第四十八話 花祭り三 -前編-
エルトウェリオンの娘シルヴィア姫は美しく活発な少女であった。
女だてらに剣を使い、エルトウェリオン譲りのあの力を操ることもできた。
そんなシルヴィアをエルトウェリオンは厳しくも溺愛し、民もシルヴィアを慕っていた。
伸び伸びと育ったシルヴィアも14歳になり、そろそろ真剣に結婚を考える時期、シルヴィアはエルトウェリオンに己の夢を語った。
「お父様、私は世界を見てみたいわ!心が躍るような冒険がしたいの!」
「何を言っているんだ。お前はもう14歳。それよりも結婚を考えなさい」
「結婚なんてしたくないわ!私は自由に生きるの!皆私の生まれや顔、そしてあの力のことばかり!誰一人私自身のことを見てくれる男なんていないわ!」
とんでもないはねっかえり娘に育ってしまったとエルトウェリオンは困った。
エルトウェリオンは頭を痛めたが、自分も同じような年の頃に無茶をしてきた分、娘には強く言うことが出来ない。
ましてや自分の無茶はシルヴィアの比ではなかったからだ。
しかしエルトウェリオンもおいそれと認めるわけにはいかなかった。
「いかんものはいかん」
「どうして!?前の年にアクナシオンが生まれたわ!正室たるお母様の子よ!?それにお父様は去年新しい側妃を3人娶ったじゃない!直系の血族ならまだまだ生まれるわ!!」
顔を真っ赤にして反論するシルヴィアにエルトウェリオンは溜息を零す。
「そういう問題ではない。シルヴィア。どんなに血族が生まれようとも皆大事な私の子だ。勿論お前もそうだ。父として子供にわざわざ苦労するであろう道へと進んで欲しくないのだ。ましてやお前は正室の子。他の弟妹のお手本とならねばならない立場だぞ」
「お手本ならもうなっているわよ。4つ下の側室腹の妹は元気に森で狩をしているし、6つ下の側室腹の弟はドレスを華麗に着こなしているわ」
「お手本にする性別が逆ではないのか?」
「個性があって良いじゃない。お兄様だって何も言わなかったわよ」
「あ奴の場合は何も言わないではなく呆れて何も言えなかったの間違いであろう」
「そんな些細な事どうでもいいわよ」
このどこかずれた感覚は誰譲りだろうかと考えながら、エルトウェリオンはシルヴィアの言い分を突き放す。
「兎にも角にもシルヴィア、おぬしの夢は容認できん。暫くは花嫁修業に専念するように。教育係に伝えておく、良いな」
「…………………」
膨れ面でそっぽを向くシルヴィアに、エルトウェリオンは再度強く念を押す。
「良いな!」
「結婚なんて絶対にしないんだから!!!」
バタン!!!
シルヴィアは肩で息をしながら歩き、勢い良く自らの背丈の2倍以上あるであろう扉を閉めた。
乱暴に閉められた扉を見ながらエルトウェリオンは深い溜息をつく。
「はぁ……どこで教育を間違えたのやら…エルバルド。シルヴィアを見張るように伝令を出してくれ」
「ははは、若い頃の君にそっくりではないか。血は争えんな。あの子が一番若い頃の君に似ているよ」
かつての仲間で現在の右腕とも言う宰相は、隠すこともせずに盛大に笑った。
彼はエルトウェリオンに民の憂いを取り除けといった派閥の中心人物で、この国を安定させるために身を粉にして働いてくれる男であった。
そんな宰相を見ながらエルトウェリオンは苦い顔をする。
「笑い事ではない、あれはやると言ったらやるぞ。俺もそうだった」
「分かっているではないか。君も口で言われても分からずに痛い目にあっただろう」
「………」
痛いところを突かれて何も言えず机に体を預けるエルトウェリオン。
「ならばシルヴィア姫も同じ事。好きなようにさせてやれば良いではないか。失敗は成功の元だろう?」
「他人事だと思って好き勝手言いおって……」
「おや、私はシルヴィア姫の事を娘のように思っているのだがね」
「そんなに娘が欲しければいい加減お前も身を固めろ。シルヴィアはやらんがな」
「私の嫁はこの国だ。もう結婚する気も必要も無い」
「臭い事を。だがそのおかげで国が安定しているのだから何も言えんな」
その頃シルヴィアはと言うと、自分の部屋のベッドの上で考え事をしていた。
煮えたぎる心とは正反対に頭の中は冷静で、これからの計画を組み立てていく。
「お父様の事だから私が部屋を出た直後に私の監視の手を強くする様に手配するはずだわ。そうなったら身動きが取れなくなる。なら好機は……今よ!」
