白ローブの幼女の噂
<とある中年冒険者>
俺は冒険者になって長いが、そろそろ引退を考えないといけない年になった。若い頃から無理を続けてきた反動か、最近はスタミナ切れが早く、すぐに息切れするし、目に見えで動きが悪くなったのがわかる。
そこで冒険者として最後の依頼、領主のお墨付きである開拓民の護衛を引き受けた。
結局蓄えもあまり増えなかったので、老後はそこで猟師でもして慎ましく生きようと、そう思っていた。
だが俺たちが前の移民団が築いた廃村に向かうと、そこには既に小屋が建てられて人が住んでいた。
白いローブを深く被った女の子が、一人で暮らしをしているようで、青白く巨大な光の繭に包まれた庭には、見たこともない草花が咲き誇り、立派な大樹が植わっていた。
それ以外にも気になることは多々あったが、とにかく俺はサーリアと名乗る幼女と、エルフの少女と交渉を行った。
結果は、引っ越すか開拓民が自立できるまでの間は家や食料を貸して、俺たちの手助けをしてくれることになった。
エルフも人間が来たことを秘密にしてくれたので、俺だけではなく他の者たちも、二人の少女に深く頭を下げて感謝した。
今回志願したのは、様々な理由で後がなくなった冒険者と、とにかく行くあてのない女子供やその家族が、藁にもすがる思いで移民団の審査を通過したのだ。
既に崖っぷちなので、否が応でも失敗するわけにはいかなかった。
とは言え、サーリアも全面協力するわけではなく、あくまで家の敷地や必要な道具を貸し出したり、食材が余っているからと無償で提供してくれたが、毎月の家賃は貸し出し料金込みできっちり取るし、こちらで加工や調理が必要になるため、やはり一筋縄ではいかない。
だがそのおかげで格段に楽になっているのは、開拓民の誰もが感じている。何しろサーリアが貸し出す道具はどれも使い減りせずに、何度でも、誰でも使えるのだ。
決して刃こぼれしない鉄の斧や、見た目はただの布なのに破れず縮まず人肌の温度を保ち続けるシーツ、清らかな水が常に湧き出る井戸と、数え上げればきりがない。
魔道具なら発動には魔力が必要になるが、彼女の貸し出す道具は魔法使いでなくても普通に使えるので、まさか神器か…と思ったが、いくら何でも土や岩を楽に掘り返せるクワで邪神の軍勢を倒したとは聞かないので、一緒に畑仕事をしている移民連中と一緒に、大笑いしたこともあった。
そんなこんなで、開拓村にやって来て一ヶ月が過ぎた。今では掘っ立て小屋もいくつか建てられ、俺たち男は夜はそこで休むようになった。
なお女子供はサーリアの家の庭に、テントを張って眠っている。
普通は逆なのだが、彼女の家の庭は季節や朝も夜も関係なく、常に快適な温度と湿度に保たれている。
光の繭が消えた後もそれは変わらず、外の小屋で初めて寝た日は、あまりの気温の変化に風邪を引く男たちが続出してしまった。
「これは俺が旅の商人から聞いた噂なんだがな」
「…どんな噂なんだ?」
開拓村に建てられたいくつかの掘っ立て小屋の一つ。そこで寝る前の退屈しのぎに、仲間の一人がある噂を語りだした。
「それはな。…白いローブを被った女の子の噂さ」
「おいっ、それって…!」
皆も早く続きを話すようにと催促するが、彼はとっておきのネタだと言い張り、ニヤケ顔でもったいぶる。
俺は仕方なく自分の干し肉を鞄から取り出して、口が寂しそうな仲間に渡し、他の者たちも渋々といった表情で秘蔵の品を彼に分け与える。
「いやあ、悪いね」
「いいから、早く続きを話せ」
「あー…では続きを。まあその白いローブを被った少女。
それとも幼女か? とにかくその子供はサーリアという名前らしい」
それは開拓村の誰もが初日に知った名前だ。そんな情報は今さら何の意味もない。
一緒に聞いている仲間たちも肩透かしを食ってイラつくが、彼は両手をあげ、まあまあと皆をなだめる。
「面白いのはここからで。
白いローブを被った幼女は、ここから遠く離れた場所で目撃されているんだ」
そう言えば彼女は、引っ越すまでの間と言っていた。ならばもし旅暮らしをしてこの場所に辿り着いたのなら、離れた場所で目撃されてもおかしくはない。
それでも幼女の一人旅は無謀なので、仲間も子供なのに逞しく生きてるな…と、しきりに感心している。
しかし内心では彼女ならやりかねないが、見た目だけは普通の幼女に見えなくもないので、サーリアのことは正直わからないことだらけだ。
「普通は子供の一人旅は無理だが、サーリアは違った」
考え込んでいる間にも話は続き、段々と彼の声が大きくなるのとは真逆に、皆は生唾を飲んで黙って続きを待つ。
「サーリアは何と空を飛んで旅をするんだ。それも地面ごと浮き上がるんだぜ」
いくら何でもデタラメだろ…と、仲間たちがどよめく。だがサーリアならばやりかねないと、一概には言い切れないのも事実だ。
「廃村に来て、初めて彼女の小屋を見た時、俺はピンときたね」
彼は皆が驚くのを見て気分が良くなったのか、やけに饒舌になり本人も興奮していることが伝わってくる。
「廃村の中央にある不自然な小屋と庭。
光の繭に包まれて外界から切り離されたそれは、まるで楽園のようだった。
さらに道具や家に使われている木材も、ありゃ他所のものだぜ」
