5話 心が鳴く
翌朝――
朝7時過ぎ。マスターの出勤と共に、私はお礼を言って店を後にした。
来た道を辿り、通り掛かった公園に老人達が集まっているのが見えた。こんな朝早くから何だろうと近寄ってみると、地面に沢山の花の苗木が置かれている。どうやら花壇作りの真っ最中らしい。
すると、お婆ちゃんがスッと黄色い薔薇の花を私に一本くれた。私はサングラスを外し、その花を自然と溢れた笑みで受け取った。
お婆ちゃんは満面の笑みで応えてくれる。些細なことだけど、言葉より笑顔、暖かいと思った。私は礼を言ってその場から立ち去った。
通勤ラッシュが過ぎた時間帯、人通りも多少減ってきた。來斗と待ち合わせの場所へ向かう。
時間指定はなかったが、待たせるより待つほうが気は楽だと感じる。なぜか足取りは軽い。
もしかしたらと、私はひとりクスクスと笑って、ある攻略法を考えた。
待ち合わせの場所に着いた。予めサングラスを外してあのコンビニの近くを彷徨いた。
すると、うしろから肩をポンと叩かれた。
「おはよう。遅刻だ」
「あ、來斗、えっ? 時間指定あったの?」
「ここに、とはその時間にと言う意味だ」
「いや、分かんないよそんなの……」
「とにかく車に乗れ、お前の車を取りに行く」
「あ、あのさ、おはよう……」
少しばかり恥ずかしめのスマイルで言った。先ずはスマイル作戦。印象は良くなったのではないだろうか。だが何故か來斗は固まって動かない。
あの内部抗戦の時と同じだ。いったいどこでスイッチが入った? この現象は何? 私が女だから?
ご機嫌取りとはいえ、ここで固まられては困る。私は來斗のうしろに回り、背中を押して覆パトの助手席側に押し込めた。私は運転席で來斗が覚醒するのを待った、やっぱりやめた。
「おい來斗、この道を真っ直ぐでいいのか?」
「えっ? あ、お前が運転するの?」
「私も早いとこ車が欲しいんでね。行くよ」
「あ、ああ、この道を真っ直ぐだ。お前……」
「ん? 何さ」
やっと覚醒したかと思えば、今度は前を向いたまま話す。
「その、サングラス外すのやめろ……」
なに、私の素顔が原因か? それとも笑い顔?
「――そう言われると掛けたく無くなるのだがね、しばらくこのままでいよう。フフッ」
「ハァァ、お前なぁ……」
今度は窓の方を向いてしまった。ちょっと意地悪だったか。しかーし! "ポリスフレンド作戦"は譲れないので作戦は続行する。
私は信号で止まった時を狙い、貰った薔薇をそっと來斗の胸ポケットに挿した。
「來斗にと思ってね、良く似合うよ。フフッ」
「…………なんでこんなこと……」
來斗が真っ赤な顔で小さく呟く。
「深い意味はないよ、車のお礼さ。嫌なら捨てろ」
「いや、いい。ありがとう……」
よし、花作戦成功。來斗は俯きながら薔薇を手に嬉しそうに眺める。私はその姿に少々気が引けた。なぜか心がキュッと鳴く。
だが、ポリスを仲間に付けるためには、何としても作戦は成功させてみせる。目的のためだ、犠牲は付き物である。だからといって女を武器にするつもりは毛頭ない。
犠牲――何故か気分は晴れない、モヤモヤとしたものが胸につかえる。
私は窓にコツンと頭を付けると、サイドミラーに映る自分の顔が、どんより曇って萎れている。
來斗の新鮮な笑顔と、自分の萎れた顔のギャップに、後ろめたさを感じて気分は重い。
私は運転に集中して気を紛らわす。道路がT字路に差し掛かった、慌てて來斗に尋ねる。
「なあ來斗、次はどっち? おーい來斗!」
「えっ? ああ、ええッと、左だ、左」
「もう、右折車線に入っちゃったよ」
「いや、すまん。ならこれを、ヨッと」
來斗が尽かさず窓から紅色灯のランプを車の上に乗せた。サイレンの音が鳴り響く。
來斗がマイクを手に喋り始めた――
『緊急車両が通ります、道を空けて下さい』
「マジ?」
「今だ、行け! 普通車に気を付けろよ」
「えっ! ああうん、分かった!」
私は言われたとおり、一般車が止まっている間に左へ車を進めた。さすがはポリス、機転が効く。
でもこれはアウトでしょ、事件じゃないし。
來斗がホッと胸を撫で下ろす、で、笑う。
私はこんな來斗が羨ましいと思った。真面目だけど、時にはハメを外す。嬉しさを隠さず、素直に生きていると感じる。作戦なんか後から付いて来ればいい。何故か漠然とそう思う。
「もうすぐポリスステーションだ、顔を隠せよ」
來斗の口から出た言葉にハッとした、隠す。
そうだった、私はお尋ね者だった。
この言い知れない寂しさは何なんだろう。
今更か、なにをしたって汚点は付いて回る。
身から出た錆、それはもう諦めよう。
拭える程度のものじゃないのも分かってる。
でも……。
私はサングラスとマスクを着けて車を降りた。黙って來斗の後ろを付いて行く。
受付で何やら來斗とオフィサーが言い争いを始めた。規則は時に身内にも厳しいようだ。
「ですので、本人の証明書が必要なんですよ」
「俺が構わないと言ってるんだ、さっさと手続きを済ませろ。責任は俺が負う、それでいいだろ?」
「ハァ、そうおっしゃるなら……これにサインを」
來斗が渋い顔で戻って来た。私は迷惑を掛けてしまっているのだろうか。
來斗が顔をクイッとやって私を呼んだ。後を付いて来いと言わんばかりに先を急ぐ。レッカーで運ばれた車は、建物の裏手に駐めてあるらしい。
「來斗、ごめん、私の……その……」
「何がだ? お、これだ。へぇー、いい車だな」
私に気を遣わせまいと短い言葉。やっぱり來斗が欲しい、素直な気持ちだ。
私は來斗の背中にコツンと頭を付けて、今はっきり伝えようと決意した。
自分の気持ちに素直にならなければ、フレンドの意味がない、そう思った。
「來斗、もし本当に私を嫌いでないなら、友になって私のそばに居てくれないか? 女はだめか?」
來斗の返事が怖い……。
「……俺でいいのか?」
「私は來斗がいい、ダメ?」
「友達から始めるのもアリか。よろしくキーナ」
「本当に? 良いの? んー、やったー!」
嬉しさのあまり、來斗の背中に抱き付いた。返事がない。もしかしてと思い正面に回ると、やっぱり固まっていた。面倒くさいのでサングラスとマスク外し、今度は正面から抱き付いてやった。免疫力アップのために。
「來斗、よろしくな。フフッ」
「…………お前はまた!……クッ!」
私はしばらくゴロゴロと猫の様に甘えた。何となく嬉しくてそうしたかった。やっと欲しかった物が手に入った子供の様に。胸がトクンっと熱くなる。
來斗はまた顔を真っ赤にして直立不動だったので、怒られる前に解放してやった。
私は車に乗り、來斗の連絡先を教えてもらってポリスステーションを後にした。