第十二話 妖艶なる道迷い
黄昏の山道に漂う、妖しげな香りと甘い囁き。導かれるように足を踏み入れた先に、真一郎たちを待つものとは――。
山道は薄暗く、湿り気を帯びた土の匂いが漂っていた。
真一郎とクロは、ほとんど人が通らないという「隠れ登山道」を進んでいた。
頭上には杉が生い茂り、陽光は網目のように差し込む。時折、鳥の声が途切れ、風が木々を揺らす音だけが響く。
そんな静寂の中、不意に――足音。
カツン。カツン。
赤いヒールの踵が、山道の岩肌を打つ音だった。
「……は?」
真一郎は思わず立ち止まり、目を凝らした。
そこに現れたのは、場違いすぎる存在だった。
長い黒髪は艶やかに波を打ち、肩から背へと流れている。光を受けるたび、青みを帯びるような輝きを見せた。
服装はまるで都会のディスコ帰りのような、煌びやかで体の線をあらわにしたドレス。
胸元は大胆に開き、腰のラインは布地に沿って滑らかに強調されている。
足元は真紅のピンヒール。土に似合うはずもなく、しかし彼女は難なく歩いていた。
この田舎の山道に――なぜ。
「……お、おいクロ。なんだあれ」
「見れば分かるだろ。妙な女だ」
クロは尻尾を膨らませ、低く答えた。
その美少女は、ゆるやかに扇子を口元にかざした。扇子には白い毛があしらわれ、風に乗ってふわりと舞う。
紅い唇が開き、艶めいた声が響く。
「――お助けくださいませ。道に迷ってしまいましたの」
山道には似つかわしくない、ゆったりとした言葉遣い。
真一郎は警戒心を抱いた。だが、同時に心臓がどくどくと脈打つのを感じた。
(……やばい、見とれてる場合じゃねえってのに!)
理性では「怪しい」と分かっている。
しかし目が離せない。ドレスの光沢、ヒールの脚線、肩から胸元へと流れる曲線。
普段なら「関わるな」と一蹴できるのに――思考が追いつかない。
「お前……怪しいって分かってんだろ?」
クロは横目で真一郎を見て、あえて口を閉ざした。
その表情は「どうするか見ものだな」とでも言いたげだ。
「……あ、ああ」
真一郎は頬を赤らめながら、ぎこちなく返す。
彼女は一歩、また一歩と近づいてきた。
ヒールの音が乾いた岩に響くたび、真一郎の鼓動は加速する。
「道案内をお願いできませんか?」
彼女は恭しく頭を下げた。
断ろうと口を開きかけた真一郎だったが、視線の先――彼女が岩を踏み越える仕草に、息が詰まった。
スラリと伸びる脚線美。細い足首から太腿にかけて、ドレスの裾がひらりと翻る。
喉が鳴りそうになり、慌てて視線を逸らす。
(落ち着け! 妖怪かもしれねえんだぞ!)
クロは尻尾をぱたんと叩いた。呆れと警戒、両方を混ぜた仕草だった。
風が一瞬吹き抜けた。
その瞬間、扇子の白毛がふわりと散り、彼女の瞳が光を反射する。
一瞬だけ、金色――黄金の輝きが瞳の奥にちらついた。
(……今のは、見間違いか?)
真一郎は首を振ったが、胸騒ぎは消えなかった。
沈黙の中、彼女は柔らかく微笑む。
「やはり、あなた方と共に行きたいのです。どうか、お願い」
その声は妖艶でありながら、不思議と切実さも帯びていた。
真一郎は喉まで出かかった「駄目だ」という言葉を飲み込んだ。
理屈では危険と分かっているのに、否定できない。
クロは静かに瞳を細め、低い声で呟いた。
「……面白くなってきたな」
山道の空気が張りつめ、次の一歩を強いるかのように風が鳴った。
第十三話への布石となる、不穏な気配だけを残して。
「迷い道」の先に見えたのは、ただの幻か、それとも真実か。次回、真一郎の心が試される。




