第五十一話 花祭り四
ハルティスフリードとシルヴィアが没してから約200年余り、ホーエンハイム家とエルトウェリオン王家は血族結婚を繰り返し血の深まりを強めていた。
そんな中、ホーエンハイム家の第8代当主ハイデルジュリオンの嫡男フレーデルバルドは悩んでいた。
王家の姫と婚約し結婚を控えていたのだが、他の女に恋をしていたのだ。
しかもその相手は平民の女で、フレーデルバルドはその女を正室として娶りたいと考えていた。
この時代王族や貴族は王族や貴族と、平民は平民と結婚するのが当たり前のことであり、王族や貴族は平民の事を恋愛対象として、ましてや同じ人間として見ていない時代であった。
フレーデルバルドがやろうとしていた事は、言ってみれば人間が家畜と結婚するようなものであった。
なので当然フレーデルバルドの考えを両親や王家、はてまた周りの友人からも馬鹿げていると一蹴されてしまう。
「どうして皆分かってくれないんだ。私は唯好きな女と幸せになりたいだけなんだ…」
「お前は何を言っているか分かっているのか?家と家との繋がりを大事にする。貴族の結婚とはそんなものだ。諦めろ」
「この恥さらしめが!我等貴族の血に汚らわしい血を入れようとは!」
「どうしてもと言うならばその女を妾として娶れ、平民の女など側室でさえありえん」
「ああ、どうすれば…」
国内の情勢も安定しており平和といっても過言ではない日々の中、フレーデルバルドは悩んでいた。
国の平穏と反比例するように、日に日に自分への批判が高まっていく。
良い案を出してやるからその女と会わせろ、と言う者もいたが紹介したが最後、あの女は殺されるだろう。
殺されなくともどこか遠い場所へと追放される事など火を見るよりも明らかであった。
そしてフレーデルバルドは心を決めた。
「父上!私はあの人と結婚できないのであればこの家を継ぐ事はしません!どうか次の家督は弟のアンデルグイードへ!!」
「何を言っている!!お前がホーエンハイム家を継ぐのだ!私の直系で相続権を持つ男子はお前とアンデルグイードだけだ!だがアンデルはあまりにも病弱、家を継がすには心もとない!」
話し合いは10日あまり続き、継げ継がない、意中の女と結婚できるなら継ぐ、それは駄目だの堂々巡り。
そんな中、とある人物がフレーデルバルドの元にやって来てある提案を持ち込んだ。
「君と君の愛する女性を他国に逃がしてやろう。身分も捨てれば良い。そうすれば結婚できる。駆け落ちして幸せになるのだ」
貴族の身分を捨てる。
その人物の言葉はフレーデルバルドとにって天啓とも言えるものであった。
フレーデルバルドはすぐに行動を起こし、意中の女に駆け落ちをしようと迫った。
「ミーナ、私と駆け落ちをしてくれ!お前が好きなんだ!このままではお前と一緒になれない」
「フレーデルバルド様…私はあなたと結婚するつもりはございません。」
「ミーナ!前に愛を誓い合ったのは偽りだとでも言うのか!!?」
「いいえ、私はあなたを愛しています。ですが私は平民、しかも親無し子でございます。このままではフレーデルバルド様もフレーデルバルド様のご実家も非難の的にしかなりません」
「だから私と駆け落ちをしようと言っているのではないか!」
「申し訳ございません…」
フレーデルバルドはその日中の説得は無理だと感じ諦め、翌日から時間を掛けて説得しようと家路へと着いた。
家路に着くや否や、また両親からの批判と説得を受けるが全く耳に入っては来ず、床に就くまでずっとミーナへの説得を考えていた。
しかし翌日ミーナに会いに行くとミーナは誰かに殺されていた。
「…そんな……そんな………ミーナ………ああ…愛しき人よ…」
フレーデルバルドは悲しみと傷心で自暴自棄になり、家から飛び出して自分の事を誰一人知らない場所へと逃げ出してしまった。
突然出て行ったフレーデルバルドにホーエンハイム家は大騒ぎ。
友人達はとうとうやったと呆れ顔で首を振り、父親は家の恥だとフレーデルバルドの出邦を隠し揉み消そうとする。
しかしそんな中笑っている男達がいた。
「ははは、やっと兄上が出て行ったな。お前に頼んで諭して貰い、駆け落ちをさせて家はこの僕が貰うと計画していたが、まさかあの女が殺されて兄上が自ら出て行くとは思わなかった」
