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この作品には 〔ボーイズラブ要素〕〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

悪役令嬢短編集

その悪役令嬢は時々入れ替わる~双子の姉の死亡フラグ回避の為俺が悪役になってやろうじゃないですか~

作者: 兎束作哉


※姿は女性、中身は男性の転生者のためボーイズラブのキーワードを付けさせて貰ってます。





「エルアーナ・ピュエゼアン公爵令嬢!貴様との婚約は破棄させて貰う」




 誰もが一度は見たことあるであろう、小説のワンシーン。

 悪役令嬢が婚約破棄を言い渡されるベタでありがちな展開。



 悪役はここで泣き崩れ、ヒロインは王太子とのハッピーエンドが確約されたこの瞬間。



 『俺』は、目の前にいる悪女エルアーナ・ピュエゼアン公爵令嬢を見て心臓がドクンと脈打った。

 うす藤色の髪、つり上がったきつそうなアメジストの瞳、真っ赤なドレス……




(エルアーナの次の台詞は確か……)




「婚約破棄ですって!私は認め……認めませんわ!」




 エルアーナは顔を歪めながらそう叫ぶ。そして俺に指をさし叫んだ。

 しかし、エルアーナは俺と目が合った瞬間さあぁ……と青ざめた。その顔には驚きと恐怖がありありと浮かんでいる。


 アメジストの瞳に映った俺の姿は、桃色髪の背の低い少女の姿。特徴的なお団子ストレートヘアーの、常に困り眉でおどおどとした表情を浮べる少女。



 間違いない。俺は、『溺愛され過ぎてて困ってます』という題名の乙女ゲームの世界のヒロイン、アヴニール・ソレイユに転生してしまったんだ。



 普通ここで、何で私が悪役令嬢に!?となるパターンがおきまりなのだが俺は何故かヒロインに転生してしまった。そして、そのおきまりのパターンで苦しんでいるであろう目の前の相手、エルアーナは助けを求めるよう瞳を潤ませた。



 間違いない。



 直感的に、本能的に、彼女の中身が俺の双子の姉であることを俺は悟った。




「どうした?悲しさのあまり声も出ないのか?だが、貴様がアヴニールにしてきたことに比べれば……」

「待ってください、王太子殿下!」




 これまで、ヒロインに悪事を働いたであろうエルアーナにこれよりも酷い罵声を浴びせそうな王太子を止めるべく、慌てて口を挟む。



 すると、王太子シエロ・イーリスはこちらを見た。


 金髪碧眼の王子様な容姿。整った目鼻立ちに凛々しい眉毛、スラリと高い身長。まさに、物語に出てくるような完璧なイケメン。



 そんな彼の目に、怯えたように震えている桃色髪の少女の姿が映っているだろう。

 自分が、彼女を守らなければ……そんな使命感にかられた瞳を見て、俺は溜息が出てきた。

 本物のヒロインならば、ここで黙ってエルアーナとシエロの婚約破棄を黙って傍観していただろう。そりゃそうだ、自分を虐めてきた悪女がいなくなる瞬間だから……


 しかし、前世の記憶を思い出してしまった今となっては話は別である。


  俺はキッと目を吊り上げ、シエロを睨みつけた。


 シエロは一瞬、驚いたような表情を浮べたがどうしたんだ?と優しい口調で尋ねてきた。そんな彼を無視し、俺はエルアーナに歩み寄る。




「空……俺だよ、俺」

「海……!?本当に海なの!?」




 俺は、周りの誰にも聞えないぐらい近づき小声で彼女に話しかける。

 すると、彼女は涙を浮かべながら俺に飛びついて来た。

 ふわりといい香りがする。




「どうしよう、どうしよう……!私、私……エルアーナになっちゃった。このままじゃ」




 俺の腕の中で震える彼女を抱きしめながら、大丈夫だと言い聞かせるように背中をさする。

 エルアーナは俺の胸元で泣き出した。


 会場にいた貴族達がざわめき出す。今日は、確か皇宮でのダンスパーティーだったか……

 貴族達の視線は一気に俺とエルアーナに向けられた。先ほどよりも多くの貴族達が俺たちを見ている。


 だが、そんなこと今は関係無い。


 目の前の双子の姉、双葉空の方が大切だ。




「落ち着け、空。とりあえずここから離れよう」 




 そう言って俺は空の手を取り歩き出そうとしたが、それを阻む者がいた。

 それは勿論、シエロである。彼は俺達の前に立つと、何処へ行くと見下ろしてきた。




「彼女、気分が悪いみたいなので」

「それなら、彼女の使用人にでも言って外に連れて行って貰えれば良いじゃないか。それとも、また此奴に指示されたのか?」




 違う!と言ってやりたかったが、下手に動くのは危険だと分かっているためぐっと堪えて下を向く。


 俺の様子に気付いたのか、空は小さく首を横に振った。

 震えて、大声で泣きわめきそうな顔してるくせに強がる姉を見て、いたたまれない気持ちになる。


 なんたって空は、このゲームの王太子シエロの事が大好きなのだから。

 彼女はきっと今、絶望の淵に立たされているだろう。逃げ出してしまいたい気持ちに駆られているだろう。推しに酷い言葉を投げられ最後は死亡してしまう悪役なんて。




「空……、手ぇ出して」




 俺は、そんな空を見たくない。泣いている姉なんて見たくない。二人一緒に転生してそれも、彼女が好きな乙女ゲームの世界に転生したのだから、彼女には幸せになって欲しい。

 空は、コクリと頷いて俺の両手を握った。そして、俺と空は額を合わせる。




『チェンジ』




 俺達は同時にそう唱え、目を閉じた。




「おい、いい加減アヴニールから離れろ」




と、それを見ていたシエロがアヴニールに引きはがす。

 離れていく彼女を見て、俺はクスッと笑った。




「精々してるわ」

「……何、だと?」

「婚約破棄してくださって。ええ、そうね……私こそ願い下げよ。他の女性と関係を持った王太子なんて!」

「等々、頭が可笑しくなったのか」




 シエロはやれやれと額に手を当てる。


 俺の目線は先ほどよりも10㎝高くなり、シエロの顔がはっきりと見えた。先ほどは、見上げることでしか彼の表情をうかがえなかったから。

 俺は、肩に掛かっていたうす藤色の髪を払った。




「海………」




 目の前では、シエロに肩を抱かれ俺を心配そうに見つめる桃色髪のアヴニール……姉がいた。

 そう、俺たちは入れ替ったのだ。




「もう、話は終わったのかしら?」

「ああ、そうだ。貴様と話すことはもうない」

「そう、じゃあ婚約破棄って事で」




 俺はニッコリ笑って、シエロに背を向けた。

 背中にアヴニールの視線が刺さっていたが、俺は気にせずヒールを鳴らし扉に向かって歩き出した。俺の進行の邪魔にならないように、貴族達は一斉に俺を避けそこにぽっかりと道が出来た。



 『チェンジ』と手と手を合わせ、額を合わせることで俺たちは互いに入れ替ることが出来る。


 それは、此の世界にきても変わらない特殊な力であった。



 後ろにいる姉に、俺は幸せになって欲しい。俺が、死亡エンドが待っている悪役に入れ替ったとしても。




「さようなら、空」




 そして、俺はそのまま振り返らずに会場を後にした。






 ***




「もう、朝……か」


 さて、如何したものか……


 目が覚めたら全て夢だったと淡い期待を抱き、目を開けたがその期待はすぐに裏切られ俺はため息をついた。

 うす藤色の髪は寝起きだというのにサラサラと日の光を浴び光り輝いている。




「さすが乙女ゲームの世界……普通こんな寝起きで整ってるもんじゃないだろ、髪の毛なんて」




 きっと、ド偏見でしかないのだがそれでもその美しい髪を見て俺はもう一度深いため息をつく。

 前世では、男でニキビだの若白髪などに悩まされてきたが、この身体の主エルアーナにはそんな悩みは何一つないようだ。


 しかし、やはり現実味がない。


 昨日エルアーナが婚約破棄を言い渡されたとき、前世を思い出した。昨晩、思い出したときはアヴニールの身体に入っていたのだが今朝はエルアーナの身体に俺は入っている。



 エルアーナ・ピュエゼアン公爵令嬢。


 この乙女ゲームの悪役令嬢である、エルアーナはそれはもう悪女の名にふさわしい女だった。

 ヒロインをいじめたり、攻略対象に近づき誘惑したりとやりたい放題。誘惑できるほどの圧倒的な美貌と、権力……貴族としての誇りやプライドも高く持っていたため誰も彼女に逆らえなかった。


