第六十六話 叙階
しんと静まり返る部屋の中、少し震えるような口調で副院長が声を発する。
「私はこれ以上叙階させていただくつもりはないんですが…」
「あなた自身に無くても周りにはあるんですよ」
じょかい?なにそれ?話を聞く限り悪い事ではないとは思うんだけど何の事でしょうか?
宗教関係の言葉は分からない事が多すぎて理解が追いつかないわ。
「お断りしたいのですが…」
「叙階の下準備をするために院長が大司教に会いに行っているんですよ。あなたが赴任する場所も決めなければなりませんしね」
「私はここで骨をうずめるつもりでいたのですが…」
「確かにそれも選択の一つでしょうが、あなたほどの優秀な人材がこうやってひとつの席に座っていると下が支えてしまうんですよ」
「私など飛ばして下の者達を上へ上げてくだされば結構です」
「その下の者達があなたに遠慮しているんですよ。あなたを差し置いて上に上がる事は出来ないとね。実力が無くて上にいるのなら下の者を上げますが、あなたはそうではないでしょう。いい加減腹を決めなさい」
「しかし!」
「しかしもへったくれもありません。これも精霊の思し召しと考えなさい」
「あの~…もしかして叙階とは昇進のことでしょうか?」
話の流れについていけない俺は咄嗟に質問をする。
「ええ、そうですよ。このたびセディは強制的に司祭から司教へ叙階される事が決定しました」
苦い顔をする副院長を無視して帝佐さんが説明をしてくれた。
なんでもサンティアスの職員や他の場所で勤めている聖職者は人事異動のようなものがあり、聖下や大司教が決めた人事の元で職場を転々とするらしいのだ。
優秀な人ほど人事異動が激しく聖育院は出世コースのひとつなのだが、副院長は司祭になった時点で叙階と移動を断り続けていたが、副院長はかれこれ20年以上この聖育院に留まり続けているらしく、ついに教会本部も重い腰を上げて尻叩きをしたのだと言う。
今の院長先生ですら赴任してから13年経つらしいので20年以上は異常の一言のようだ。
副院長もはや主じゃん。
「これであなたも司教枢機卿になるのですから色々覚悟はしてくださいね」
「ハァ…」
「司教枢機卿になると何があるんですか?」
「司祭枢機卿は大司教選定の投票権を持つものの事です。司教枢機卿とは選定投票権と大司教になる資格を持つものです」
「それってもしかしなくても…」
「ええ、大司教になる可能性があると言う事ですね。現在枢機卿と名のつく司教以外の者は50人で司教枢機卿は4人、今度セディが叙階する事になると5人になります。本当は順番的にただの司教に列せられるはずなんですが、この子の場合今までの実績とこの席に留まり続けていたために数段抜きで叙階と言う事になりました」
「副院長は何で叙階したくないんですか?やっぱり面倒くさいからとか?」
「お前と一緒にするな…」
「ははは。数いる枢機卿の中でも司教枢機卿は大司教と同じく旦那様のご意思を下の者に伝えなければならないんですよ。つまり直接旦那様に会う事を許された地位と言う事ですね」
「恐れ多い…私のような未熟者にそんな大役は務まりません」
ん~っと、つまり帝佐さんや24家当主達と同じような地位になると言う事かな?
「えっと、つまり帝佐様と同じような地位になると言う事ですか?」
「大雑把に言うとそうですね」
うわ!面倒くさ!!俺だったら絶対にノーサンキューです。
「頑張ってくださいね。遠い影から応援しています。ウゲ!イヒャイ!フクヒンヒョウイヒャイ!」
「そんな事を言う口と顔はこれか…」
俺が副院長に笑顔でエールを送ったら横暴な事に、俺のほっぺたを引っ張りながら拳骨を食らわすと言う高等テクニックを見せた。
目がマジで据わっているからこれ以上からかうと危険だ。
心底嫌な顔をする副院長はさて置き、実は俺自身も笑ってはいるが他人事ではない。
あの手紙で書かれていた内容で、会う事が決定付けされている時点で副院長と同じく逃げ道が無いのだ。
マジで誰か助けて…
「大司教ももう高齢ですからね、あなたが司教枢機卿になった途端に大司教選定会議が行われる可能性だって無きにしも非ずなんですよ。特にセディは民衆からの支持層が厚いので他の枢機卿達も無視は出来ないでしょう」
「大司教なんてまっぴらごめんです。それに今でさえ他の枢機卿が煩いのに…」
「あなたが嫌がっていても他の枢機卿や大司教はあなたのことを評価していますよ」
「あの人達はただ面白がっているだけですよ。昔からそうですから」
「あなたは昔から大司教のお気に入りでしたからね」
「迷惑な話です」
「副院長って大司教様と関わり深いんですか?」
「ええ、セディが子供の頃の聖育院職員が今の大司教なんですよ。昔セディはグレていましてね。悪さというか可愛い悪戯をしてたんですが、そのセディの面倒を今の大司教が一手に引き受けていたんですよ」
「ああ、例の落書きとかですか?」
「ええ、アルグムンでは石像に色を塗ったり、学園では他国の留学生同士の喧嘩に仲裁する振りをして騒ぎを大きくして大問題になったりと聞いた話ですが酷かったですね。まぁ、それでどうしても大司教が用事で赴けない場合は何故か私に話が廻ってきて、この子を回収するのがお約束のようになっていましたが」
「………………」
あれ?副院長って俺より酷くない?