思い立ったら吉日とシルヴィアは勢いよくベッドから飛び起き行動に移す。
クローゼットを開け予め用意していた自分と分からない服を着て変装し、剣と鞄と少しばかりの路銀を持って城から抜け出した。
『始まった』
『新たな種が苗になる』
『楽しみだ』
『偉大なる系譜の種』
『世界を抱き込む木の系譜』
跨るは愛馬、腰に吊るすは13の誕生日に宰相から送られた愛剣、精霊の囁く様な笑い声を聞きながらシルヴィアは緑の草原を駆っていく。
「やったわ!私はもう戻らない。長い髪も綺麗なドレスももう必要ないわ。さようなら我が故郷………さようならお父様お母様………さようなら我等が民よ」
シルヴィアが城を抜け出てから暫く経ち、城で監視の手配を終えたエルトウェリオンは書類に向かって署名をしていた。
そんな時、ノックの音と共に宰相が部屋へと入ってくる。
「ノックと同時に入ってくる奴がおるか」
「ここにいますよ。それはさて置き良い知らせと悪い知らせがあります。どちらから聞きますか?」
「2人の時にその口調はやめよ、薄気味悪い………ココは良い知らせからと言いたいが、今は早く問題を片付けたい。悪い知らせから聞こう」
「尊敬する王の前ですからな、失礼の無いようにですよ。では。隣国で飢饉による内乱が発生しました。前からきな臭くなっていましたが、まさかここまで早くとは思いませんでしたよ」
「あそこは資源も農地も少ないからな。しかも今の王は賢王だが世継ぎがあれでは未来が暗い……我が国の国境に難民が押し寄せるだろうな………できるだけ受け入れる準備はしておけ、ただし有能な者から優先だ」
「分かりました。手配いたします。では良い知らせをお耳に入れましょう」
宰相の顔は満面の笑みで彩られていた。
そんな宰相に不気味さと寒気を感じつつエルトウェリオンは先を促す。
「もったいぶってないで早く言え」
「シルヴィア姫が城から脱走しました」
「…………それのどこが良い知らせだ」
数秒間の空白が続いた後、エルトウェリオンは諦めた表情で問い返す。
「して、あれの行方は分かっているのか?」
「はい、大まかには。私が信頼する者に依頼を出しておきました。姫の特徴を書いて、命に関わる事意外は直接的に関与するなと言い含めておいたので姫の希望は叶うと思うぞ」
「信頼信用できる奴なのか?」
「ああ。それは十分にな」
「それと口調が戻っておるぞ」
「緊張して口調が戻ってしまっただけだ」
なんでもないと言う様なすまし顔の宰相。
「ふん、しかし良くこの城の警備の目を盗んで脱走できたものだ。まるで誰か手助けしたようだ」
「親切な奴もいるものだ」
「白々しい。分かりやすい顔をしおって…」
「ははは、可愛い子には旅をさせろだ。親としては複雑かもしれないがな」
「はぁ…………」
「娘を信じろ。大丈夫だ。エルトウェリオン。シルヴィア姫はお前の子なんだ。きっと正しい道を歩んでいくさ」
エルトウェリオンは深い深い溜息をついた後、精霊に向かって祈りを捧げた。
「シルヴィア。…精霊よ、わが娘シルヴィアを見守りたまえ。どんなに困難な壁も、どんなに暗い道もあなた達の光であの娘をお導きください」
シルヴィアが祖国の国境を抜けて広大な大地を愛馬で駆け抜けていく。
「ここまで来ればひとまずは安心ね。絶対エルバルドが面白がって時間稼ぎをしてくれていそうだし、妙に警備が薄かったのもきっとエルバルドね。さてと、この格好なら大丈夫よね。誰がどう見たって男の子だわ」
シルヴィアは男装をしていた。
綺麗な長い髪を剣でばっさりと切り落とし、膨らむ胸をサラシで巻きつけて押さえ込んだ。
シルヴィアは興奮していた。
胸を締め付けるサラシなどを破り飛ばす勢いで心が湧き踊っていたのだ。
これから自分に起こるであろう冒険に。
これから自分が遭遇するであろう出来事に。
それから約10年間シルヴィアは冒険という名の放浪旅を続けることになる。
西に幻の種族がいると聞けば行って友達となり。
東に味わった事もない果実があると聞けば行って舌鼓し。
北に山よりも大きい亀がいると聞けば行って登り。
南に剣の大会が催されると聞けば行って参加した。
初めは一人旅だったシルヴィアだが、いつの間にかその傍らにはある男が横に見受けられ、各地で伝説を作っていった。
その男との出会いがシルヴィアと後の世界の運命を大きく変えることになる。
その出会いこそがもうひとつの偉大なる系譜の祖との運命の出会いであった。