第五十二話 カリー二
今回の劇、最初はてっきりフレーデルバルドご子息の話だと思っていたが、アライアス公爵家の創設者の話だったらしい。
「つまりアライアス公爵家の始まりは、ホーエンハイム公爵家の養子になって、そこからご子息の護衛役として始まったんですね」
「そうじゃ、我がアライアス家はフレーデルバルド様の代に花開いた。初代のグレインは戦災孤児と伝えられておるが、実際のところ出自は全て謎である。文献や伝承など何も伝わっておらん」
その当時、戦争の影響でエルトウェリオン王国の貴族の数が最盛期の8割も減っていたらしく、国の力を上げる為に当時の王であったファランシアスに直訴し、ホーエンハイム家から領地を分け与える事を前提に貴族として家を興させたらしい。
そういえば昔、地図でホーエンハイム家とアライアス家の領地が隣り合っていて領都の間隔近くね、とか思っていたがそういった事情があったからか。
聞けばアライアス家創設時の領地の大きさは本当に小さな土地だったようで、前世で言う東京23区で一番小さな区台東区の半分ほどの大きさだったようだ。
しかし、代を重ねるうちに権威と領地を増やしていき、聖帝国建国時には他の2公爵家と遜色が無いほどの大領に成長したのだと言う。
「フレーデルバルドの妻アルティアも魔法を使え、精霊の声を聞けた人物とある。彼女は妊娠し辛い体であったらしく生んだのはそのご子息だけらしい。伝承では彼女もしくは彼女の親が精霊人なのではないかと伝えられ、または彼女自身が高位精霊だったのではないかとも言われている」
ホーエンハイム公爵も話に参加してきた。
「フレーデルバルドとアルティアの嫡男の名前は伝わっては無いんですか?さっきから名称が出てこないんですが。他の人物にはしっかり名前がついていたのに、フレーデルバルドの嫡男の名前だけが出てこないので不思議だったんですけど」
俺が疑問に思った事を口にした瞬間、三公爵と大公の顔が強張った。
だがそれは一瞬で直ぐに元に戻り、再びホーエンハイム公爵が語りだす。
「ああ、フレーデルバルドのご子息の名前は全ての文献で抹消されているか黒塗りされてある。家も継がなかったらしい。第10代のホーエンハイム家当主は、そのご子息の嫡男ハルティスフリード二世が継いでいる。フレーデルバルドのご子息は出生の記録はあるが没の記録は一切無い」
「それは…」
ホーエンハイム公爵の話を引き継ぐようにエルトウェリオン公爵が話を続ける。
「ご子息の嫡男ハルティスフリード二世の正室は、エルトウェリオン国王ファランシアスの第25王女だ。ハルティスフリードの妹の三女アルカネイアはエルトウェリオン王家に正室として嫁ぎ、長女オリティシアは初代アライアスのグレインに正室として嫁いでいる。次女もアゼルシェード家に嫁いでいるな」
「…」
言葉を詰まらせる俺にエルドラド大公が口を開く。
「24家のうち殆どの家の創設はそのご子息の時代より後になる。その歴史の中で何回か出自が分からんが、祝福され喜ばれて嫁ぎまた婿入りした者が何人かいる。最後に創設された家も聖帝国建国より30年ほど前で、出自は全く分かってはおらんが当時のエルトウェリオン王国の国王も承認しておる」
「そうなんですか」
何か嫌な予感がする。
心臓がはち切れんばかりに鼓動を打っているのだ。
これ以上話し続けたら何かいけない様な気がして、俺は話を打ち切るように相槌をした。
公爵様たちにもその雰囲気が伝わったのか、その話はそこで終わりになった。
モヤモヤと気持ち悪い感覚が続く中馬車へ乗り込む俺達。
いつもなら街で屋台めぐりなどをするんだが、今日はエルドラドの街へは出ずに真っ直ぐ別邸へと帰ってきた。
理由はそう、カリーだ。
ヤンと俺達は別邸の厨房に入る事を許可され足を踏み入れると、10人以上の料理人達が一列に整列しお辞儀をしていた。
「ようこそお出で頂きました。レシピをご教授頂けてありがとう存じます。ヤンソンス様、言われた通り集められるだけですが、様々な種類のスパイスを集めておきました」
列の中心にいた料理長と思しきおじさんが代表して口を開く。
シエルがヤンに料理人にレシピを教えてくれと頼んでいたので、昨日のうちに種類を聞いて集められるだけの種類集めたのだと言う。
昨日の今日で仕事はえーな、流石はエルトウェリオン公爵家料理人。
料理長の瞳は未知の料理に心躍らす少年のようにキラキラしており、興奮状態を押し殺そうともしていなかった。
あ、この人なんか面倒くさそう。
この手のタイプは研究職に多いよなぁ…自分の好きな道はゴーイングマイウェイだからうざいんだよ。
「昨日の夜に言ったのに良くここまでの種類を集められましたね」
「大奥様と奥様が金は気にする事はないから集めろと仰って下さったので、皆様大変楽しみにしておられます」
スパイスの種類に感心するヤンに、料理長のおじさんことロイルさんは笑いながら言った。
おい!今聞き捨てならない言葉があったぞ!
大公夫人と公爵夫人がいっちょ噛みしてるんかい
そりゃ大事になるわ!!
