第二百十二話 ダルゴ広場で1
「シモーヌ?」
「ああ、ごめんなさい。バロスガロンと言うのは私の事です。フルネームはシモーヌ・ミィナ・バロスガロンって言うんです」
「大丈夫?」
「ええ、ちょっと面倒をおかけするかもしれませんが…」
先程の緩んだ表情とは違い氷の鎧兜を着たように無表情になったシモーヌは、瞳に負の感情を宿し奴らのいるほうへ歩いて行った。
「いくら知らない街に来て楽しいからって単独行動は控えろよ」
「控えるも何もあなた達が指定した集合時間と場所で30分以上待っていましたが、来なかったのはあなた達でしょう」
「そんなプリプリすんなよ。そんな顔してたら結婚できんぞ。お前まぁまぁ見れる顔なんだから」
「そうですか」
「妾は無理でも愛人として侍ることは出来ると思うぞ」
「興味がないんで」
うわ…あれは無い。
シモーヌの名誉のために言っておくが、彼女はお世辞抜きに美人の部類に入る女性だ。
それに聖帝国では自由恋愛で聖帝国国籍なら身分抜きに結婚できるが、結婚してから妾や愛人を作ったりした場合、表立った罪には問われないが周囲からかなり白い眼をされる。
例えばこれがもし勤め人なら一発でクビを切られ退職金も出ない懲戒解雇にされたり、個人で銀行から融資などの借金をしている場合直ぐに貸し剥がしが行われ、一定期間融資が受けられなくなるなどの厳しい制裁が待っている。
一応抜け道と言うか合法的に妾や愛人を持てる方法はある。
それは子供が産めない体質だったり、もう夜の相手をしたくないと褥滑りを宣言した伴侶から、妾や愛人を作っていいよとお許しが出た時だけである。
あ、ついでに言っておくが遊郭などの色街の場合一応は灰色らしい。
俺も詳しくは知らいが、そういうところに出入りする時には登録が必要であり、偽名などを使って入ることは出来ないようなのだ。
昔色街が犯罪者の隠れ場所だったという歴史があり、ちゃんと個人識別して色街に入らせないという治安維持の知恵らしい。
更に色街でやらかした客に出禁を食らわせたり、未払い料金の請求書を親や親戚、更には嫁子供に送り知らせるなどの手段にも使われるようだ。
ちゃんとしたルールを守るのなら秘密は守るが、破れば一生胸張って太陽の下で生きていけないような制裁が待っている。
だから昔俺がウィルさんに連れられて行った色街の店に入店拒否されたのは、正確には『未成年だから』ではなく『未成年だから登録自体出来ない』からだったらしい。
それを知った俺の感想は勿論、あいつ絶対確信犯でやりやがったな…絶対に許さん。だったことは想像できることであろう。
「ねぇ。ちょっと飛び蹴り食らわしてきてもいい?」
「ゴンドリア気持ちはわかるが自重しろ。俺も今すぐ攻撃魔法ぶっぱなしたいけど我慢してるんだよ」
「女性に向かってあれは無いね。いや…性別とか関係なくあれは無い」
「シエルさんの言う通りです。私も聞いてて本当に不快です」
アクナシオン側の登山家にヘイトが集まっていくのを感じながら、皆いつでもシモーヌに加勢できるように臨戦態勢の準備をしていた。
「なんだい。また古臭い考えのアクナシオニス生が来たのかい?」
「古臭くても何でもいいので双方ともこの生産性のない会話やめにしませんか?ここはアクナシオンでもシルヴィエンノープルでもなくサンク・ティオン・アゼルス学園都市です。迂闊なことを口走ると取り返しのつかないことになりますよ」
「おい。今度は脅しかよ」
「脅しではなく事実です。いくら心でどう思っていようとも軽率な発言は控えるべきです」
至極まっとうなことを言ったシモーネに対し、先程まで話していたエルカイザー生徒は違う生徒が茶化したような口調で口をはさんできた。
それに対して先程から話していたエルカイザー生は、少し引いた仕草をした後周りを見渡している。
広場全体がピリついているのを漸く察したらしい。
「まったくこの国には碌な奴がいないんだな」
「っお、おい。やめたまえ」
「ん?どうしたんだよ。ミクラフスキ」
ミクラフスキと言われた生徒が明らかに動揺している。
アクナシオニス生もだ。
