邪神襲来
宰相の案内で謁見の間の前を守る騎士に大扉を開けさせると、入り口から玉座まで続く赤い絨毯が敷かれ、左右には既に大勢の人たちが集まっていた。
人間の貴族や商人、平民、さらに獣人族やエルフ、おまけに魔族まで居るので、本当に世界各国から代表が集まってきたのだと納得する。
「ではサーリア様、どうぞ前にお進みください」
引き続き宰相が前を歩き、後ろのアタシたちは赤絨毯を踏みしめて真っ直ぐに進んでいく。
正面に並んでいる二つの玉座にはそれぞれ国王と王妃が座り、すぐ側にもいくつか椅子が用意されており、そこには他の王族が腰を下ろしていた。ちなみに今回が初対面なので、全て想像である。
静まり返った謁見の間を真っ直ぐに歩き、玉座まであと少しというところで、国王が手をかざして宰相を止めた。
すると案内役の彼はこちらに一礼してから、背を向けて他の参列者の元に歩いて行ったので、どうやらこの位置で話をするらしい。
「お招きいただき、ありがとうございます」
アタシは堂々とそう告げたが、メアリーは頭を下げなかった。
頭髪とひげに白髪が交じり、身なりの良い服を来て王冠を頭に被った国王を、ただ真っ直ぐに見つめるのみだ。
「うむ、女神サーリア様。よく来てくださいました。国王として多大なる感謝を」
国王も全く動じることなく礼を返す。表面上は穏やかだが、実際には言葉の殴り合いだ。一国の王に平伏さないことで周囲の参列者がざわつくが、アタシには関係ない。
そのまましばらくの間、お互い一言も口を開かなかった。
そんな状態が数分ほど続き、やがて正面の国王が先に降参し、申し訳なさそうにこちらに声をかける。
「えー…申し訳ないのですが、サーリア様。…他には何か?」
「他にはと言われましても、何もありませんが?」
式典に来てくれと書簡を送られたからここまで来たのだ。他に何を言えというのか。そんなアタシの考えが伝わったのか、メアリーの表情筋がピクピクしており、エルフちゃんと辺境伯さんも必死に笑いを堪える。
国王やその関係者、そして参列者たちの顔が青くなるが、それでもアタシは平常運転だ。ただの村娘だった自分が気の利いた台詞を一朝一夕で思いつくわけもなく、まずは相手の出方を見て口を開くつもりだった。
「そっ…そうか。辺境から王都までの長旅で、さぞお疲れなことだろう。どうぞ王城でゆるりとくつろがれると良い」
「いえ、今朝家を出たばかりなので、全く疲れておりません。気遣いは無用です」
それを聞いた国王の顔が引きつるのがわかる。アタシとしてはせっかく遠出したのだから、早いところ挨拶を済ませて王都を見物したいのだ。
白亜の城はもう十分見させてもらったので、これ以上留まるつもりはない。
「それでは私はこれで、失礼させていただきます」
「さっ! サーリア様! それは困る!」
「何故でしょうか? 私は招きに応じて式典に出席した後は、自由にしても良いという契約だったはず」
書簡で約束したのは、国王の招きに応じて式典に参加する。当然謁見も含まれているので、たとえ今退場したところで既に契約は完了している。
白ひげの偉いおじさんは顔面蒼白になっているが、アタシには知ったこっちゃない。メアリーやエルフちゃんも、王都見物での買い食いやウィンドウショッピングを楽しみにしていたのだ。
ただ辺境伯さんは若干肩身が狭そうにしているが、これも外で気晴らしをすれば、すぐに元気になるだろう。
そんな何処となく重い空気が漂っている中で突然、第三者の声が謁見の間に響き渡った。
「確かに、今居なくなってもらっては困る」
おまけにその謎の人物が大声をあげただけではなく、城内や王都の魔素にも干渉したことで、謁見の間での会話は、城下町の民衆に丸聞こえになってしまった。
広域探知を使って支配権を奪い返してもいいのだが、アタシにとっては害はないし、イタチごっこになっても面倒なので、この場は一旦保留にすることにした。
「サーリア様、あれは神聖国の教皇ですわ」
「教皇? 辺境伯さんに一応聞きますが、あのおじいさんは人間ですか?」
「はぁ? あれが人間? 嘘でしょ? あの禍々しい瘴気はどう見ても魔物そのものじゃない!」
参列者の中からこちらにゆっくりと歩み寄る教皇と呼ばれるおじいさんは、国王と自分とのちょうど中央の辺りで止まり、嫌らしい笑みを浮かべてこちらを見つめてくる。
エルフちゃんは敏感肌なので気づいたようだが、見た目は普通の老人なのだが、今の彼の法衣の隙間からは、とても濃い瘴気が漏れ出ていた。
「くっくっくっ! 古の戦いでは邪神を封印した創生の女神!
それがか弱き人間を依り代のせねば、今では満足に力も振るうこともできぬとはな!」
「それは、どういう……つうっ!?」
その発言を聞いた瞬間、アタシは急な頭痛に襲われて強制的に会話を中断させられる。
だが別に教皇からの攻撃等ではなく、今まで深いところで眠っていた、何かが目覚めたように感じる。
例えるなら喉の奥に引っかかっていた小骨がようやく抜けて、妙にスッキリした気分である。
「貴方は、…邪神ですね?」
「その通り! 体は老いぼれた教皇だが、中身は邪神だ!
