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女辺境伯の憂鬱

<とある女辺境伯>

 古来よりエルフというのは千年以上生きることで知られている。そして私の領土に居る者は、ハイエルフと呼ばれている純血種でもっと長生きだ。


 先々代当主の曾祖父は、エルフの里に侵攻するための足がかりとして、山間部の窪地に開拓村を築こうとした。

 だが地の利を生かした戦いでは、人間はエルフに勝てないため、当然の防衛に失敗して村人共々追い出されてしまう、しかし曽祖父は諦めなかった。


 封印したデスクロウラーの卵を持った潜入工作員を、何処からか雇入れて、彼らをエルフの里に送り込んだのだ。


 最奥にある世界樹で卵を隠し、密かに魔物の数を増やし、次は内と外から攻める作戦だった。

 人間たちが潜入したと知れば警戒を強めるだろうが、それこそがこちらの狙いで、とにかく外に目を向けさせるのだ。

 そして世界樹への注意が疎かになっている間に、封印を解いたデスクロウラーは大樹を貪り食って、静かに数を増やしていくのだ。


 それでも里の守りは思った以上に強固だったらしく、目標の世界樹には一人しか到達できなかった。

 今後はより警戒が強まるのでこれ以上の潜入工作は難しいし、あちこちに借金をしてまで雇い入れたので、うちの領内にはもう金が残っていなかった。

 オスメスが揃わず卵が一つでも数は増えるが、やはり相応の時間がかかるため、曽祖父はある言葉を子孫に残し、十年以上も前に老衰でこの世を去った。




 そんな代々の言い伝えを思い出しながら、私は屋敷の執務室で、山と積まれた書類仕事をせっせとこなしていた。


「今年の春になったら世界樹を喰らい尽くすから、エルフの里に侵攻しろなんて、時代錯誤も甚だしいですわね」


 王国では珍しい女領主の私は、今年当主を引き継いだばかりだ。そして辺境の領地は広大だが、その大半が山林だ。

 しかも面倒なことにエルフの支配領域と被っているので、人間が自由に開拓できるのは極僅かな平地のみとなっている。


「今どき曽祖父の遺言なんて信じてもいないのに、盲信した祖父の顔色を伺うなんて、元当主は何処まで弱腰ですの。

 その割には失敗した時の責任を全部私に押し付ける策を巡らせているのですから、本当に頭が痛いですわ」


 今年の春からエルフの支配領域への開拓可能になると、そんな世迷い言を信じるほど私は子供ではない。

 デスクロウラーの襲撃作戦が上手くいっているならまだしも、密偵の報告では彼らの里には全く動きがなく、平穏そのものなのだ。




 曽祖父の遺言の日になった時、父は祖父の命令に逆らえなかった。これから確実に失敗するとわかっている開拓を行い、現当主として何らかの責任を取らないといけない。

 そんな自らの失態を回避するために、父はある計画を実行に移したのだった。


「長女の私に失敗の責任だけを取らせ、自ら辞退した後は幼い長男に位を譲り、やむを得なく復帰した父が補佐に就くと。

 何とも一方的な。……憂鬱ですわ」


 時代錯誤の曽祖父は亡くなったが、それを信奉する祖父はまだ生きている。臆病者の父は逆らえないとしても娘に泥を被せ、息子に代替えを行おうとするのだ。

 これが貴族の務めであるならば、心底くだらない。だが今はそんなことより、真相を知らない領民を使い潰すことが心苦しかった。

 どれだけ短い任期であろうと、今は自分が領主で自領の民を庇護して、正しく導かなければいけないのだ。


「追い返された領民と怒れるエルフの賠償を、何とか捻出しないと」


 人間が住める土地が僅かな領地では、エルフと戦争をするだけの兵を集めるどころか、武器や兵糧すら満足に用意できない。

 いくら作戦が成功して不意をつけたとしても、戦える者が居なければどうしようもないのだ。


「本当に、…時代錯誤ですわ」


 かつて他国との戦争で武勲を立てて貴族に召し上げられ、平野部以外は未開拓の領地の管理を国王に任された。

 強引に押しつけられただけとも言うが、それが曽祖父だった。


 辺境貴族になったことで贅沢を覚え、タガが外れてしまったのか、元々戦うこと以外を知らない向こう見ずな人だったのかはわからない。

 だがデスクロウラーの卵を封印して、潜入工作員を揃えるにも、多額の資金が必要になる。

 結果的に曽祖父がやらかしたせいで、うちの領地経営は今の代まで火の車だったというのは、有名な話だ。


「子孫にまで借金を押し付けるのですから、いい迷惑ですわね」


 そんな多額の借金は自分の代で何とか返し終わった。しかしもはや逆さに振っても領地に回す公共資金が捻出できないため、領民にはまだまだ貧しい生活を強要することになる。

 さらにこれから領主のお墨付きで開拓民を募集して、失敗した後の責任まで取らないといけないので、泣きっ面に蜂だ。

 どうにも立ち行かない状況に頭を抱えて、私は簡素な執務室に置かれた古い椅子に深く体を沈め、半ばヤケになって冷めた紅茶を一気に飲み干すのだった。







