転移担当が老害おじさんだったけど、ちゃんと産業革命おこせるか心配です(1)
「飲みすぎた。飲まされすぎた。これだから社長はつらい」
椎名誠人は取引先工場から最寄り駅への帰路にあった。
彼の会社、(株)ファクトリーテックは湾岸の工業地帯に社屋を構える。
社長といっても従業員は全一名。
近隣のちゃんとした工場で使用される冶具やPCアプリの製作を行っている。
あるいは単純だが手間だけはかかるタイプのPCB設計の下請け。
あるいは話が長い割に要領を得ない素人の話を聞いて板金図に起こす下請け。
あるいは繁忙期にヘルプに入ってNC工作機械の操作。
あるいは宅配便では納期を越えそうな納品物の代理配送。
あるいは秋葉原に走って部品や部材の買出し代行。
要するに御用聞き&使い走り業務を行う会社だ。
かつて(有)椎名工業であった時代は、父親と数名の従業員がいた。
当時の従業員休憩室が、現在の誠人の住家となっている。
「ああ、もう駅か」
『思考加速』はフィクションのチート能力だが、思考減速であれば日本酒二合で現実化できるのか、などと益体のないことを考えながら改札を通る。
40歳を目前にして、やはり酒に弱くなった自覚が強まる。
長年連れ添った安全靴も、やけに重く感じるようになった。
『2番線を特急くろさわが通過します 危険ですので黄色い点字ブロックの後ろまでおさがり下さい』
◆
気が付くと、どこかの会社の打ち合わせスペースのような場所に着席していた。
対面に人は居ない。
周囲を確認するが、記憶にはない場所だ。
すると向こうのほうからスーツ姿の熟年男性が近づいてくる。
ジャケットの下にはベストを着ているが、ベストといってもウエストコートではない、くたびれたニットベストだ。
まったく出世せずに定年間際まで現場業務を続けてきたというタイプだろうか。
「ほうほう、あなたには私がそういうふうに見えているのですね?」
あーなんかすみません。
「ここはあなたの脳内ですので、思考と発話の境界が曖昧なのですよ。私は慣れているのでお気になさらず」
「やはり異世界転生ですか?」
「随分せっかちですね。一度お亡くなりになっていますし、肉体も再構成しますので、まあ転生ともいえるでしょう」
ついに俺にもこの時が来たか。
日頃から妄想していたのでテンプレは把握できている。
「あなたは神様ですか?」
「いえ、定年間際の現場担当ですよ」
「私に使命は課せられているのですか?」
「それはありませんが、期待されていることはあるでしょうね」
「それはお伺いしても?」
「対象人物選定は上職の職責ですので、残念ながら問い合わせ権限がありません」
「上職というのは神様ですか?」
「神様なんかいませんよ。交流事業局長です」
「交流事業というのは?」
「失礼な喩えで申し訳ないのですが、蛙の溢れた湖にブラックバスを移殖するような仕事です」
「言語理解は?」
「基本プランに含まれる『概念翻訳』というものになります。現在あなたが見聞きしている映像音声もそれを応用したものです」
「基本プランには他に何が含まれますか?」
「現地人程度の病原体抵抗力、現地人の衣服、架空の出自が含まれます」
「架空の出自ということは、本来のそれは秘匿せよと?」
「ええ、出来れば」
「ばらしてしまった場合は?」
「ペナルティを課す手段がありません」
「現地での生活手段は?」
「直接的な利益供与は禁じられているのですよ。当座の資金はすぐ得られるよう配慮させていただきますので」
自由意志を尊重するために買収に類する行為は禁止と言うことか。取調室のカツ丼みたいなものだな。
だが小事はいい。やっと本命の質問まで辿りついたのだ。
「能力は得られますか?」
「ええ、何点か候補が挙がっているはずなので、選んでいただけるかと」
担当者は空中にモニター画面を出現させると、指で操作を始めた。
角度があって見えにくいが、どう見てもWind○wsだ。
「ほう、あなたにはそういうふうに見えますか」
それキメ台詞か何かなのか?
