海竜討伐
<とあるBランク冒険者>
シーサーペントの被害が出ている海域に入ったので、白いローブを深く被って顔を隠したサーリア様と相棒の三人で、私は船室から出る。
既に他の冒険者や船員はあらかた揃っており、百人を越える屈強な者たちが甲板や見張り台の上から、それぞれ晴れた空の下に広がる底の見えない暗い海を、目を凝らして見つめていた。
「……来ます。備えて」
「「…えっ?」」
私たちだけに聞こえるように、サーリア様が小声で伝えると、次の瞬間にはドオン…と船に何か巨大な物が当たった音が響き渡り、甲板や見張り台に集まった者たちは一時騒然となる。
それから間もなく、左舷に頭に大きなコブを作ったシーサーペントが海面に姿を現すと、怒りの咆哮をあげる。
青い鱗に覆われた大型商船を越える巨体のトカゲが、足に変わりに発達した長い水かきを甲板に乗せて、長い首をこちらに突き出すようにして、吠えている。
「なっ…何というでかさだ! これがシーサーペントか!」
「この巨体はもしかして、古竜じゃないかしら? だとしたら、厳しい戦いになりそうね!」
戦えない船員は急いで船室に避難し、サーリア様も私たちに頑張ってくださいと声をかけたあとに、すぐに近くの樽の影に向かい、背を向けて悠々と歩いて行く。
「怯むなよ! シーサーペントを討伐すれば、ドラゴンスレイヤーだ!」
「そうだ! 高額報酬のチャンスだ!」
「コイツに知り合いの船が沈められたんだ! 敵を討ってやる!」
冒険者ギルトマスターが皆を奮い立たせると、甲板のあちこちから弓矢や魔法がシーサーペントに向かって、次々と放たれる。
だがいくつかの爆発が起こり、鉄が何か硬いものに当たる音が聞こえても、巨竜はダメージを殆ど受けていないことに気づく。
「はああっ! 光速剣っ!」
しかし相棒が光の剣を振るうと、輝く刃が飛来してシーサーペントの首元を切り裂いた。だが出血して怒り狂った竜が口から、今度は激しい濁流が放たれる。
「光輪の盾よ!」
それを察知した私は、急いで前方に光の盾を作り出す。
サーリア様から託された神器の力は素晴らしく、シーサーペントの濁流を真正面から受けても微動だにせず、微かに波紋が広がるだけで、まさに絶対無敵の盾だった。
「おおっ! 効いてるぞ!」
「凄えぞ! 竜のブレスを受け止めやがった!」
しかし残念ながら肝心の使い手が二人揃って未熟なため、その効果を十全に発揮するには至っていない。
「ちいっ! 浅いか!」
「これはちょっと! 防ぎきれないかしら!」
光速剣は確かに竜を傷つけたが、巡らせる魔力と速度が足りずに致命傷ではない。そして光輪の盾は円は狭く、広範囲攻撃の全てを防ぐことはできない。
その結果、濁流はもっとも激しい中心部は押し留めているが、支流が左右に分かれて甲板の冒険者に襲いかかった。
それでも勢いは削がれているので、皆は辛うじて踏み止まり、海に落とされた者は居ない。
ちなみにサーリア様が隠れている樽の影は、サーリア様が薄い光の繭を張ったのか、支流を防ぐどころか、水に濡れてさえいなかった。
さらに彼女が警告を発してからは、大型商船は常に青白く優しい光に包まれており、海竜が身を乗り出して暴れて激流を放っても、甲板に傷もつかないし揺れもしなかった。
これを見て、相変わらず女神様の力は、私たち人間とは格が違うと思い知らされた。
「しかし、どうしたものか。このまま攻撃を続ければ、いつかは倒せるだろうが」
「先に私たちの精根尽き果てるほうが早いでしょうね。…でも、こっ、これは?」
先程光輪の盾を展開したのに、何故か魔力は全く減っていなかった。それどころか全身に活力が満ち溢れ、疲労もまるで感じない。
