86:“弟”
リリィから放たれた大爆発は容赦なく魔族達に襲い掛かった。しかしそれが彼らに触れる直前──魔王の身体から闇が噴き出す。爆風が広がった闇の壁によって打ち消されていく。魔族達の歓声が上がった。
「喜んでいる場合ではない! 炎属性、水属性の者達はただちに消火活動を行え! 土属性の者は炎がこれ以上広がらないように壁を作るのだ! それ以外の者達はサポートを! アムドゥキアス及び竜人族はこの森周辺の村人の避難を頼む。これ以降の爆発は我が全て抑える! 安心してテネブリスに尽くせ!」
「──はっ!」
魔王の指示に魔族達が頷く。一方でエレナはというと、今にも飛び出しそうな所を魔王に抑えられていた。
「パパ! リリィが! 助けないと!!!」
「落ち着きなさいエレナ。あそこにいるのは──、」
「っ!」
エレナがようやくリリィの直下にいる人影に気づく。ベルフェゴールが恭しくエレナに礼をした。
「いやはや、こうして実際にお話しするのは初めてですかな、黄金の魔族姫様に魔王様。ご存知かもしれませんが、吾輩は悪魔ベルフェゴール。こちらは悪魔ベルゼブブでございます。以後、お見知りおきを」
「何がお見知りおきを、よ! リリィに何をしたの!? リリィを返して!」
「リリィ? ……あぁ、こちらの聖遺物の愛称ですね。では吾輩もそう呼ぶことにしましょう」
わざとらしく本題を話さないベルフェゴールにエレナは苛立ちを隠せない。そんなエレナを宥めるように魔王が後ろからエレナの両肩に手を置く。
「──それで、我の息子に何をしたのだ、悪魔ベルフェゴール」
「ふむ。流石魔王殿、随分冷静でいらっしゃる。そうですね、貴方達のリリィ様にはちょっとした宝石をプレゼントさせていただきました。我らが主の血の結晶をね。そしてもうすぐ彼は我々と同じ悪魔へ生まれ変わるのですよ」
「っ!? 悪魔って……っ、」
エレナが歯を食いしばり、ベルフェゴールを睨んだ。ベルフェゴールはそんなエレナの様子を楽しんでいるようだ。一方ベルゼブブはエレナという美味そうな肉を前に涎を垂らす。……が。
「──私の大切な“弟”になんてことしてるのよ! 貴方達が泣いて謝ったって絶対に許さないから!!」
「……!!」
──エレナのその言葉にベルゼブブがピクッと反応した。
「おと、うと……?」
ベルゼブブがリリィとエレナを交互に見ながら、動揺の表情を浮かべる。その様子にエレナは違和感を覚えた。
「そうよ! リリィは私の大切な弟よ! 貴方達は今、私の弟に酷いことをしたんだからね!」
「っ、おとうと……」
弟。その単語にベルゼブブは頭を抱える。遠い日の記憶が、ベルゼブブの脳内を占めた。それは、彼が初めて大罪を犯した記憶。つまり彼の生前の──
──『にぃ、ちゃ……』
腐臭。異常なほどの空腹。こちらに伸びる痩せ細った小さな手。しかしその手は自分に届く前に事切れてしまった。その時に生前のベルゼブブが抱いたのは、大切な家族を失った悲しみや悲惨な運命への憤り──などではなく──
──嗚呼、肉だ……。
──と、そんな貧困故の飢餓によって生み出された、食欲──。
「…………っ!!! うあ、あ、あああっ、」
「っ! ベルゼブブ……? どうしたというのです?」
「あ、あああ、あああ、ああ、あ、っ、おと、うと、おとうと、ああ、俺っちは、俺っちは──!!」
ベルゼブブの身体が一気に巨大化する。そしてぶわっと全身に黒く細かい斑の入った獣毛が生えだした。魔獣化。それは悪魔ベルゼブブ特有の能力である。しかし今、ベルゼブブの牙は天敵であるエレナや魔王ではなくどういうわけかベルフェゴールに向けられていた。
「が、あ、おと、うと、まも、る、まも、らなきゃ、おれっちは、おとう、と、くって、くいたく、なかったのに、しなせたく、なかったのに……!!」
「──ちっ! 生前の記憶による混乱状態ですか……! これはこれは厄介なことで!!」
魔獣と化したベルゼブブがベルフェゴールに襲い掛かる。エレナと魔王はそんな二人に唖然とした。
「え!? なに、なに!? 仲間割れ!?」
「そのようだな。エレナ、今のうちにリリィをどうにかしなければ」
「う、うん。そうだね。でもあの状態のリリィを止める方法が……」
「──エレナ、其方の治癒魔法でいい」
弱弱しい声がエレナの足元から聞こえてきた。エレナがそちらを見てみると、ルーの背中の上でぐったりしているドリアード。エレナは目を丸くする。
「ドリアードさん!? お城で安静にしててって言ったのに!」
「そういうわけにも、いかないだろう……。リリィの今の状況を我が透視しなければ……っ。エレナ、よく聞くんだ。リリィの中では今、リリィの魔力回路と悪魔の魔力が反発し合っている状態だ。もし悪魔の魔力がこのままリリィの回路に浸食してしまえば悪魔好みに作り替えられてしまうだろう。そうなる前に回路の強化と魔力の誘導を行う必要がある……あとは、分かるな?」
「っ! 分かった。私の力でとにかくリリィの魔力回路から悪魔の魔力を追い出せばいいってことだね!」
エレナはにっと口角を上げる。自分のやるべき道が見えたのならば、後は突っ走るだけだ。そうしてリリィの直下へ走り、リリィに手を伸ばした……。
「──リリィ!!」
「っ!」
「もう大丈夫、貴方の暴走を私が必ず止めてみせるから! 貴方の魔力回路を私の治癒魔法で導いてみせる! だからリリィ、私の胸に飛び込んできて! 貴方の家族を、信じて──!」