そしてひ弱な女神と違い、擬態するための表皮に過ぎん!」
突然蘇ったおぼろげな記憶は、大天使の…いや、創生の女神のものだと、今ならはっきりとわかる。
そして想定を遥かに越えた事態に謁見の間が騒然とするが、人を遥かに越えた圧倒的な恐怖に震えて、誰一人動けないでいる。
「サーリア様! どういうことですの!?」
「…時間がないので、簡単に説明しますが。かつて世界を滅ぼそうとした邪神が居て、それを良しとしない創生の女神は、この世の生きとし生ける者を一つに束ねました。
そして名のある戦士たちに神器を授けた後、最初で最後の戦いを挑んだのです」
我が物顔で語っているアタシは創生の女神ではなく、ただ欠片を取り込んだだけの人形なのだが、ここで余計なことを言うと収拾がつかなくなるのでその点は黙っておく。
とにかくここは皆の代表として疑問を口にした辺境伯さんを、どうにか納得させるのが大切だ。
「しかし戦いの結末は、創生の女神の敗北でした」
「ええっ! どうして! だって世界は滅びてなんか…!」
今度は辺境伯さんではなくエルフちゃんが絶望したような表情で、小さく震えながら声を張り上げる。
「唯一神教の聖典には創生の女神が勝利し天界に帰ったと、そう誤った記載をしましたね?」
「そうだ。神聖国は元々我の傀儡国よ!
古の戦いではあと一歩のところで封印されてしまったが、こちらも女神の肉体を粉々に砕いてやったわ!
もっとも厄介な貴様が、再び我の邪魔をせぬようにな!」
それを聞いてエルフちゃんの顔が真っ青になる。古の戦いでは、名のある戦士たちの殆どが死亡し、女神も体をバラバラにされて光の魔石に姿を変え、世界中に飛び散った。
それでも邪神と闇の軍勢は辛うじて封印が間に合ったので、今も世界は残っている。
だが天界で地上を見守っていると神聖国が神話の記述を書き換えて、世界中に広めた。創生の女神を復活させず、かつ邪神がその力を自由に振るえるようにだ。
そして教会の手のものはメアリーの父にアタシを封印するよう命令し、大天使の輪と呼称した魔道具。女神の欠片を与えた。
「今はこの通り、邪神は完全に復活した。そして創生の女神の欠片の全ては我が手中にあり、新たなる力となっている」
「魔物を自らの手駒にして、光の耐性を得る…ですか」
邪神が笑みを深める。どうやら合っていたようだ。だが女神の欠片の全てと言ったが、それは違う。
アタシが無造作に引きちぎって吸い取った僅かな残滓が未だに消えず、人形の内で生き続けていることを、目の前の老人は知らない。
「そうだ。光の魔石となった女神の欠片は、あらゆる闇の力を封じ込める枷だ。
おかげでどんな凶暴な魔物だろうと、今では我の忠実な下僕よ」
「王都から離れた森林地帯に身を潜めていても、誰も気づかないわけです」
ネタバラシが楽しくて堪らないという顔の邪神だが、アタシの感情は激しい怒りを通り越し、逆に冷えてきている。
人形にされて屋敷に置かれたときに、アタシは近くに魔物が潜んでいることに全く気づかなかった。
エルフの里もそうだ。何故デスクロウラーの卵が探知魔法に反応しなかったのか。
それは闇を光で打ち消すことで、存在自体を無いものとして認識させ、さらに浄化された聖域でも自由に動けるように、女神の欠片を埋め込んだのだ。
これらの事件を起こすためには大量の光の魔石が必要になり、各方面に供給できる国など一つしかない。
これで村娘のアタシを殺した事件の黒幕が確定した。絶対にボコボコにして泣かせてやると、アタシは今ここで心に決めたのだった。
「はははっ! 力を失っても流石は創生の女神! まさかここまで見通すとはな!」
王都に近づく前の森林地帯に妙な反応はあったが、どうにもはっきりしなかった。悪い感じはしなかったので放置したが、まさかそこまで厄介なことになっていたとは思わなかった。
「欠片に頼らず自力で復活を果たしていたのは少々驚いたが!
所詮は人間の幼子に宿らねば力を振るえぬ最後の灯火よ!」
確かに女神の欠片を吸い取ったとはいえ、当然古の時代よりは大きく弱体化しているに決まっている。
たとえ邪神に敵わなくても、村娘の自分を殺した黒幕をぶん殴らなければ気が済まない。
「塵一つ残さず我に滅ぼされるがいい! 創生の女神よ!」
邪神の力が急激に膨れ上がるのと同時に、王都付近の森林地帯に潜ませていた魔物の軍勢が動き出したことを感知した。
女神の欠片が埋め込まれている個体は光耐性を得るので、自らの弱点に対してしっかりと備えているのが嫌らしい。汚いな。流石邪神汚いな。
「さあ! 弱き者たちよ! 邪神の力の前に屈するがいい!」
教皇の体が灰になって崩れた後には、一回り以上大きく、頭部の左右にヤギの角の生えた大男が現れる。
目も口も鼻も、手足の爪に至るまで、先程までの年老いた姿とはまるで違った若く逞しい肉体だ。
ぶっちゃけ今のアタシに何処までやれるかわからないが、コイツの好きにさせるつもりなんて毛頭ない。
古の戦いでは創生の女神は邪神に殺されが、村娘だった自分も同じ相手に殺されていると気づく。
何やらシンパシーのようなものを感じて、アタシは俄然やる気になったのだった。




