第三話 猫又、日常を嗅ぎまわる
黒猫・クロと出会った真一郎。正体は九尾の猫又。北帝都学園に渦巻く異変を追うべく、真観となる前の彼が歩き出す。日常の裏側に潜む「名無し」の気配を、猫は静かに嗅ぎまわる。
浦見真一郎の寮の部屋で、九つの尻尾を持つ黒猫が堂々と胡座をかいていた。
「落ち着け、人間。これくらいで気絶するとは修行が足らん」
「気絶させたのはお前だ……」
真一郎はぼんやりと目を覚ましながら呻いた。猫又――自称・妖怪の喋る黒猫――は、のんびりとその尻尾で自分の頭をポンポンと叩いている。
「お前、本当に……何なんだ」
「我は“クロ”。一応の名はある。先祖代々、名を持つ猫又の家系。お主に力を貸すべく現れた。光栄に思え」
「いやいやいや! 猫が喋るとか、尻尾が九本とか、もう意味わかんねぇよ!」
「……お主、昨日の“影”に見覚えはあるか?」
昨日の怪異。全身が闇のような黒に包まれ、触れるもの全てを飲み込みそうな“影”。
――あれを思い出すだけで、背中に冷たい汗が流れる。
「……わかるわけねぇだろ。何だったんだ、アレは」
「“名無し”だ」
「“名無し”……?」
クロはしばらく黙っていたが、やがて小さくため息をついた。
「まあ……そのあたりは追々話そう。今は、お主の“日常”を確認させてもらう」
「確認って……お前、何する気だ」
「この学園で“異変”が起きている。兆しは既に至るところに現れている。目を凝らせ、人間よ」
クロはふんぞり返って言い放つと、ひらりと畳から飛び上がり、棚の上に着地した。
「さて。まずは猫視点で校内を探索させてもらう」
「は? 探索って、お前、俺から離れんの?」
「当然だ。何のためにこの学園に来たと思っている?」
そう言い残し、クロは窓の隙間から器用に出て行った。黒い影が夕陽の中をひと閃、屋根の上へと舞い上がる。
――部屋に残された真一郎は、やや呆然としながら呟く。
「……俺、夢でも見てんのか」
◆ ◆ ◆
クロが学園を“嗅ぎまわる”という言葉通り、その夜から北帝都学園高等部の猫密度はますます上がった。
昼は日向で丸くなり、夜は屋根を駆ける黒猫。
第二高等部の屋上、購買横の空き教室、第三高等部の非常階段……。
「猫が急に増えすぎじゃね?」
生徒たちの間でも話題になるほどだった。
一方、浦見真一郎もそれなりに情報を集め始めていた。
「三高の転校生は相変わらず普通の不良っぽいけど……周りがやけに静かなんだよな。締めたってのも、あながち噂じゃないかもな」
それに――
「なんか、生徒の一部が“何か”に憑かれてるような目をしてる時がある」
廊下で、階段で、ふとした時に目が合った生徒の目が異様に虚ろだったり、焦点が合っていなかったりする。
まるで、“中身”がどこかへ行ってしまったかのように。
◆ ◆ ◆
クロはと言えば、真一郎のベッドの上を定位置にし、昼は寝て夜は情報収集を繰り返していた。
「ここ一週間、妙に“匂い”が強い場所が三ヶ所ある。一つは購買横の非常階段。もう一つは旧音楽棟。そして三つ目は……お主の寮の裏手だ」
「は? 俺の寮の裏って……ただの資材置き場じゃねぇか」
「その資材置き場の下に、妙な空洞があるようだな。地脈の乱れを感じる」
「おいおいおい……まさか“祠”とか出てきたりすんのかよ」
「何を驚く。古来より、神と妖は祠を通じて人界と接続するものだ。むしろ普通だ」
「普通じゃねぇよ!!」
真一郎は机に頭を打ち付けたくなるのを堪えた。
◆ ◆ ◆
夜、クロとともに寮の裏手へ足を運ぶ。
資材置き場の古びたコンテナの脇、草の茂みをかき分けると――。
「……あるな。地下への入口か?」
「やはりな。人の手によって封じられた痕跡がある」
そこには、半ば土に埋もれた古い石段が続いていた。
風が吹き、真一郎の首筋を撫でる。
「……気味が悪ぃな」
「お主、肝は据わっているようだが、心はまだ揺れているな」
「そりゃそうだろうが……俺は不良だけど、幽霊ハンターじゃねぇんだよ」
「ならば、これを持て」
クロが足元に、黒い布に包まれた何かを転がしてよこす。開くと、そこには一振りの木刀。
握った瞬間、手のひらに“重み”が伝わった。
「……何だ、これ。妙にしっくりくる……」
「それは“名前を持った”木刀。ある妖が人を守るためにその身を変じたものだ。お主の魂に反応する」
名もなき不良が、奇妙な猫又に導かれ、異形の世界へ足を踏み入れようとしていた。
名を持たぬ“影”に対抗するために――。
学園の裏側に潜む“何か”に気づき始めた真一郎。猫又クロの導きで動き出す運命。物語はじわじわと異界に踏み込んでいきます。