第七話 黄河童、蓑を授ける
風厘偉へ辿る道。その鍵を握るのは「黄河童」との出会いでした。真一郎は再び相撲を挑まれ、奇妙な手応えを掴みます。果たしてその意味とは――?
風が冷たくなり始めた夜更け。真一郎は河童・勘介の言葉を思い返していた。
「――風厘偉は、日本を監視している大妖怪だよ」
大妖怪、という響きに背筋がぞくりと震える。
「大って言ったけど、サイズが大きいって意味だよ」
「サイズ?」
「北海道と同じ大きさなんだってさ。俺は会ったことないけどね。でっけえぞ」
北海道と同じ大きさの妖怪、という表現に真一郎は言葉を失った。想像すればするほど現実感が薄れていく。山脈が背骨で、大地が胴体、河川が血管にでもなっているのだろうか。
「そんなもん、本当にいるのか……」
「いるんだよ」クロが涼しい顔で口を挟む。「おまえが想像する以上にな」
真一郎は深呼吸して頭を振った。今は信じるしかない。
――まずは大雪山へ、だが。
その前に、勘介の言葉を思い出す。
「先ずは札幌の隣の市、江別市の泉の沼公園に行き、黄色い河童に会え」
そこで事情を説明し、「河童の蓑」を受け取らねばならないのだという。
蓑には不思議な力があり、雨に打たれても体力が減らず、足も速くなるらしい。
「なんで河童なのに雨に打たれないような効果があるんだ?」真一郎は素朴な疑問を口にした。
勘介はきょとんとし、すぐに笑って答える。
「だって雨が嬉しすぎて足が止まっちゃうからさ」
「……理由そこかよ!」
真一郎のツッコミが夜空に響いた。
◆泉の沼公園にて
江別市、泉の沼公園。
昼間なら子供連れや釣り人で賑わうが、今は深夜。真っ暗な公園には人の気配すらない。
不気味な静けさを踏みしめるように、真一郎とクロは池のほとりへと歩みを進めた。
そのとき。
「珍しいな。妖怪と人間の組み合わせなんて」
暗がりから、どっしりとした声が響いた。
月明かりに浮かび上がった影――黄色味を帯びた肌、甲羅の光沢、そして頭の皿が夜露に濡れてきらめく。緑よりもやや大柄で、目つきは鋭い。
「……なんか、デジャヴ」真一郎は肩を落とした。
「あの緑の間抜けに何か頼まれたんだろ?」
声は尊大だが、どこか裏表のない響きを持っている。
真一郎とクロは、これまでの経緯を説明した。
「緑河童のヤロウめ、面倒ごと押し付けやがって!」と、黄河童は怒鳴った。が、その口元には笑みが浮かんでいる。
「まあいい。俺が何とかしてやる。――ただし!」
ぐい、と真一郎の襟をつかむ。
「取りあえず相撲だ!」
「またかよ!?」
抵抗する暇もなく、二人は土俵代わりの草地へ引きずり込まれた。
◆黄河童との相撲
組み合った瞬間、圧が違った。
緑河童との相撲も大変だったが、この黄河童はさらに力強い。真一郎は必死で足を踏ん張り、技を繰り出すが、ことごとく押し返される。
「ぐっ……!」
十番取って九番負け。だが最後の一戦、何故か体がふっと軽くなった。相手の重心がわずかに崩れ、その隙を突いて押し出すことができた。
「や、やった……! 勝ったぞ!」
「でも何故だ!何故勝ったんだ?」
真一郎は歓喜に叫んだ。だが黄河童は眉をひそめて呟く。
「何故だ、だと?」
「え?」
「そこがわかってないようじゃ、まだまだだ」クロが呆れ声をあげる。
「感覚は悪くない。だが力に頼りすぎだ」黄河童も続ける。「最後は手加減した――いや、導いたんだよ。お前が勝つように」
「導いた……?」
真一郎は絶句した。勝ったと思った一戦すら、自分の力ではなかったのか。
◆蓑を授かる
「まあいい。負けは負けだ。約束どおり、蓑はくれてやる!」
黄河童は、背中からざらりと音を立てて、一枚の蓑を取り出した。
それは水草のような繊維で編まれており、月明かりに淡く光を返している。
「これをまとえば雨風は防げるし、足も軽くなる。俺ら河童の秘具だ。有り難く使え」
真一郎は両手で受け取り、深く頭を下げた。
「ありがとうございます!」
◆焚き火と語らい
その夜、三人は泉の沼公園で野宿することにした。
樹一が持ってきた木を組んで火を起こすと、暖かい橙色が闇を照らした。
「薪なんて焚いて人間に見つからないのか?」真一郎は不安を漏らす。
樹一は豪快に笑った。
「我ら妖怪ぞ! 人間に見つかるわけないだろう。緑河童はすぐ見つかるがな。俺たち黄河童は歴史上ほとんど人間に見つかったことなどない!」
その言葉には誇りが満ちていた。
「さすがだ、黄河童殿」真一郎は素直に称賛した。
「おう、気に入ったぞ人間。俺の名は黄河童の樹一だ」
名を名乗るその姿は、どこか武人めいていた。
すると――クロが九本の尾をゆっくり振った。
ぱっと樹一の顔色が変わる。
「え……まさか九尾の猫又、クロ様!?」
尊大な態度が一転し、腰を抜かしそうになっている。
真一郎とクロは顔を見合わせて、同時に呟いた。
「……今更かよ」
焚き火がぱちぱちと音を立て、夜空には星がまたたいていた。
黄河童・樹一の情に厚い性格と、彼の差し伸べた一助。真一郎の成長は小さな一歩を踏み出しました。次回は旅路がさらに彩りが深まり、大雪山の影が迫ります。