第3話・未知からの襲撃
本東地勇希は、一般的な主夫ほどは忙しくはない。
妻の静香が結婚祝いに義父に出資させたリフォームでスマートハウス化しているからだ。多くの家事がオートメーション化していて、家事の大半から解放されている。洗濯機は乾燥までしてくれるし、食洗機にはそのまま食器を突っ込めるし、インターネットの環境も整っているハイテクな家なのだ。見た目は、純和風の家で弓の射馬があるがハイテクなのだ。
「家主を追い出した一軒家なのだ。娘とは、静香とは上手くやっているのか」
本東地家の主である老父、本東地元治とその妻の春香だ。勇希の義父と義母であり、今暮らしている持ち主であり、ついでに言えば静香に追い出されて近所住みである。勇希としては息が詰まるくらいには緊張する間柄だと思っているらしい。
「元治さん」
春香がそれとなく……いや、元治の脇腹を指先で捻りあげながら黙らせて、
「最近は物騒でしょう? ほら、行方不明になっているお人が多いらしいじゃないの」
春香は心底から心配していると隠さずに、細い目と眉をハの字に困っているように傾ける。旅館の女将のような着物の袖からスマートタブレットを取り出せば、タッチパネルには既にネットニュースが写っている。
『霧の怪物が人間をさらう』
数十年前のオカルトみたいなニュースの日付けを見れば今日だった。行方不明、犯人不明の傷害事件、銃器対策部隊の急激な拡大などふおんは全て根っこで繋がっているとニュースの記事は書かれている。
「琵琶湖で怪獣があらわれたとか。仮にビッシーと名付けるのですが」
「お母さん、ネッシーは古いですよ」
「俺もそう思った──なんでもない」
ビッシーは大切なのだ。何故ならば、真っ先に名付けとして宣伝してビッシーの名付け親になれるからである。
「ビッシーが消えたのです」
「待ってください、お母さん。現れたのではなく消えた、ですか……」
「はい。正確には半潜水怪獣型ロボットなのですか」
「待ってください」
「ビッシーを作って放流しているのです」
「何をやっているのですか……」
「GPSもなにもかも信号が消失したのです。霧が琵琶湖を覆ったときですね。何人か行方不明になった、怪しげな霧の後日に失踪が判明しました」
お茶目なことを言いながら、春香の細い目はどこまでも真面目だ。
「気をつけてくださいね。本当に心配なのです。私と、ついでにコレは老い先も短く、タネも育て残りは全て余生ですが、婿殿と静ちゃんにはまだ子供もいませんもの。孫を抱けなくても、孫がいない世界というのは考えたくないものですね」
春香は机の上に、コンドームと妊娠検査キットという矛盾したお土産を置く。子作りの話とは羞恥ではなく、彼女には本気の大問題なのだ。
照れているのは夫の元治のほうで、言葉を濁しながら、話を逸らそうとしているが全て無視された。
「わたくしは、日本政府のようにぬるい少子化対策の重い腰ではありませんのでお覚悟を」
「少しは重石を付けて落ち着け、いい加減」
元治の顔が苦悶に歪む。
「静ちゃんはわたくしと同じで奥手だから……」
困ったと春香は悩むフリ。チラチラと勇希を見つめる目は、娘をヤレと語っている。赤裸々すぎる明け透けである。というより隠す気がないのである。
「ビッシーはともかく」と一周話題が遅れている感のある元治が、
「怪物がいるという話は多く聞く。怪物の正体が、熊であれ、野犬であれ、油断できるものではない。脅威である。静香は放っておいても犬を殴り殺せるだろうが、私は君のほうが心配だ。娘よりも婿の心配というのもおかしな話だが、君に死なれると静香は本当に壊れかねない」
「……はい」
「結婚は、静香への同情か?」
春香は口を挟まない。それは、結婚の報告に始めてやってきた日にも投げた質問である。そして、答えは決まっているのだ。
「いえ、違いますお父さん。自分が学生時代に静香を裏切ってしまったケジメで、それを言い訳に口説きました」
「まあそんなことはどうでもいいですが」と春香が関係ないいらない話しと受け流して、勇希はしおしおと萎れた。むごい。
銃声が立て続く。
日本では聞きなれない音が、やむこともなく響いた。すると一台の軽トラが、猟友会のオレンジのジャケットと猟銃を持つ人間を荷台に乗せて駆け抜ける。
「野良犬狩りて話しだったんだがな」
横山は愛銃の口を見た。
『犬のようなもの』に噛まれた傷は、金属のバレルを貫通して穴を開け、醜く、完全に曲げきっている。撃てない状態だ。軽トラには血溜まりがあり、フロントガラスにも蜘蛛の巣状のヒビ割れと生々しい血の跡が衝突事故……いや、轢き殺した獣を語っている。
「銃対の連中は?」
「すぐ後ろに──」
軽トラに続いて飛びだしたのは銃器対策部隊の装甲車だが、軽トラ以上におびただしい血で塗れている。
「しんがりには辛かったか!?」
荷台の上で仰向けに、跳ねる車体の中で猟銃に弾をこめた猟友会の面々は銃口を装甲車の後ろへ向けた。走行する車上から撃って当たるかなんて考えない。
銃対の装甲車は左右に蛇行して、取り付いている『人型』を振り払おうとしている。
犬……違う! 犬が二足歩行で、口に中華包丁のようなものを咥えるものか。噂の奇形人だ。話は本当だった。
「撃つな、撃つな!」
横山は揺れる銃口とスコープを、銃対の装甲車に張り付く奇形人に合わせたが、それはすぐに下げられた。どの道、バレルの状態からとても撃てる状態ではなかった。分厚いグローブの手は、ポンプアクション式散弾銃を使う南那伏だ。
特型警備車の空色の車体は乾いた血がこびりついている。ハッチを開いて、中に詰める隊員とサブマシンガンが吠えている。奇形人は一人、また一人と叩き落されるが、最後の一人まで目をギラつかせて決して離そうとはしなかった。
「なんとか撒けた、か?」
荷台の生き残りは、先程までの光景を思い出しながら胸を撫で下ろしている。異常に凶暴化した野犬の駆除、という要請だった。猟友会でも高齢化が激しく、少しでも若いのと頭数をで、横山や南那伏のようなライフルを使えない程度の年季のハンターも根こそぎ頼み込みで出動だ。何せ、当初予測だけでも五〇頭以上だと言われていたのである。
「タチが悪い。犬人間だ」
「平気か?」と横山は南那伏の肩を見た。
鉈で斬りかかられたとき、散弾銃を盾に挟んだが、そのまま肩を銃ごと打たれたのだ。ヒビが入っていてもおかしくはなかった。
「痛むけど、我慢できる」
南那伏の額には玉の汗が浮かび、苦しんでいるように見える。やはりただの打撲ではなく、ヒビか、折れている。
「あれは、なんなんだ……」
横山の疑問に答えられる人間など存在しなかった。少なくとも、今は……。