「計画通りとはいえませんが結果は同じになりましたのでようございました。アンデルグイード様、計画の成功の暁には家督を継承した後この私を筆頭家臣にしてくださる、と言うお約束は覚えていらっしゃいますか?」
「まぁ、良いだろう。約束は守ろう」
ホーエンハイム家の一室で嫌な笑い声は人知れず流れ続けた。
それから3年、ミーナを失った悲しみの中、フレーデルバルドは愛馬のフィリポスと共に放浪していた。
「やぁ。随分と高い所まで来たものだ。うぉ!おいフィリポス急にどうした?」
急にフィリポスが興奮しだし慌てるフレーデルバルド。
何か危険でも察知したのかと警戒を始めたフレーデルバルドだが、直ぐフィリポスが慌しくなった理由を理解した。
「ああ、そうか。水の匂いがするな。スマンな、ココまで休み無く登ってきたからお前も疲れたであろう。コレだけ水の匂いがするんだ、きっと大きな雪解けの川や泉があるのだろう。よし、着いたらたんと水を飲ませてやろう。それにここは山の上なのに緑が濃い。新鮮な草も沢山生えている。フィリポス、もうひと頑張りしてくれよ」
フレーデルバルドはそう言って愛馬フィリポスの首をポンポンと叩いた。
そしてフレーデルバルドはその先にある森の泉で、自分の運命の人に出会うことになる。
森の泉にまるで高位精霊が具現化したように美しい女が水浴びをしていたのだ。
フレーデルバルドはその女のあまりの美しさに見とれ、瞬きも息をすることさえ忘れ女を凝視した。
まるで自分自身の時間が止まっているかのように。
しかしフレーデルバルドの時間が止まっていようとも、フィリポスにとっては喉の渇きを潤したい。
フィリポスの足は泉へと向かっていった。
そのフィリポスが動く事によって生じた草木のざわめきと土を踏む音で、女はフレーデルバルド達に気付く。
「誰!?」
女の声にフレーデルバルドの時間は再び動き出す。
「人の水浴びの姿を凝視するなんて最低な男ね!」
草木で織られた布で体を隠しキッとフレーデルバルドを睨みつける女。
久しぶりに吸った空気が肺へと入り咽るフレーデルバルド。
咽るのを抑え大きく深呼吸をして改めて女を見つめつつ言葉を発する。
「ゴホッ!スー…ハー……す、すまん。あまりにも、その………あまりにも君が美しいので息をするのも忘れていた…」
フレーデルバルドは唯正直に本当の事を言った。
そう表現するしか先程の美しさを表現する事が出来ず、安っぽい表現では女の美しさを貶めるような気がしたからだ。
「上手い事を言っても誤魔化せないわよ」
「いや、本当にそう思ったんだ。今まで私が見てきたモノの中で一番美しいと感じたんだ。だが失礼、確かに覗き見など紳士のすることではなかった」
「ふぅん、どうやら輩ではないようね」
女の言葉にフレーデルバルドはフィリポスから降りて女へと近づいて跪く。
「私の名前はフレーデルバルドと言う。もしよろしければあなたの名前を聞かせてもらえないか」
「アルティアよ」
「…アルティア」
聞く所によるとアルティアは森の泉の近くで一人で暮らしており親はもうおらず、ずっと一人で暮らしているのだと言う。
フレーデルバルドはアルティアの話を聞くうちに心が弾んでいくのがわかった。
泉のように透き通るような声、太陽のように明るい笑顔、夜の星を集めたが如き煌く金色の髪、白磁の肌に紅を落とした唇はまるで情熱の炎。
この3年間一度も弾まなかった心がアルティアを見れば見るほど弾んでいくのがわかった。
フレーデルバルドは自分の生い立ち、何故自分がココにいるのか、ミーナの事を正直に話しアルティアに愛の告白をする。
しかしフレーデルバルドの気持ちはばっさりと断たれた。
そんな事では諦めがつかないフレーデルバルドは、何回も何回も愛の告白を繰り返す。
だがアルティアは頑なに首を縦に振らなかった。
それはそうだろう。
初めて会った男に急に告白されて頷く女などそうはいない。
それから1年の月日が経ち、フレーデルバルドとアルティアは恋仲に成り見事夫婦になった。
最初は断り続けていたアルティアだが、フレーデルバルドの真摯な態度と情に絆されたのか最終的には首を縦に振ったのだ。
夫婦になり8年、2人は愛し合ったがなかなか子供に恵まれなかった。
だがそれでも良かった、2人は幸せであった。
そんな穏やかで幸せな日々を過ごしていた時、2人はある少年を拾う。
「フレード!泉の前に子供が倒れているわ!」
「何!?おい!大丈夫か!」
「………う」
『新たな系譜の子来たる』