 また、かなりの面食いであり、攻略対象の中でもエルアーナは王太子がタイプだったらしく婚約を望んでいた。

 だが、婚約者の王子は彼女を毛嫌いし彼女を避けていた。挙げ句、ヒロインと出会い恋に落ちよりいっそエルアーナから離れていった。 


 そんな状況でもなお、彼女は自分が世界の中心だと思っていた。


 ヒロインが自分より階級の低い貴族令嬢であったから。きっと、自分が選ばれるだろうと思い込んでいたのだ。

と、まあそんな傲慢で自信家なエルアーナだがだんだんと自分の置かれている状況を理解しヒロインであるアヴニールの殺害を企てた。

 そして、昨日婚約破棄を告げられたエルアーナはこれから2回、ヒロイン殺害のため行動を起こすことになる。




「確か、今日はお茶会があるんだよな」




 俺は、前世姉である空がプレイしていた様子を見てある程度の物語の流れは覚えている。

 婚約破棄をされた次の日、ヒロインを招きお茶会をし、その最中毒殺しようとするのだ。


 そして、ここでヒロインが毒を飲み倒れる。


 その後、罪に問われるがヒロインがここで許すか許さないかでまた分岐が起きるのだ。

 許さないと言われた(選択した)場合、国外追放。許すと言われた場合物語はそのまま進んでいく。だが、そのことでエルアーナの評判はがた落ちし彼女はプライドと信頼を失い、強硬手段に出る。


 それが、エルアーナのバッドエンド――……



 王太子の誕生日にて、ヒロインにナイフで襲い掛かり、王太子にその場で殺される。

 そう、もうこの時点で国外追放か王太子に殺されるかの二択しか残っていないのだ。

 勿論、俺だって死にたくはない。ただ、エルアーナが物語通り動かないことでヒロインであるアヴニールにどんな未来が待っているか予想がつかない。


 確実に、姉を幸せにするには国外追放か殺されるかを選ばなくてはならない。




「……取りあえず、国外追放か。ああ、でも空に毒を盛るなんて出来るわけ無い!くそ……だが、殺されるのも……ぐぬぬ」




 そう一人悩んでいると、部屋の扉をノックする音が聞こえた。


 俺は、慌てて布団の中に潜り込み、寝ぼけたふりをした。すると、メイドが俺の返事を待たずに扉を開け部屋へと入ってきた。

 どうやら、俺を起こしに来たらしい。




「エルアーナ様、今日はお茶会の予定になっております」

「え?あ、ああ。わかったわ」




 俺は、ベッドの中で目を開き天井を見つめながら生返事を返した。

 そんな俺の様子に少し違和感を覚えたのか、メイドが俺の顔を覗き込んできた。




「な、何?」

「……まだ、昨晩の婚約破棄のことで引きずっているのかと思いまして。ですが!エルアーナ様はとっても美人ですし、もっと良い方が見つかりますよ、すぐに!エルアーナ様と結婚したいという殿方は沢山いますから!」

「あ……あ、うん。そうだな……そうね。でもそれ、大きな声で言っちゃ駄目よ」




 さすが乙女ゲームの世界だ。こんな主人でも、使用人は自分の事のように心配をするとは。


 だが、使用人とてエルアーナの悪評は知っているだろう。彼女の父親も、エルアーナの横暴な振る舞いには飽き飽きしているみたいだったし……まあ、放任主義で見て見ぬフリをしているだけなのだが。



 メイドはにこりと微笑み、身の回りの世話を始めた。

 俺は、ぼんやりとそんな様子を眺めていたがふと、思い出したようにメイドは口を開いた。




「私としたことが、言い忘れていました!午後のお茶会の前に、クレセント公爵がお見えになります」

「……そう」

「では、失礼いたします」




 ドレスを着せて貰い、髪を結われながら俺はメイドの言葉に適当に相槌を打った。

 そんな俺の様子を気にすることなく、メイドは一礼して部屋を出ていった。


 メイドが出て行ったのを確認すると、俺は大きなため息をつき頭を抱えた。


 クレセント公爵とは、きっと攻略対象の一人アース・クレセントの事だろう。

 彼は、この国の宰相の一人息子であり、エルアーナの婚約者であった王太子の側近を務めている人物だ。また、王太子の親友……



 王太子は、エルアーナが面食いであったことを知っていたため婚約破棄され暴れられる前に適当に顔のいい男を彼女に送ろうと思ったのだろう。自分はアヴニールと結ばれるために。


 まあ、ゲームではエルアーナは王太子のことが忘れられずいやいやきたアースを怒り狂って追い返してしまうだが、アースもアースでエルアーナの事が好きではなく、ヒロインに片思いをしていた。

 親友の頼みとはいえ、好きでもない女性と婚約を自分の幸せのためにしてくれなんて言われたらいい気持ちにならないだろう。俺だったら、そんな奴親友だって思えないし縁を切る。




