森の精霊作戦
二人で考えた森の精霊作戦は、概ね上手くいった。アタシの村にも唯一神教よりも規模は小さいが、精霊信仰があったので、名前を借りれば信じてくれるだろうと楽観的に考えていた。
しかし村の猟師はあまり熱心ではなかったようで、言葉の節々からこちらへの疑いが感じられた。
それでも終わりよければ全てよしで、吸い殺したてホヤホヤのイノシシっぽい魔物を前払いで押しつけ、これ以上のボロを出す前に、そそくさと退散してきたのだ。
村の猟師もこちらの望み通りにすると言ってくれたので、交渉は成功したと言っても過言ではない。
「メアリーも一緒に来て良かったの?」
「一人でお留守番してても暇ー」
「だよねー」
逃亡生活も三日目になり、森の奥の古びた小屋に住みついたのはいいが、相変わらず生活用品の不足は解消されてない。
そのため人形の体でも大人以上にバリバリ動けるアタシはともかく、箱入り娘で十歳のメアリーにできることが、殆どなくなってしまった。
なので拠点を囲む光の結界の中でお留守番をするか、アタシに付いてきて交渉の経過を見に来るかの二択を、彼女自身に選んでもらったのだ。
そして今は村の警戒網に引っかからない範囲で、アタシとメアリーは身バレを防ぐために、適当な茂みに隠れて静かに様子を伺っていた。
丈の低い木の柵にで囲んだだけの村なので、その気になれば空から侵入し放題だが、盗賊のように勝手に盗む気はない。
「あの人がそう?」
「うん、昨日森で会った猟師さんだよ」
実際には姿を見せていないが、色々話した間柄だ。そんな彼は今大きな籠を両手で抱えている。
その中には思いつく限りの生活用品が、所狭しと詰め込まれていた。
「あー…具体的な種類や数量を指定しなかったから、気を使わせちゃったかな」
「次から気をつけよー」
「そうだね」
メアリーのフォローに同意し、アタシは重そうな籠をヒーヒー言いながら持ち歩く村の猟師の気遣いに感謝する。
もし次に物々交換の機会があれば、明確な種類と数量、そして分割指定にしようと心に刻んだ。
そうしている間にも彼は実際に重い荷物を持ったまま、えっちらおっちらと森に向かって歩いて行く。
アタシたちの隠れている茂みとは別方向なので、こっそり追跡を開始する。
「アタシたちも移動しようか」
「でも何で、猟師さんは一人だけじゃないのー?」
「わ…わかんにゃい!」
実は両手に荷物を持っているのは昨日の猟師だけなのだが、後ろには大勢の村人がゾロゾロ付いて来ているのだ。
どう考えても昨日のことが怪しまれているとしか思えないが、それでもこの数は異常だ。
十人以上も同行者を増やして、一体何を企んでいるのか。物々交換を姿を見せずに済ませるという目論見が、今この瞬間にあっさり瓦解してしまい、アタシは内心で大いに慌てるのだった。
<とある村の猟師>
村の寄り合い所に集まって相談した結果、森の精霊を名乗る女の正体が何者であれ、デッドボアを倒し、素材を提供してくれた事実は変わらない。
生活用品の種類と数は指定されなかったし中古で構わないなら、村で使わない物かいらない物を有効活用してもらおう。
なお初回だけではなく今後も物々交換を続けるかどうかは、正体を見極めてから対応を決めても遅くはないと、そのような結論に至った。
その際に対応するのは、交渉の窓口となる猟師の俺だ。一番危険な位置だがやりたがる村人が他に居なかったので、多数決で選ばれてしまった。
ちなみに精霊(仮)から受け取ったデッドボアは、外傷が一切なく最高品質だった。おかげで村で唯一の道具屋の家族は皆狂喜乱舞し、精霊信仰に目覚めたらしい。
冒険者ギルドならもっと良い値がつくのだが、死体が腐り始める前に町まで持っていくには時間が足りなかったので、解体技術が未熟な村の連中がバラすしかなかった。
「まあそれでも、村は十分に潤ったんだけどな」
相手は新品でなくても構わないと言っていたので、両手持ちの籠の中に中古や使う予定のない生活用品が、山程詰め込まれている。
