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こんみや、からはじめよう

作者: 物書きの端くれ

 ――パチパチパチ、パチパチパチ……。

辺りから拍手が起こる。僕も彼らと同じように彼女に拍手を送っていた。彼女は少し間を置くと、拍手のお礼を述べ始める。拍手をしてくれた人々の名前を一人づつ順番に呼んで。

相変わらず丁寧な人だな、と思う。彼女の歌を聴いている人は十人ちょっとで多いとは言えない。それでも僕は彼女の歌を聴くのが好きだった。僕はここに出来るだけ足を運ぶ。この先も足を運び続けたいと心からそう思う。


僕がMIYAに初めて会ったのは大学三回生の春休み、一月三十日のことだった。その日は仕事帰りで何となく真っすぐに家には帰りたくない気分だった。帰り道にコンビニに寄り、お酒を買い込んだ。それを飲みながら一人トボトボと歩き、辿り着いた駅の中とその周辺をうろつきまわった。

一月三十日は日曜日だった。僕の横を通り過ぎる人々はみな笑顔を浮かべ、幸せそうに見える。駅の片隅ではアベックが向かい合い、手を握り合いながらそれぞれの目を見つめ合っていた。それをよそにハイボールを呷る。

特に何の不満もない状態だった。できれば少し誰かと話していたい、酔いが回りそんな気分だった。アルコールに身を任すと時が流れるのは驚くほど早い。午後五時に仕事を終えたのに気づけば八時近かった。何も考えず僕は駅地下へと足を運んでいく。

地下は広い空間が広がっているだけで、特に飲食店が並んでいるようなにぎやかな場所ではない。僕は道行く人の邪魔にならないように空間の隅に身を寄せて、地べたに横になった。そんなに寒くはなかった。厚着をしてたし、地下だからか地上のような冷たい空気は流れていなかった。アルコールのせいか、疲れていたせいか、どっちでもいいが、僕はそのまま、眠りについた……。


 どのくらい経ったのだろうか。僕は耳元に流れてくる音楽や歌声で意識を戻した。

 音楽は継続して聞こえる。気になった僕は薄っすらと目を開けた。

 視線の先には広い空間を利用してあっちこっちでストリートライブを行っていた。それぞれの歌い手の声を邪魔しない程度に距離を空けて、思い思いの曲を歌っている。

 寒気がしたので腕時計を見てみると深夜一時を回っていた。終電はとっくに過ぎている。今夜は地下で寝て、始発で帰るか、と割り切った。

 せっかくなので、僕は立ち上がってあっちこっちのストリートライブを見て回ることにした。

実際、回ってみることで色んなことに気づく。とんでもない数のファンに囲まれている歌い手もいれば、まったく誰も足を止めようとしないものの、一人で次々と歌い続ける歌い手もいる。カバー曲を歌う歌い手もいれば、オリジナルの自作の曲を歌う歌い手なんかもいた。

「夜は世界が変わるのか」 僕は足を止めず、あっちこっちをハイボール片手に歩き回った。どこかに落ち着きたいが、どこで足を止めたらいいものか。

 何だろう? 逡巡していると、僕の中のなにかに刺さる歌声が微かに聴こえた。広い空間の中でも更に奥まった方から聴こえてくる。

 僕の足はその声のする方へと自然に歩き始めていた……。

 そして、何人かが集まっている箇所に僕は辿り着いた。シャンパングラスのような透明な歌声がはっきりと聞こえてきていた。人ごみを掻き分ける必要もない、この歌い手の歌を聴いているのは十人程度しかいなかったのだ。流れるように自然と僕は歌い手が見える位置に立った。

大人びた見た目だと、彼女の姿を見たときに思ったのを覚えている。マイク片手に瞳を閉じたまま、nuitを歌っている。瞳を閉じて歌っている姿はどこまでも清らかで、流れる青い髪と白い肌が印象的だった。歌っているのが好みの女性だとわかると、なんとなく、ハイボールを一気に飲み干し、その空き缶を鞄へと隠した。彼女の傍らには手作り感満載の看板があり、MIYAの文字と歌える曲のリストが書かれていた。

MIYA、というのは彼女の名前だろう。歌える曲のリスト、というのは客からのリクエストに応えているのだろうか?

それにしても、この歌い手、さっきまで見ていた歌い手とどこか違う。

そうだ、さっきまで見てきた歌い手たちも看板を傍らに置いてはいたが、そこには長々とライブに関する注意事項が必ず書かれていた。それにも関わらず、彼女はそういった注意事項が一切ないのだ。

こういう子もいるんだな、と思った。それから彼女の、MIYAの歌声に聞き惚れていると、歌っていたnuitが終わった。

その瞬間、周りで見ていたファンたちが拍手を彼女に送り始めた。僕も意識することなく拍手を送っていた。ファンの何人かは声も掛けている。ようやく目を開けたMIYAは笑顔でお礼を述べ始める。そこがまた、他の歌い手とは変わっている。拍手を送った人々の名前を呼んでいるのだ。いや、正確にはニックネーム的な呼び名を。呼ばれた身としては嬉しいことこの上ないのだろう。MIYAはファンたちの冗談にもノリ良く、答えていた。

