18話 義妹
私は心が揺らいだまま、來斗に寄り添って眠りに就いた。夜が明けて、私はひとり車に乗り込み、直斗の家に向かった。
久しぶりに訪れた家。嘗てはさぞ賑やかで暖かかったであろう普通の家。私は門を潜り玄関のチャイムを鳴らす。寝ぼけまなこの直斗が顔を出した。
「あれ? キーナじゃん、どうしたこんな朝早くから。とにかく入れよ」
「うん、お邪魔します。直斗に聞きたいことがあってね、悪いと思ったけど押し掛けちゃった」
家に入ってソファに座った。直斗が珈琲を淹れてくれた。直斗はソファに座るとさっそくお喋りを始める。その変わらない光景に何故かホッとする。
「なに、オレが恋しくなったか? なわけないか。婆ちゃんから連絡があって色々聞いたよ。あ、兄貴と結婚するんだってな、まさかその報告? 良いね良いねえ、嬉しいねえ、これで遠慮なくキーナに逢える。姉貴かあ、ああそうだ、結婚おめでとう!」
そうだった、漏れなく直斗も付いてくるんだった。直斗が義弟、ちょっと微妙。
「まだ決まったわけじゃないよ、問題は山積みだ。今日来たのは依頼の話しだ、この前聞きそびれたしな。それでなんだが、義妹さんの事を知りたい」
直斗が真顔で冷静に話し始めた。
「アイツかあ。アゲハは早い話、兄貴のストーカーだ。来た当初から兄貴にベッタリで、近所じゃブラコンで有名だった。兄貴も懐くアゲハを可愛いがってた。なのにアゲハは兄貴に近寄る女を片っ端から潰してた。陰湿で卑怯な奴さ」
そんな感じには見えなかったが……。
「そう、義妹さんは來斗が好きなんだ……その陰湿なやり方って具体的には?」
「口は出しても自分じゃ手を下さない、取巻きにやらせるんだ。良からぬ噂を流させたり襲わせたりしてな、今はどうだか知らないが。最悪なのがそれを兄貴は知らないってことだ。何様だよ」
「周りが隠蔽していた?」
「ああ、傷つけたくなかったんだろ。あのさ、何でオレら兄弟がバラバラに暮らしてるか知ってる?」
「えっ、仕事の関係とか、自立のためとか?」
「違う、婆ちゃんがそうしろと言ったんだ、アゲハ対策だよ。オレは実家、兄貴にはマンションを与えた。で、アゲハはタバコ屋だ、婆ちゃんが見張り役ってとこだな。アゲハも婆ちゃんには逆らえないし、何せ衣食住付きだ。恵まれてると思うぜ」
桜ちゃんは自分の子供が亡くなった事で、來斗の身を案じた。おそらくそれまでは両親がストッパー役だったんだろう。
もしかして、來斗の部屋を訪れたあの女性は、義妹のアゲハだった可能性が高い。
「ひとついいか? 義妹さんは來斗を名前で呼ぶのか? 例えば『來斗』と呼び捨てにしたりとか」
「いや、兄貴を呼ぶときは『來兄』だ。排除する女には來斗と言っているらしいがな。えっ、おいおい、まさか……」
直斗の言った「來兄」という言葉に聞き覚えがあった。確か刺客のひとりが口にしていたと思う。
ということは、刺客の雇主はアゲハだ。
「義妹さんはよく來斗の部屋を訪れるのかな?」
「どうだろう、ってそんなことより、お前何か言われたんじゃないのか? アイツは罵るのが常套手段だ。兄貴はそのことを知ってんのか?」
「それこそどうでもいい」
「キーナ、お前さっき結婚は決まってないみたいなこと言ってたよな、それって兄貴が原因だろ?」
「……私は別に……」
「オレはさあ、兄貴の煮え切らない態度が無性に腹が立つ時があるんだ。兄妹だからって側から見ればカップルだ、仲良く腕でも組んでりゃ余計にな。その態度が誰かを傷つけてるって気付かないその無頓着さが癪に触る。お前また自分の気持ち隠してんだろ、オレがハッキリ言ってやろうか?」
「ええっ? いや、それはちょっと……」
「なら自分で言うか?」
「いや、それもちょっと……このままでいいよ」
