100:リュカという青年
翌日。三限目の授業が終わるなり、リュカはエレナとサラマンダーにアイコンタクトをした。サラマンダーは興奮を抑えきれないでいるリュカに気づくと、やれやれと肩を竦める。
「リュカ、俺達はアンス先生に用事がある」
「わ、分かった! じゃあ学校の裏庭に小さなボロ小屋があるんだ。そこに来て!」
「うん、了解」
リュカはエレナがしっかり頷いたのを確認すると、満面の笑みで教室を去っていった。この一日で随分と懐かれたものだ。アンスがリュカの後ろ姿を嬉しそうに見守る。
「リュカと仲良くしてくださってありがとうございます。あの子はあのように魔導のこと以外にあまり興味を持てないところが欠点で……とってもいい子なんですがね。誰に似たのやら」
「それは確かに」
サラマンダーの返答にアンスはクスリと口元を緩めると、さっそく本題に入った。
「ベルフェゴールですが、やはり動きを見せませんね。年少、年中、年長クラスの担任に生徒達の動向を見張らせておりますが何も変化はないそうです。一体どこに潜んでいるのやら……」
「おそらくベルフェゴールは俺達の存在に気付いているだろう。近々何かしらのアクションを仕掛けてくるのは間違いない。ヤツの目的はおそらくこの学園の生徒達の生命力をセロへ捧げること。現時点ではそれしか考えられないが……それ一点に絞らないようにすべきだな」
「うん。とりあえず今の私達じゃあ何も出来ないってことだよね……」
悪魔の魔力を辿れる装置でもあればいいのに。エレナは心の底からそう思った。もしかしたら次の瞬間にもこの学校の生徒がまた犠牲になってしまうかもしれない。そう思うと、つい焦ってしまう。悪魔ベルフェゴール。彼の目的は一体何なのか。そもそも本当に彼がこの学園に存在しているのかすら怪しくなってきた。……いくら考えても分からない。唇を噛みしめる。するとサラマンダーがエレナの肩を叩いた。
「……リュカが待ってる。裏庭へ行くぞエレナ」
「! サラマンダー」
「そんな顔しても悪魔は出てこない。気を張っても仕方ねぇだろう。今はこの学園の生徒として、そしてあいつのクラスメイトとして、あの魔導馬鹿に付き合ってやればいい。そう約束してしまったんだからな」
「う、うん! そうだよね。本当はリュカ君以外とも仲良くなりたいんだけど、ジャック君との一件で皆口もきいてくれないしなぁ……」
そう、あのリュカとジャックの喧嘩からクラスメイト達は皆がエレナ達の存在を明らかに無視するようになってしまったのだ。おそらくクラスのボス的存在であるジャックがそう指示したのだろう。故に今はひとまずリュカと共に行動することにした。アンスは「ジャック君も困った子だ」と苦笑を浮かべる。そしてエレナとサラマンダーに頭を下げた。
「エレナ様、サラマンダー様。悪魔が動き出すその時まで、どうかリュカをよろしくお願いします。ろくに友人を作れない困った子ですがね」
「……はい!」
エレナの返事に安堵の表情を浮かべるアンス。その表情から彼のリュカへの愛が垣間見えた。エレナはそんなアンスになんだか微笑ましくなると、サラマンダーの手をひっつかんで教室を飛び出す。「さっそくリュカ君の所へ行ってきます!」とアンスへ言い残して。
***
リュカが待つ裏庭のボロ小屋は案外簡単に見つかった。アンスが管理している魔花畑の向こうにポツンと建っていたのだ。小屋のドアをノックすれば木の滓が散る。そして中から物音がしたかと思えば勢いよく開くドア。リュカが「いらっしゃい!」と興奮が滲む声を上げた。
「ど、どうぞ入って。この小屋はアンス先生からいただいた僕の研究工房なんだ。昔、アンス先生も先生の師匠達とここで魔導の研究をしていたんだって!!」
「うわ、凄い匂い」
小屋に入るなり、エレナは思わず自分の鼻を摘まんだ。この異臭はおそらく生物の血だ。つんとした生臭さに思わずサラマンダーも眉を顰める。リュカは慌てて窓を開け、小屋の換気を行った。室内に冷気が流れる。
小屋の中はとても散らかっていた。様々な本が開かれたまま床やテーブルに放置されており、一方で閉じている本は部屋の隅に積まれている。真ん中にはエレナの腰くらいの高さの鍋が置いてあった。どうやら生臭さはこの鍋の中身によるもののようだ。鍋の中には案の定真っ赤な液体。
「リュカ君、この血どうしたの?」
「ジャッカロープの雌の血。アンス先生は魔物も飼っているんだ。魔花の栽培に必要だからね。その血を分けてもらってる」
リュカは鍋をかき混ぜながら、指で血の温度を確かめる。丁度いい頃合いだと満足げな彼が首元に提げられていたマナ鉱石を鍋の中に落とした。
「エリザはこの温度の血を吸うと一番調子がいいんだ。あと好きな魔花の蜜の好みなんてのもある」
「そんなことまで分かるの!?」
「うん。エリザと出会ってから寝る間も惜しんで何回も何回も試したからね。途中でジャックに散々邪魔されたけれど、諦めないでよかった。……実は身体強化があんなに上手くいったのも昨日が初めてだったりするんだ」
リュカが頬をピンク色に染めて鍋を混ぜる。彼が言うにはエリザに出会ったのは丁度一年程前。アンスに拾われたのは十年前だというので、その間の九年はひたすらにランツァの森にて魔物を観察したり、呪文の元である神聖文字を解読したりしていたようだ。勇者になりたい。一見、ただの子供のような夢。だがリュカのそれは本気だった。リュカはどんなに結果が出なくとも、ほんの少しの進歩だとしても、邪魔をされたとしても、魔導への情熱を捨てなかった。その結果が今の彼に繋がっている。
(私は、リュカみたいに十年もずっと同じことに執念を燃やすことはできるかな……)
エレナは心の中でリュカの不屈の精神に舌を巻いたのだった……。
100話です。めでたい。ここまで読んでくださってありがとうございます。