悪女な従妹(仮)
このお話は以前投稿した【私は悪女です(仮)】の主人公の従兄、アンセルム陛下視点のその後のお話です。
相当前のお話なのですが、こちらを先に読んでいただくのを推奨いたします。
(→https://ncode.syosetu.com/n6214dm/)
暫くログインも出来てなく、書いたは良いものの投稿されてなかったものですが、折角なので投稿します。
「ロムルス侯爵夫人が謁見に参られています」
「ああ、こちらに通してくれ」
執務室で本日こなさなければならない書類を処理していると、騎士が従妹の来訪を告げた。
王宮で開いた夜会で私が暗殺されそうになってから一月。ようやく彼女は体が自由に動くようになったようで、体を動かしがてら、たまにではあるが私の元を訪れるようになっていた。
一息ついて、溜まっていた書類を横によける。息抜きだ。
「身体はもう大丈夫なのかい?」
「ええ、少し痛むけど、日常生活に支障はないわ。私の職が騎士ならまだ静養しなさい、といわれそうだけど」
そう言って少し微笑むアナトは、可愛らしいというよりも、美しいという言葉が似合う。精巧に作られた人形のように整っている顔は、普段そんなに笑顔を見せることはない。こういうちょっとした彼女の表情の変化に気がつく人間は少ないのだ。
「それにしても、君がわざわざ私のところまで挨拶にくるなんて、めずらしいね。何かあったのかい?」
「あら、私が従兄の貴方に会いに来る理由なんて必要?」
「無いけれど、君が私のところにこうやって訪れる時は大体、何か思い悩んでいる時だからね」
にこやかに返すと、アナトは一瞬表情をなくした。
この娘は自分の弱みを見せることを極端に嫌う。だから他人に自分の心の内を見せないように、深く関わろうとしない。
だから、事業を担っている人間として人脈は広いが、友人と呼べるような人間は極端に少ないのだ。まぁ、これは王である私自身にも言えることなのだが。
執務室の人払いをし、アナトが話しやすい環境を作ってやる。すると、その表情が困ったようなものに変わった。
「やっぱり。隠しても無駄よね。貴方の前では」
少し呆れたような表情でそうこぼした後、アナトは躊躇いがちに話始めた。
「最近、シュリオン様がおかしいのよ」
「シュリオンが?私にはいつもどおりに見えるけれど」
「邸でよ。あなたの暗殺未遂の件でも後処理でまだ忙しいはずなのに、毎日夕食は共にとるようになったわ。私がまだ臥せっている間は毎日のように寝室を訪れてきたし、起き上がって自由に行動できるようになってからは花やら宝石やらの贈り物付きになったのよ。」
「……なるほど」
思わずにやけてしまう。
少し前まで、この娘は多くの者から【悪女】のレッテルを貼られていた。
平民を侍らせているだとか、婦人がいる紳士をたぶらかしているだとか。
だがそれらは真実でなく、彼女はただ単に、自分の事業のために平民やら紳士やらに関わっていただけのことである。
そんなうわさを真に受けていた彼女の夫であるシュリオン=ロムルスも、その真実を知るまで彼女を遠ざけていた。彼ならばアナトを任せても良いだろうとの判断だったが、潔癖なところがあるようで、すぐに受け入れることはできなかったようだ。
だが、王である私の暗殺をアナトが防いだという功績が知れ渡ってからというもの、彼女に対する周りの反応は良い方向に代わりつつある。
それはシュリオンにも言えることだった。まぁ、彼はその出来事が起こる前からアナトをどこか気にしていたようだったが。
それでも少し前までそんな関係ではなかったのに、シュリオンの急激な態度の変化にアナトは戸惑っていると。つまりそういうことなのだろう。
「君の気を惹こうと必死なんだな、あの色男も」
そう言うと、彼女はあからさまに深いため息を吐いた。
「すでに夫婦なのだから、それで良いではないですか」
それ以上の何が必要なのか、と続く言葉を読み取った私は、ふむ、と腕を組んだ。
アナトは王である私の従妹であり、その容姿も追随を許さないほどに身分的にも外見的にも恵まれている。
だが、多感な幼い頃に目の前で自分の行動のせいで兄を亡くすという精神的な衝撃を受け、人よりもよく回る頭脳の御陰で大人の事情までも理解してしまった。つまり、精神的なところでは恵まれた環境にはいなかったのだ。
そしてそういった環境で自分が生きていく為にと環境に適応していった結果、彼女は自分に興味を失い、代わりに過大に周囲のため、国のため、と考えるような人間になってしまった。