「怒り狂って追い返す……何てことはしないが、俺……アースのこと苦手なんだよな」




 姉のゲームを眺めていて、確かに王太子のシエロはまだいいキャラだと思った。だが、アースは何というか……胡散臭い感じがするというか。腹黒そうと言うか……


 男の俺としては、苦手なタイプだった。それに、エルアーナの事を完全に馬鹿にしていたし。

 そんな奴と顔を合わせないといけないと思うと憂鬱だった。しかし、避けては通れない。


 俺は、粗相がないようにと気を引き締め部屋を出た。





 ***




「お久しぶりです。エルアーナ・ピュエゼアン公爵令嬢」

「……お久しぶりです。公爵様」




 応接間にて、俺は銀髪紅目の如何にも胡散臭そうな笑顔を貼り付けた男と向き合っていた。

 表情筋がつってしまうのではないかと思うほど、俺は無理矢理笑顔を作って彼から片時も目を離さず見つめていた。


 その俺の様子に、目の前の男……アースは少し驚いたような表情をしていた。しかし、すぐにククっ……と喉を鳴らし笑うと、紅茶の入ったカップに口を付けた。

 攻略対象の一人だというだけあって、確かに綺麗だった。その行動一つ一つが、(中身が)男の俺でも目を惹かれるほど。




「それほど、見つめられたら穴が開いてしまいます」

「……ん?ああ、申し訳ありません。少し考え事をしておりました」

「ほう……そうですか。僕を見ていた訳ではないのですね?」

「ええ」




 俺が素直に謝ると、彼は一瞬だけ真顔になった後、再び笑みを浮かべた。

 つかみ所のない男だと、俺も紅茶を一口飲んだ。




「今日ここを訪れたのは、貴方に婚約を申し込むためです」

「……知っています」

「そうですか。さすが、ピュエゼアン嬢。話が早くて助かります。それで、僕の申し出を受けて頂けますでしょうか?」




 そう言って、アースはその紅い瞳を俺に向けてきた。

 まるで、俺を試すかのように……しかし、値踏みしているようにも取れるその瞳に俺は内心舌打ちをした。


 確かに、これまでのエルアーナの行動は行きすぎていたし我儘傲慢、権力を振り回し好き放題していた悪女だろう。

 だが、それは俺でもなく姉でもない、以前のエルアーナがしていたこと。外見こそエルアーナだが中身は別物だ。だから、俺がやったこと……と思われるのは不愉快極まりない。




「そうですね……とても魅力的な提案だとは思いますが、その婚約は受けられません」

「それは、貴方がまだシエロ王太子殿下を思っているからですか?」




 俺の言葉に、アースはにこりと微笑みそう言った。


 俺は、首を横に振る。


 あんな男俺は願い下げである。まあ、目の前にいるアースはもっと願い下げなのだが。

 シエロは姉と結ばれればいいし、俺は姉が幸せになれるならそれでいい。だから、アースは根本的に間違えている。


 俺が、シエロを好きだから婚約を受け入れられないのではなく、アースという男が受け入れられないから婚約はしないと言っているのだ。

 だって、中身男だし。俺は、そっち系の人間じゃないし……それが気持ち悪いとかじゃなくて、俺は単純に女の子が好きなのだ。

 だが、今外見は女だし女性と結ばれる事はないだろうけど……それでも、男性と結ばれたいとは思わない。


 だから、無理なのだ。やっていける自信がない。




「違います。それに、あんな男こっちから願い下げです」




 俺の言葉に、アースはキョトンとした表情をするとハハハッと笑い出した。


 その様子に、俺は眉間にしわを寄せた。


 何なんだ、こいつは……俺が何かおかしいことを言ったか? 俺がムッとしていると、アースは失礼と言って目元を拭った。どうやら、涙が出るほど笑っていたらしい。

 そんな彼を、俺が冷めた視線を送っていることに気付くことなく、彼は涙をぬぐい終わるとまたあの胡散臭い笑顔を張り付けた。




「いやぁ、不思議ですね。女性ってそんなに早く心変わりするものなのですか?」

「私は、そうですね」

「そう……ですか。でも、可笑しいですね?僕の知るピュエゼアン嬢は、一途な方だと思っていたのですが……」

「私だって人ですもの。それに、浮気して婚約破棄だと言ってきた男を思い続ける方が難しいのでは?」




 俺は、そう笑って返してやった。


 女性らしい、貴族らしい言葉遣いは疲れる早く帰ってくれと内心思いつつ、俺は笑顔を崩さなかった。そして、俺が笑顔でいるとアースもにっこり笑顔のままこちらを見つめてきた。


 暫しの沈黙が俺とアースの間に流れる。


 何だよ、この時間……と俺がうんざりした時だった。 


 アースが、突然立ち上がり俺の方へと歩いてきた。何をされるのかと身構えていると、アースは俺の……性格にはエルアーナの髪をすくい上げ、口づけを落とした。

 あまりの出来事に、俺は固まってしまった。しかし、アースは俺の様子など気にする素振りもなく、髪から手を離すと今度は俺の頬に触れてくる。




「やっぱり……」

「何だよ、急に!あ……ッ!」




 思わず、素が出てしまい俺は慌てて口を覆った。アースは、一瞬だけ目を丸くしたがすぐにククっ……と喉を鳴らし笑うと再び俺の顎に手をかけ上向かせた。


 紅く輝く瞳に、俺は動けなくなる。




「貴方、ピュエゼアン嬢じゃないですね?」

「まさか!?そんなはず、あるわけないじゃないですか。中身が入れ替ったとでも言いたいのですか?」




 俺の言葉に、アースはふっと笑みを浮かべた。

 その表情に、俺は背筋を震わせた。何もかも見透かしたような紅い瞳。

 だが、彼が何を言いたいのか何をこれからするのか予想が出来ず俺は動けずにいた。




「もし、本当にそうだったとしたら面白いですね。まあ、現実的にあり得ないですけど」

「そう、そうですよ!公爵様の勘違いですって!」

「でも、本当に妙ですね……」




 今度は何だ!と、俺は内心焦った。アースは、俺の顔をじっと見つめると小さく息を吐き、俺の腰に腕を回してきた。


 え、ちょ……何?!と混乱していると、アースは俺を抱き寄せた。




「僕の知っているピュエゼアン嬢は、僕のことを公爵様と呼ばない。それに、こうも易々と触れさせてくれないのですよ」

「そう?呼び方なんてどうでもいいじゃない?それに、今日は気分がいいの、だから触らせてあげてるのよ」

「気分がいい?婚約破棄をあんな大衆の前で言い渡されたのに?」

「何が言いたい?」




 アースは、俺から少し離れるとクスリと笑い首を傾げた。

 彼の仕草一つ一つが嫌味っぽくて、俺は苛々してくる。


 こいつ……絶対わざとだろ。




「僕も気分が変わりました。初めは、ここに来るのも憂鬱で婚約を申し込むなんて口が腐っても言いたくなかった」

「それは、本人を前にして言うこと?」




 俺が、そう言って睨み付けると、失礼でしたね、すみませんと、アースは笑いながら言った。

 その言動一つ一つがいちいち鼻につく。やはり俺は、こいつの事が嫌いだと再認識した瞬間だった。

 しかし、アースはそんな俺の事などお構いなしに話を続けた。




「貴方は、会うたび僕を睨み付けるか無視を決め込むかのどちらかだったので、正直嫌われていると思っていました」

「嫌っているのは事実です」

「僕は、貴方に何かしましたか?」

「いいえ。でも、貴方のことが嫌いです。何だか、腹が立ちます」

「……そうですか」




 俺の言葉に、アースは何故か嬉しそうに笑った。その表情に、俺は不気味さを感じた。




「どうしてそんなに機嫌が良さそうなんです?気持ち悪い」

「酷いですね。これでも結構傷ついているんですよ?」




 そうは見えないがな……。


 俺は、そう思いつつも口にしなかった。

 これ以上こいつと話していたら、どんどん調子が崩れていく気がする。




「本人を前にして言うのは非常に申し訳ないですし、失礼は承知なのですが……僕も貴方のことが嫌いでした」

「……」

「大嫌いだったんです」

「…………」

「それはもう、顔を合わせるのも嫌なぐらい」




 確かに俺も嫌いと言ったが、そこまで言うか!?と思わずツッコミを入れたくなってしまった。

 いや、この場合ツッコミと言うより失礼すぎるだろ。失礼承知とかそういう次元じゃないと胸倉掴んで怒鳴りたかった。そんな衝動を抑えつつ、ぴくぴくと動く自分の口角を必死に同じ位置で保ちながら、俺はアースを見た。