『その者も偉大なる苗のひとつ』
『偉大なる王を守る者』
子供は6歳ほどの少年で。隣国の戦争で親も殺され命からがら逃げてきたのだと言う。
もう何ヶ月もまともなものは食べておらず、子供のその体は骨と皮の状態であった。
2人は哀れに思いこの少年を受け入れ育てる事にした。
そしてその子供も家族に加え夫婦になり10年目、アルティアが懐妊したことが精霊から知らされた。
『新たな苗が生まれる』
『世界を抱き込む偉大なる王』
『悠久の時の王』
『王の中の王になる運命の御子』
「精霊が懐妊を知らせてくれたわ…でもこの子は王になるって…」
「ああ。私はこの子を王になんぞにさせるつもりは無い。それに私はもうあの場所へ帰ることは無い。家族4人でこれからも平穏な時を生きて行こう」
フレーデルバルドとアルティアの子はなかなか生まれる兆候が無かった。
もう既に10月10日はとっくに過ぎそろそろ1年、皆の心は不安にへと染まってゆく。
家族となった少年ことグレインも、生まれるであろう子と母のアルティアの心配で日々を過ごしていた。
そんなある日、フレーデルバルドの元に顔見知った人物が現れる。
「フレーデルバルド様!どうか国にお戻りくださいませ!もうホーエンハイム家の直系の男子はあなた様しかおられません!どうか!どうか!!」
その人物はホーエンハイム家に長年仕える老騎士であった。
「帰れ!私は帰らぬ!」
「そこを何卒!!」
老騎士は悲痛の表情を浮かべ事情を述べた。
フレーデルバルドが国を去って5年後、エルトウェリオン王国は周りの隣国に攻められ力を落としていく。
体調を崩し家督をアンデルグイードに譲ったハイデルジェリオンは隠居し、アンデルグイードは貴族の務めと嫌々戦場へと向かったがすぐに戦場の過激さについていけず病死してしまった。
アンデルグイードの子は正室側室共に皆病弱で、生まれて1年もせずに皆息絶えてしまったのだと言う。
「従兄弟殿はどうした。それに父上の側室や妾の子、それかホーエンハイム家の傍系に継がせればよかろう!」
「その方達も皆戦死いたしました」
「ならば王家から婿を取ればよかろう!」
「王家の男子も王陛下と幼い末の王子以外全て身罷られました…陛下も此度の戦で大怪我を負って動ける状態ではございません」
「なんと…」
「フレーデルバルド様。ご隠居様からの伝言でございます。『家を継いでくれ、継いでくれさえすればもう文句は言わん。誰を娶るも好きにしろ、この家はお前のものだ』確かにお伝えいたしましたぞ」
「…………………」
「ご不満は分かります。しかしエルトウェリオン王国はやっと敵国から勝利を手にしました。王国とホーエンハイム家にはこれからの礎の一人が必要なのです。家柄と血脈、年齢的にももうあなた様しかおらぬのです。どうか、どうかご決断を」
フレーデルバルドは悩んだ。
平穏な日々を捨ててまで愛する妻達に苦労を強いようとは選択出来ない。
だが遠い昔に捨てた筈の家族や友人の顔が頭から離れなかった。
「フレード。あなたが選択して、私はあなたの妻よ。あなたが選んだ道を一緒に支えるだけだわ。それがなだらかな道でも、茨の道でもね。私はあなたを信じてる」
フレーデルバルドは決断を下した。
身重のアルティアとグレインを連れてホーエンハイム家に戻る事を選択したのだ。
家に戻ると体躯の持ち主だった父親は痩せ細りもう歩ける状態ではなく、老いた母と一緒にフレーデルバルドの帰還に感謝し涙した。
両親は伝言どおりアルティアやグレインを悪いようには扱わず、フレーデルバルドをホーエンハイム家に戻してくれた事を心から感謝した。
「……う!」
「アルティア!?どうした!?アルティア!!」
「……生まれそう」
フレーデルバルドが実家へと戻り家督を継いでから数ヶ月、アルティアが懐妊して十数ヶ月強目にしてにして漸く産気いた。
『偉大なる王の誕生』
『私達の愛し子』
『偉大なる系譜の御子』
『延々と続く系譜の祖』
それから間もなくアルティアはホーエンハイム家で嫡男を出産する。
雷のような声を轟かせ生まれてきた男の子だ。
その男の子は元気に育ち、その傍らにはいつも見守るようにグレインが付き添う姿が見られた。
グレインは成人後、フレーデルバルドから領地と家名を与えられることになる。
グレイン・ベルファゴル・アライアス
後に延々と続く偉大なる家のひとつ、アライアス家の初代当主の誕生であった。