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11歳の未来設計図

 なぜか最近、存在感を強めてきている少女がいる。坂口奈央だ。


 クラスではちょっと騒がしいタイプ。けれど、ただ騒がしいわけではなく、やたらと頭の回転が早い。誰かの発言の揚げ足を取るのが上手いし、クラスのムードを読む力もある。そういう子供だ。


 そして、なぜか俺に絡んでくるのだ。


「ちょっと佐藤、ノート貸してー。どうせ字キレイじゃないし、ちょうどいいメモ紙になるって感じ?」


「……あのな」


 思わず言い返しそうになるが、俺はぐっと堪える。心の中で、30歳の自分が「ダメダメ」と手を振っているのが見える。ここでムキになったら、小学生同士のケンカにしかならない。


(おい涼……落ち着け、落ち着け。お前は今、11歳。でも中身は30歳だ。大人の対応をしろ)


 それにしても、こうして絡まれるたびに思う。


(……なぜだ、なぜ坂口奈央は俺を標的にする?)


 気にしないようにしていた。大人の余裕を見せようと、表面上はにこやかにやり過ごしていた。けれど、内心では少しずつザラつきが積もっていた。過去の自分にはなかったはずの感情。もしかして——


「……なに?」


 不意に、隣の席の水島凛が声をかけてきた。艶のある黒髪を耳にかけ、ノートを閉じる。大人びた雰囲気の、クラスでもひときわ目立つ存在だ。


「ん? なんでもないよ」


「坂口さん、またちょっかい出してたでしょ。ああいうの、放っておくとエスカレートするよ?」


 その口調に、少し笑ってしまう。彼女は妙に冷静で、物事を突き放すように見ている。たぶん、俺が普通じゃないことにも、うっすら感づいているのかもしれない。


(まあ、普通じゃないわな。中身30歳なんて誰も思わんけど)


 そして、その普通じゃなさを、俺は今日も噛み締めていた。



ーーーー

 タイムリープしてきた——。それはある晩、奇妙な夢から始まった。


 空がぐにゃりと曲がっていた。周囲が光の渦に飲み込まれる中で、自分だけが逆方向に引っ張られるような感覚。気がつけば、小学四年生の教室にいた。目の前には懐かしすぎるランドセル、教科書、そして筆箱。……あまりにもリアルな「過去」だった。


(これ……夢じゃ、ない……)


 戸惑いながらも、現実を理解するのに時間はかからなかった。脳内には30年分の記憶がそのまま残っていて、言葉遣いや思考、知識、すべてが大人のままだった。

どう考えても、これは——


 タイムリープ。ただし、環境が違う点でパラレルワールドの自分にという感じがしている。


 なぜか、「ワンチャンしかない」という確信があった。これはたぶん、本能に近い直感なのかもしれない。もう一度30年生き直せるということは、同時にやり直しが利かないことも意味していた。


(今度こそ、後悔しない人生を……)


 そう誓ったはずなのに、現実はなかなか難しかった。


 小学生としての振る舞いが難しすぎる。会話のテンポ、興味の対象、行動のノリ……どれも違和感の塊で、意識して「子供らしく」しないと、すぐ浮いてしまう。

 

そんな中で現れたのが、坂口奈央さかぐちりなだった。



ーーーー

 ある昼休み、校庭の隅っこで一人、ボールを蹴っていたときのことだ。


「なーんか、佐藤ってさ。地味だけど、妙に達観してるっていうか?」


 突然、背後から声が飛んできた。奈央だった。


「いや、別に……普通だよ」


「ふーん……でも変な感じ。話すときだけ大人みたい」


 その瞬間、胸の奥がヒヤリと凍る。


(……まさか、バレた?)


 だが、奈央は続けてこう言った。


「ま、でもなんか面白いからいいや。私、佐藤のそういうとこ、ちょっと好きだし」


「え?」


 不意に言われた好きの一言に、脳が止まる。


(おいおいおい、違うだろ……これは、子供同士のじゃれ合いだ。そんな意味ない)


 でも、その一言が妙に胸に残ってしまったのは事実だった。



ーーーー

 放課後、帰り道。


 水島凛とたまたま道が一緒になった。歩幅を合わせて並んで歩く。


「……ねえ、佐藤くん」


「うん?」


「何かに悩んでる顔してる」


 その言葉に、心のどこかがきゅっと締まる。凛は鋭い。きっと、俺が普通の11歳じゃないことを直感的に感じ取っている。


「もし話したら、信じる?」


「話してみて。信じるかどうかは、それから」


 ……言えるわけがない。タイムリープしてきた30歳の男だなんて。


「でも……ありがとう。そう言ってくれるだけで、ちょっと救われた気がする」


「そっか。……私は、佐藤くんが好きだよ。子供みたいじゃなくて、ちゃんと人として」


(……え)


 今度は、心臓が跳ねた。凛の言葉は、さっきの奈央の好きとは違った。もっと静かで、穏やかで、大人びた匂いがした。


(俺は今、11歳。だけど中身は30歳。……この先、どうすればいい?)