「あなたには『ゴン術』が提案されていますね。他に候補はないようです」
ゴン術?
「ええ、陰陽五行の木火土金水の金ですね」
「お金を生み出す能力でしょうか?」
「それだったら是非みんなで習得したいですね。お金ではなく金属をいろいろ操作できる術です」
みんなででは意味ないだろうに。ユーモアのセンスあるな。
「あれ、でも行き先のほうが四大元素の世界なのでゴン術だとどうなのかな。すいませんちょっと確認させていただきますね」
ハズレ能力か?
「ああ、椎名様は1980年8月15日生まれですね。この年の干支は庚申になります。庚は『陽の金』、申も『陽の金』、旧暦7月も『陽の金』、日も庚申でおまけに金曜日ときましたか!」
十二支はともかく十干なんて気にもしたことなかったな。
「これだけの適性があれば、金属性の薄い世界でも問題ないでしょう。いやあ地球に魔法がなかったのが惜しいくらいの適性ですね」
経営のほうはさっぱりだったが、鉄工の仕事は天職だったということか。
異世界で『期待されていること』というのもそっち方面で頑張れということなのだろう。
「能力は選べませんでしたが、スペック調整ができますよ。防御力プラス、俊敏性プラスといったようなものです」
「どんな項目があるんです?」
「4069項目ほどありますので、大まかなご要望を伝えていただいて、自動で適用させていただく形になりますね」
それ絶対に4096項目の覚え違いだと思うんだが。
スペックね。
戦闘をするつもりもないし、身体のほうはいいか。
「ではゴン術でものづくりをするのに必要な現地知識や情報を知る力をプラス、という感じでお願いします」
「承知しました」
そう言うと画面下半分に見慣れたqwertyキーボード画面が表示され、おぼつかない手つきで入力を始める。
「えー、『gonjut』あれ、『gonju』あれ? また出ない……。すいませんちょっと確認させていただきますね」
担当者は目の前にある不可視の内線電話機をかけるような所作をする。
「もしもし、今ちょっといい? なんかまた日本語出なくなっちゃったんだけど。うん何もしてないのに。もう買い替えなきゃ駄目かなこれ」
なんとか日本語入力に変更できたらしく、操作を続ける。
「えーよしと、で『OK』押して。あれっ文字数制限か。一旦『クリア』して。えーとよしと、で『OK』と」
ん? 一旦クリアしたんだよね。二回目のOKまでが早すぎなかったか?
大丈夫かこれ。随分ざっくりした感じで入力されたんじゃないか。
「はい、お待たせしました」
これはあれか、老害おじさんというやつか。
あるいは電話機など本当に存在していなくて、そういうネタとして一人芝居を披露してくれていただけなのか。
「……もちろん後者ですよ」
あーなんかすみません。
「あと身体再構成のほうなのですが、」
「イケメンにしてください!」
食い気味で要求する。
「そういうのはちょっと難しいのですよ。人物像が変わるような変更をされますと、対象人物選定の根拠にそぐわない結果になりかねませんので。身長もお顔のほうも現在の偏差値のままということでお願いします」
顔面偏差値って人物像にかかわるほど重要だったのか。
「でも種族を選べますよ。人口順に中性人、獣人、穴居人、護樹人となっています。イケメンということでしたらやはりエルフかと」
「寿命も長いのですか?」
「ええ、龍人のほうがさらに長寿なのですが、彼らは手先が器用でないですし、他種族との折り合いが良くないので、椎名様にはお勧めしにくいですね」
「ではエルフでお願いします」
「純粋なエルフは個体数が少ないので、目立ちますよ?」
「じゃあ目立たない程度に中性人で薄めておいてください」
「なんか床屋の注文みたいな言い方ですね!」
この人は仕事は出来なさそうなのにユーモアのセンスはあるんだよな。
「……よく言われますよ」
あーなんかすみません。