第五十七話 香玉二
どうにも頭がすっきりしない悶々とする気持ちを押さえつつ、俺はベッドから立ち上がり自分に宛がわれている部屋を出た。
部屋を出て散歩でもしようかと歩き出した時、丁度進む方向にシエルが歩いて来るのが見えた。
「やぁ、セボリーどうしたの?顔色悪いよ」
シエルはいつもの様に王子様のような明るい顔で俺に話しかけてくる。
「そんなに悪いか?」
「うん。すこぶる悪いね」
自分でもあまり良い顔色とは思ってはいなかったが、そんなに悪いのかと心の中で軽い溜息を一つ漏らす。
「ああ、ちょっとな。この数日で色んなことが起こりすぎて、俺の頭の情報処理能力が追いついていないだけだ」
「そうなんだ。ねぇ、セボリー?多分君の今悩んでいる事は僕では相談にも乗れない事だと思う。お父様達から本邸に呼ばれた事を考えるとなんとなくその理由も察する事ができるけど、あんまり悩みすぎるは良くないよ。君の良い所はその冷静に考えられる事だけど、考えすぎていると良い事も気付かずに過ぎていってしまうよ。君は柔軟で一歩外れた考えが一番面白いんだから」
やっぱり俺が公爵様達に呼ばれていたのは知っていたか。
シエルは俺達のメンバーの中で一番周りを良く見ていて、気配りや采配が上手だ。
そんなシエルが態々俺に宛がわれた部屋に来るという事は、相当心配してくれた結果なのだろう。
そしてシエルはそのなんとなく分かっていた答えを、俺の体から匂い立つ香りで理解したようだ。
シエルは笑ってはいるがその表情からは労わりの感情が読み取れた。
「あ~、そうだな…うん。くよくよしてるのも俺らしくないしな。まぁ、とりあえず部屋に入れよ。と言ってもココはお前の家だけど」
「うん、その調子その調子。辛くなったら愚痴ぐらいならいつでも聞くよ。セボリーには僕の愚痴も聞いてもらってるしね。じゃー失礼するよね」
「ああ、その時は頼むよ。でも何だよその一歩外れた考えって!聞き捨てなら無いんだが!」
「言葉の通りだよ」
そんないつものようなやり取りをしていたら、不思議と胸につかえていた気持ち悪さが消えるような気がした。
やっぱりコイツと友達になれて良かったと思いつつ席を促す。
帰ったら何かしら御礼が必要かなと思った瞬間、笑っていたシエルが突然何か企む様な悪い顔をし始めた。
何かと思い質問しようとすると。
「セボリーも貴族の仲間入りかぁ。かなり早いんじゃない?」
「いや、俺貴族じゃないぞ」
「でも香玉貰ったんだよね?」
「まぁ、貰った事は貰ったな」
「じゃあ貴族じゃん」
「…………」
あ、マジだ。
そういえば香玉って世襲貴族か一代貴族の当主になる時に副賞みたいな形で送られる代物だった。
さっきは頭が馬鹿になっていて、全くその事を公爵達に突っ込んでなかったが色々おかしいだろこれ!!
なんで貴族でもない俺がこれを贈られるんだよ!
何?聖下が気に入った奴ならそれが全員貴族なわけ?え?マジで?
「いやぁ、セボリーの百面相は面白いね。さっきの貴族云々は冗談だよ。香玉は貴族じゃなくても贈られることはあるよ。ただし極端にその数は少ないけどね。この聖帝国の歴史の中でもセボリーを含めて5人もいなかったんじゃないかな?」
「俺を弄んだな!もうお婿にいけん!!」
「ここは責任を持って僕がって言いたいところだけど、僕にはそんな趣味は無いから勘弁ね」
「いや、ゾッとしないんだけど。それに俺も勘弁だし」
「あはは、ごめんごめん。たまにはセボリーが弄られてる姿見たくてね」
「俺は今まで周りの大人にはずっと弄られてきたわ!!」
俺のことを一番弄るのは副院長だが、この頃エルドラド大公もその仲間に加わった感が否めない。
チキショー。どうやら同年代にまで弄られるようになってしまったらしい、マジで勘弁してくださいよ。
というか今の弄りの件で聞き流してたけど、貴族じゃなくても香玉が贈られる例があるのって本当なんだろうか。
「で、さっきの話は本当か?」
「え?性的嗜好の話?当たり前さ僕は完全なる健全主義者だからね」
「そっちじゃねーよ!」
「あーはいはい、香玉のほうね」
駄目だ、こいつさっきからキレキレだ。
「確か君を抜かして最後に香玉を送られてるのは学園都市の飲食店のオーナーらしいよ。確か10年ちょっと前だったと思うけど」
「……………まさかオラオラ系ドM犬の飲食店オーナー、マゾワンさんじゃないだろうな」
もしあれがそうであれば聖下の中身はかなり終わっている事になるぞ!!
いや、でも待てよ。前にマゾワンさんに会ったときは香水の香なんてしていなかった。
ということは違うのだろうか…?