それが悪い事だとは言えない。彼女のような貴族がこの国に多ければ、私の仕事はもっと円滑にすすむようになっているだろう。
だが、自分に興味が無いゆえに、どこか突出した人間が出来上がってしまった。
例えば、物欲だ。
あの宝石が欲しい、あのドレスが欲しい。同じ年頃の令嬢が考えるようなことを、アナトは考えられない。
-ーー宝石?ただの石を輝く程磨くと人は惹かれるのね。
-ーードレス?仕立てる人が増えれば、もっと安価になるわね。
そんなことに興味を持って考えるから、幼い頃の彼女の侍女たちはほとほと困っていた。
それでもアナトを慕う侍女達は、彼女を着飾るために常に意見を戦わせていると聞く。その御陰で爆発的に流行ったドレスの数も多い。
……当人には物欲がないのに周囲の物欲を煽るなんて、なんて恐ろしい子なのだと当時は思ったものだ。
御陰で彼女の父親は侍女達が利用した仕立て屋をお抱えにして、自分の資産をまんまと増やしている。
そんな社会的に影響を起こした自覚は彼女自身には無く。
『なんだか最近お父様の羽振りが良いのよね。それに、前に却下された私が提案した人材育成の事業計画も認めてくださったのよ』
喜んでいた。
当時まだ10を越えたほどだったはずだが、彼女の無意識な潜在能力の高さを認めたらしいプランケット伯爵は、更なる益を求め、彼女にある程度の自由を与えたのだ。
そしてその思惑は外れなかった。
アナトは城下で孤児を拾ってきては自分の邸の一角に住まわせ自分と同じような教育を受けさせた。
文字を読み書きできるようになれば、読み書きのできない平民たちの代筆の仕事が得られるようになる。
計算ができるようになれば、店のお金の管理の仕事を得られた。
おまけにプランケット家公認ともなれば、城下の店は信用し、彼らを雇った。
その斡旋代の金がアナトの元に入り、拾ってくれた彼女に感謝する元孤児たちは、彼女の不利にならないようにと一生懸命に働く。
その流れができてから、アナトは溜まった資金を使って、彼女の元に集ってくる元孤児たちに彼らの技術をまた拾ってきた孤児たちに学ばせる場を作った。アナトは孤児院と呼んでいたけれど、これはもう一種の学び舎だ。
御陰で彼女の家の領地と城下に限れば孤児は減り、識字率が上がった。
はじめこそ父親から資金を借りていたが、現在はその助けなど必要なく、それ以上の益をあげられるようになっており、その稼いだお金は新たな事業の資金と、プランケット家の資産に変わっていった。
それでも彼女自身が自分に使うお金になることはなく。
彼女は自身に興味は持たないが、彼女が気にかけ、助けた人間は、彼女のことを大いに慕っている。自分を省みず周囲に尽くすから、それを知っている人間は、「自分たちが彼女を助けなければ」という気になり、彼女の元へ集まっていくのだ。
だが、そんな自分に向けられる好意すらも気づかないほど、アナトは自分のこと気にかけない。
それは、誰しもが持つはずの『恋情』というものを抱くには必要な条件だ。
それだけの欠落ならまだ彼女にこれでもかと好意を見せれば彼女も気づくのかもしれないが、その上彼女には、恋情というものを忌避するものもある。
彼女は、実に理性的なのだ。
政略結婚が主流で、恋情などその相手に抱き、それがお互いに向けられるということが稀であることを、理解している。それゆえに恋情を抱いた者は、その相手が他の者に自分には向けない感情を向けるとひどく心を揺さぶられ、自分本位の考え方に遷移することをよく理解している。
それによって周囲にもたらされる影響が少なくないこともよく理解しているのだ。彼女はそれによって、誰かから親愛なり家族愛なりの好意を抱かれる、という環境に育ってこなかったのが良い例だろう。
彼女の親のそんな状況を理解してしまい、無償で与えられるはずのものの裏をよんでしまい、受け取れなくなったのだから。
だから、最初からそのような感情を持たない方が、自他共に得をするのだ、という持論を持ち、色恋で騒いでいる令嬢達が理解できないと零していたこともある。そうすれば得られるはずと期待して絶望することもなければ、周囲への影響も少なくなるはずだと。
だが、俺はそれをアナトの口から聞いた時に思ったのだ。
ーーーそれは、君が傷つきたくないからそう思うのではないか。
