9話 ゴッドマザー
ゴッドマザーと対面の時が来た。來斗が私に口を慎めと諭す。立場が違うとでも言いたげな表情だ。
私の心が騒ついた、私は私だ、誰の指図も受ける気などない。たとえそれが來斗でもだ。
私達はエレベーターを降りて、長い廊下を歩く。まるで密封空間の中にいるようにさえ思う。
窓も部屋もない。ただ長い廊下と壁だけが続く。來斗は一言も話さない、その緊張感がピリピリと伝わってくる。それだけ大物ってことか、やり甲斐はありそうだ。
静まり返った長い廊下の向こうから、何やら小さな物体が爆速して迫って来た。近付くにつれ、それが人間だと分かる。あれは……お婆さん?
「キーナさん! もう、遅いじゃないか!」
「あれ? 桜ちゃんじゃないか! 驚いたなあ、何でここにいるんだ? 膝は大丈夫か?」
「フフッ、ああやっぱり良い男だねえ、まあ話しは部屋に入ってからだ」
フッと横を見ると、今の状況を把握できないでいる來斗が呆然と立っていた。
桜ちゃんがそれを見て、來斗に指示を出した。
「來斗、突っ立ってないでドアを開けな」
「あ、はい、分かりました……」
そんな私もふたりの様子に困惑する。部屋へ入ると、楕円形の大きなテーブルと、その奥にはまた立派な机と椅子が置かれている。
隅にソファが2つ対面に設置されていて、桜ちゃんが私に座るよう促す。桜ちゃんは対面に腰掛けた。
「キーナさん、来てくれてありがとう」
「なあ、もしかしてゴッドマザーって桜ちゃん?」
「アタリ。大袈裟なんだよ、まったくねぇ」
來斗が訝しげに私達を観察する。それに何か言いたげだ、まあ当然か。
「キーナ、マザーを知ってるのか?」
「ああ、私の恋人だよ。なあ、桜ちゃん?」
桜ちゃんは満面の笑みで応える。
「そうだとも、恋人さ。フフフッ」
「はあ?」
ある意味、正当な固まり方の來斗。それもそうだ、"お尋ね者"がゴッドの恋人ともなれば誰だって驚くだろう。
「來斗、ふたりだけで話がしたい、下で待ってておくれよ、後で呼ぶ」
「……分かりました。失礼します」
來斗が私の顔を見て、なぜか寂しそうな顔で部屋を出て行った。私は何かいけないことを言ったのだろうか。
「ちょっと可哀想だったかねぇ、恋人なんて言ってしまって、ただの話し相手なのにさ……」
「なんだ、恋人は解消か? いいじゃないかどう思われようと、私は構わないよ」
「やっぱりいい男だねえ。あの時は女性だなんて知らずに言い寄ってさ、随分と迷惑かけちゃったね。今も変わらないけど、フフ」
「……あ、もしかしてあのおてんばの桜子か? そうか、あの桜子か……」
話し方が古風で印象的だったのを覚えてる。これで初対面で感じた違和感は解消だ。そうかあのおてんば娘か。
まだ桜ちゃんが新米ポリスだった頃、犯人逮捕に苦戦していた桜ちゃんに私が手を貸したことがあった。それをきっかけに、私の周りをうろちょろと愉しげに纏わり付いていた。
そのとき私を好きだと言ってくれたが、恋も恋愛も知らない私は何も応えてやれなかった。その後は仕事が忙しくなって逢えずじまいだった。
「そうか、私を知ってて近付いたのか。まあ、何か理由があったんだろうがな」
「キーナさんが請負人ってのは知ってた。卑怯者だと笑っておくれよ、でも、來斗を守るためなんだ、ごめんよ、申し訳ない……」
「來斗を?」
「今ね、御家騒動の渦中に來斗がいるんだ、幹部候補の事もあって、來斗の周りに怪しい影がうろついてるんだよ。アタシはもう心配でね……」
どこかで聞いたような見たようなフレーズだ。あれは確か、私宛ての依頼メールだったか、ボス戦とかってやつ。だとすると、依頼主は桜ちゃんか?
「なあ、私に依頼を頼んだか?」
「またアタリ。キーナさんは昔と変わらず綺麗で優しい、きっと不思議な力があるんだね、だからってアタシの気持ちは昔とちっとも変わらない、だからこそキーナさんを選んだんだ」
桜ちゃんは私の正体に気付いている、それでも私を頼ってくれる。仲間といい、桜ちゃんといい、随分とお人好しな連中だ。今更ながら感謝だ。
それはそれとして、私に依頼を頼むんだ、それなりの覚悟はあるんだろう。相変わらずおてんば娘
だ。誰であれ、私の流儀は変わらない、全て壊す。
「桜ちゃんのことだ、腹は括ってるんだよな?」
「ああもちろんさ。來斗さえ守ってくれたらそれで良い。あの子はアタシの宝なんだ、優しい子なんだよ、守ってやらなければならない存在なんだ。ねえキーナさん、引き受けてくれないかい?」
「その前に、なぜそんなに來斗を構うんだ?」
「來斗はアタシの孫さ、だからあの子にアタシの後を継がせたいんだ、キーナさんは來斗が嫌い?」
まさか來斗が桜ちゃんの孫とは、なら直斗もか。確かに來斗の選択は間違ってはいない、一度でも職を離脱した者はそう簡単に上へは登れないだろう。性格や素質もあるとは思うけどね。
「ちょっと驚いたが、良いだろう。丁度いい具合に來斗のところで世話になろうと思ってたんだ、ボディーガードくらいにはなるだろう」
「引き受けてくれるんだね? ありがとう、本当にありがとう! それで、來斗のことは好きかい?」
「まあ、こんな私の友達になってくれたんだ、嫌いじゃないさ。あ、ボディーガードは内緒でな」
「良かった、來斗をよろしくお願いします」
話しが終わると、桜ちゃんは下で待つ來斗を呼んだ。しばらくふたりは今後の事など難しい話しをしていた。私はそれを黙って遠くで眺める。
これまで桜ちゃんが築き上げてきた物、これから來斗が築き上げる物、同じ物など有りはしないが、その中に私が携わってもいいのだろうか。
しかし、これで"ポリスフレンド作戦"は成功したと言っていいだろう。
そうこうして、桜ちゃんと來斗の話しが終わり、桜ちゃんを部屋に残して私達は立ち去った。
私と來斗は長い廊下を無言のまま歩く。
エレベーターのボタンを押して、ピンッと扉が開くと、私達は乗り込み対角線上に並んだ。
來斗は何を考えているのか、仕事の事、あるいは依頼主が私だという不信感か。
ポリスが請負人に依頼など、嘸かし前代未聞だろう。悪いが來斗の考えに沿うつもりはない。
ピンッとエレベーターが駐車場に着いた。私が車へ乗ろうとしたとき、來斗が話をしたいから部屋に来いと言った。私は仕方なく従った――