 彼の表情を見ると、とても楽しそうで愉快そうに口元を緩めていた。


 俺の反応を見て楽しんでいるようだ。


 そして、アースは俺の頬を撫でると彼の指はそのまま唇に触れてきた。突然の出来事に俺は驚き、思わず固まってしまう。

 しかし、彼は俺の様子など気にせず俺の耳元に顔を近づけてくると囁いた。




「気が変わりました。僕は貴方が欲しい」

「……ッ!?」

「僕の婚約……受けてくれますよね?」

「は、はあ!?」




 俺は、勢いよくアースの胸板を押した。すると、あっさりと離れたため俺は距離を取るようにソファーの端へと移動をする。


 一体何を考えているんだこの男は! 俺の頭の中で警報音が鳴り響く。


 こいつは危険だ。


 本能的にそう感じ取った俺は警戒態勢に入った。その様子を見ていたアースは小さく笑う。

 その笑みがまたムカつく。




「さっきまで、威勢が良かったのに。今度は小動物みたいに怯えてしまって……本当に興味深いですね、ピュエゼアン嬢」

「人を、鑑賞用の動物か何かと勘違いしてるだろ!?」




 俺の言葉に、アースは首を傾げる。


 俺は、今すぐにでも逃げ出したかった。だけど、ここで逃げたら負けだと思い留まる。相手は、俺と同じ男だ。だから、恐怖心を抱かなくてもいい……わけない。

 ゲームで見たよりもうんと危険で、何を考えているかさっぱり分からない。


 何なんだこいつは!と内心焦っていた時だった。


 部屋の扉がノックされた。

 その音に反応するようにアースは立ち上がると、俺から離れていった。




 ――――――――助かった。




 ほっとした俺は、深呼吸を一つする。

 そして、何やら話を終えたアースが残念そうな顔でこちらを見てきたため、俺はまた身構えた。




「どうやら、仕事が入ってしまったようです。非常に残念ですが、今日はこの辺でお開きにしましょう」

「そうですか、では、さようなら」

「冷たい人ですね。僕はまだ貴方と話していたいというのに」

「私は話すことないので、早く仕事にいったらどうなんですか?」




 俺が冷たくあしらうと、アースは肩をすくめた。

 そのまま部屋を出ていくのかと思いきや、アースは俺の方を振り返ると笑顔で言った。




「婚約の手続き進めておきますからね。忘れずにお願いしますよ」

「……」




 俺は返事をしなかった。


 そんな事など気にも留めず、アースは部屋から出て行った。一人残された俺はソファーに倒れこむ。




「何だったんだよ……」




 あの男の行動が読めなさすぎて、頭が痛くなる。

 俺は頭を掻きむしると、大きく息を吐いた。とりあえず、もう二度とあいつに会いたくないと切実に思った。


 しかし、俺の願いが通じることはなく、なぜか奴が頻繁に手紙を送ってくるようになったのはまた別の話。





***




 暖かな日差しと、美しい花々に囲まれた庭園の一角で、俺と姉、アヴニールはお茶をしていた。


 彼女は、綺麗なドレスに身を包み、桃色の髪をお団子ツンテールにしており、その姿はまるで花の妖精のようで、とても美しかった。

 ヒロインというだけあって、顔立ちも整っており、まさに美少女といったところだ。

 そんな彼女と一緒にいると、つい見惚れてしまう。


 前世から美人であった姉だが、容姿が変わっても姉らしさは消えず衰えずといった感じで彼女の纏う雰囲気とヒロインの容姿も相まってさらに愛らしさに磨きがかかっていた。

 二卵性双生児であり、俺と姉は似ていたがそれでも姉の方が幾らか美人で周りからモテていた。まあ、そのことはどうでもいいけど……


 じっと彼女を見つめていると、それに気づいたアヴニールは俺の顔を見て微笑んだ。

 俺は慌てて視線を外すし、誤魔化すように紅茶を口に含んで飲み込む。




(それにしても、アヴニール側のメイドの視線が痛いな……)



と、俺はちらりとアヴニールのメイドを見た。


 確かに、あんな事があった後にお茶会なんて何か企んでいると考えるのが普通だろう。警戒するのも無理ない。しかし、せっかく姉と話せる機会が作れたのだ、二人きりにして欲しい。


 そう思っていると、アヴニールはメイドに指示を出した。

 すると、俺と姉の分のカップとポットを持ったままメイドたちはその場から離れた。

 それを確認した俺は思わず口を開く。


 さすが姉だ。まあ……勘の良い姉なら俺の考えなど筒抜けかもしれないが。




「久しぶりね……といっても、昨日ぶりなんだけど」

「久しぶり。空。あれからどうだった?」




 俺の言葉に、アヴニールは苦笑いをした。それと同時に申し訳なさそうなかおをする。


 俺と入れ替った後、アヴニールになった姉はシエロと一夜を共に過ごしたらしい。姉は顔を赤らめながらそれからシエロに甘い言葉をかけて貰っただの、結婚の話、未来についての話をされただの惚気られた。

 正直、俺には関係のない話だと思ったのだが、一応弟として聞いておいた方が良いと思い、聞き流していた。


 俺の反応が気に食わなかったのか、姉は頬を膨らませて俺を見る。




「ちゃんと聞いてるの!?」

「聞いてるって。良かった……幸せそうで」

「そう、幸せで……あっ」




 そこまでニコニコと話していた姉だったが、俺の言葉を聞いてハッとしたのか、見る見ると青ざめていった。

 そして、机に顔がつくぐらい頭を下げ謝ってきた。




「ごめん、ごめんね、ごめんなさい!」

「いや、空が謝ることじゃないって。それに、『チェンジ』を使ったのは俺だし」

「で、でも……」




 俺はそう言ってフォローするが、姉は納得していない様子で落ち込んでいた。

 どうしたものかと考えていると、俺の目の前にあるクッキーを食べた。


 サクッとした食感の後に広がる甘みと、ほのかに香るバターの香りが鼻腔を通り抜ける。そんな風に俺は気を紛らわしていたのだが、姉は納得いかないと机を叩き俺の両手に指を絡ませ額をコツンとぶつけた。




「チェンジ」




 そう姉が言うと、俺と姉が座っていた場所が入れ替り目の前にエルアーナの姿が。

 俺は瞬時に彼女が『チェンジ』を使ったことを理解した。




「何で」

「だって、もう十分幸せ感じたし、元々私はエルアーナとして転生したわけだからこれでいいって」

「何で、何で」

「海、いいの。私幸せだよ」




と、エルアーナの姿で姉は微笑んだ。


 俺たちは、前世悲惨な死を迎えた。父親の虐待を受け、殺されそうになったところ命からがら家から脱出しその道中でトラックに跳ねられ死亡したのだ。

 俺と姉が幸せだったのは二人でいるときだけだった。二人でいれば怖くないと。


 そして、『チェンジ』という俺たちだけの秘密の力で度々入れ替り、姉は俺を俺は姉を庇いながら生きてきた。痛いのが苦手だった情けない俺は、殴られるとき姉が俺とチェンジし彼女が痛みを負ってくれた。治るまでずっと姉は俺の身体に入り、逆に父親からの罵倒は姉の身体に入った俺が全部聞いて受けていた。


 そうやって俺たちは生きてきた。

 幸せなんて……なかった。




「……空は、空は幸せになるべきだ!」

「それは、こっちの台詞よ。海だって、幸せになるべきなの」




 俺と姉はお互い涙を浮かべながら見つめ合う。

 こんなこと言いたいんじゃなくて……もっと伝えたいことがあるはずなのに、言葉が出てこなかった。

 それでも、俺は姉に伝えたかった。




「空の好きな乙女ゲームの世界に転生できたんだ。これは、空のために用意された幸せなんだ」

「だったら、私は二人幸せにならなきゃこの世界を認めない。幸せになれない」

「……チェンジ」




 そう俺が言った瞬間、再び俺と彼女の位置が入れ替わる。

 俺が姉を見つめると、彼女は俺の手を握りしめ俺の目をじっと見つめる。

 そして、俺は姉の頬にそっと手を添えて優しく撫でた。




「こういうのは、俺に任せてよ。上手くやれるからさ」

「……海」

「国外追放か死亡エンドか。上等じゃん。ゲームみたいで、面白そうだし。破滅フラグ回避みたいで」

「……ゲームみたいって、ゲームの世界だもん」

「うん、そうだよ」




 でも、ここが今リアルだ。と俺はあえて言わなかった。


 姉を心配させたくなかったから。




「海……これだけは、お願い……死なないで。絶対に」

「ああ……、もし死にかけたらまずシエロを空が止めてよ」

「分かったわ」




と、姉は姉は嬉しそうな表情をして俺を抱き寄せてくる。俺はそれに応え、姉を抱きしめ返した。


 姉はもう一度言う。俺が幸せにならなければ、この世界を認められないって。

 俺が、幸せになれば姉も幸せになれる。でも、俺の幸せは姉が幸せになることだった……

 だから――――――――




(大丈夫……俺は上手くやれる)




 そう思い、他愛もない会話をした後、本来ならここで彼女を毒殺するというイベントが起きるはずだったが起きることもなく、彼女とは別れた。


 本当は、砂糖の中に毒が混ざっていたことを俺は知っていた。

 どうやら、この世界は俺を、エルアーナを悪役として成り立たせ殺したいようだ。

 そのこともあってか、俺はアヴニールをころしたい衝動に駆られてしまった。


 大切な姉なのに、と……俺は彼女が帰った後部屋に引きこもり一人息を殺して泣いたのだった。






*** 




「目が腫れてますが、大丈夫ですか?もしかして、シエロ王太子殿下の事を思って泣いていたのですか?」

「大きなお世話です。というか、前も言いましたけどもう王太子殿下の事何とも思ってないですから」




 アヴニールと茶会をした数日後、またアースが屋敷を訪ねてきた。

 俺は不在だと森の方で身を潜めていたのだがすぐに見つかり、屋敷に戻ろうとする俺の後をアースはついてきた。それはもう鬱陶しいぐらい。


 アヴニールと別れたあの日から、俺は悪夢に魘されるようになった。


 アヴニールを毒殺しかける夢、シエロに殺される夢。その繰り返しで精神が可笑しくなりそうだった。


 俺に、アヴニールを殺せと誰かが囁いてくるようで眠るのも起きているのも辛かった。そう、死にたいぐらい俺は追い詰められていたのだ。だから、俺の目の前にいる男にも八つ当たりしてしまう。