流石に彼等もこの発言のヤバさを理解できているようだ。
「あなた、もしかして留学生ですか?」
「あぁん!?そうだったらどうだっていうんだよ!!なんだお前らも俺らが他国からの留学生だからって舐めてんのか!!?」
俺らと言うことはあのエルカイザー生の中に何人か留学生がいるな……誰だ。
言っておくがアクナシオニスやエルカイザーはどうだか知らないけど、サンティアス学園で留学生が差別されることはかなり稀だと思う。
確かに留学生は多額の学費の支払いや、他国からは身代金ともいわれる莫大な補償金を払わないと入学できないが、それ以外は他の聖帝国籍の生徒と同じレベルで教育が受けられ寮にも入れる。
もし差別されていてもそれは例の豚とドリルの様に本人の性格に難があり、皆から煙たがられているといった事例だけであろう。
だから大半の真面目な留学生は、サンティアス学園に在学中差別を訴えることは無いに等しいと聞いている。
「大体ミクラフスキお前だっていつもアクナシオニスやサンティアスの事をボロクソに言ってるじゃねーか!」
「なっ!」
「そうだそうだ!!なんだよ?サンティアスの総本山に来たからってビビっちまってんのか!?情けねーな!!」
おっと。もう一人の留学生らしき奴が出てきたな。
と言うかあのミクラフスキって奴普段から他校の人たちの事ボロクソに言ってんかよ。
「もう良いから黙りたまえ!」
あ。シモーヌを含めたアクナシオニス生と他のエルカイザー生が少しずつ歩いて距離を置きだしてる。
「俺は自国なら公爵子息なんだぞ!?」
「俺だって伯爵家の出身だ!!なのになんで何の爵位も持たないお前らに偉そうにされなきゃいけないんだ!!?」
「しかも寄りにもよってサンティアスの親なしの孤児っ」
その瞬間、エルカイザーの留学生二人の肌から1センチもない距離に剣や槍の無数の刃物の切っ先が、中距離にはメイスやモーニングスターの打撃武器、長距離からは弓の弦を引いて矢を構え、いつでも攻撃魔法を放てるようにと杖を構えた人たちが群がっていた。
俺の左隣のゴンドリアは視線だけで敵を殺せるほどの凶悪な目で威嚇し、右隣にいるシエルも攻撃態勢に入っており、かくいう俺も精霊経典を開いていつでも攻撃できるようにしている。
奴らの周りにはミクラフスキと他のエルカイザー生やアクナシオニス生が両手を頭の上にあげているのが見えた。
シモーヌも同じポーズをとっており、皆等しく顔色が青白い。
武器は突き付けられてはいないが少なくない人数に取り囲まれている。
「死にたいらしい」
地の底から這い上がってきたような低い声が広場の中心から聞こえてきた。
どうやらショートソードを伯爵子息の首元に添えている40代程の冒険者の声のようだ。
すぐ隣の公爵子息を見れば見慣れた剣が心臓付近から見え隠れしている。
先程俺の後ろにいたはずのルピシーの剣だ。
大勢の人が群がっている為分かり辛いが、どうやらあの一瞬であそこまで移動したらしい。
「聖下の養い子たるサンティアスの一族を侮辱したな。個人への罵りなら許容し認めよう。だがサンティアスへの侮辱だけは許さん」
「あなたたちもよ…先ほど養老院のご老人方を侮辱したわ」
「ぶ、侮辱などしていない」
「お、俺も侮辱していない…あそこには行きたくないと言っただけで…」
「同じことよ」
先程ミクラフスキと罵り合っていたアクナシオン家の息子の顔先にレイピアを構えた20代程の女性の声が、まるで氷のよう冷たくマグマのように煮えたぎったように聞こえてきた。
「お嬢さん。あなたは良い…行きなさい」
「シモーヌ。セボリーたちの所へ行ってろ」
鉈の様な剣を構えた無精髭の30代ほどの男がシモーヌに目線だけを動かしそう告げると、怒気の混じったルピシーの声が聞こえてきた。
珍しい。ルピシーの奴、完全に怒ってるな。
一緒に育ってきた俺でも数回ほどしか聞いたことのない本気の怒り声だ。
ああなると手も付けられなくなるしなかなか治まらないから後々厄介なんだけどな。
「でも…」
「ほらシモーヌ行くわよ」
「ゴンドリアさん」
あれ?ゴンドリアもいつの間にあそこまで行ったんだ?