「マジで? なにお前、馬鹿なの? ふ〜ん。そう言えば結婚は内緒とかって聞いたなあ。この際、夫婦別姓別居で良くない? お互い気を遣わなくて済むし、嫌な思いしなくて楽だし、一石二鳥だ」
しまった、このままだと直斗の蟻地獄に引き摺り込まれてしまう、決めたはずなのに。
しかし待てよ。ここへ来たのは私の話ではなく、依頼の話をしに来たんだった。修正、修正っと。
「ハハ、参考にするよ。それで、義妹さんは西鎌が連れて来たってことだが、その経緯は知ってる?」
「あれ? 兄貴から資料を渡されてないのか?」
「あっ、そうだ、すっかり忘れてた」
「兄貴の話しだと、シンジケート絡みじゃないかって。詳細は知らないが、その資料には闇組織の名前や有名会社の名前が載ってるよ」
だから私に資料を見るよう催促したんだ。闇組織なら密航、売春、あるいは人身売買の可能性も考えられる。來斗はどこまで知っているのか……。
「分かった、じゃあ私はこれで帰るよ、ありがとな直斗。お前のお陰で少しスッキリした、またな」
「えーっ、もう帰るのかよ、なら一緒に乗せてってよ、どうせ兄貴を送ってくんだろ? ついでだ」
「ええ〜、仕方ないなあ、なら早く支度しろ」
私は直斗を乗せて來斗のマンションに向かった。車を駐車場へ入れると、そこに見覚えのある2人組が地面に座り込んでいた。
私と直斗は車を降りて駆け寄った。見ると服はボロボロで、髪は血に染まり、全身傷だらけだ。
「おい! 大丈夫か! あっ、お前らはあの時の、確かリーフにルートだったか」
まさか私の忠告を無視して……。
「キーナ、知ってる奴か? こりゃヤバいぞ、早く手当てしないと。おい、聞いてんのか?!」
「あ、ああ、知ってる、私を襲った奴だ。だが逃してやったんだ、多分、組織に戻ったんだろ、忠告してやったのに……馬鹿な奴らだ」
「ふ〜ん、なるほどね、大体の検討はつく。医者にも行けない、ポリスにも言えたいってとこか。死ぬほどの怪我じゃないが、参ったなあ……」
するとリーフが喋った――
「痛っ、ハァ、戻ったのは足抜けしたくて……ふたりでそう決めて、でも行く当てがなくてさ……」
ルートが言う――
「キーナさんに報告したかった……ゴホッ……他の居場所を……探せって言われて、だから俺達……」
これは足抜けするための制裁を受けたようだ。それなりに忠告の意味は伝わっていたらしい。だからって私を頼られても……ああ、クソッ、どうする!
「ハァァァァァァ……」
直斗が急に大きく溜め息を吐いた。
「な〜んで付いて来ちまったかなあ、ハァ、仕方ね〜なあもう。おいキーナ、車にふたりを運べ、オレん家へ連れてくぞ。まったく、随分と可愛い堕天使に好かれちまったなぁキーナさんよ。ほら、兄貴に見つかったらヤバいぞ、さっさとしろ!」
「直斗、お前……」
「キーナはこいつらが気に入ったから逃したんだろ? で、堕天使ちゃんはキーナの忠告に従って訪れた、なら大して悪い奴らじゃないってことだ。後の責任はキーナ持ちでどうぞよろしく。ククッ!」
「――フッ、ああ任されたよ、悪いな直斗」
直斗の言葉がズンと肩にのし掛かる。責任は重大だ、でも放っては置けない、直斗みたいに。
それからふたりを車に乗せて直斗の家に戻った。出来る限りの手当てをして、私はまず彼らの住む家を探しに行くことにした。どうせ行き当たりばったりで来たんだろう。私もお人好しになったものだ。
「なあ直斗、何で堕天使なんだ?」
「ん? 今ゲームでハマってるワードだったから」
「馬鹿なの?」
「お前に言われたくない、早よ行け」
「プッ、クククッ! はいはい。後を頼む」
さて、刺客のふたりは支柱に納めた。これで刺客とアゲハ、西鎌の繋がりは見えてくるはずだ。
でもまだ先は不透明、もうキャパオーバーになりそうだ。毎日が奇妙で疲れる……。