88:おかえり
リリィの魔力回路にエレナの魔力が流れ込んでいく。セロの魔力とエレナの魔力が触れ合い、反発し合った。リリィが顔を歪める。
「リリィ、ごめんね。辛いよね。もう少しの辛抱だから……」
「……ううん。大丈夫っ、だよ。エレナと、これからも一緒にいるためなら、これくらい、我慢っ、できるよ……!」
強がって笑うリリィにエレナは唇を噛みしめた。しかしこうしている間にもリリィの身体が肥大化を続けている。つまり今のままでは完全にセロの魔力が優勢であるということ。今以上の魔力量をリリィに送る必要がある。……だがその時、エレナの手足からブチブチっと皮膚が破ける音がした。
「っ! ああっ! いつっ……」
痛みに歯を食いしばるエレナ。そんな彼女の中から焦る声が聞こえる。それはエレナの中に憑いている悪魔サタンの声だった。
【光! 君はもう既に限界以上の魔力量を出力している! このままでは君の身体がもたないぞ!】
「! そんな……」
しかし今のままではリリィの中からセロの魔力を追い出すことはできないだろう。だというのにエレナの身体が次々と悲鳴を上げる。ついには口内に血の味がじんわりと広がってきた。エレナは腕の中で不安げに己を見上げるリリィに気づく。
「エレナ、大丈夫っ?」
「……うん。リリィは何も心配しなくていいよ。私が何とかするって言ったもんね」
リリィの頭を優しく撫でながら、唇をぎゅっと締めた。そして覚悟を決めたエレナは心の中で悪魔サタンに語り掛ける。
(サタンさん。私はどうなっても構わない! だから今以上の魔力を回してくれる?)
【っ! そ、それは……無理だ! 君を死なせることになる! 君は私の光なのだ。絶対に私は君を失いたくないっ! 私を誰かを救うための手段として使ってくれる君に私がどれほど恩を感じているか分かっているのか……? そんな恩人を、私は、私は……!】
(お願い、サタンさん。私の弟を救ってほしい。今この瞬間、もう私の治癒魔法でしかリリィを救えない!)
悪魔サタンからの返事は聞こえない。しかし自分の中心からさらに大量の魔力が流れてくる感覚をエレナは確かに覚えた。口角を上げて、彼に礼を言う。そして、
「──癒せ! 癒せぇ!!」
呪文の追加詠唱。エレナの五感が曖昧なものになっていく。内臓からは嫌な音がした。だが、そんな彼女の献身があってか、リリィの身体の肥大化がピタリと止まる。それどころか元の華奢な身体へ戻っていく……。
(よし、この調子でいけば──っ、う……っ、)
……と、ここでエレナが口から大きな血の塊を吐き出した。リリィの顔が真っ青になる。エレナから離れようと足掻くが、エレナの腕が彼を離すことはない。
「エレナ! もう……っ、もういいよ! 治癒魔法を止めて! もう、リリィはいいから!」
「駄目。今ここでやめたら、私は意識を失ってしまう! そうなればそれこそ貴方をセロに奪われてしまうよ。絶対にリリィはあいつに渡さない……。やっと弟に信頼してもらえた姉の根性を、一番傍で見てなさい!」
「……っ!」
エレナはそう強がったものの、彼女の意識は既に虫の息であった。一瞬でも気を抜いたらセロの魔力に飲み込まれてしまうだろう。どうしよう、どうしようとエレナが焦っていると……突然、その肩にふわふわした毛玉の重みを感じる。
「──きゅーう!!!」
「!? え? ルー!? どうして!?」
エレナとリリィがポカンとしたところでルーがもう一鳴きした。するとどういうわけかエレナの身体まで治癒されていくではないか。彼女の破れた皮膚が修正されていく。エレナの魔力は全てリリィに回されており、彼女自身を治癒する余裕などないというのに!
「きゅ! きゅきゅきゅ!」
「ルー……貴女、」
ルーがエレナを激励するかのように鳴き続ける。エレナはそんな親友に強く頷くと、大きく息を吸った。これで最後だとばかりに声を張り上げる。
──癒せッ!!!!
太陽のように視界を奪うほどの強い黄金の光が大森林中を覆った。そしてそれが収まった時──リリィの額からポロリと深紅の宝石が現れて、粉々に割れていくのをエレナは確かに目にする。……と同時にエレナとリリィの身体が重力に従って地面へ落ちていった。魔王がそんな二人をしっかりと受け止めた。
「エレナ! リリィ! ……っ、ほんとうに、よかった……っ」
「ぱぱ……」
魔王の目玉のない目から涙が零れる。父の涙にリリィも感情が湧き上がってきて、嗚咽を漏らし始めた。エレナはそんなリリィの頬を撫でる。
「おかえり、リリィ」
「っ、」
「……あぁ、そうだな。おかえり、リリィ。我の愛しい息子よ──」
魔王の大きな腕が再びエレナとリリィを包み込んだ。
──が、まだ今回の一件は終わっていない。ドリアードの苦痛の声にエレナはハッとする。
「そうだ、森をどうにかしなきゃ!」
そう、禁断の大森林は未だに炎の海だ。このままではドリアードの存在が危ないだろう。エレナは既に限界を越えていたが、大切な友人の危機の中に気を失うわけにもいかなかった。魔王の腕から離れると、フラフラと歩きだす。
「エレナ、お前はもう歩けるほど体力がないだろう! 炎は我に任せなさい!」
「いいやパパ。パパだってリリィの爆発を二回止めた時に無理をしたんでしょう。あんなに何重もの闇魔法を使ったんだもん。今のパパがどうにかできる炎なら、既に消えているはずだよ」
「っ! そ、それは──」
エレナは状況を見渡した。水属性の魔族は大量の水を炎に吹っ掛け、炎属性の魔族は消火呪文を唱え、土属性の魔族はこれ以上被害が増えないようにと土の壁でなんとか被害を抑え込もうとしていた。しかし炎の渦の勢いが強すぎる。実は先程からずっと発していた魔王の闇魔法の黒霧も炎を打ち消し続けてはいるのだが、もう一手足りない。
……と、そうしている間にもせっかく魔族達が形成した土の壁が崩れていくではないか。悲鳴が上がる。
(まずい! このままじゃさらに炎が広がって──!!)
──その時、だった。
空から、グリフォンの雄叫びが響いたのは!
「エレナ!!」
二頭のグリフォンがエレナの頭上で舞う。そしてそのグリフォンからそれぞれ人影が原っぱに降り立った。エレナは突然の彼らの登場に思わず顔を輝かせる。
「ノーム! サラマンダー!!」
「すまない、遅れてしまった! 城を抜け出すのに苦労してな。ところで今はこの火災をどうにかしなくてはいけないということでいいか!?」
「……っ! うん……うんっ! ごめん、ありがとうぅっ!!」
涙まじりのエレナの声にノームがにっと笑った。
「気にするな。お前の守りたいものは余の守りたいものだ。どうせ今回もお前は無理したんだろう? 安心して眠っていろ。……サラマンダー! 後は分かるな!?」
「ちっ。はいはい。言われなくても分かってるっての!!」
ノームが呪文を唱えれば、炎の勢いにも負けない壁が周辺に生み出されていく。
サラマンダーが呪文を唱えれば、彼の手の中に次々と炎が吸い込まれていく。
そんな二人の勢いに激励された魔族達も二人に負けられないとそれを支援していく。
エレナはその光景を最後に、その場で気を失った。
頼りになる恋人と友人の登場に、ようやく彼女は力を抜くことが出来たのだった……。




