第5話・異形上陸
始め、祭りの出し物か何かだと注目を浴びていた。
ぶよぶよとした気味の悪い物体ではあるが、きっと何かを模してこんな形なのだろうと、誰もが楽観的に考えながら、『いつの間にかそこにいた何か』をネットに共有する。
どうやって運んできたのかは、どうも、川から荷揚げして土手沿いの道まで引き上げたようだということがわかっている。跡が残っている。最近数を増やしているらしい姿形もない野犬のものだろう足跡も、いくつも見えている。
ただ、そびえる。
ただ、たたずむ。
岩のような粘体。
『それ』が作り物ではなく、いや、例え作り物だとしても動きだせる物であると気がついたのは、太陽がちょうど天頂にかかり、影がもっとも短くなる時刻になってからのことだった。
念のために駆けつけている警察や、回転灯を回すパトカーが止まっていたり、青い制服の警察官が調べていた直後のことである。
『それ』は動いて、目を開いたのである。
巨大な目は、物体に対して不釣り合いなほど巨大であり、どこかイカの目のような……一つ、花が開くように現れた目は直前の警察官を写しこみながら、すぐさま数十の目玉を次々と開く。
「なんだ?」
本東地勇希は昼食の準備を──ネギトロだ──していると、外の騒がしさが気になる。尋常ではない雰囲気を感じる。窓から見れば、誰も彼もが逃げるように走っていた。
事件だ、勇希は直感する。
狂乱したように走る、走る、走る人の群れ。
遠くでも声は届いてきた、異常を告げている。
「毒ガスだ!」
「殺される!」
テロか、ガスマスクなんて家には置いていない。
勇希は避難したほうが良いと考えて、財布とスマホ以外は着の身着のままに、家の鍵を仕掛けて外へ出た。固い靴紐のブーツにエプロンというミスマッチな姿で、正気の状態とは言えない人々を見る。
皆、極度に怖がっていた。引きつったような顔、目を大きく開いて、ただ前にだけ走り続けている。
ことり、ことり、壊れた義足を引きずる人が遅れていた。
「大丈夫か?」
「す、すみません、壊れてしまって、上手く──」
「いい。背負うから義足持ってろ」
「は、はい!?」
「ほら早く!!」
勇希は義足の人を背負って走る。少し重いが、数十キロメートルも走るわけではない。ひとまず逃げれば、すぐに終わるだろう、解決するか、そうでなくても大きく拡大するようなことはないと、勇希は楽観している。気楽だと信じて足を軽くした、心臓を強くした。
視界の端でぶらぶらと揺れる義足には、何か、太く、長い針のようなものが貫いている。
「何が、あったんだ」
「わかりません……」
最近はそういうことばっかりだな、と勇希は肺に空気を入れる。死にもの狂いの一団はすでに背中を見せ、小さくなりつつある。喧騒が急激に遠のき、不気味な静けさの街に、荒い息遣いとブーツがアスファルトを引っ掻く走る音が嫌に響く。
「ぶよぶよとしたものが土手にあったんです。友だちと一緒に見ていて、動いて」
友だちはどうした、とは、勇希は訊けなかった。
パトカーがサイレンを鳴らしながら、勇希とは逆方向に急行している。普通の警察官が駆けつけてどうこうなる相手なのかはわからない。だが、少なくとも警察が気がついていて、現場に急行しているとわかった。
背負っている義足の人は、やはり、逃げていた多くの人と同じように酷く怯えているのだろう。服を強く握りしめ全身が固く強張っているようだ。
勇希は自販機にポケットの中のスマホを当てて、電子マネーでジュースを二本買う。目の前を過ぎたコンビニには店員がいて、イヤホンをつけたまま漫画を立ち読みする客が残っていた。
声をかけるべきなのか?
いや、今は背中を優先するべきだ。
助けたのだから、最後まで助ける。
勇希は義足の人にことわって、持ち直した。
「すみません、ジュースまで買ってもらって。粒入りオレンジですか」
「嫌ならこっちのナタデココグレープもある」
「いえ、好きです。ありがとうございます」
勇希は口調の固さに笑いが苦くなる。不審なおっさんに背負われたのだ、無理はない。
「あの私は──」
「──いいよ、自己紹介なんて。さっさと忘れていいし、俺もお前のこと忘れるから」
「はぁ……」と義足の人は訝しんで顔を歪める。表情を隠せない人種らしい。
「イモガイみたいに銛を飛ばしてきたんです」
ぽつり、ぽつり、義足の人は何を見たのか話してくれた。
「目玉がいきなり何個も開いて、次の瞬間には、それの近くにいた警察官の人たちが串刺しに……びくびくと痙攣して、他にも手当たり次第に周りにいた人たちが襲われたんです」
「怪物だな」
「怪物、でした」
「信じられないでしょうが本当なんです」と義足の人は付け加えて、真実を補強する。だが、勇希は始めから荒唐無稽を疑ってはいなかった。そういうこともあるだろう、と、現実逃避よりも虚言にも寛容なのが勇希という男である。
嘘ならば良かった。
義足を打ち砕いた『銛』の現実は無視できない。イモガイの銛は有線であり、捕鯨砲のようなロープが付いている。だが、義足を打ち砕いた銛はまさしく銛が、何十メートルと飛翔するのだろう。重量もあり、毒があるのなら、危なかった。勇希は銛を抜かず、義足ごと捨てさせた。この毒が、どれほどで致死量になるのかまるでわからないからだ。
「家は近くなの?」
「お兄さん……」
「お前さんを届けるためだよ」
「新手のナンパかと」
少し、余裕が出てきた。良い傾向だろう。
「俺は既婚者だから」
物珍しい変なものを見にデバガメするくらいだ、義足の人の家は近かった。近過ぎたのである。