3枚の手紙
間に合いませんでした。「秋の歴史」。(笑)
これも「歴史小説」のジャンルに入るんでしょうかね・・・?
そこら中が瓦礫の山だ。今日は1日、燃え残った工場の建屋の片付けに追われることになるだろう。
たまたま夜勤ではなかった喜一は、未明に宿舎から避難していた防空壕の中で工場の方角から聞こえる、ひゅひゅひゅっという音とずぼおおっという音を聞いていた。
来るなよ。ここには来るなよ。
連続して腹に響いてくる猛烈な振動は、おそらく工場が爆撃されている「音」だ。
喜一は足が震えていることを他の連中に悟られまいと、他人に触れないように体を縮めて固くする。日本男児たるものが敵の爆撃音に震えているなどと知られたら恥だ。何を言われるか。
やがてB29の爆音が遠ざかるとすぐ、
「出ろ! 消火に行くぞ!」という班長の声が聞こえた。
防空壕から出るときに、まだ笑っていた膝のせいでヘタりかけたが、つんのめったフリをして誤魔化してすぐ駆け出した。駆け出してみると震えは治まってゆく。
懸命の消化活動も功を奏せず、工場は半分以上焼け落ちてしまった。
「使える機材を集めて第三工舎へ運べ! 速やかに生産活動を再開する! 神国日本は鬼畜なる米英などには負けん!」
工場長が叫んでいる。
人の耳が落ちていた。
ピシッ、ピシッ、ピシッ!
敵の機銃の弾がトーチカのすぐ前の泥を跳ね上げてゆく。
幸一は機銃の火が見えた辺りに蠢く敵の影に向かって、静かに引き金を引く。
タン!
単発である。弾数が少ないのだ。猟師の息子である幸一は、銃の腕には自信があった。弾は他の仲間のためにできるだけ消費を少なくしたい。
敵の人影が、一瞬天を仰ぐようにしてから地に沈んだ。
すかさず、次の敵影に向けて引き金を絞る。
また敵の機銃の弾が幸一の目の前の泥を跳ね上げて通っていったが、幸一は動じない。当たるならば当たれ。それも天命。だが、もし天我を見捨てざらめば、今少し敵を斃させたまえ。
硫黄島を死守せよ。
上からのその命令は、文字通り「死ね」という意味であった。敵の補給は潤沢だ。一方、自軍の補給は途絶えて久しい。いずれ弾が尽きる。
死のう。ここが死に場所——。
と、幸一も思っていた。
日本男児。
武士。
かつて維新を成し遂げた多くの志士たち。巨大な帝国、ロシアに立ち向かった先達たち。
それに恥じぬものでありたい。
そう思う反面、幸一の中に、みや子にもう一度会いたい、生まれてくる子を一目見たい、という思いもどうしようもなく湧き上がってきている。
それを振り払うように、幸一はまた静かに引き金を引いた。
みや子たちが生きてゆける国土を守るために、俺がここで死ぬ。
その思いをしたためた手紙は、皆の手紙と共に郵便袋の中に納めてある。郵便袋はトーチカ内の土の中に埋めた。幸一たちが生きている間に、それを回収にくる者はいない。
いつか必ず帝国軍がこの地を奪還し、それを内地に届けてくれるであろう。
竹槍の訓練が終わると、今度は校庭の畑の芋の世話だ。そのあと、兵隊さんたちに贈る千人針に高学年の女子は参加する。てい子も何枚もの白布に一目ずつ結び目を作った。
「綺麗だね、ていちゃんのは。」と言われるのが嬉しく、誇らしくもあった。
てい子。
国民学校初等科6年生。
習う、というほどのものを習ってはいない。読み書き算盤。戦争が激しくなるにつれ、学業の時間は減り、校庭は畑になり、竹槍訓練や防火訓練など、銃後の活動が増えていった。
てい子の家は、愛知県の海沿いの田舎にある。空襲が来るような場所ではなく、むしろ軍需工場のある名古屋から疎開してくる子供たちの受け入れ先になっていた。
都会もんになんか負けるか!
