第一話 化物浦見、牙を剥く
北帝都学園一高に通う浦見真一郎――かつて「化物浦見」と恐れられた元不良。静かに暮らすつもりだった昼休み、三高の不良たちが現れ、平穏は破られる。
札幌の北端。
灰色の冬空の下、北帝都学園は今日も騒がしかった。
中高一貫・大学付属・専門課程まで抱える北海道最大規模の私立学園。その広大な敷地の一角、一高(第一高等部)の芝生エリアは、普段なら穏やかな昼休みの憩いの場だ。
――だが、今日は違った。
学ランの色が違う男たちが、堂々と芝生を踏み荒らしながら歩いてきた。
赤黒い縁取りの詰襟は、三高(第三高等部)の不良連中の証。しかも見覚えのある面だ。市内のコンビニ前で喧嘩騒ぎを起こし、停学を食らった連中だ。
ベンチに座り、弁当の焼き鮭をつついていた浦見真一郎は、箸を止めた。
群れで威圧するそのやり口に、胸の奥で薄い苛立ちが湧く。
とはいえ、食事中にわざわざ絡まれたいわけでもない。目線を逸らし、再び鮭を口に運ぶ。
――だが、向こうはそうはいかなかった。
「おい、一高の“化物”ってのはお前か?」
先頭の男が、芝生を蹴って真一郎の前に立った。
ニヤつきながら、わざと弁当のすぐ横に靴先を突き立てる。
周囲の生徒たちが息をのんだ。
「化物浦見」――それは真一郎の異名。
中三の春、十人近い不良を病院送りにしたという噂から付けられた名だ。真偽はともかく、学園内で彼に手を出す者はほぼいない。
「そう呼びたいなら、呼べばいい」
短く答えて箸を弁当に戻す。
その瞬間、挑発を隠そうともしない拳が視界の端をかすめた。
右ストレート――。
真一郎はゆっくりと立ち上がった。
拳が伸び切る前、彼の右拳がそっと相手の腕に触れる。
触れた瞬間、体全体で軌道をコントロールし、外へ弾く。
攻撃の勢いは消え、相手の体勢は前に崩れた。
素早く右足を半歩後ろにスライドし、左足を踏み込み、背後に回り込む。
「……遅い」
耳元で低く呟くと、男は慌てて振り返ったが、すでに次の一撃も空を切っていた。
二撃目のパンチも、同じ要領で軌道を殺し、腕を掴み、体ごと引き倒す。
前のめりに芝生に叩きつけられた男が呻き声を上げる間に、真一郎は呆気に取られている別の一人へ疾風如く歩み寄る。
背後に回り込み右腰骨に右足を掛け上に乗る様に体重をかける。
膝から崩れ落ちた相手の前にしゃがみ、静かに言う。
「立つな。もう終わりだ」
しかし三高の一人が、怒りに任せて突進してきた。
真一郎は踏み込み、懐に潜り込む。
肩甲骨を支点に相手の体を持ち上げ、流れるように投げ飛ばす。
地面に叩きつけられた音に、周囲の生徒たちが息をのむ。
立っているのは真一郎だけ。
三高の連中は呻きながら散り散りになり、最後には誰も残らなかった。
「もう帰れ」
短く吐き捨て、ベンチに戻る。
残った弁当の鮭は、まだ温かかった。
――その夜。
帰り道の校舎裏で、真一郎はそれを見た。
屋根の上を、しなやかに駆ける黒い影。
尾が――九つ、揺れていた。
喧嘩を終えた真一郎の前に現れたのは、九つの尾を揺らし夜を駆ける謎の影。化物浦見の運命は、この出会いから大きく動き始める――。