あいつ今まで俺のすぐ隣にいたんですけど?
「お、俺は伯爵子息だぞ!!?こんなことしてどうなるか分かっているのか!!?」
「私も自国ではグランデ付きの侯爵子息ですが?それが何か?」
珍しい。俺たちの中で一番引っ込み思案なユーリが前に出てきた。
しかも語りたがらない実家のことまで出してるし。
「ハァ!!?っな!?なんだお前は!!?その恰好はなんだ!!!」
「いたって普通の格好ですが。何か?」
いたって普通の格好のユーリちゃんの本日のお題はミルキーピンクの甘ふわロリータだ。
ミルキーピンクのふわふわなシフォンのミニスカワンピースドレスに、同じ色の髪の毛を縦に巻いている。
頭にはヘッドドレスについたミルキーピンクのクマとピケットのぬいぐるみが鎮座しており、元々の2メートル越えの身長を更に高くしていた。
どれもこれも全部ゴンドリアの力作である。
「どこが普通だ!!全ておかしいだろう!!!それにお前男だろうが!!?」
「だから?それが何か?」
と言うか本当に珍しいな。いつも丁寧なユーリの言葉遣いがかなり荒いぞ。
「皆さん私の格好何かおかしいですか?」
「「「「「「いいや」」」」」
広場にいたほぼ全員の声が重なる。
まぁ確かにユーリの服装は最初うちは見ててドギツイ物であったが、仮装大会してると思えば別に何とも思わなくなってくるんだよな。
まぁ色々麻痺しているのかもしれないが。
「男なら男らしい格好をしろ!!女なら女らしくだ!!あのアクナシオニスの生徒の女やその隣の金髪の女みたいに」
「あたし男だけど?」
「「「「…え?」」」」
エルカイザー生とアクナシオニス生の生徒の声が重なった。
残念だったなそいつは確信犯の性別詐欺師だ。
女だと思って声をかけて撃沈していった被害者はとっくに三桁をこえている。
「聞こえなかった?だからあたしは男だと言っているんだけど」
あ。シモーヌも滅茶苦茶驚いてるわ。
「…え?ゴゴゴ、ゴンドリアって男性なんですか?」
「ええそうよ。言っておくけど女装はただの趣味で体も心も男よ。学園の寮も男子寮だしね。ユーリは心が女の子だから女子寮で生活してるけど」
ついでにゴンドリアは学園都市でも結構有名人なので、周りの人たちは何も驚いてはいない。
と言うか俺たちのメンバーはかなり顔が売れているらしく、初対面でも何故か向こう側が俺たちの事を知っているということが多発していたりする。
「お。俺は公爵子息だぞ!お前らよりもずっと偉いんだぞ!!」
お。今度は公爵家のほうが騒ぎ出したか。
でも残念だなうちにはそれより上がいるしな。
「それなら私は自国では王子だが?人口5億人を超す国の王子だが?それが何か?」
「……」
ちょっと待って!?ヤンのマハルトラジャ王国ってそんな人口いるの!?マジで初耳なんですけど!?
いや、もしかしたらチャンドランディア藩王国連邦すべての人口かもしれないな。後で聞いてみよう。
公爵子息もまさか王族が出てくるとは思わなかったらしく、驚きで声が出ないようだ。
しかしそんな中、ダルゴ広場にドギツイ超音波の様な声が響き渡った。
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