第三十一話 帰寮、そして猫又は制服をまとう
夏の修行を終え、真一郎は学園へ戻った。
寮の空気、ゲームの音、何もかもが懐かしい。
だが、その静かな日常の裏では、妖の影がまた蠢き始めていた――。
猫又・クロが“女子高生”の姿で現れた時、日常は再び揺らぎを見せる。
夏の修行を終え、真一郎は学園の寮に戻っていた。
山での激しい鍛錬を終えたばかりの体には、まだ熱の名残が残っている。拳の中にこもる力が、今も微かに脈打っていた。
だが、目の前にあるのは懐かしいゲーム機のコントローラーだった。
「……やっぱ、ゲームは良いぜ。何もかも忘れられる」
タイトル画面には『スーパーオジサン兄弟RPG』の文字。
ピコピコとした電子音が、心の奥まで沁みる。山中で聞いた虫の声よりも、ずっと人間らしい響きだった。
あの夏の修行が夢だったように、今はただボタンを押す感覚が心地よかった。
風鈴が鳴り、窓の外では夏の夜がゆっくりと溶けていく。
「……ふぅ、やっぱ文明って最高だな」
その呟きに応えるように、突然背後から声がした。
「おい!真一郎!」
真一郎は肩を跳ね上げる。
「うわっ!? だ、だれだ?」
振り向くと、そこには見知らぬ女子高生が立っていた。
黒髪のロングヘア、セーラー服、瞳は夜の闇を思わせる艶やかさを湛えている。立ち姿には不思議な迫力があった。
「クロか?」
真一郎が呟くと、少女は口角を上げて笑った。
「よくわかったな。ハッハッハッ。女子高生だ!」
腕を組み仁王立ちするその姿は、どこか懐かしい威圧感を持っていた。
真一郎は呆れ顔でため息をつく。
「おい、何の冗談だよ」
次の瞬間、少女の身体が淡く光り、姿が変わった。
光の中から現れたのは黒猫――猫又のクロだった。
「やっぱり猫の姿が落ち着くな」
「お前な……ノックぐらいしろよ」
「人間界の女子高生というのを一度やってみたかったんだ」
「勝手にやるなよ……」
クロは机に飛び乗り、ゲーム画面を覗き込む。
「ふむ……オジサン兄弟? 修行を終えて最初にやるのがこれか?」
「おう。何が悪い」
「いや、良いんじゃねぇの? 修行の成果をゲームに活かしてみたらどうだ?」
「使うなよ発勁を」
クロは尻尾を揺らしながら笑った。
そんな何気ないやり取りが、真一郎には妙に懐かしかった。
厳しい修行の中でも、この猫又の存在だけは変わらずにそばにいた。
気まぐれで、理不尽で、時に核心を突く。だがその声は、いつだって孤独を和らげてくれる。
「そういや、一本ダタラはどうした?」
「あいつならもう学校にいるぞ」
「は?」
「体育教師だ。多々良本一って名前でな。もう人気者らしい」
「妖怪って何でもありかよ」
「世の中、知らぬが仏だ」
クロは尻尾で真一郎の肩を軽く叩いた。
「お前もそろそろ、ただの高校生ではいられなくなるぞ」
「どういう意味だよ」
「そろそろ修行で得た力が試される時が来るぞ」
「……はぁ~」
真一郎が深くため息を吐く。
「ま、私は見守るだけだがな」
クロはにやりと笑った。
その笑みの奥には、どこか予感めいた影があった。
真一郎は立ち上がり、窓を開けた。
夏の夜風が頬を撫で、遠くで蝉の声が細く鳴く。熱気とともに、懐かしい匂いが漂った。
血と鉄と祈り――修行の記憶が胸の奥に甦る。
「……夏は終わったな」
「いや、まだだ。お前の夏はこれからだ」
クロの声は静かだった。
真一郎は自分の手を見る。鍛え抜かれた拳の中に、かすかに風が鳴った。
「発勁の感覚、まだ残ってる」
「忘れるな。拳は壊すためじゃない。守るためだ」
「……誰に言ってんだよ」
「お前にだよ」
気づくと、クロの姿はもうなかった。
机の上には、セーラー服のリボンがひとつ残されている。
真一郎は苦笑してそれを手に取った。
「まったく、落ち着かねぇ猫だ……」
ゲーム画面には“Continue?”の文字が点滅していた。
真一郎はコントローラーを握り直し、深く息を吸う。
「――続けるか」
まるで自分に言い聞かせるように。
風がまた鳴り、寮の明かりが夜を照らした。
北帝都の夏の夜は、再び動き始めていた。
修行の章を終え、物語は再び日常へ。
しかし、クロの警告が示す通り、平穏は長く続かない。
次章では、北帝都学園に潜む“妖の異変”が姿を現す――。
浦見真一郎の夏は、まだ終わらない。