言われてみればサーリアの周囲はおかしいことだらけである。
それでも皆が何も言わずに黙っているのは、彼女は開拓民をずっと助けてくれているからだ。
何か秘密を抱えているのはわかるが、無理やり暴こうとすれば、今の関係が崩れ、サーリアは俺たちを捨てて遠くに去ってしまうだろう。
「そして正直俺は、この先を教えるかどうか迷ってる。
たまたま耳に入ってきた噂話とはいえ、これを口に出すのは流石にどうかと思うからな」
そう言って彼は顎に手を当てて悩む素振りを見せるが、それを見ている部屋の連中は誰も何も言わない。
「これを聞いたら、きっとこれまで通りの関係ではいられなくなるが、それでも聞くか?」
「じゃあお前はどうなんだ? 秘密を知っても変わらず、普通に接しているようだが?」
「いやいや、これでも毎日おっかなびっくりだぜ? まっ…それは別にいいか」
しばらく待っても誰も部屋から出ずに、ただ重苦しい沈黙が続くだけだったので、やがて彼は覚悟を決めたのか、肩をすくめてこの先を皆に教える。
「サーリアが初めて目撃されたのがこことは違う、とある森の奥だ。
その時は今のローブではなく、純白のロングワンピースを着ていて、白い翼と天使の輪を…」
いきなりとんでもないことを口走る男に、俺たちは大いにどよめき取り乱す。
「待て待て待てっ! それじゃお前! サーリアは…!」
「ああ、天使…それとも女神か? まあこれは、もう少しあとの話になるんだけどな」
開いた口が塞がらないとはこのことか。確かに不可思議な少女だったが、その正体が天使だったとは。
俺も含めてだが他の仲間も同じことを考えたようだが、思った以上に合っていたので。これはこれで納得できるとウンウンと頷いている。
「んでだ。サーリアは森の奥に住みながら、地元の村人と時々物々交換したり、冒険者連中を助けたりと、色々やってたらしいんだが…」
それは今現在俺たちにしていることとあまり変わらないので、容易に想像ができた。
「ある日に天使の存在が明るみに出て、有象無象の者たちに周りを取り囲まれた。
困ったサーリアは仕方なく家の敷地ごと空に浮かせて、何処か別の場所に引っ越すことにしたというわけだ」
さらに彼女が去ったあとには、半円状に大きく深くえぐれた地面だけが残ったらしい。しかし、これはとんでもないことを知ってしまった。
廃村の中央に場違いな小屋がポツンと建っていたことも、もしこれが真実だとすればすんなり納得できる。
「二回目に目撃されたのが帝国の港町だ。
彼女はそこでシーサーペント退治を冒険者と共に実行し、見事に討伐した」
彼女が本物の天使ならば、その力もまた本物だ。もし冒険者に協力すれば、海竜だろうと打ち倒すのは容易だろう。
「その際に彼女は、二人のBランク冒険者に神器を授けたらしいぜ」
「今度は神器だと!? お前! だってそれは天使には…!」
「ああ、天使が神器を人間に与えた伝承はない。唯一神が天使に与えるのは、珍しくないけどな」
天使は人を救ってくれるが、神器は作り出せないし、人に与えたという記述もない。俺も聖典に詳しくはないが、この考えが世間一般の常識だ。
もし神器の作成が行えるのなら、地上に残った天使の子孫である王族や貴族、または教皇が独占するか、自らの手足となる忠実なる部下に与えているはずだ。
「それは魔道具の間違い…」
「魔石も刻印も何処にもなかったし、魔力を通さなくても光り輝いていたらしいぜ」
「そっ、そうか」
それっきり皆は沈黙するしかなかった。光の斬撃を飛ばして竜をも切り裂いたり、竜のブレス正面から受け止めてもヒビ一つ入らない円形の盾を生み出したりと。
そんな常識外れの効果の説明を聞いて、俺たちはもう言葉もなかった。
「海竜討伐が終わったあとも港町に留まって、怪我人の傷を癒やしたり、病気を治したりしてたんだが、そんなことしてれば当然目立つだろ?
だから教会と繋がりの深い領主に目をつけられて、捕らえようとされたわけよ」
彼がヤレヤレという顔で大きく溜息を吐くが、その後は言わなくてもわかる。次のお引っ越しだ。
しかもサーリアの正体は人間ではなく、天使よりも上の女神だとわかり、もう何を言ったらいいのかわからない。
俺たちにできることはなるべく平静を装い、これまで通りに接するだけだろう。
「…で、次の引っ越し先がここってわけだけど。
彼女、もう何かしたんじゃないか? エルフの連中は頭が上がらないようだしよ」
迂闊に尋ねられる雰囲気ではないので詳しくはわからないが、領主がエルフは手を出さないと言った理由はサーリアではない。もし知っていれば、何らかのアプローチを行って当然だからだ。
しかし領主は俺たちに彼女の存在を伝えずに、何の動きもなかった。
「何にせよ噂はどんどん広がってるんだぜ。だからサーリアが世界一の有名人。いや…有名神?
まあ、そうなるのも時間の問題だろうな」
そう言って彼はおもむろにシーツの上に寝転がり、大きく伸びをする。どうやらこれで話は終わりのようだ。
皆も言葉少なくそれぞれの寝床に移動し、驚愕の事実とどう折り合いをつけるべきか考える。
俺も明日に備えてと、悶々とする心を落ち着かせて、とにかく体を休めようと目を閉じるのだった。