根拠はある。だって、彼女は幼いころは純粋に両親を慕っていた。そのころに恋情というものは解らなかっただろうが、両親の間にも自分が親を慕っているような感情はあるのだと信じていたのだ。
だけどそれを覆され、やがて両親は別々の方向を向くようになり、その事情を理解すると、自分に向けられる愛情には裏があるのだ、と思うようになっていった。
恋をしない、というのは彼女にとって、自分の心を守るための防壁なのだ、と。
その強い意志に年季が入りに入りまくって、ついに自分に向けられる好意すら感じなくなったのだろう。
だから、夫になったシュリオンからの好意とそれゆえの行動が、不可解なのだろう。
「アナ、君は恋愛をしようとは思わないのかな?」
そう返すと、彼女はすばやく切り返してきた。
「そもそも政略結婚は貴族の間では珍しくもないでしょう。それに、あなたはなぜ私が恋愛をしようとしないか知っているでしょう?」
「そうだけど」
ふう、と息を吐く。
「何も、君も周囲と同じようになる必要はないんじゃないのかなぁ」
「……」
「君と同じ思いをする子を作りたくないのはわかるさ。けれど、それは君が恋愛をしない、子をなさない、という選択肢以外にも術はあるはずだろう?」
それは、君も理解しているよね?と視線で促すと、彼女は考えるように視線を下に向けてしまった。
彼女は聡い。私が言いたいことを理解して、だからこそ考えている。
シュリオンの好意を受け入れて、君も気持ちを返せば良い。
やがて難しい顔に変わったので、きっと想像して、受け入れようとして、やっぱり拒否したのだろう。
この娘は頭は良いけど、頑固なところがある。それでも受け入れようとするところを見ると、やっぱり素直な人間なのだろう。
「ま、でもアナが幸せになれるのなら、私は何でも良いと思うけどね。シュリオンと離縁しても、私はもっと良い相手を見つけるし、私がアナを娶るっていう選択肢もあるよ」
執務室にシュリオンが帰ってくるのが視界に入り、彼にも聞こえるように言うと、シュリオンがあからさまに動揺してドアに思い切り頭をぶつけたのを見ると、思わずにんまりと笑ってしまった。
私の可愛い従妹を誤解していた罰だよ。
シュリオンの存在に気がついたアナトが彼のそばに駆けて行き、真っ青な顔をしているシュリオンを心配そうに気遣っており、その彼女の言葉にたどたどしく答えている彼を見て大笑いをしたのは、事情を知っていれば当然だろうな。
それからしばらくの間、アナトは私の話相手になるという名目で城を訪れてリハビリを行い、私も彼女の顔を見てほっと息をつき、その場面に出くわすシュリオンをからかったりして毎日を過ごした。
そんな中で、一番変化があったのは、シュリオンのアナトに対する姿勢だ。彼がかかわってきた女性とは異なることをやっと理解したのか、あの|ヘタレ(’’’)はアナトの気を引くために送り物をして迫るのをやめたらしい。
変わりに、休暇にアナトの仕事の手伝いとして、彼女が何をやっているのかを詳しく知ろうと動き出したようだった。
私としては、やっと気がついたか、という思いだ。
アナトは一方的に与えられるという好意は好まない。得たものには必ず対価が必要だと考えてしまう。
物欲もないから宝石を貰っても困るだけ。
結局それらは学び舎の事業の資金に変わっていく、そんな状態に陥っていた。
そんな状態でアナトが悩んでいるのを理解したシュリオンは、他国であるフレイ公国との対談でかの国の城を訪れた際、ふとした私と秘書官との会話の内容で気がついたようだった。
「陛下はあまり城を絢爛にしたがりませんね」
「ああ、この国は最近豊かになってきたからね、国力を他国の権力者に見せるために絢爛にしたのだろう。まぁ、わが国は歴史が長い、伝統を大事にしたいと思うからね。見せるものが違うよ」
「それにしても、必要最低限のものにしかお金をかけませんでしょう。」
「まぁ、権力を見せるためにはお金を自分の装いに使うことは必要なことだけど、最低限で良いんだ。」
「それでは何が必要だというのです?」
「権力者に一番必要なのは、治める国に住む者達からの信頼だよ。それをどれだけ多くの人間から得られるかでその国の隆盛は変わるだろう?」
「たしかに、ないがしろにすれば、反乱が起きる可能性がありますね。それによって国が被る損害は計り知れないでしょう」