金の心配は要らないって何そのセレブ、何このブルジョワジー…
「ではまずはスタンダードなものから教えよう」
ヤンはそういって3種類ほどのスパイスを手に取り、フライパンの上で空煎りさせていく。
「これはガラムと言ってな。カリーに絶対に不可欠なものだ。この3種類のスパイスが一番スタンダードなレシピで、この他にスパイスを足したり、逆にこれとは違うスパイスを使う。使いようによっては無限の種類が作れるわけだ」
料理人さん達とフェディが一斉にメモを取り始めた。
何故かルピシーも取っていたが、あいつは放っておこう。
「よし、これで良い。出来上がりの頃合は香りの加減を見て決めろ、季節や気候によって変わるからな。さて、これをすり潰して粉にしていくんだが、この粉になったものをガラムマサーラと言う。ビンに入れて1ヶ月ほど保存は利くが風味が飛ぶから早く使うのが鉄則だ」
ヤンはそういって10数種類のスパイスを水で煮始めた。
厨房の中がすでにカレーの匂いになってきたな、腹減ったぞコノヤロォ!
「各家によって味付けは違うんだが、私の家の料理人はこのガラムマサーラの他に煎じたマサラを入れていたな。煮た原液を舐めた事があるが、あれは舐めるくらいなら壁紙を舐めたほうが幾分かマシと思える代物だった…」
壁紙って…おい!一体何をしてるんだ!お前王子様だろうが!!
まぁ、王子様なのにこうやって厨房に立って料理している事自体間違っていると思うがな…
こうしてスタンダードなカリーとヤンの好みで作った数種類のカリーが出来上がった。
「本当は今すぐ食べたほうが風味が良いんだけどな」
「あ、それなら大丈夫だよ。時の魔道具で時間止めるからさ。」
「食べ物にそんな高価なもの持ち出すんかい!!」
「何を言ってやがる!!食べ物は大事じゃねーか!!」
「お前は黙ってメモでも取ってろや!!!」
何いきなり話に参加してやがるんだこいつは。
そっとメモを覗き込むとそこには小宇宙が広がっていた。
字が汚くてなんて書いてあるかわからん…
「おい、それお前読めるのか?」
「ああ、大丈夫だ。なんとなく読めるぞ」
「自分が書いた字をなんとなくしか読めないのかよ!!」
「仕方ないだろ!俺の字は芸術的なんだ!!」
「前衛的なゴミの間違いだろうが!!」
「ねぇ、魔道具を使わなくてもヤンのレシピに沿って料理人さんたちが夕食前に作ったらいいと思う、うん」
「そうね、出来立てが美味しいらしいからそうしましょう。きっと料理長達がもっと美味しいカリーを作ってくれるわよ」
「私は初めて食べるから楽しみです!」
「ははははは。これは一本取られましたな。ゴンドリック様は料理人を乗せるのがお上手ですな。では料理人のプライドに掛けまして美味しいカリーをご用意いたしましょう!!」
ロイルさんがとっても嬉しそうな顔をして答えた。
「そうですね。では研究と修行のためにヤンソンス様のお作りになったカリーは私が責任を持っていただきましょう」
「あ!料理長ずるいです!」
「「「「「「そうだそうだ!!!」」」」」
他の料理人たちからのブーイングをものともせずに、ロイルさんはヤンの作ったカリーを抱き込むように食べ始めた。
「ほぉ!これはこれは!辛さの中に旨味が出てきましたぞ!一口食べるごとに病み付きになりますな!!!」
「なぁヤン、これって一晩寝かせたりしないのか?」
「ん?私は一晩置いたカリーを食べた事はないが、余ったカリーは使用人が食べていたと思うぞ」
「確かカレーライスって一晩寝かすって言うか一回冷やす事で旨味が引き出されるんだよな、カリーはどうなんだろうか…」
「ふむ、一回試してみるか。セボリーは水魔法でこれを冷やしてくれ、冷めたらまた温めて食ってみよう」
作りたてのカリーと冷やして温め直したカリーを食べ比べ皆に意見を聞くと、スパイスの風味は前者のもののほうが良かったが、味としては後者のほうが上手いと感じたと意見が多かった。
「………使用人達はこんな上手いものを食っていたのか」
「ヤン。ベースは最初から作っておいて、一晩熟成させてから食べる前にガラムマサーラを入れるのがベストかもしれないな」
「成る程!お見事ですなセボリオン様!料理人顔負けでございます!」
ロイルさんは俺の前に跪き拍手をしながら囃し立てて来た。
うんやっぱりロイルさんウゼーわ。
例の飲食店オーナーのマゾワンさんにしろこの人にしろ、料理関係でトップの方にいる人ってこれ位空気読めない性格じゃないと上にいけないのかな…
その日の夕食はロイルさん達が作ったカリーが振舞われる事になった。
大公夫妻やエルトウェリオン公爵夫妻は物珍しさもあってか大喜びだ。
しかし予想外の人達も一緒に夕食を囲んでいた。
「あの………なんでいるんですか?」
「いいじゃん、俺達にも美味いもの食わせろよ」
「ふむ、初めて食べるがなかなか病み付きになるわい」
「体が温まってきたぞ。味も美味いし言う事無しだ」
エルトウェリオン家の食卓に俺達の他にウィルさんとアライアス公爵、そしてホーエンハイム公爵がいた。
どうやらエルトウェリオン公爵が今晩の夕食を自慢したようなのだ。
珍しい物好きの貴族としては是非食べたかったようで、エルトウェリオン公爵におねだりしたらしい。
エルトウェリオン公爵が「良い歳したおっさん二人に涙目で迫られながらおねだりされて君は断る事が出来るかな?」と言っていたので俺はとっさに悟った笑い顔で首を横に振っていた。
後にヤンの店は俺が推薦した調理方式でカリーを出し、有料で辛さのレベル上げとトッピングを増やすシステムを作り上げ儲けていくことになる。