相棒も異常に気づいたのか、困惑した顔をこちらに向けてくる。
「なあ、これはもしかして」
「ええ、絶対にそうよ」
絶対にサーリア様が何かしている。だが正直ここまでするなら、自分で直接討伐すればいいのに…と、思わなくもない。
しかし彼女は私たち人間がシーサーペントを倒すことにこだわっているようだ。
今の時点で十分に目立っていることを、女神様が気づかないとは思えないが、これでは遅かれ早かれ、神聖国の追手に見つかってしまうのではないか。
「それでも、私たちに海竜を倒させるのは、…そういうことだったのね」
「何かわかったのか?」
「ええ、彼女が私たちを使って何をやらせたいのかが、少しだけね」
こうやって話している間にも戦いは続き、たとえ怪我をしても瞬時に癒えて、魔法をどれだけ放っても魔力が尽きることは決してない。
尽きたはずの矢筒にも、いつの間にか光り輝く新しい矢が補充されており、他の冒険者もシーサーペントとの戦いは、女神様の見えざる手によって助けられているのだと、嫌でも気づかされる。
「サーリア様が神聖国に追われていることは、前に話したわよね」
「ああっ、酷い話だよな。サーリア様はただ人を救おうとしただけなのに」
どうせこの戦いが終われば、サーリア様のことを皆が知ることになる。今さら口止めも何もないだろう。
私は他の冒険者が居る前でも躊躇なく相棒に語りかける。
「そして神聖国は、強大な魔物が現れたとき、天使様の力が宿った魔道具を使い、封印してきたわ」
気づけば相棒以外の冒険者たちも、それぞれが戦いながら私の声に耳をそばだてている。またシーサーペントが濁流を放ったが、光輪の盾を広範囲に展開して今度は完全に無効化する。
「でも強大な海竜を冒険者が討伐したら、神聖国の者たちはどう思うかしら?」
「そりゃまあ、表向きは喜ぶが、内心は複雑だろうな」
それこそがサーリア様の狙いで、彼女にどのような心境の変化があったのかはわからないが、今世になって隠れ住むことを止め、間接的だが神聖国と戦うことを選んだ。
まだ味方が少ないので表立っては動けないが、今回のシーサーペントの討伐が、良いキッカケになるかも知れない。
「覚悟を決めたんじゃないかしら。サーリア様の味方を増やして、神聖国と戦う覚悟を…ね」
元々サーリア様は表に出ることはなく、隠れて暮らすつもりだった。
けれど港町の皆が困っているのに、いつまでもシーサーペントが討伐されず、人々が困窮している現状を見るに見かねて、自らが動くことを決めた。
「取りあえずシー・サーペントの討伐には手を貸してくれたけど。
今後の展開次第では、また人間を見限るかも知れないわね」
自分の周りにいる者が、救うに値する人間ではないと判断すれば、サーリア様はまたすぐ遠くに行ってしまう。それでも神聖国に協力せずに逃げているのは、きっとそういうことだ。
そして私が口に出しているのは仮説なので、彼女の考えの全てがわかるわけではない。
今後サーリア様が人間の味方で居るのか、それとも神聖国と同じで見限ってしまうのかは、まさに神のみぞ知ると言ったところだろう。
とにかく私はうんざりした表情で息を吐き、シーサーペントを観察する。
女神様の助けもあり、今では体中に無数の傷ができており、最初と比べると明らかに動きが悪くなっていた。
そしてブレスを吐く無防備な瞬間を狙い、相棒が光速剣を放つと首に深い傷ができて血が流れる。
やがてとうとう力尽きたのか、ドウッ…と大型商船の甲板に倒れ込んできて、それを見た冒険者たちが各々の武器を天高く掲げ、大声で勝どきをあげるのだった。
<サンドラ>
大型商船に激突して、痛そうなコブを作った海竜が甲板に姿を見せたので、アタシたちはいそいそと樽の後ろに隠れた。