そこでMIYAと目が合う。あ、初めましてですよね? と彼女の目が物語っていた。

「今晩は。初めて聴きました。何かに刺さるいい声ですね」 僕は周りのファンの行動に倣って、声を掛けてみた。

「こんみや、こんなに遅くに来てくれてありがとう。なんとお呼びすればいいですか?」 彼女は笑顔で答え、尋ねてくれる。こんみや、というのはMIYAなりの挨拶なんだろう。次は僕も使いたいと思った。

 僕はMIYAに答える。

「物書きの端くれ、です。そのまま、呼んでください」

「把握した」 彼女はそう返答してくれた。

 その日、初めて聴いたくせに僕は調子に乗り、寄り酔いをリクエストしていた。MIYAは快く了承してくれる。後から知ったことだが、ファンの間では寄り酔いはけっこう人気らしい。

 その日、四時近くまでストリートライブは続いた……。

 一月三十日に聴いた歌声がきっかけで僕はその場所に通うようになる。二度目に訪れた時もMIYAは「ありがとう、また来てくれて」と僕のことを覚えてくれていた。ただ、それだけが嬉しかった。彼女は多忙でストリートライブを行うのも週に一度あるか、ないかぐらいで、深夜が主だった。段々その日が楽しみになっている自分がいる。

 

「端くれ君は、ゼミの中で卒論は一番進んでいるけど、就職活動がね~」 ゼミの教授の研究室の扉をノックしようとしていた時だった。その会話が聞こえてきたのは。どうやら、同じゼミ生で僕の友人の子と教授が話しているらしい。

「いい子なんだけど、彼は。もう少し悪い人にならなくちゃ、駄目だね~」

「そうですね、駄目ですね」 友人がそう答えるのが聞こえた。

 何となくいたたまれなくなり、僕はその場から離れる。ほぼ卒業に必要な単位を取ってしまっていた僕はもう、キャンパス内にいる必要はなかった。何しに来たのだろうと、思いつつ帰りのバス停へと歩を進めた。

現在、僕は学生の傍ら、市立図書館の非常勤職員をしていて、四回生の就活生になっていた。今のところ、次はない。来年度、僕はなにしているのだろうか? ここ最近気づけばそういうことばかり、考えている。司書資格は取ったが、司書の仕事に空きはない。ならば、と思い一般企業を受けるも、一社も受からない。新聞社は三次選考まで漕ぎつけたが、そこで落とされた。

悪い人にならなきゃ、駄目だね。研究室で聞いたその言葉の意味を考えてみる。僕は自分のことをいい人だとは一度も思ったことはないのだけどな。いや、教授の言いたいのはそういうことではないのか?

――わけがわからなくなる。

考えるだけ無駄か。なんにしても就職先、そいつを早く見つけなくては。僕の弟は高卒で消防士になった。所謂、公務員だ。そのことが理由なのか、下手な就職先ではいけないという両親の考えに対する何とも言えない、焦りだけが募る。

僕は考えるのをやめて、イヤホンをつけた。普段、僕が聴くのは佐野元春や忌野清志郎などのロック。イエロー・マジック・オーケストラの電子音楽。洋楽ならジェームズ・ブラウンやジョン・デンバー、ジョニーキャッシュなんかだった。この三人においては知らなくて当たり前だと思う。

それらを流し始めてから、僕は感じる。

――ああ、MIYAの歌声が聴きたいな、と。今日、ストリートライブは開かれないのだろうか? MIYAの場合、あまり予告はしない。彼女の歌いたい時にあの場所に現れる。深夜まで待ってみようか、どうせ、他にすることも無いし。今はつい先日、受けた貴社の合否待ちだ。

僕は彼女が演奏を始めそうな時間を見計らってあの駅の地下へと向かった。

夜、十時過ぎ、僕は駅地下へと降りてゆく。音楽が、歌声が聴こえる。でも、それはMIYAの歌声ではない。僕は彼女がいつも歌う、奥まった箇所へと進んでいく。

まだ、誰も彼女のファンは来ていなかった。やっぱり、今日は開かれないのかもしれない。

それならば、それでもいい気がした。僕は気の済むまでそこに立ち続けることにした。ここまでくれば意地だった。何の意地だろうと聞かれれば、MIYAの一人のファンとしての意地かもしれないし、他に意地を張れるところがないから、都合が良かったからと言えばそれだけになる。

「こんみや」 背後から声がした。振り向けば、看板を手にしたMIYAが立っている。

「こ、こんみや」 僕は少し緊張しながらも挨拶を返す。

「わざわざ、待機ありがとう」 彼女はそう言ってストリートライブの準備を始めていた。いつのまにか、周りにはMIYAのファンたちが集まってきていた。いつもの顔ぶれだ。ファンたちは思い思いにMIYAに言葉を掛ける。

 いつもの優しい夜の世界がそこにはあった。僕はこの空間に少しは馴染めただろうか? いいや、まだ僕は彼女のファンになって日が浅い。古いファンたちに認められるのはまだ先のことだろう。

「こんみや。それじゃあ、まずは、声出しから」 MIYAが声出しに一曲、歌い始める。

 大変なのは僕だけじゃない。先が見えないのは皆一緒なのかもしれない。

かけがえのない、彼女だけの声を聴いていると僕はそう感じる。

 行けるところまで、行ってみるとするか。

 さっきまでとは違う、前向きな気持ちで僕はMIYAの歌声に耳をすませる。あなたは、あなただ。しばらくはあなたの声を聴いていたい。

 個人的な一言として、今までありがとう、宮さん、また会える日まで……。


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