あの方は……」
間違いない。直接話したことはないけれど、彼女の特徴にはとても覚えがある。たくさんの人から、何度も聞かされていたから。あれは、以前ベルダ様ととても親しくしていると噂になった、男爵令嬢だ。
私と違って、表情豊かに、明るく笑う天真爛漫な方。ベルダ様いわく、私たちが登場人物となる物語の主人公。
……どうして、彼女とベルダ様が、一緒にいるの? 二人が、とても親密な様子に見えるのは、どうして?
ベルダ様が以前、彼女によく声をかけていたのは、自分の有責で私と婚約破棄しようとしたからだと聞いていた。元々それほど親しくはなく、特に何も接点はないから、これからは会うことさえないはずだと。
けれど、二人の様子はどう見ても、かなり親しい友人か、それ以上の仲に見える。彼女はベルダ様の腕に触れたり軽く叩いたりして、楽しそうに笑っているし、ベルダ様はそれを嫌がるどころか、気を許した相手と接するように彼女と会話しているのだ。私といる時には決してしないようなリラックスした体勢で、明るい声を出している。一緒にいるのが当たり前みたいな雰囲気で、二人がとてもお似合いに見えた。
……もしかして、私と一緒に帰らなくなってからは、よく彼女と会っていたの?
私は思わず胸を押さえた。苦しくて、めまいがしそう。考えがまとまらない。
ベルダ様が私を好きだと言ってくれた、あのたくさんの言葉は、本当だと思うのに。それに、彼はあの日、彼女に対して特別な感情はないと言っていたのに。
あれからまた、彼女と会うようになったの?
それで、そんなに親しくなったの?
ものすごく胸が痛い。将来立派な当主になるために、常に自分を律して生きてきた。苦しいことや辛いことがあっても、冷静に飲み込んで受け入れて、全て自身の成長の糧にしてきた。
でも今、私は、あの二人を引き離したくてたまらない。どうして私を放ってその人といるのと彼を詰りたいし、私の婚約者に近づかないでと、彼女に叫びたい。
嫌だ。こんな醜い気持ち、知りたくなかった。こんな気持ちでいたくない。私は、どうすればいいの?
「ベルダ様」
勝手に声が出ていた。振り向いた彼が、私の姿を認めるなり、パッと輝いた。かと思えば、自身の腕に手を添える女子生徒の存在を思い出したのか、サッと青ざめた。慌てたように彼女と距離を取る。
「ル、ルナリア。どうしたの? もしかして、迎えに来てくれた?」
「……一緒に帰らなくなってから、ずっと、彼女と過ごしていたのですか? それほど親しくないとおっしゃっていたのは、嘘だったのですか?」
自分でも驚くほど冷たい声が出た。最近はよく動くようになっていた表情筋も、全く仕事をしていない自覚がある。二人からすると、今の私は、まさに氷のように冷たい女に見えているに違いない。
「ち、違うよ! 本当に違う。今日たまたま彼女が来て、少し話をしていただけで」
「それにしては、とても仲が良さそうでしたよ」
「いや、それは……」
こんな風に言い争いなんてしたくないのに、止まらない。女子生徒の方へ視線を向けると、彼女は大げさなほどビクッと体をすくませた。申し訳なさそうに眉を下げ、困惑して口元へ手を当てている様子は庇護欲をそそり、とても可愛らしかった。ベルダ様は私を可愛いと言っていたけれど、本当に可愛いのは、きっとこういう女性なのだ。なんだか、自分がみじめに感じられた。
「……ベルダ様。私、賭けで勝ったらお願いしたいことが決まりました」
「え……」
もし私が勝って、ベルダ様がお願いをきいてくれたら、きっともうこんな気持ちにならなくて済むだろう。
「それまでは、申し訳ありませんが、登校も昼食も、別々にさせてください」
「ま、待って、ルナリア」
「では、失礼します」
「ルナリア、待って!」
伸ばされた彼の手を、バッと振り払う。
「触らないでください」
あぁ、やっぱり私は可愛くなんてない。
ショックを受けたようなベルダ様の顔が、いつまでも瞼の裏から離れてくれなかった。