「だろう?そのためには彼らにお金でもなんでも使い、『自分達の生活を豊かにしてくれる王』だという信頼を得る。どうやって信頼を得るのかは私にとっては永遠の課題、それにどう対処していくのか、というのは王たる私の使命だな」
そんな会話をシュリオンは護衛として私のそばで聞いていた。
その外交から帰国した際に、シュリオンはアナトに尋ねたらしい。
『貴女は何を自分の使命だと考えている?』、と。
『民が豊かに暮らすために、尽くすことです』
そう何を今更という気持ちでアナトは答えたようだった。
どうやらそれに、自分のアプローチの方法が間違っていたと気がついたシュリオンは、アナトが行っている仕事を実際に見たい、と彼女に依頼し、休みの日には彼女について歩いて、仕事に関しての質問をされているらしい。
それもすべてアナトと会話をして得た情報だったのだが、彼女はそれに対して意外と好意的に受け止めているようだ。
彼女からすれば、「新しい視点から意見を言ってくれると気づきがある」と事業の更なる改善への動機につながって意気揚々と励んでいるのと同時に、シュリオンの有能さに気がつき、無意識ではあるが時折彼の意見に頼る様子も見かけるようになった。
それが彼女にどのような感情をもたらすのかは解らないが、彼女にとって良い影響を及ぼしているのでは、とも思う。
アナトには彼女と向き合うってくれる人間よりも、同じ方向を向いて進んでいく人間が必要なのだから。
彼女と彼女の向かっているものへの理解と、それを実行するための手助けができる人間は、アナトを絶望の淵から救い出した前ロムルス候か、その彼の教えと想いを一身に受けた、シュリオンだけだろうから。
とはいえ。シュリオンがアナトを知ろうとしなかった前科はある。
「明日の休暇はアナトと孤児院か?」
「ええ、とご存知でしたか」
「アナは私にいろいろ話してくれるからね」
「……!」
シュリオンの休暇前に彼で遊ぶことは、ここ最近の楽しみにもなった。
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そんな日々を過ごしてから数ヶ月。再び王宮でパーティが開かれた。
今回は隣国のグランバニア王国からディオヴァルド王子が見聞を広めるため、という名目でこのファーレンガルドを訪れたため開催したものだ。
これまでの間もシュリオンは相変わらずアナトの気を引こうと早めに邸へと帰って言ったし、アナトは私の言葉を受けてそれなりにシュリオンとの関係を考えるようになったようで、この間なんかはアナトが刺繍をしたハンカチーフを貰ったと喜んでいた。……順調に進んでいるようで微笑ましいことだ。
珍しいことに、今回は近衛騎士のシュリオンは私のそばには居らず、アナトを引きつれ参加している。なにせ、私を庇ったという前回のことがあり、アナトの周囲には以前と変わらず彼女の事業関係のつながりがほしい者以外にも、さまざまな思惑で近づこうという者たちが集まるだろうことが予測されたため、シュリオンに彼女を任せるという趣旨で招待状を彼にやったからだ。
幾人かの貴族たちが挨拶に来る中、私は彼女たちの様子を横目で観察する。
アナトは公の愛想の良い笑みをその顔にかぶっているが、相変わらずこういう場は好まないようで、目の前の人間と会話をしながら思考を他へやっているようだった。
それを傍らで見守っているシュリオンは、アナトと対面する男たちに牽制を送るように厳しい顔をしている。若い令息たちはその迫力に押されて彼女の元へ近寄れないようだ。
その様子を内心面白がりながら見ていると、そんな彼女たちに近寄る人影を見た。あれは、たしか……。
「シュリオン様」
「……ああ、エステル嬢。」
エステル侯爵令嬢だ。シュリオンとはつりあいも取れるということから彼女の家のほうから婚約話がでていたという噂があった。たしか、シュリオンもまんざらでもないという話ではなかっただろうか。
まぁ、そんな中私がアナトとの婚約を斡旋したのだけど。
アナトと婚約してからもたびたび会っていたとかどうとか。まぁ今となってはどうでもいい話なのだが。
親しげにシュリオンと会話をするエステル嬢を、アナトは横目でちらと見ただけで、再び目の前の者との会話に戻っていった。
その様子を見て、私は無意識に期待してあげてしまっていた肩を下に落とした。
……ああ、やらかしたな、シュリオン。