ーーーー

 夜、自分の部屋。


 ふと机の引き出しを開けると、過去の自分が描いた将来の夢の紙が出てきた。


 「ゲームクリエイターになりたい!」


 懐かしい。けれど、30歳の自分はゲームなんて作れていなかった。ただのプレイヤーで終わった。アニメとゲームに金を突っ込んで、孤独に生きてきた。


(でも、今度こそ……今度こそ、やり直せる)


 俺は机に向かって、ノートを開いた。「人生設計図」と書いて、1ページ目に日付を入れる。

 まずは、ちゃんと友達を作ること。

 そして、将来の夢に向けて勉強すること。

 ……それから、誰かを大切にすること。


(凛も、奈央も……)


 どこかで、二人の名前が浮かんだ。どちらも、俺の人生にとって、きっと大事な存在になる。


(タイムリープは一度きり。なら、ちゃんと生きよう)



ーーーー

 次の日。


「おーい、佐藤ー! また一人で本読んでるの? さみしいやつー」


 教室に入ると、坂口奈央が走ってきて、肩を叩いた。


「……坂口、お前さ。俺のこと、好きなん?」


「は!? ちょ、なにそれ急に! は!? ……そ、そん、なわけないし!」


 奈央は真っ赤になって叫び、バタバタと自分の席に戻っていった。


 その背中を見ながら、俺は少しだけ笑ってしまった。


(……かわいいな、ほんと)


 この感情も、たぶん今までの人生では味わえなかったものだ。子供の頃にはまだ知らず、大人になってからも手に入らなかったもの。心が揺れる。未来が少しずつ、変わっていく音がする。


 でも、変わっていくのはきっと、俺だけじゃない。



ーーーー

 その日の帰り道。


 下校ルートをゆっくり歩いていると、水島凛が自転車を押しながら後ろから追いついてきた。


「……佐藤くん、ちょっといい?」


「ん、なに?」


 凛は自転車のハンドルに手をかけたまま、しばらく無言で歩いていた。春の夕暮れ、街の景色がほんのりオレンジ色に染まっていく。彼女の横顔に、その光が差し込んでいた。


「……さっきの坂口さんとの会話、ちょっとだけ聞こえた」


「……まじか」


 しまったと思ったけれど、凛の表情は責めるでも呆れるでもなく、どこか静かな笑みを浮かべていた。


「でも、いいと思う。嘘がないって、そういうことだし」


「……嘘は、もうつきたくないんだ」


 その言葉が口から出た瞬間、自分でも驚いた。なぜそんなことを言ったのか。きっと心の奥底ではずっと、それが重しになっていたんだろう。


(この世界は、俺だけのやり直しじゃない。彼女たちにも、彼女たちの時間があって、選択がある)


 その中で、どう関わっていくのか。どう選ぶのか。今度こそ、間違いたくなかった。



ーーーー

 週明けの昼休み。


 グラウンドの端で、坂口奈央が一人でブランコを漕いでいた。声をかけると、ちょっとだけ驚いた顔をして、すぐにいつもの調子に戻った。


「なに? 今度は何か説教?」


「いや……なんか、謝っときたいなって」


「へ? なんで?」


「前、ちょっとからかわれてムカついてた。でも、お前が悪いわけじゃないし……なんか、俺の方がこじらせてた。ごめん」


 奈央は、しばらく何も言わずにブランコを揺らしていたけれど、やがて足を止めて立ち上がった。


「……じゃあ、今日からは対等な友達ってことで。変に気にするの禁止」


「……うん」


「それと、好きなん?って聞いたやつ。あれも、ちゃんと考えといてよね。……私、結構マジだったんだから」


 そう言って走っていく奈央の背中を、目で追いながら、胸の奥に何かが広がっていくのを感じた。


(こんな未来、知らなかった)


 けれど今、その未来を選べる自分がいる。



ーーーー

 家に帰って、人生設計図のページをまた開いた。


 今週の目標と書かれた欄に、ゆっくりとペンを走らせる。


 『坂口奈央とちゃんと話す。水島凛にも、向き合う』


 そして最後に、小さくこう書き添えた。


 「11歳の、今をちゃんと生きること」


 タイムリープは一度きり。


 でも、心が変われば、未来は何度だって変えられる。そんな希望を、今なら信じられる気がした。


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