 領主のお墨付きで移民を行った後、私は毎日、開拓民はいつ追い出されるのかと戦々恐々としていた。

 嘆き悲しむ領民と怒り狂ったエルフとの交渉が控えているのだ。謝罪の言葉はいくつあっても困らない。

 仕事の合間に痛めた胃を労うために気分の落ち着く紅茶を飲み、頭の中でどうすれば次期当主に滞りなくバトンを渡せるかと考えていると、正面の扉がコンコンとノックされた。


「お仕事中失礼します。当主様にご報告があります」

「どうぞ」


 一言入るように伝えて、いよいよ開拓民が追い出されたのかと私は覚悟を決めて姿勢を正す。

 表面上は冷静に椅子に深く座り、部下が一礼して扉から入ってきたので黙って報告を待つ。


「開拓民は順調に村を築いているようで、今の所はエルフとの間に問題は起こっていません」

「……えっ? 開拓が失敗した報告ではありませんの?」

「いえ、特に問題はないとのことです」


 私の胃に穴を開けないために、部下には開拓村で何かあれば逐一報告するようにと命じている。

 だがこれまで何の報告もなかったと言うことは、信じられないがエルフの妨害はなく、開拓は順調に進んでいるという何よりの証拠だった。


「……嘘」

「あっ…あの、虚偽報告ではありません」


 確かに遠くからエルフの里を見張らせている者からも、異常なしと報告は上がっているが、いくら何でもこれはおかしい。

 それに開拓が進むのは良いことだが、あまりにも順調に行き過ぎているのも変だ。つまりそこには絶対に何があるのだ。


「他には何かありませんの? どんな些細なことでも構いませんわ。個人的に気になったこととか」

「そう言えば開拓民の中に、名簿にない子供が一人混じって…」

「それですわ!」


 何がそれかは自分でもわからないが、絶対そうに違いない。勢いのあまり椅子から立ち上がってしまったが、すぐに恥ずかしくなり頬を朱に染めて咳払いする。

 そのまま何食わぬ顔に戻って、静かに座り直した。


「コホン! ほっ、報告を続けるのですわ!」

「あっ、はい。その子供はいつも白いローブを頭から被っており、移民名簿にも記載がなく、容姿を隠しているのは彼女だけなので…」


 領主というのは、いついかなる時でも数多の情報を吟味し、取捨選択することを強いられる。

 領民の声や行商人の噂、他領の貴族や王宮の内情等、それらの中に白いローブを被った子供は確かに存在していた。それもかなり重要な位置でだ。

 私の頭の中でいくつかのピースが組み合わさり、推測通りなら想定の斜め上の事態に、自分でも気づかないうちに冷や汗をかく。


「そっ…その子供名前は、わかりますの?」

「確か、サーリアという名だと」


 これは確定だ。王国どころか世界中を騒がせている噂の少女、もしくは幼女だ。まだ行商人の噂止まりだが、敏い者はすぐに気づく。

 そして部下が彼女の名前を知ったということは、現時点での情報の封鎖はもはや不可能だと考えていい。

 遅かれ早かれ彼女が自領に居ることが、爆発的に広まってしまう。


「開拓村を全面的に封鎖しなさい!」

「…えっ?」


 なので私は厄介なことになる前に、今の自分にできる手を全て打つことにした。


「今後部外者は絶対に開拓村には入れないで! 知り合いだろうと家族だろうと通しちゃ駄目よ!

 ただし元々の移民者は自由にさせてもいいから、…急いで!」

「はっ、はい! ただちに!」


 執務室から部下が慌てて出ていき、勢いよく扉が閉められた。彼を見送ったあと、私は椅子に深くもれて大きく息を吐く。


 もし噂通りなら、サーリアと名乗る少女は唯一神であり女神だ。

 もちろん偽物の可能性もあるが、いつまで経ってもエルフの襲撃がない時点で、彼女が何かしたのはほぼ間違いなく、それを成すだけの力を持っているのは、広まっている噂からも明らかだ。


 正直領主としての仕事が増えて頭が痛いが、もし本物の女神だとすれば、彼女の居る領地が栄えるのは確実だ。

 ならば少しでも長く自領に留まってもらうために手を尽くすのが、私の役目だろう。


 そのために飛んでくるハエを追い払ったり、なるべく快適に過ごせるように、それとなく裏から手を回したりと、

 色々大変だが、幸運を引き寄せる女神を手放すよりはマシだ。


 そして忘れてはならないのが、開拓村はエルフの支配領域だということだ。里の族長にも話を持っていかないといけない。

 彼らは人間嫌いで有名だが、女神サーリア様のことを話せば、協力を取り付けることもそれほど難しくはないだろう。


「ああもう! どれもこれも! 新人領主がやることではありませんわ!」


 確かに自領が潤うのは良い。女神のおかげで苦しむ領民は確実に減るのだ。

 だがこれでは私が執務室から出られず、下手をすれば連日徹夜仕事になるかも知れないと否応なしに自覚させれ、とうとう堪えきれなくなり、頭を抱えて絶叫をあげるのだった。


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