火の精霊の加護
「何だ何だ!?」
「何があった!?」
周囲でザワザワと混乱の声が上がる中、私はすぐさま悲鳴が聞こえた方向へ視線を向けた。
するとそれほど離れていない場所で、灯りとして立てられていたトーチが倒れ、その先端に灯された火が何かに引火しているのが見えた。
雑多な物置き場のようなそこには、どうやら露店設備の木材や布の余りなどが置かれていたらしい。
「火事だ!」「みんな逃げろ!」とその周辺から叫び声が上がっている。
辺りは大騒ぎで、逃げる人の波がこちらへ向かって、どんどんと流れてきた。
「あ、あ……わたし、ごめんなさ……っ」
燃え上がる炎のそばには、顔を真っ青にして震えながら、地面に倒れたトーチに手をついている十歳前後の少女の姿があった。恐らく、あの美しい光景に見とれていたせいで、誤って倒してしまったのだろう。設営の甘さと不注意による事故のようだった。
周囲を軽く見回しても、彼女の保護者らしき人物はいない。そういえば、平民は幼い頃から一人で出歩くことも珍しくないと聞いたことがある。彼女も一人で来たのかもしれない。
「すぐに消火しないと……!」
私はすぐさま魔法を紡ぎ始めた。
魔法は便利だが、発動に時間がかかるのが難点である。その上、緊急事態からの焦りで、なかなかうまく紡げない。
そうこうしている内に、あっという間に火は大きくなっていく。
「きゃあ……っ!」
「危ない!!」
魔法が完成する前に、木材が崩れ、女の子へ迫った。
腰を抜かしたのか動けなくなっている彼女へ、私は気づけば、魔法を中断して駆け出していた。
「ルナリア!!」
バキィッ!!
「……っ?」
女の子を庇うように抱きしめた私の後ろから、ものすごい音が聞こえた。
上から崩れ落ちてくるはずの木材が落ちてこず、恐る恐る振り返ると、そこにはどこから拾ってきたのか、角材を手に持つベルダ様の背中があった。
「ルナリア、無事!?」
「……えっ、は、はい……」
持っていた角材をポイッと放り投げて私へ駆け寄り、額に汗を浮かべながら勢い良く地面に膝をついた彼を、呆然と見つめる。
……ベルダ様、今、燃えながら倒れてくる資材を……角材で弾いたの?
背を向けていたのでその場面を見ていたわけではないが、そうとしか考えられない状況だ。実際、こちらへ向かってきていた資材は、今はすぐ横の地面で、折れた状態で燃えているのだから。
最近訓練を頑張っていると聞いてはいたが、正直ずっと稽古をサボっていた彼にこんなことができるとは思っておらず、私は少しの間、呆然と彼を見つめた。
しかし、ハッと我に返ると、私は焦って彼の様子を確かめ始めた。
「ベルダ様こそ、大丈夫なのですか!? あんな頼りない角材で、なんて無茶を……!」
「無茶なのはルナリアじゃないか!!」
声を荒らげるベルダ様に、思わず動きを止めてしまう。
「信じられない。君って人は、どうしてあんな無茶をするんだ。身を挺して見知らぬ女の子を守るなんて……まず守られるべきは、伯爵令嬢であるルナリアだろう! そりゃあその孤高で高潔な精神も、ルナリアのたくさんありすぎる魅力のひとつではあるんだけども!!」
「…………」
だんだんと話がずれてきているような気がするが、私は今、ベルダ様に叱られているらしい。確かに、彼が庇ってくれなければ、私は火に包まれた資材の下敷きになってしまっていただろう。
「ごめんなさい……」
私は素直に謝罪した。なんとなく彼の顔を見られなくて、少しうつむきながらではあったが。
「えっ、あ……ううん。俺も、大きな声を出して、ごめん。……でも本当に、無事で良かった……」
ベルダ様の気配が近づいてきたと思うと、気がついた時には、私は彼の温かさに全身が包まれていた。
驚いて目を瞬かせていると、さらにギュッと彼の腕に力が込められた。
「ベルダ様……」
……とても、心配をかけてしまったみたい。
私は迷いながらも、心の赴くまま、そっと彼の背中に手を添えてみた。それは彼の腕の中が、意外なほど私の心に安心感をもたらしたからかもしれなかった。
しばらくそうしていると、クイッと後ろからスカートを引かれたのを感じた。しかし、今は完全にベルダ様に拘束されているような状態なので、振り返ることもできない。