実は広域探知に引っかかった時から、船そのものに状態維持をかけておいた。
シーサーペントの攻撃がどれだけ激しくても、甲板は全く揺れしないし、破壊も不可能になる。
さらに竜から生命力と魔力を吸い取って、アタシが一度受け止めて綺麗にしてから、甲板の冒険者たちに横流ししている。
魔力操作に長けたメアリーが手伝ってくれるので、こちらも問題なく実行に移せて助かっている。
とにかくこれでシーサーペントが力尽きるまで、常に全力全開で戦い続けられる冒険者たちができあがった。
それでも相手の海竜は古竜という強い部類だったので、戦闘開始からドレインし続けても、倒しきるまで時間がかかったが、何とか無事に討伐を成し遂げることができた。
しかしいざ素材を持ち帰ろうとしても、古竜の大きさは若い個体を遥かに越えており、直接乗せたまま状態維持を解除したら商船ごと沈んでしまうことがわかり、どうしたものかと頭を悩ませた。
その後に色々考えた結果、魔法使いのお姉さんに協力を頼み、光輪の杖の輪っかをシーサーペントの首にかけて、港町まで浮き輪のように引きずっていくことに決まった。
こうして戦闘の時間よりも往復にかかる日数のほうが長かった、付近の海域を荒らし回っていた海竜の討伐は成ったのだった。
それから数日が過ぎて、アタシとメアリーはサーリアとして港町に顔を出し、露天で売られていた新鮮な焼き魚を美味しそうに頬張りながら、初めて訪れた時よりも遥かに活気に満ちた大通りを適当にぶらついていた。
道行く人たちからは、サーリア様、女神様と呼ばれているが、こちらの自主性を尊重してくれるのか、遠巻きに祈りを捧げるだけで話しかけては来ない。
こっちの領域に干渉されなければ、食欲優先で大目に見ようと判断して、今の所は引っ越すつもりはない。
「しかし、天使から女神にランクアップかぁ」
「んー…当然の結果ー?」
「思った以上の強敵だったから、やり過ぎたことはわかるよ。
でも正体がバレたわけじゃなくて、ちゃんと距離を取ってくれてるから、別にいいかな」
無闇やたらと踏み込んでこなければそれでいい。メアリーとサンドラの正体がバレたわけではないし、今はサーリア様として色々優遇してくれているので、待遇的にそこまで悪くはないと思う。
古竜クラスが出てきたので、あのぐらいバフをかけなければ、運が悪ければ死者がでた可能性もあるのだ。そう考えたら自業自得であり、ある意味では仕方ないのかも知れない。
だがそんなことよりも今は、とにかく観光を楽しみたかった。
たまたま目に入った屋台に金髪幼女がフラフラと近づき、お店のおじさんから、鉄板の上で湯気をあげる焼き貝を自前の皿に乗せてもらう。
「一時はどうなることかと思ったけど、女神として認知されてからは、無料で食事がもらえるからいいね」
「んー美味しー」
捧げ物のつもりなのか、お代はいらないのでとにかく受け取って欲しいと、港町の住人から毎度拝まれるのだ。
今も自前のお皿と先割れスプーンを用意して、こうして気になったお店にお邪魔している。
ちなみにアタシは小さな人形で、喋ったり動いたり食べたりはできるが、何もなくても生きていけるし、メアリーは十歳の幼女だ。
日常生活に必要な物などたかが知れているし、今は生活用品に不自由はしていないので、もらったとしても持て余してしまう。
なので森の奥から出てきて港町を散策する時に、通行料と食事代のみを無料にすることが、シーサーペント討伐の報酬にしてもらった。日用品がかさばるのだ。
おかげで毎日の飲み食いがタダになり、美味しい海産物や珍しい物を求めて港町をぶらつく時間が増えて、ようやくまったり過ごせるようになったのだった。