俺は他人には迷惑かけていないが副院長はバリバリ他人様に迷惑掛け捲りじゃん。
俺には奇行が目立つとか言う癖に自分はもっとやばいじゃんけ。
俺の呆れが混じった目線を反らすように副院長はそっぽを向く。
「まぁ、その石像も余りに色付けが見事だったのでそのままの形で残していますし、留学生にいたってはその件が切っ掛けで大親友になっているようですがね。確か今でもセディと手紙のやり取りがあると聞いていますよ」
「…あの石像まだ残ってたんですか?」
「ええ、当時の大司教様が良い出来だから残しておけとのことで今でもありますよ」
「あれは屋外にあったはずですが…」
「ですから態々屋内のアディア礼拝堂に移して飾っています」
「っちょ!副院長何処に行くんですか!?」
副院長が急に立ち上がり、扉から出て行こうとするので俺は止めに入る。
「石像を壊しにいってくる…」
「やめれ!!」
「ははは、無駄ですよ。現大司教が旦那様にお縋りして保存と保護と修復の魔法をかけていますからね。壊したところでまた再生します」
「ああ!副院長!しっかりしてください!」
「………」
俺はその場に倒れこむ副院長に駆け寄った。
背中を擦りながら介抱していると帝佐さんが止めを刺しに来る。
「大丈夫ですよセディ。きっとあなたが大司教になれば旦那様にお縋りして魔法を解いてくださるはずですから」
「うわ!もしかしてそのために当時の大司教が残してたとか!!?」
「それは知りませんが現大司教はそれを狙っていますね。この前その話をお茶を飲みながら笑って話していました。『ざまあ見ろ』とも言っていましたね」
「…おのれクランベル先生」
ガチャ
その時扉が開き院長先生が部屋に入ってきた。
「セオドアール、何をしているんですか?」
「これから自分に起こりうる悲劇について考えていました…」
「そうですか。帝佐閣下どうも、ようこそおいでくださいました。セボリーも元気そうですね」
流石は院長先生。副院長の良くわからない回答を真顔で裁いたぞ。
「ええ、楽しい時間を過ごさせて頂いていますよ」
「院長先生お久しぶりです。先生もお元気そうで何よりです」
「元気だけがとりえですからね。セボリーも元気そうで良かったですよ。ところでセオドアール。その様子ならもう聞いているかもしれませんが、あなたは叙階と共にこの聖育院の職員から離れて頂きます」
「院長!それは!」
「もう決定した事ですので何を言っても無駄ですよ。これがその書類です」
渡された書類を食い入るように見ている副院長の横で俺もその書類を覗き込んだんだが、如何せん現代アルゲア語で書かれていないので全く分からなかった。
副院長、あんた良くその良くわからない文字を速読並みの速さで読めるな!!
「それでは明日一人でアルグムンの大司教様のところへ行きなさい。……今から動いて取りやめにするつもりでしょうがもう手遅れですよ、すでに正式に公示されました」
「………」
副院長はこの世の終わりのような顔をしてから顔を伏せた。
「院長先生やめてあげて!副院長のHPはもうゼロよ!!」
「そうですか」
「ああ!ボケが通じないともどかしい!!」
ツッコミ役がいないどころかボケが通じず真顔で返されても困るわ!!
その後、グロッキー状態の副院長を残し俺は学園都市へと帰っていった。
後で知る事になるのだが、例の石像の件で副院長が後悔しまくりの中、腹立たしい思いを何故か俺にぶつけるために、エルドラドで最初にマイムマイム考案しそれを踊ったのが俺だと言う事を聞きつけ、副院長がその話を各地で大げさに広め、首都のシルヴィエンノープルに俺のマイムマイム記念碑を建てる暗躍をし始める事を俺はまだ知るよしもなかった。
それを知った俺も副院長のところへカチコミに行こうとしたが既に手遅れの状態で、副院長に簡単に苦情を言えない状態になっており、俺は枕を涙でぬらすことになるのであった。