勝ち気で負けず嫌いのてい子は、田舎町を代表するような気分で、駆けっこも算盤の計算の速さもいつも一番だった。
この頃は夜昼なくよく空襲警報が鳴ったが、てい子の住んでいるところに敵の飛行機がやってくることはなかった。
この辺りは軍需工場というようなものは何もない。むしろ海が近い分、都会よりも食べるものにも困らなかった。味噌や醤油がなくても、塩水はふんだんにあったし、海苔や貝や小さな蟹も、子供の手で簡単に獲ることができた。
名古屋の空襲も、てい子にとってはどこか他人事で、遠く赤く染まった空を「綺麗だなあ」と思って見ていた。
てい子の母おのぶは7人兄妹の下から3番目だった。小さい頃から弟らの子守ばかりやらされ、少し長じてからは他家に奉公に出された。学問などやる暇はなかったから、文字は読めないし書けない。
そんなおのぶにも、18になると縁談が持ち込まれた。素直で愛想良く、よく働くおのぶが、何の教育も受けさせてもらえない不遇な境遇にあることを奉公先の旦那が憐れんで、せめて人並みの暮らしが立つようにと持ってきてくれた話だった。
もちろん、おのぶには断る理由などなかったし、断れる話でもなかった。
相手の男は大工であった。奉公から解放され、わずかばかりの貯金と旦那がくれた祝い金を手に、おのぶは「職人の女房」に納まることができた。やや神経質な男ではあったが、おのぶにとっては初めての安定した幸せな時期であったかもしれない。
だがそれも長くは続かなかった。
最初の子がようやく1つになった頃、亭主は兵隊にとられ、そのまま大陸に行って1年もしないうちに「戦死」の報が届いた。
「お国のお役に立てただね。」
とだけ気丈に言って、渡された「遺骨」を受け取り小さな借家の中に入った。それから、1歳になった長男の弘志を抱いて、声を立てずに泣いた。
おのぶは女手ひとつで幼児を育てなければならなくなったが、以前の奉公先の旦那がおのぶを住み込みの女中として雇ってくれた。世話になりっぱなしの旦那様のために、おのぶは背中に弘志を縛り付けて高麗鼠のように働いた。
そんなおのぶに再婚話を持ち込んできたのは、おのぶの一番上の兄である助蔵だった。
「いつまでも旦那様に甘えてばかりはいられませんで。先方は前夫の子がいても良いと言ってくださってまして——。」
助蔵はささやかな商売をやり始めていて、そこの離れにおのぶを住まわせることにした。
それにしても、おのぶは男運の悪い星に生まれついたようだった。夫婦になることになっていた男は、祝言を挙げる前に他に女を作って逃げた。
おのぶはお腹の子と共に離れに取り残された。その子がてい子である。
「てい子」という名は、助蔵がつけた。
てい子の負けん気は、何かそんな生まれと関係があるのかもしれなかった。
喜一は架空の手紙を書いて持っていた。架空の妻に当てた手紙である。勇ましく、潔い言葉が連ねてあった。未練がましい言葉は1つもない。そのように書いた。
もちろん18になったばかりの職工の喜一に妻などいないし、その候補もいない。妻の名前のところだけ空白になっている。
喜一は口だけは周りに合わせて勇ましいことを言っていたが、内心はひどく恐れていた。
赤紙がくることを、だ。
今、徴収されれば特攻に「志願」させられるのではないか。
喜一は長男だから、赤紙がくれば急きょ祝言が催され、出征する前に子種を残していくよう取り計らわれることになるだろう。
その妻に当てるための手紙である。
気の小さい喜一は、死を前にして平然と勇壮な言葉が書けるような気がしなかった。下手をすれば文字が震えてミミズがのたくった様になるかもしれない。死んでからそんなものを見られてはたまらない。
だから、平静な時に勇ましい言葉を並べた架空の手紙を作っておき、もしその時がきたら、ただ妻の名前を書き込むだけで良い様にしておく。それを、寮の部屋の私物入れの箱の底にわからぬように厳重に隠してあった。戦地で死ぬとは限らない。爆撃でここで死ぬかもしれないのだから、他の誰かに見られるわけにはいかなかった。喜一が自分で見える場所に出さなければ、そのまま「私物」として母親の元にいくだろう。
