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第八話 焚き火と妖怪の記憶


黄河童・樹一の語る北海道妖怪史。真一郎は次々と明かされる事実に翻弄され、頭を抱える。妖怪たちの記憶と因縁が、彼の前に立ちはだかる――。

 泉の沼公園の夜は、しんと冷え込んでいた。

 八月だというのに、吐く息がかすかに白い。真っ暗な沼を背に、黄河童の樹一が積み上げた薪に火を入れると、ぱちぱちと乾いた音を立てて火の粉が跳ねた。


 真一郎は炎を見つめながら、しばし言葉を失っていた。今日一日だけでも緑河童との出会い、樹一との相撲、そして河童の蓑を受け取ったこと……あまりに濃すぎる。


「……それにしても、これはどういう状況なんだ」

 焚き火を前に、ようやく口を開いた。


 樹一は焔に照らされた黄色い顔をしかめ、低く呟いた。

「……お前、本当に何も知らんのか」


「知らないことだらけだ。名無しだの、外来妖怪だの、悪妖だの……。俺、ただの人間だぞ」


 その言葉に、クロが横からすっと尻尾を振って口を挟んだ。

「“ただの”人間なら、あの緑河童との相撲で一度も勝てなかっただろうな。……まあ、聞くだけ聞いておけ、真一郎」


 樹一は焚き火の前で胡坐をかき、どっかりと座り直した。

「話すぞ。これは人間と妖怪の歴史の、裏の裏の話だ」


◆明治の頃の影


「明治の頃――すでに日本は戦争の予兆があった。開国し、外からの圧力に押され、やがて国を挙げて武器を手に取る日が来ると、賢い妖怪たちは察したのだ」


 樹一の声は静かだったが、どこか怒りを帯びていた。


「それを危惧した日本の妖怪たちは、当時の主要な偉人たちに声を掛け、北海道を我々妖怪の安住の地とするべく動いた」


「……妖怪が、人間に?」

 真一郎は焚き火の熱に当たりながら、首を傾げた。


「そうだ。人間と妖怪が協力すれば、この国を守れる。そう考えたからだ」


「だが、すべてが順調に進んだわけではない。仏教に帰依しない悪妖がこれを阻止し、偉人たちは命を落とした」


 焔が揺らぐ。真一郎は炎の影の中に、誰かの断末魔を見た気がした。


◆分かれた妖怪たち


「有名な妖怪たちは、もともと祀られていた庵や神社に残った。そしてその眷属たちも、その地に根を下ろしたままだ」


 樹一の語り口は、まるで古い巻物を読み解く僧侶のようだった。


「だが、そのほかの多くの妖怪は、北海道へと拠点を移した。……その数、全体の三分の一に及ぶ」


「三分の一!?」

 真一郎は思わず声を上げた。


「人間の人口比と比べれば、妖怪にとっては大移住だな」クロが尻尾を揺らす。

「まあ、北海道は広い。土地は余っている。妖怪にとっては居心地が良かったんだ」


「居心地が良いって……温泉とか飯が美味いとか、そういうことか?」

 真一郎の疑問に、樹一は大きな声で笑った。


「ははっ!まあ、それもあるがな。だが一番は“人間の目が届きにくい”ということだ」


◆監視の綻び


「ただし――」

 笑いを収めた樹一は、急に真顔になった。


「妖怪の三分の一が北海道に移住したせいで、本州以南の監視は手薄になった。その隙を突いたのが、悪妖や名無し、外来妖怪どもだ」


「その通り」クロが口を開く。

「名無しが北海道に現れたのは、戦後になってからだ。つまり、この土地でも奴らの手が届き始めたということだ」


「名無しって、結局何なんだ?」

 真一郎は額を押さえた。頭の中がごちゃごちゃになってきていた。


「名無しは“名を持たぬもの”。名前がない妖怪だよ。……本来我々妖怪は、名を持たぬ一つの存在だ。人間とは違う力を生まれながら持っている。各々が融合し、物質を取り込み、やがて言葉を覚えて人間を理解し、人間の役に立ったものは初めて名前を与えてもらえた。逆に人間から忌み嫌われる存在も、悪い意味で名を授かる。名無しはまだ名を貰えぬ只の存在だ。」クロの言葉は淡々としていたが、ひどく重かった。


「只の……存在……」

 真一郎は口の中で呟き、頭を抱えた。


 クロが話を続ける「我々は一族や眷属を家族とし、仏教に帰依することで名無しが生まれれば名を貰え、互いに敬意と尊厳を持って信仰している。それが何千、何百年続いて今の状態を維持している」


「ま、それだけではないが…」

遠くを見ながらクロは話をさらに続けた。


「名無しは突然生まれるのだ、。人間の思いが、強い意志が、激しい恨みが、名無しを。いや、我々妖怪を生み出すのだよ」


◆真一郎の混乱


「待て待て! 仏教に帰依しない悪妖? 外来妖怪? 名無し? 眷属? 人間が妖怪を生み出す? ……あーっ、頭痛い!」


 真一郎はとうとう両手で頭を抱え、焚き火に突っ伏した。


「おいおい、人間ってのは本当に脆いな」樹一が呆れ顔で言う。

「お前、よくそれで俺に勝てたな」


「だから言ってるだろ! 俺はただの人間なんだって!」


「ただの、ね……」クロが薄く笑った。

「じゃあ何故、お前の一撃に“導かれる感覚”があったと思う?」


「導かれる……?」真一郎は顔を上げる。


「お前の力は荒削りだが、心の奥に“流れを掴む勘”がある。それが本物なら、いずれ名無しと対峙できるやもしれん」


「俺に、そんな力が……?」


「ふん、力を誇るな。まだまだ半人前どころか、十分の一人前だ」樹一は鼻で笑った。

「だが……俺は気に入ったぜ。人間でありながら、ここまで必死に食らいつく奴はなかなかいない」


◆焚き火の夜


 その夜、三人は焚き火を囲んで過ごした。


 薪が弾ける音と、夜風に揺れる木々のざわめき。

 真一郎は寝転がりながら、頭の中で樹一の話を何度も繰り返した。


 ――妖怪の三分の一が北海道に住む。

 ――名無しは戦後、初めてここに現れた。

 ――自分には、まだ知らない力が眠っているかもしれない。

 ――人間が妖怪を生み出す。


「……うわーーーー!」

 真一郎は両手で顔を覆い、大声をあげた。


「おい、どうした」クロが覗き込む。

「情報が多すぎて、頭が爆発しそうなんだよ!」


「ははは! いいじゃねえか」樹一は腹を抱えて笑った。

「爆発するくらいで丁度いい。でなけりゃ妖怪の世界なんざ、生き残れん」


 その笑い声が夜の公園に響き渡り、やがて火の粉と共に静かに消えていった。

妖怪たちが北海道に集った理由、そして「名無し」の影。歴史は重く、真一郎を試す。次回、新たな妖怪が。

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