「ふむ……まあ、いいでしょう。話したくなければ、それでいいです。それより、ピュエゼアン嬢。先日のお話考えてくださいましたよね」

「…………」

「もしや、忘れてしまったんですか?それは困りますね。こちらはもう、貴方のサイン待ちなのに」

「……覚えてる」




 そう答えると、彼は満足したのか顔を明るくする。


 だが、誰も結婚したいとも婚約を受けるとも言っていない。

 それに、今はそんなことよりも呪いのように囁かれるこの「世界の声」をどうにかして欲しいと思った。

 ここは、あくまで乙女ゲームの世界で、俺はあくまでヒロインを立てるための悪役なのだと。そして、この世界での悪役は死という破滅が待っていることを。


 俺はこの数日で痛感した。


 大丈夫だと、姉にはいったが正直まいっている。このままでは、本当に呪いのささやき通りアヴニールを殺してしまうかも知れない。そう考えただけで眠ることもままならなかった。




「結婚の話、受ける気はない」

「何故でしょうか?」




 不思議そうに首を傾げるアースに対して俺は何も答える気にならなかった。

 此の男は、エルアーナの中身が彼女本人ではない事に気づいていた。なら、彼は俺の力になってくれるだろうか。

 俺が転生者だと、アヴニールを殺せと指示……囁かれていることを言えば助けてくれるのだろうか。


 そこまで考えて、俺はこの考えを全て流した。

 言ったところで、信じてもらえるはずがない。それに、此の男が助けてくれる保証なんてない。面白がって、笑うだけだろう。




「今日は機嫌が悪いのですね。分かりました。今日のところは帰りましょう」

「二度と来んな」

「冷たいですね。これでも、僕は貴女のことを心配しているんですよ」

「うるさい」




 俺は思わず怒鳴ってしまった。しまったと思ったが、もう遅いし訂正する気も無い。

 俺はそのままアースを無視してその場を立ち去る。背後で彼がため息を吐く音が聞こえた気がしたが無視だ。




「一つ、いいですか。ピュエゼアン嬢」

「…………」

「僕は気が長い方ではありませんし、何でも許せる広い心の持ち主でもありません。ですから、これ以上冷たくされると……」

「何だよ」

「殺したくなってしまいます」 




 ゾッとする声音で言われた言葉に俺は背筋が凍った。


 振り返ると、そこにはいつもの笑顔を浮かべているアースの姿があった。けれど、目だけは笑っていなかった。その目は本気だ。


 だが、俺はその言葉を聞いて乾いた笑いが漏れた。

 そんな俺の姿にアースは眉をひそめる。




「ハハッ……!」

「何が可笑しいんですか?」

「いいや、いいや……うん、そうだな、そうね。ねえ、本当に人を殺したいって思ったことある?」




 俺は、彼に問いかける。すると、彼は少し考える素振りを見せた後、冗談ですよ。と肩をすくめた。




「ピュエゼアン嬢、どうか気分を悪くしないで下さい」

「……私はある」




 俺は、そう吐いてアースを見た。


 正確には、殺したい。と言うよりかは、殺せと洗脳されていると言った方が正しいか。


 それを聞いて、アースは目を大きく見開いた。




「それは……それは、面白い冗談ですね」

「冗談に聞こえるなら、耳を切り落とした方がいいと思う」




 俺がそういうと、アースは今まで見たこと無いほど真剣な顔で俺を見て、それから俺の肩に両手をのせた。

 紅い瞳と目が合いその瞳には虚ろな瞳で生気を失った俺の顔が映っていた。




「ピュエゼアン嬢」

「……もうすぐ、王太子殿下の誕生日があります。その時、私がアヴニールを殺そうとしたら……その時は、私を殺してください」

「何を言っているんですか?冗談はやめてください」

「冗談じゃないです。私が彼女を傷つける前に……『俺』を殺して」

「……ッ」




 俺はそれだけ言うと、アースの手を振り払って屋敷の中に入った。そして、自室に戻ると鍵をかけてその場に座り込む。


 今更ながら、自分の発言に後悔した。あんなこと言って、どうするんだろう。

 俺は、泣いたら負けだと思ったが溢れた涙を止めることは出来なかった。

 今も耳元で、無機質な声で誰かが言うのだ。



 アヴニールを殺せと。

 アヴニールが憎いだろうと。



 お前が幸せにアヴニールは、アヴニールを殺さなければならないと。それが、お前の幸せだと。

 そう、俺の耳元で。




「……誰か、助けて……」




 俺の声は誰にも届かず消えていった。

 間近に迫った王太子の誕生日に、出席することは確定していたので今更もうどうしようもない。

 不安と恐怖だけ抱き、俺はその日を待つこととなった。





***




 煌びやかなドレスに身を包んだ貴族、眩いシャンデリア。


 何度かきたことある皇宮も、今日はよりいいっそ輝いてい見えた。

 王太子の誕生日というだけあって、招待客も多く、俺は挨拶をして周りながらパーティーが始まって一時間後、ようやく一段落ついた俺は飲み物を貰おうと辺りを見回した。

 すると、会場の端の方に見覚えのある姿を見つけた。


 それはアースだった。


 彼と目を合わせないようにと視線を逸らしたが、あちらは俺の存在に気づきゆっくりと近づいてくる。逃げるにも部屋の端にいたため逃げ場をなくし俺はアースと対峙することとなった。