いや、もしかしたら香玉の効能を消し去るほどの灰汁の強さで香まで中和させてしまったのか。
あ、想像してたら気持ち悪くなってきた…ウプ…
「違うよ。実はこの話極秘なんだけどね。僕は家の繋がりで聞いた話なんだけど、特別な香玉が聖下から下賜されたって話を聞いたことがあるんだ。相手は学園都市の飲食店オーナーって事ぐらいしか分からないけど、マゾワンさんじゃないって事は自信を持って言えるよ。あの人この前、学園都市で見かけたときに香水店で男物の香水買い漁ってたし」
「成る程な。もし香玉の効能があったら香水なんてかけないもんな」
「その特別な香玉下賜された奴なら俺知ってるぞ」
シエルと部屋で話していた時、扉のほうから誰かの声が聞こえた。
振り返ってみると顔中痣だらけのウィルさんが立っている。
「ど、どうしたんですかその顔は?」
「あの後親父と殴り合いの喧嘩になったんだよ…」
「またなんで…ってあれですか次代アライアス公爵選出決定の話」
「まだ決まってねーよ!!!それに俺は全力で断るわ!!」
ウィルさんが心底嫌だと言う顔をして怒鳴ってくる。
「ウィル兄さん選出おめでとう。がんばってくださいね」
「だから違うと言ってるだろうが!!」
「ウィルさんだったら大丈夫ですよ、色々残念な中身してますけど頭脳としては優秀なんですから」
「そうだね。色々残念だけどね」
「お前等俺で遊ぶんじゃねーーーーー!!!」
ヤバイ、楽しいわ。
この頃弄るより弄られる事のほうが多かったから、すっごく楽しい!!!
だが最近ルピシーも弄っていなかったから少々ブランクもあってキレがいまいちである。
まだまだ修行しなくては。
あ、でもなんかウィルさんの顔がマジでイラついてるから話を進めておこう。
「で、その下賜された人ってどんな人なんですか?」
「俺の同級生だ」
「へ?もしかして一緒に退学、じゃなくて恩赦で卒業した人ですか?」
「違う、あいつはのらりくらりと普通に卒業した。俺のあの件はあいつはあまり関わっていない」
「あまり?」
「酒を用意したのはあいつだが、あいつは無罪放免だった」
ん?酒を用意したのに無罪放免?なんじゃそりゃ。
「用意させたのは俺達なんだよ。あいつには酒を手に入れられるルートがあったからな。もちろん何回も断られたが、それでも無理やり調達してもらったんだ。そんでもって酒を飲む事を止めに入ったのもそいつだ。最終的には酒の肴作って俺が脱いだ辺りで退散してたけどな」
「ウィルさんっていじめっ子だったの?」
「違げーよ、どっちかと言うと弄られっ子だ!あいつにも相当弄られてたし怒られてた」
「なんとなく分かります。ウィルさんは怒られると興奮するタイプなんですね」
「そっちじゃねーよ!!それに怒られるんだったら綺麗な女か可愛い女の子に限るわ!!」
やっぱりウィルさんはドM気質でしたか、そうですか。
師匠、今度連れてってくれると言うお店は何卒ノーマルなお店でお願いいたします。
くれぐれも俺のようにいたいけな少年を危ない世界へ誘わないでください。
「で?どんな人なの?ウィル兄さんみたいな人と仲良く慣れるんだから、相当心に余裕がある人だよね」
「うっせーわ!!まぁ、そいつもある意味変人だ。本職はオーナー兼シェフのはずだが、自分で食材を迷宮で狩って来るから実力もかなり高い。というかぶっちゃけ俺よりも強い。あいつの飯はうまいんだが、あいつ自身あんまり店を大きくしようとする気が無いのか、迷宮冒険者と飲食業どっちが本職なのか線引きがあやふやだ」
「でも飲食店のシェフなのに香玉大丈夫なんですか?匂い的に」
普通飲食店のシェフや店員は香水や香が強いものはNGだ。
この世界ではどうだかわからないが、ルピシーの食べ歩きに付き合っていたときに店の人達は皆香水の匂いなどさせていなかった。
ああ、でも香玉の香りって全く嫌な匂いではないから大丈夫なのかな?
「いや、あいつの香玉は特別なんだよ。無臭なんだ」
「へ?香玉なのに無臭なんですか?」
「ああ。無臭と言う香だ。本人も気に入ってるらしいんだが酒や煙草の匂いは勿論、迷宮に入ると人の匂いでモンスターに気付かれてしまう時もあるんだが、それも全て無臭だから気付かれないらしい」
「なるほど。便利そうですね」
「実をいうと前に話した迷宮の非公式の到達記録持ってるのもソイツなんだ」
「…その人めっちゃ強いんですね…でも飲食店かぁ。そんなに美味しいんですか?」
「ああ、かなり美味い。何せ俺ん家お抱えの料理人が教えを乞うくらいだ。今度連れて行ってやるよ、お前の奢りで」
「なんでやねん」
この後俺がウィルさんに回復魔法をかけて治療した後、報酬としてウィルさんの奢りでその店に行く事で折り合いがつくのであった。