けれど少し身じろぎをしてみると、すぐさまパッとベルダ様の腕から解放されたので、私はスカートを引く女の子へ視線を移した。
「あ、あの、あの……。たすけてくれて、ありがとう」
ボロボロと涙をこぼしながらそう言う少女へ、私はハンカチを差し出した。
「怪我はない?」
「う、うん……」
「良かったわ。それと、助けてくれたのはこのお兄さんよ。私だけでは、あなたを助けられたかどうかわからなかったわ」
「お、お兄ちゃん、ありがとう」
「…………」
小さな子がお礼を伝えているというのに、ベルダ様は返事をしない。というよりも、私の体を離した時と同じ体勢のまま、固まっているかのように動いていない。
どうしたのだろうと首を傾げた時、パチパチと木片が焼けるような音が耳に届いた。
「あっ、そうだわ。火を消さないと……!」
彼の様子も気になるが、まずは消火だ。まだ燃えている資材に視線を移す。周囲の人々はあらかた逃げているようだが、早く火を消さなければ危険だ。
私は、今度は落ち着いて魔法を紡ぎ始めた。
すぐに意図した通りの魔法が、燃え続ける炎に降り注いだ。
「わぁ、すごい。キレイ……」
感嘆したような少女の声が耳に届く。
たくさんの細かな氷の粒が、キラキラと炎の光を反射しながら雪のように落ちていく様は、確かに美しい光景だった。熱で溶かされ、水に変化した氷によって、あっという間に炎は鎮火していった。
「うわっ!?」
けれど、火が完全に消える寸前、なぜか握りこぶしほどの火の玉が急に飛び出して、どこかへ飛んでいった。そしてその先にいたのは、ベルダ様だった。
「あっつ! うわ、何!?」
「ベルダ様!?」
ベルダ様の周囲を火の玉がヒュンヒュンと飛び回る。火の玉がひとりでに動き出すなんて、明らかに不自然な光景だった。一体、何が起こっているのだろう。
「ちょ、熱いって、熱……え?」
突然ピタッと動きを止めたベルダ様が、自分の目の前にある火の玉を不思議そうな目で見つめた。
……あら? これって、もしかして……。
そしてしばらくすると、火の玉から分かたれた小さな光が、彼の中へ吸い込まれるようにして消えていった。
私は、この現象が何を意味するのか、わかったような気がした。なぜなら、自分も幼少期に同じようなことを経験していたからだ。
「ベルダ様。もしかして……?」
光が消えていった自分の胸辺りをじっと見つめていた彼にそっと声をかけると、ベルダ様は少し興奮した様子で、目を輝かせながら私を振り返った。
「ルナリア! 俺、火の精霊に加護をもらえたみたい!」
「やっぱり、そうだったのですね」
嬉しそうに告げられた言葉に、私は頷きを返す。
私が子供の頃に氷の精霊に加護をもらった時も、先ほどと同じようなことが起こった。まるで、胸の中に精霊の魔力が溶け込むかのような感覚になったことを覚えている。
「おめでとうございます、ベルダ様。何かお話しされていたようでしたが、火の精霊は何と言って加護をくださったのか、お聞きしてもいいですか?」
少し興味があって尋ねてみたのだが、その途端ベルダ様はじわりと頬を赤らめ、「……いや、うん。それは、また機会があれば教えるね」と言って目を逸らした。
明らかに話したくなさそうである。
……精霊って、話すのを躊躇うような理由で加護を与えることが多いのかしら?
考えてみれば、私もそうだ。
風邪を引くまで一日中雪を見ているなんておかしな子ね、と言われただなんて、恥ずかしくてとても人には話せない。
精霊から加護を与えられる条件が未だに解明されず曖昧なままなのは、もしかしてその理由がその人にとって羞恥心を感じる場合が多いからなのではないだろうか。精霊たちは楽しいことや面白いことを好むので、あり得ない話ではないと思う。
「……わかりました。また機会があれば、ぜひ教えてくださいね」
そう思った私は、ニコリと笑みを浮かべ、深く追求することなく引き下がったのだった。
「……あれって、ベルダとその婚約者……? どうして……」
そんな私たちの様子を、訝しげに遠くから見ていた人物がいたことに、私は全く気づいていなかった。