 美しい銀髪は、シャンデリアの光を浴びてさらに輝きを増していた。

 彼は、普段着ないような正装をしているせいかいつも以上に大人っぽく見える。それに、彼の纏う雰囲気が、どこか近寄りがたいものになっていた。


 まるで別人のようなアースの様子に戸惑っていると、彼が口を開いた。




「もう体調は大丈夫ですか?」

「……ええ、まあ」

「化粧で隠さなければならないほど、隈が酷いのによくこれましたね」

「皮肉か?」




 相変わらず、良く回る口だなあと感心しつつも出会い頭に突っかかってくるのはどうかと思う、と俺はアースを睨み付けた。


 勿論、そんな睨みに怯える様子を見せることもなくアースは優しく笑って見せた。


 いつもの嘲るような、馬鹿にするような笑いではなく本当に優しい笑顔だ。

 なんだか気味が悪くなって、俺は思わず目をそらしてしまった。


 すると、アースはそんな俺の顎を掴んで無理やり上を向かせる。

 強制的に目を合わせることになった俺は、またあの紅い瞳に吸い込まれそうになったがなんとか耐えた。




「何?」

「いえ……今日の主役でもないのに、こんなに美しく飾られている貴女に見惚れてしまいました」

「お世辞……それに、普通に褒めることも出来ないのか?」

「口が悪いですね。これでも、褒めてるんですよ」

「どうだか……」




 アースの言葉に俺はため息を吐く。すると、アースはクスリと笑った後、俺の目尻を親指で撫でた。

 その行動の意味がわからず、俺は固まってしまった。




「昨夜も泣いていたのですか?」

「…………」

「あれから、貴方のことばかり考えていました。何で貴方があんなことを言ったのか……」

「………」

「何故、あの日……殺してだなんて言ったんですか?」




 その問い掛けに俺は答えられなかった。

 ただ黙って俯いていると、アースが俺の手を取った。




「僕の目を見て答えてください」

「……嫌」

「そうですか……」




 俺が答える気がないと悟ると、アースは俺から手を離した。 


 まあ、そうか。


 自分に興味を持たない人間にこれ以上付合っていられないか……

 そう思うと同時に、俺は何故か失望に似た感情と悲しみに襲われた。



 ……なんで?どうして、俺は今落胆しているんだろう。



 別に悲しむ必要なんか無いはずなのに。

 それどころか、喜ぶべきことじゃないか。嫌いな相手に付きまとわれずに済んで。それでいいじゃないか。

 そう言い聞かせるのに、何故か涙が溢れそうになってくる。この間感情は何だろうか。




「すみません、俺……私、外の風に当たってきます」

「待ってください」




 俺が慌てて部屋を出ようとすると、アースに引き留められた。

 振り返れば、真剣な表情をしたアースが俺を見つめていて、俺は思わず後退りをしてしまう。




「……なんですか?」

「僕は、ピュエゼアン嬢のこと……エルアーナの事好きですよ」

「そう、ですか……それは」




 俺はそれ以上言葉が出てこなかった。 


 嬉しいのか、気持ち悪いのか。感情が一つにまとまらない。


 そうして、暫く見つめ合った後俺は逃げるように会場を去った。






***




 皇宮の静かな廊下で、俺は一人立ち尽くしていた。


 今更ながら、さっき言われた言葉を反すうする。

 彼は、一体何を思ってああいったんだろう。


 俺には理解できなかった。

 本当にアースは、俺のことを好きなんだろうか。


 わからない。

 そもそも、アースは俺を好きだと言ったが俺はどうなのだろう。


 俺にとって、アースとはどういう存在なのか。俺は、彼のことが苦手だ。それは確かだったはずだ。



 でも今は違うような気もした。



 しかし、俺は男だ。今まで好きになったのは女性だし、きっとアースもエルアーナの容姿に惚れているだけだ。中身が男だと知ったらどうなるのだろうか。きっと幻滅するに違いない。もし、仮に俺に好意を抱いていたとしても全てそれが崩れ去ってしまうかも知れないのだ。



 まあ、俺にとってはどうでもいい……いいことなんだ。

 そう言い聞かせ、俺は耳を塞いだ。




 気を抜くと、アヴニールを殺したいという衝動に駆られてしまう。もう、十分挨拶をしたし帰ろうかと考え始めたその時だった。

 ふと視線を逸らすと、視界の端に桃色が見え俺はまさかと壁に手をつき顔を上げた。




「海ッ……!」




 そう俺の名前を呼んでこちらに走ってくる、桃色髪の少女の姿。

 彼女は俺の前で急停止すると肩を大きく上下させ、荒い呼吸を繰り返していた。


 そして、ゆっくりと深呼吸をして息を整えると口を開いた。

 その様子はとても可愛らしくて思わず微笑ましくなってしまったが、すぐに俺は顔をしかめた。




(来ちゃダメだ、空……!)




 そう叫びたくても、何故か声が出ず俺はアヴニールを睨み付けるように目を細めた。

 俺の行動に驚いたのか、アヴニールは不安そうな顔で俺に触れようとしてきた。俺が会場を出て行った後、心配になって出てきたらしい。


 アヴニールは俺の肩に手を置き、大丈夫かと俺の顔を覗こうとしてきた。今触れたら不味いと、その手を避けようとした瞬間、俺は突然身体の自由がきかなくなった。




「海……?どうしたの、海……?」

「そ、ら……逃げて」

「何?聞こえない……きゃッ!」




 俺は無意識に彼女を強く押していた。


 その拍子に、アヴニールは尻餅をつき倒れ込む。そんな彼女を、俺は上から覆い被さるようにして押さえ込んだ。




「海、どうしたの!?海ッ……!」

「貴方のせいよ。貴方のせいで、私は殿下から婚約破棄をッ……!」




 そう言った俺の言葉を行動を信じられないというように、アヴニールは目を見開いた。


 その瞳は潤み今にも涙があふれ出しそうで、俺はグッと下唇を噛んだ。

 しかし、どれだけ叫ぼうとしても彼女から退こうとしても動けず、思ってもいない事が口から飛び出す。




「貴方さえいなければッ……!私は、私は幸せに!」




 彼女の首元を掴み締めると、苦しそうに彼女が喘ぐ。その姿を見たくなくて、俺は必死の抵抗を死自分の手を離した。

 解放されたことで、大きく咳き込みながら床にへたりこむ彼女に俺は拳を振り上げた。


 駄目だ。やめろ。これ以上、姉を……空を!




「貴様、何をしているッ!」




 振り下ろした腕を止めたのは、聞き覚えのある声だった。

 それは、血相を変えて飛んできたシエロの姿だった。シエロは俺とアヴニールを見るなり俺を突き飛ばしアヴニールを抱きしめた。


 もう、大丈夫だ。安心しろと言わんばかりに優しく背中をさする姿に、俺はよろめきながら立ち上がり、呆然と眺めていた。


 そして、シエロはアヴニールを守るように抱きしめ俺を殺さんとばかりに睨んできた。



 しかし、俺は何故か恐怖を感じなかった。



 恐怖より、失望、失望よりそれが運命なのだと受け入れ、妙に落ち着いていた。




「殿下が悪いんですわよ。私を選んでくださらなかったのですから」

「貴様が、ここまでする女だとは思わなかった……」




 そう言って、腰に下げていた剣に手をかける。




 ―――――――― ああ、知っている。




 アブニールは、シエロの腕の中から抜けると俺を見た。口をパクパクと動かしながら、信じられないというような表情でこちらを見ている。


 見たことある光景。悪役の断罪シーン。




「殿下は……その剣で私を殺すのですか?」

「……」




 シエロは何も答えなかった。

 元婚約者であるエルアーナ、しかし今は愛する人を傷つける悪女。


 シエロの覚悟は決まっているようだった。

 俺は、ハンッと鼻を鳴らす。




「いいですわよ。愛しい人に殺されるなら……それもまた、良いでしょう。貴方は生涯私を殺した事を忘れないでしょうから……いいですわね、貴方に殺され貴方に一生忘れられない傷を付けれるのですから。私は幸せですよ」




と、俺はシエロに微笑んだ。



 これは、俺の台詞じゃない。

 エルアーナの最後の台詞だ。



 自分が死ぬ事で、シエロに永遠に残る傷をつけることを。思い人に生涯消えない傷を付け覚えていて貰うことに、思い人に殺されることを幸せを感じると。 



 狂っている。



 俺は、思った。姉がゲームをしている時、画面越しにエルアーナを見て。

 だが、俺はそんな狂った現場に狂った本人の身体からその光景を今見ているのだ。




「……それが、最後の言葉か」




 ふぅ……と呆れたように息はいたシエロは剣を抜き俺の喉元に向けた。


 そして、俺はそれを黙って見つめた。

 今すぐにこの場から逃げ出したかった。しかし、そんな俺の思いとは裏腹に身体はピクリ共動かない。金縛りにでも遭ったかのように。


 アブニールの方も俺と同じように何か訴えようと口を動かしているが声が出ていないようだった。

 その間にも、シエロは覚悟を決めたかのように剣を大きく振りかぶっていた。

 だから俺は目を閉じた。




(さようならだ、空……)




 そう、俺の方も覚悟を決めたときだった。もの凄い早さで、こちらに向かってくる足音が聞こえたからだ。




「待ってください殿下!」




 聞こえてきたのは、聞き慣れた声。

 それは、俺のよく知る声で。その声を聞いた瞬間、俺は身体の自由を取り戻し振り返りそちらを見た。




「アース……」




 無意識的に、その名を俺は口にしていた。


 俺も、シエロもアブニールも。ここにいる全員が彼の登場に驚き、彼を見ていた。

 そんな視線などお構いなしに、アースはシエロを睨み付け剣をおろすよう言っていた。




「貴様もこの女に脅されでもしたか」

「いいえ、彼女を救いに来たんです。そうですよね、ピュエゼアン嬢」




 突然話を振られた俺は、どう答えれば良いのか分からずアースを見た。

 アースは大丈夫だとでも言うようににこりと笑うと、再びシエロと対峙する。




「彼女は何者かに操られています」

「何?」

「ソレイユ嬢を殺さなければ死んでしまうという呪いに」




 そこまで言うと、アースは俺の前に立ち俺を守るようにシエロを見た。


 シエロは、その言葉を聞いて嘲笑していたが、片手で顔を一掃するとその蒼い瞳でアースを睨む。

 二人は親友同士だと聞いていたが、この状況ではにわかには信じられない。


 そんな二人に庇われながら、俺とアヴニールは顔を見合わせた。何が起こっているのか俺もアヴニールも理解できず、ただ顔を合わせ目で訴えるしかなかった。

 そして、俺はアースの言葉を思い出す。




『アヴニールを殺さなければ死んでしまうという呪い』




 それは、まるで人魚姫の物語のようだった。愛しの人を殺して生きるか、殺さず泡となり消えるか……

 だが、俺に待ち受けているのはどちらにしても死のみである。


 そんなロマンチックな話じゃない。


 そんなことを考えながらぼう……としていると、不意に意識を乗っ取られるような感覚におそわれ俺は頭を抱えその場にうずくまった。




「エルアーナ……?」




 その名前を呼んだのアースだった。

 アースは俺に近づき、心配するように肩に触れたが俺はその手を払いのけた。


 触れられたくないと思ったわけではない。


 俺は、ありがとうの一言を言う前にアースを突き飛ばし懐にしまっていたナイフを取り出しアヴニールに向かって突進した。そのナイフは、いつの間にかドレスの中に隠されており、自分でも気付かぬうちに取り出していたようだ。