いよいよ弾薬が尽きた。
地下要塞のトーチカは次々落とされ、生き残りの帝国軍は追い詰められた。
弾がなければ猟師も役には立たぬ。故郷の山が頭に浮かんだ。そこに立つみや子の姿が浮かんだ。
すまん。あとは後ろのものに任せるしかできない。
幸一は自決用に配られた手榴弾のピンを抜き、腹に抱え込んでぎゅっと目を閉じた。みや子の顔を思い浮かべようとしたが、なぜか浮かんできたのは寝屋での艶かしい姿だった。
4年続いた戦争も、夏の暑い日にラジオから流れた玉音放送と共に終わった。
19になっていた喜一はそれを工場で聞き、呆然と立ち尽くした。
神国日本が敗れた、という虚脱感と、これで死なずに済む、という安心感と、このあとアメリカの兵隊どもに何をされるのか、という不安とがごちゃ混ぜになったまま、空を見上げた。
空は晴れていて、もうB29の機影は見えなかった。
てい子にとって「終戦」とは、大人の態度が180度ひっくり返る、という経験だった。教科書のいろんな場所に墨を塗らされた。それまで一番大事だとされてきたものが、悪の権化のようにされてしまった。
ただ、変わらなかったのは、母おのぶの態度だけだった。
おのぶは
「男の子も女の子も勉強だけはしとかないかん。」
と言って、戦後の食糧難、闇市の世界を一人で歩き回って持ち前の人当たりの良さで仕入れと行商先の客を開拓し、兄妹には働かせることなく学校に行かせ続けた。
喜一は戦後の混乱の中にあっても、借金をして25で自分の家を作った。もともと大工になりたかった喜一は金の節約のためにも半分は自分の手で作った。それが喜一の自慢になった。
家ができ、曲がりなりにも一国一城の主人となった喜一に、縁談が持ち込まれたのは27の時だった。三河の方の娘だという。
見合いの席で、喜一はその娘に一目惚れをした。綺麗な人だ。それに明るい。
「てい子さん。私はあなたを日本一幸せにします。」
何事にも大袈裟な物言いをしたがる喜一は、そんなふうにプロポーズしたのだった。
てい子に見合いの話が来たのは、20の時だった。友達も大勢いる住み慣れた田舎町を離れるのは少し寂しいとも思ったが、相手が職工とはいえ一流企業の社員だと聞いてその気になった。
何ごとにも「一番」を好むてい子らしい。
会ってみると喜一と名乗ったその男はややひ弱な感じがした。大仰な物言いも少し鼻についたが、何より一流企業の社員であることと、既に立派な家を持っていることが、てい子の背中を押した。もっとも、入ってみてから意外に中身は貧しいことを知るのだが。
おのぶは都会に嫁ぐ娘のために、行商で稼いだ金を叩くようにして大いに奮発した嫁入り道具を持たせてくれた。
喜一は嫁を迎える準備の中で、庭の焚き火の中にあの架空の手紙を放り込んで燃やした。
戦争が終わって随分と経ってからだったが、それでも硫黄島の手紙は本土に届いた。まるで手紙そのものが帰りたがっていたかのように。
紆余曲折はあったが、おのぶの元には嫁に行ったてい子の子供=外孫からの年賀状が届くようになった。小学校に上がった頃のたどたどしい文字から、しっかりした文字へ。
小さい頃てい子に連れられて来ていた孫の成長が見えるような年賀状だったが、如何せん、おのぶは字が読めない。いつも息子の弘志に読んでもらっていた。
偉いことに、既に60になろうとしているというのに、おのぶは一念発起した。
小学校に上がったばかりの内孫のみゆきに頼んで、ひらがなを教えてもらうことにしたのだ。
手紙を書きたい。外孫の一雄に。自分の手で——。
「おばあちゃんより、わたしの方がかしこいねー。」
そんな罪のないからかいを言いながら、みゆきはノートにあいうえおを書いて、1文字ずつ指差しながら「あ」「い」・・・と発音してくれた。
おのぶは毎日、自分で文字をまねて書きながら、「あ」「い」・・・と発音を繰り返し、そうしてついに1枚の手紙を書き上げた。
こ ん に ち わ げ ん き て す か