第三十五話 烈掌と妖木刀
名を求める怪異と、名を背負い始めた男。互いが互いを映す鏡となった夜の決戦は、いよいよ終盤へと差し掛かる。修行で得た技の全てを賭け、浦見真一郎は黒影田中と向き合う。
夜のグラウンドに、二つの影がぶつかり合っていた。
黒影田中の腕が地を穿つ。
真一郎は最小限の歩法で死角に滑り込む。
気配、呼吸、重心――すべてが研ぎ澄まされ、視界に余計なものは無い。
「ッらぁ――!」
真一郎の拳が、田中の巨体にめり込む。
衝撃は確かに伝わった。
だが黒影は揺れるだけで倒れない。
その肉体はまるで呪いに支えられているようだった。
「この程度……名は得られん……!!」
黒影が咆哮し、地面が震える。
影が牙を剥く。
真一郎は息を整える。
観の目。
身体のどこが動くか、どこに力が宿るか、すべてが見える。
三密。
身と口と意を一つに。
投地法。
歩法。
全てをかみ合わせるように――
「――はぁッ!!」
真一郎の両掌が、左右から空を裂いた。
烈掌・二条の奔流。
その衝撃は田中の巨体を大きく揺らし、たたらを踏ませる。
黒い肉の波打つ身体が一瞬だけ萎む。
確かな手応えがあった。
しかし。
田中は倒れなかった。
「まだ……だ……俺は……忘れられねぇために……立つッ!!」
執念が肉体を引き戻したのだ。
立ち上がるたびに影は濃く、重くなる。
それは魂の叫びに似ていた。
真一郎は息が乱れ始めていた。
一方、田中は執念の異形。
互角は、長引くほどに不利。
その時――
クロが一歩前へ出た。
「……業を煮やしたわ。」
その身体に、黒い炎のような妖気が立ち上がる。
少女の影が揺れ、尾が生え――増え――分かれ――
九本。
九尾の猫又の本来の姿。
夜が、その圧に震えた。
クロはそのうちの一本の尾を、するりと前へ伸ばした。
尾は空気を裂きながら形を変える。
木。
幹。
刃。
それは一本の木刀となり、真一郎の足元に突き刺さった。
ドンッ。
「手ェ、貸してやる。」
クロが女子高生の姿に戻る。
その顔はいつもの軽口めいた笑みだった。
「よし。」
真一郎は息を整え、木刀の柄に触れた。
その瞬間。
木刀が青白い炎のような光を放つ。
刃は存在せずとも、そこには確かな“斬る気”が宿っていた。
真一郎はわずかに笑う。
「反応した。」
黒影田中が再び突進する。
影が腕を広げ、真一郎を呑み込もうとする。
真一郎は一歩踏み出した。
その歩は、山の奥で叩き込まれた歩法。
雑念を捨て、ただ前へ。
すれ違いざま。
真一郎は妖木刀を横一線に振り抜いた。
――音はなかった。
しかし。
田中の胴体が、青白い光と共に弾けるように揺れた。
「――――ガあああああああああああああああああッ!!」
それは悲鳴か。
断末魔か。
名を求める魂の吠えか。
黒影は、崩れながらも真一郎を見た。
「……お前……名前が……あるってのは……強いな……」
真一郎は静かに答える。
「……別に、カッコいい名前じゃねぇよ。」
「でも、俺が生きてるってことは――
俺を呼んでくれた奴がいたって事だ。」
黒影の瞳に、微かな光がともる。
「……そうか……羨ましい……」
黒影は夜風に解け始める。
闇が空に散ってゆく。
消えるのではない。
還るのだ。
田中二郎という“人”の影が、静かに息をついたようだった。
「……さよならだ、田中。」
夜が、再び静けさを取り戻した。
黒影田中との戦いは終わり、真一郎は名の重さと、呼ばれることの意味を知る。だが学園には、まだ目覚めつつある影がある。物語は次の章へ向かう。