運ぶのは俺一人なんだし、もう少し数を減らして軽くして欲しいのだが、良い機会だからとあれもこれもと押しつけられた。
その結果、かなりの重量になってしまい、真っ直ぐ歩くだけでも一苦労だ。
それでも何とか転ばないように慎重に歩いて森に向かい、正体を見極めるためにと、野次馬と好奇心、あとは暇な村人を引き連れて、ゆっくり進んでいく。
女の精霊が何者かは知らないが、振るう力は本物だ。きっと今も何処からか様子を窺っているに違いない。
「…この辺でいいか」
まだ村を離れて近くの森に入って数分程度しか歩いてないが、重い荷物を抱えての移動なので足腰がいい加減限界だった。
それにここなら鬱蒼とした木々に邪魔されて、村からではここの様子を伺うことはできない。
適当な場所に両手に抱えた大きな籠をゆっくりと降ろして、疲れた肩をトントンと叩き、大きく息を吐く。
「本当なら、黙って立ち去るべきなんだろうが…」
精霊を語る女の正体を知るべく、村人が大勢付いて来ているが、これは話し合いで決まったことだ。
もしかしたら怒らせてしまうかも知れないが、その場合は交渉役である猟師の俺が、誠心誠意謝るしかないだろう。許してもらえるかは別としてだが。
「…どうして、立ち去らないのですか?」
噂をすればで、何処からともなく謎の女の声が響いてきた。隠れる場所が多くて探しにくいが、ここはまだ森の入口だ。
木々や茂みも少なく、昨日と比べれば見通しが良い。そして俺は猟師の勘を信じて、ある一点に視線を向ける。
「すまない。俺もそうだが村の皆も、精霊様の姿をどうしても一目見たくなってしまったんだ」
「…そうですか」
静かに答えを返す女は比較的落ち着いているようで、いきなり激怒されることはなかった。
ホッと胸を撫で下ろした俺だが、精霊を名乗る女が隠れていると思わしき茂みは小さく、大人では体の部位の何処かが出てしまい、問題なく潜めるのは子供ぐらいだ。しかそれではまさか、本当にイタズラだったのか。
表向きは冷静に振る舞いながら、内心は大いに混乱してしまう。
「しかし、私は人前に姿を見せることは出来ません」
「それは何故だ?」
「私を狙う者がいるからです」
つまり誰かに狙われることを恐れて森の奥に隠れ潜んでいると、この女はそう言っているのだ。
それは国なのか、貴族なのか、果ては平民か恋人、または家族か友人か。
狙うのは命か、力か、地位か。わからないことだらけだが、彼女は詳しく説明する気はないようで、そこで黙ってしまった。
「俺たちが精霊様を狙っていると?」
「そうは言いませんが姿を見せれば情報が漏れて、追手に伝わる可能性があります」
彼女が人前に姿を見せないのかは、それを見た俺たちが他所に漏らすのを警戒しているらしい。
もし追われる身となれば警戒して当然だが、相手が隠そうとするほど、こちらの好奇心も大きくなってくる。
「俺たちは精霊様の情報を漏らしたりはしない。どうか信用して欲しい」
意味がないかも知れないが、身振り手振りでなるべく大げさに敵ではないことを表現して、精霊を名乗る女に優しく声をかける。
それからしばらく会話は途切れ、辺りは静寂に包まれた。
そんな状態が数分ほど続き、同行した村人たちがざわめき出した頃に、突如として彼女が隠れていると思わしく茂みが、眩しいばかりに光り輝いたのだ。
「これは…! 一体!」
俺はあまりにも眩しくて目を開けていることができずに閉じてしまったが、何人かの村人のどよめきが聞こえ、恐る恐るといった感じに薄っすらと開いていくと、信じられない光景を見てしまった。
「てっ、天使様だとぉ!?」
金色に輝く髪と透き通った青い瞳、白くて汚れのないみずみずしい肌、そして純白の翼をはためかせて空中に留まっている。
そんな天使様は、美しく幼い少女の姿で現界し、頭上に光輪を浮かべて、俺も含めた驚き戸惑う村人たちを、ただじっと見下ろしていたのだった。