シュリオンがどう思っているかはともかく、エステル嬢はシュリオンのことを特別な存在として見ているというのは遠目で見ている私でも解る。そんな彼女と、よりにもよって自分に想いを向けてもらいたい者の前で親しげに会話をしては、感情が向きかかっていてもしらけるに決まっている。特にアナトは。
その証拠にアナトは興味を失ったとばかりにシュリオンを視界に入れない様にからだの向きを変えてしまったではないか。
なんだかガックリときて額に手を当てていると、私の隣で挨拶に対応していた留学してきたディオヴァルド王子が私の視線の先に気がついたようだ。
「アンセルム陛下、彼女はどちら様でしょうか」
アナトと同い年のこの王子は、彼女にきらきらとした視線を向けて尋ねてきた。この視線がただの好奇心なら良いのだが、と苦笑いをしながら答える。
「アナト=ロムルス侯爵夫人だ。もともとはプランケット家の令嬢で、私の従妹にあたる」
「陛下の?なるほど、もう夫人なのが惜しいほど、見目麗しいのですね。是非ともご挨拶に伺いたく思います」
「いえ、向こうから来るでしょう。彼女はいつもきりの良いところで挨拶にきますから」
多くの貴族たちと挨拶をしなければならない私のことを気遣っているのか、彼女はこういった夜会が行われる際はいつも最後の方に訪れる。気を張るのに疲れたでしょう、とでも言うように。
そして、それは今回も同じことだった。
「陛下、ご挨拶が遅れまして申し訳ございません」
アナトがシュリオンと二人で挨拶に訪れたころには、ほとんどの貴族たちとの挨拶が終わった頃だ。
「ディオヴァルド王子殿下、ご機嫌麗しゅう。」
ドレスを少しつまんで淑女の礼をとるアナトはやはり美しい。それに魅入られるようにディオヴァルド王子は彼女を見つめた。
「アナト=ロムルス夫人ですね?」
王子のこのきらきらとした瞳で少し首をかしげるように尋ねる様は、令嬢たちの心を揺さぶるほど美しいが、アナトはそれにかまわずいつもの微笑を彼に向けた。
「そのとおりでございます。殿下」
「こんなに美しい人とご挨拶できて光栄です。」
「そんな、殿下のお国の方が美しい令嬢は多く居るでしょう」
「女性は皆美しいですよ。ですが、恥ずかしながら私は幻の妖精と例えられる美しい母を生まれてからずっと見ているので、目が肥えているのです。あなたは本当に美しいと思います」
「……お褒め頂光栄ですわ。殿下。」
おっと。
私は思わず王子を凝視してしまった。彼の国の王妃は、国王との恋愛が物語になるほどに美しい。実際に外交でお会いしたことはあったが、彼の方が居るだけでその場の空気が彼女のものになるような、そんな錯覚を覚えるほどに美しい方だ。
そんな方を母にもつこの王子も相当に美人ではあるが、その彼がここまで褒めるとは。
まさか、という疑念が浮かぶ。
「私は一月、この国の様子を見て勉強させていただこうとこちらに赴きました。ですが、まだまだ不勉強で、地理情報などはそこまで詳しくなく。ロムルス夫人、できれば貴女のお勧めの場所などをお教えいただけませんか」
その言葉に、今まで控えていたシュリオンも思わずといった様子で王子を凝視した。
にもかかわらず、ディオヴァルト王子はにこにことした表情でアナトを見つめ、返事を待っている。
一方のアナトは、彼の言葉を頭の中で整理し、自分のすべき最適解を回りすぎる頭で考え、にっこりと笑った。
「ええ、もちろんですわ、殿下」
王子の誘いに乗った方が、彼女はこの国の益になると踏んだのだろう。その思考が読めて、思わず笑みを浮かべてしまう。
アナトの言葉を聴いて、ディオヴァルト王子は瞳をきらきらとさせて礼を言う。
シュリオンは信じられないとばかりに目を見開いているようだ。
まぁ、今回の夜会の懸念はアナトが必要以上の人間に絡まれること、だったので、王子のこの申し出はありがたいことだ。貴族たちの挨拶はもうほぼ終わったし、王子とアナトが歓談している中に近づこうという輩はそう居ないだろう。シュリオン以上に牽制の効く味方だと思えば、この王子がアナトに対してどのような感情を抱いていようとも、関係ないのではないのか。
頭の中でそう答えをはじき出した私も、それに同意することにした。
「では、王子の今宵の歓談の相手は、アナにお任せするよ」
ふっと笑顔でそう言えば、アナトも心得たと頷いた。
私に挨拶を済まし、用意されていた休憩用のスペースに連れ立っていく王子とアナト、そして困った顔をしているシュリオンを見て、私は内心笑ってしまう。
これは、一波乱あるぞ、と。