「きゃあああッ!」




 そして、そのままの勢いでアヴニールの首元めがけて突き刺そうとした。

 しかし、その刃はアヴニールに届くことはなく、シエロによって止められてしまった。鮮血が飛び、俺は切り裂かれた肩を押さえる。



 痛い。熱い……!



 だが、痛みより怒りの方が勝っていた。


 シエロにではなく、自分にだ。

 こんなにも簡単に洗脳されてしまうなんて。自分の不甲斐なさに腹が立ち、それでも俺の目は心は目の前のシエロに殺意を抱く。



 ポタリポタリと紅い絨毯に血のシミが出来、くらくらと頭が回るというのに俺の手から銀のナイフが離れることはなかった。そこに張り付いているかのように。




「く……そ……」




 殺せ、今すぐ殺せと頭の中で誰かが指示を出す。


 それは、一人から二人に、そしていつの間にか大勢の人間に囲まれているかのように頭の中で鳴り響く。



 俺は必死に自我を保ちながら震えるナイフをアヴニールに向けた。

 彼女の顔は、驚きと恐怖で支配されその美しい瞳からは涙が止めどなく流れていた。 

 ああ、そんな顔をして欲しかったわけじゃないんだ。




「ハハハハッ!」




 俺の高い声が、廊下中に響き渡る。


 シエロは眉をひそめ剣を握り直し、アヴニールは震え何かを訴え、アースは驚きを隠せずただ黙って俺を見ていた。

 そうして、一生分笑った頃に俺はピタリと動きを止めアヴニールに笑顔を向けた。




「……海……?」

「空……ごめん、幸せになって」




 そう言い残し、俺は震える手でナイフを握りしめ自分の胸に突き刺した。

 その刹那、視界がぐわんと歪み前へと力なく倒れる。胸から温かい何かが流れ、徐々にそれらの温度を感じなくなっていく。




「チェンジ!チェンジ!何で、何で入れ替らないのよ!」




 誰かの叫び声が遠くで聞こえ、誰かが自分の身体に触れ支えているのだけが分かった。

 しかし、誰が何を叫んでいるのか俺の耳には聞こえない。 


 最後―――、


 白む視界の中で見えたのは、顔をぐちゃぐちゃに歪ませたアヴニールと初めて見るアースの泣き顔だった。




「は……は……不細工な顔」




 俺は、アースの頬に手が触れる前に意識を手放した。






***




「……ん」




 眩しい光で目を覚ます。俺は、一体どうなったのか。


 ゆっくりと起き上がると、そこは知らない部屋だった。

 ベッドや机があるところから、おそらく寝室だろう。窓の外は明るく、太陽が真上にあった。




(あれからどれくらい時間が経ったんだ?)




 俺が身体を起こし、暫くすると視界がクリアになり頭も徐々に冴えてきた。


 確か、俺はあの呪いのような囁きに逆らって自分の胸をナイフで……

 思い出すだけでも身体が震え、あの痛みと悲しみが一気に押し寄せてきたが、俺は頭を左右に振り気を取り直そうと深呼吸をした。



 その時だった。


 ガチャリと扉が開かれ、扉の前にはアヴニール、アース、シエロの三人が立っていた。三人とも目を見開き俺を見た後、アヴニールは、俺が起き上がっていることに気付くと慌てて駆け寄ってきた。


 そして、思いっきり俺を抱きしめるとわんわんと子供のように泣き出した。




「馬鹿ッ!馬鹿……馬鹿……もう目覚めないかと思った……」




 その言葉を聞き、俺はアヴニールを優しく抱き返した。

 背中をさすってやるとさらにアヴニールは大声で泣いた。




「ごめん、空……」




 口からは、ぽつりとそんな謝罪が漏れた。

 しかし、そのごめんでは、アヴニールは納得しないのか、もっと謝って。と俺にせがんでくる。

 抱きしめられて気づいたのだがやはり胸のあたりがズキンと痛む。




「エルアーナ嬢……」




 そう俺の名前を呼んだのは、アースだった。


 アースが俺の名前を呼ぶと同時に、アヴニールは名残惜しそうに俺から離れていった。

 そして、彼女と入れ替るようにしてアースは俺の側に寄り、手を握った。



 俺が不思議そうな顔をしているとアースは、安心したようによかった。とこぼす。

 その笑顔があまりにも優しく柔らかくて、俺は自分でも気付かないうちに涙を流していた。つぅ……と頬を伝って流れる涙を、アースは指先で拭うと、少しだけ微笑みを浮かべる。




「クレセント公爵様が、貴方のことを助けてくれたのよ」




と、シエロの隣にいたアヴニールは言って、アースに頭を下げた。


 俺は、それを聞きアースを見る。

 彼の紅い瞳と目が合い、思わず目をそらしてしまった。




(何か、此奴輝いていないか?)




 気のせいかも知れないが、アースを見ると心が温かくなるような、違う意味でズキンと胸が締め付けられる感覚におそわれた。

 その感覚が、その痛みが何なのか探ろうとしていると、シエロが口を開いた。




「すまなかったな」

「婚約破棄のことですか?」




 そう俺が尋ねると、シエロは黙って首を横に振った。


 しかし、何に対しての謝罪であっても俺は彼を許す……好きになることはもうないだろう。

 生きているとは言え、洗脳されアヴニールを殺そうとしたが、こっちも殺されかけたのだから。シエロを見ると、自分が殺されそうになったことを思いだしてしまう。


 俺は、俯き口を閉じた。

 そんな俺の心中を察したのか、シエロは頭を深く下げもう一度、すまなかったと繰り返した。




「頭を上げてください。殿下」

「……元婚約者とはいえ、お前の話を聞こうともしなかった。お前が悩んでいることも何もかも気づかなかった。本当にすまなかった」

「……もう、もう終わったことです。気にしていません」




 俺は、そう言い切ったが、心の中はぐちゃぐちゃで今にも崩れてしまいそうだ。

 しかし、これ以上何かを言うつもりはないし、謝罪を求めるつもりもない。


 この男とはもう会いたくない。ただそれだけだ。


 俺は、ちらりとアヴニールを見る。彼女は、俺の視線に気づいたのかぎこちない笑顔を浮べる。

 よほど心配していたのか、困り眉で口は何か言いたそうにもごもごとしていた。

 そんな彼女を見て、心配性は健在かと思わず笑みがこぼれる。


 そして、もう全て終わったんだからそんな顔をしなくてもいいと彼女に微笑み返した。




「シエロ王太子殿下」

「……何だ」

「アヴニールと幸せになってください。勿論、アヴニールの幸せが優先ですよ?彼女を泣かせることがあれば、私は容赦しません」




 そう言うと、アヴニールは顔を真っ赤にして恥ずかしげに下を向いてしまった。

 その姿を見て、シエロはため息をつくと、俺の手を握る。

 そして、真剣な表情で俺の目を見つめてきた。




「約束しよう。これがお前への罪滅ぼしになるのなら」




 そういって、シエロは俺の手を離しアヴニールと共に部屋から出て行った。


 残ったのは、俺とアースだけ。

 二人きりになると俺はベッドから降りようとしたが、身体がまだ痛むことに気がつきその場に座り込んだ。

 すると、アースがすぐに駆け寄ってきて、俺を抱き上げると再びベッドへと寝かせた。




「まだ、安静にしていないといけません。傷口が開いたら……」

「助けてくれたんですね。改めて、感謝の言葉を申し上げます……ありがとうございます。公爵様」

「そんな……僕はたいしたことしてません」




と、アースは困り気味に微笑んだ。


 そして、また俺たちの間に沈黙が走る。

 もう、あの囁きは聞こえないのだとほっとしていると、アースは俺の手に自分の手を重ねてくる。その行動にどきりと心臓が跳ね上がる。


 しかし、アースは何も言わずただじっとこちらを見ているだけだ。

 俺は居心地が悪くなり、手を引っ込めようとするとその手を強く握られた。

 そして、ぎゅっと握りしめられる。




「何ですか……?」

「僕は貴方を殺せませんでした。ですが、貴方の中にいた本物の公女は殺せたと思います」




 アースはそう言うと目を伏せた。


 ああ、そういえば彼に『俺』を殺してと言ったのだが、彼は俺の中に居たエルアーナを完全に殺せたと言ったのだ。




「そうか……私が、本物のエルアーナでないことに気づいていたんですね」

「ええ、まあ……、あの日婚約を申し込みに行ったとき、貴方がピュエゼアン嬢でない事は一目で」




 その言葉に驚く。


 俺は、彼がその事に気がついているなんて思いもしなかった。確かに、疑っていたということは感づいていたのだが出会ったあの時から気づいていたのは驚きだった。


 それなら、どうして俺に婚約を申し込んできたのだろうか。

 だって、あんなにも俺……エルアーナのことを嫌っているようだったのに……




「ピュエゼアン嬢と会うのは毎回憂鬱でした。しかし、貴方とあったあの日、僕は貴方に興味が湧いたんです。ピュエゼアン嬢とはまた違う棘を持った貴方に」

「変わってるな」

「そして、いつの間にかそんな貴方から目が離せなくなっていた」




 そう言って、アースは俺の頬に手を伸ばし優しく撫でてくれる。

 その手の温かさがとても気持ちよくて、思わず目を細める。そんな俺を見て、アースは嬉しそうに微笑んだ。




「エルアーナ・ピュエゼアン嬢。改めて……僕の婚約を受けてくれませんか」

「……でも、貴方……、お前言ったよな。俺の中身が違うって」

「ええ、言いましたね。そっちの方が、気が楽そうなのでそのしゃべり方で結構ですよ」




と、アースは意地悪そうに笑う。


 その笑顔に腹が立ち、俺はアースを睨む。だが、そんな気もすぐに失せ俺はため息をついた。

 婚約……この間破棄されたばかりで、結婚など視野に入れていなかった。


 だって、俺は外見は女でも中身は男だし普通に女性が好きだから。

 そう思って、アースを見ると彼の周りにキラキラとパーティクルが飛んでいるように見えた。宝石のように。




「でも、俺……中身男だし」

「大丈夫です。恋に性別は関係無いので」

「……いや、そういう問題じゃなくて」

「では、何が問題なのですか?」




と、アースは少し怒ったような表情で俺に聞いてきた。



 その様子に俺は思わずたじろぐ。

 この男は話が通じないのか?と思っていると、突然唇を奪われた。

 あまりに急な出来事に頭がついていかない。


 待て、急展開過ぎる!




「ちょ、待て……おい、話を聞けッ!」




 そして、離れたと思ったら今度は抱きしめられてしまった。彼の胸板に押しつぶされ、息苦しさを感じる。




「前にいったじゃないですか。僕は貴方が欲しいって」

「それは、ただの好奇心だろ!好意でも恋でもない」

「そうかも知れませんね。そういう、貴方は僕達の関係に愛が必要だと考えているのですか?」

「俺がいた世界では、少なくとも愛は重視されていた」




 政略結婚はあったが、俺と空は庶民だったしお金よりも愛を自由をと求めてきた。


 だから、もしアースが俺に好意ではなく好奇心を向け、政略結婚的な恋人ではなくパートナーとして俺を求めているなら俺は婚約を蹴るつもりだ。

 夢を見すぎだと言われるかも知れないが、俺は愛なしの結婚は嫌なのだ。




「そういうことでしたら、ご心配なく。僕はエルアーナを愛してますよ」

「とってつけたように……」

「いいえ、本当です。好きでもない相手にキスなどしないでしょう?」

「……」




 そう言ってククっ……と喉を鳴らすアースを見て、俺は彼のことがやはり信用できる男には見えなかった。

 そして、今頃になって彼にキスされたことを思い出し、顔が熱くなる。心臓がばくばくして、うるさいくらいだった。


 ああ、もうどうなってんだよ……これじゃ、俺がアースのこと意識しているみたいじゃないか。


 断じて違う。と首を横に振りアースを見ると、彼は変わらず作ったような笑顔を貼り付けて俺を見ていた。




「それで、貴方の言う心配とは?」

「……は?」

「性別や愛以外に、心配していることを聞いているんです」




と、アースは言うと大きなため息をついた。


 そっちから聞いてきたくせに、その態度は何だと噛みつきそうになったが堪え俺は天井を仰いだ。

 此の世界では、女性の成人は18歳だったか。

 確かアースは21歳だったし……




「……俺、16なんだよ」

「え?」

「だから、この身体は18歳だけど中身、俺は!16歳だっていってんだよ!だからまだ、結婚できない!」




 そう叫ぶとアースはポカーンとした顔をしていた。そして、数秒後理解したのか笑い始めたのだ。

 そして、ひーっとお腹を抱えながら笑っている。そんなに面白いか? こちとら真剣な話をしているというのに……




「そんなことを、気にしていたんですか」

「結構な大問題だと思うけど?未成年に手を出したって事になるぞお前」

「……それは困りますね」




 なんて、アースはまた笑う。

 そんな姿に俺は呆れながら、ため息をつくとエルアーナ。とアースに名前を呼ばれた。




「今度は何だよ?」

「2年……2年待ちます」

「……」

「そしたら、僕と結婚してくれますよね?」

「……俺の気持ちが変わらなければな」




 すると、アースは満足そうな表情をして再び俺に口づけをする。

 それを抵抗せず受け入れている自分がいて、俺は頭を抱えたくなった。


 だが、此の男……本当に2年も待てるのだろうか。


 気が変わったと、違う女性に婚約を申し込んだりしないだろうか。と何故か彼が飽きるのではないかという不安に駆られている自分がいた。

 俺は、2年彼に待たせることになるが、俺が2年の間に彼を嫌いになればそれだけのことである。


 今は、嫌い……ではないのだが。




「大丈夫ですよ。もう、離す気は無いので」

「……へ」

「ですから、僕の愛をこれから2年かけてじっくり教えてあげます。しっかり、外堀を埋めて逃げれないように……ね?」




 そう言って、アースは微笑んだ。その笑顔に俺は寒気がする。


 そして、その言葉に俺はとんでもない奴に好かれてしまったのではないかと後悔をした。

 でも、不思議と悪い気分ではなかった。

 


 しかし、双子の姉の空は幸せを掴んだが、俺が幸せを掴み心から幸せだと言えるようになるのは、まだ遠い未来のようだ。







ここまで読んでいただきありがとうございます。

もしよろしければ、ブックマークと☆5評価、感想など貰えると嬉しいです。


他にも、2作連載作品があるので読んでもらえると嬉しいです。



こそこそ話になりますが、エルアーナは『今』、アヴニールは『未来』と意味があります。

アヴニールからエルアーナにチェンジした、主人公の海君は未来……幸せを掴むため、今を生きる。そんな意味が込められています。


ここまでおつきあい頂きありがとうございました。



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― 新着の感想 ―
[良い点] 思ってたよりハラハラさせていただきました。 ドラマチックで良かったです。 [気になる点] 男女の双子は二卵性です。 二卵性だけどそっくり、くらいの表現で差し支えないと思います。
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