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幕間 カリー狂想曲5

色街の入り口付近の建物の1階の店舗で、今日もスパイスのにおいと共に景気の良い声が聞こえてくる。


「美味かった。ごちそうさん」

「ありがとうございました!またおこしくださいませ!」

「魚カリー4辛とサフランライス、マトンカリー3辛とナン一人前お願いします」

「マハルトラジャカリー10辛とバターライスをください」

「お客様。10辛はかなり辛くなりますがよろしいですか?」

「デリーさん。豆カリー5辛とフルーツカリー一人前です」

「了解!」


店員にデリーと呼ばれた男は満面の笑みを浮かべ返事を返すと、鍋に油を注ぎ始めた。


オーナーの足に引っ付いて雇ってくれと懇願したことが、随分と昔のように感じられるようになってきた彼は、1年半ほど前から厨房に立ってカリーを作ることを許されていた。

2年程前カリー同志でもある親会社の副会頭に怒鳴られた結果冷静さを取り戻すことに成功し、オーナーの体からはなれ改めて就職のお願いを乞うた結果、面接が行われることになった。

デリーはその時の光景を鍋にスパイスを投入しながら思い返す。








「先程は失礼いたしました。面接の機会を設けていただきありがとうございます」

「…いえ…熱意は伝わりましたから。熱意だけは……ではお名前をうがかっても?」

「はい!デリスモア・ザイポールと申します。ルオードメセトア領のベルント生まれで中等教育までは地元で、サンティアス学園高等部中退です。前職は迷宮冒険者を10年程していました。年齢は今年で30歳です」

「成程。優秀ですね」

「いえ。とんでもない私は落伍者ですよ。自分の限界を知って逃げだした挙句欲に溺れました。迷宮冒険者になったのも成り行きで、しかも低層にしか潜れない情けない男です」


オーナーことヤンソンスがデリスモアを優秀と言ったのには訳がある。

内部進学者以外がサンティアス学園─特に高等部から─に入学するにはとても狭き門であり、成績優秀者か一芸に秀でた者でしか入学できないとさえ言われているからである。

実際はそうではないがそれに近い物があり、聖帝国の首都であるシルヴィエンノープルの帝立第一学校通称エルカイザーと、学園都市のサンク・ティオン・アゼルス学園の高等部に外部から入学してくる学生たちは熾烈な受験戦争を勝ち抜いてきた者たちであり、優秀な人間が大多数であった。

なのでたとえ中退とはいえ外部から入学できたこと自体経歴に箔が付き、プレミアの一つとして扱われている故、ヤンソンスは素直に彼の経歴を褒めたのだ。


「私は学生をしつつ迷宮冒険者の真似事をしています」

「……」

「私は外国からの留学生です。この店を構えることが出来たのは友人の勧めと、いくつかの幸運をつかんだからに他ならない。それと迷宮に潜る私以外の仲間は皆聖帝国国籍の学生のため、私は試しの迷宮にしか潜ったことがありません。しかし正式な迷宮の恐ろしさは伝え聞いています。例え低層の冒険者といえど10年も潜り続けている方を侮蔑することなど出来る筈がない。逆に10年も良く無事に潜り続けていられたことに尊敬の意を表します」

「……」

「もう一度言いますが、私は幸運をつかんだ結果今があるだけです。この先もその幸運が続くかどうかはわかりませんがね」


ヤンソンスは自嘲気味に口角を上げた。


「…私にとってカリーとの出会いは運命の様なものなんです。こんなに好きになれた物は今まで何一つなかった。毎日食べても飽きず、食べれば食べるほど自分が健康になっていくのが分かる、まさに理想の食べ物なんです。つい先日友人に『そんなに好きならばカリーの料理人になればいいのではないか』と言われた時、衝撃を受けたました。それは正に私にとって天啓の様なものでした。気づいたらいてもたってもいられなくなってしまい、先程の様な醜態をお見せてしまいました」

「…カリーは私の国の伝統食でもあり日常食なんです。つまりチャンドランディア藩王国連邦とその周辺の地域の食べ物は三食全てカリーです」

「理想郷ですね!」

「……」

「行ってみたいです!」


ヤンソンスは再びデリスモアの圧に引いていた。

しかしそんな彼の後ろから声が聞こえてくる。


「素晴らしい!!まさかこの国に俺よりもカリーを愛する聖帝国人がいるとは思わなかった!!」

「…セボリー」


ヤンソンスが振り返るとそこには腰に手を当てた痛い子(セボリオン)が立っていた。


「あ、あなたは?」

「良く聞いてくれた!!我こそはフェスモデウス聖帝国カリー愛好会会長にしてパブリック商会副会頭のセボリオン・サンティアスである!!」

「おお!!」

「…フェスモデウス聖帝国カリー愛好会?なんだそれは?初めて聞いたぞ?」

「あ、ヤンは名誉総裁ね。ヴァン君は副名誉総裁」

「謹んでお断りする」

「恥ずかしがらなくてもいいんだよ?」


ヤンソンスのコメカミ青筋が一筋浮き出した。


「フェスモデウス聖帝国カリー愛好会!!入会事項は何でしょうか!!?」

「ふふふ、それは簡単さ。カリーを愛しているか否かだけだ!!!」

「愛してます!!狂おしいほど愛してます!!カリーの海に浸りたい!溺死しても本望です!!!」

「ィエクセレントォ!!!素晴らしい!君に会員番号4番を贈呈しよう!!」

「ありがとうございます!!!」

「……一応聞いておくが…他の会員は誰だ?」

「まず会員番号1番がヴァン君ね。で俺が2番。3番がルピシーで4番がこの人」


ヤンソンスは自分の名前が無いことに安堵した。

しかしそれは束の間の安堵であった。


「そしてヤン!君は会員番号0番の特別にゴールド会員だよ!良かったね!!」


ヤンソンスの拳骨がセボリオンの頭に炸裂した。


「あ、兄上、大丈夫ですか?今何かすごい音が聞こえてきたんですが?」


音を聞きつけたヴァンサンスが扉から中を覗き込んでくる。


「大丈夫だ。何でもない」

「でもセボリーさんが倒れているような?」

「気のせいだ。何も問題はない」

「…そ、そうですか」


ヴァンサンスは気絶しているセボリオンをぎこちなく二度見しつつ、仕事場へ戻っていった。

セボリオンが不幸だったことは、ヴァンサンスがセボリオンの奇行にある程度慣れていたことと、兄からきちんとした教育を受けていたことが原因であった。


「…あの会長は」

「いつもの事だから大丈夫だ。それと私の前でこれの事を会長と呼ばないように」

「はい!」


デリスモアもオーナーの権力に負け、セボリオンを放置することに決めた。

権力は敬愛よりも強し。


「まぁ理由はわかりました。うちで雇うのも吝かではない」

「本当ですか!!?」

「ああ、だがまだ多くは給料が出せない」

「それは大丈夫です!賄いさえ貰えたらあとは家賃分の給料で十分です!!俺はカリー作りを学びたいので!!何ならこの店で寝泊まりさせていただけたら賄いだけでも大丈夫です!!年中無休で働きます」

「それはダメだ。聖帝国の法律で安息日が決められているのは知っているだろう。あと住むところだがそれは大丈夫だ。ちゃんと調理人用の寮がある。部屋も2部屋ほど余っていたはずだ。賄いもちゃんと出す」

「はい!!」

「ただな…」

「…?何か問題でも?」

「うちの料理人なんだが…」

「はい?」

「アルゲア語が話せないんだ。一応簡単な単語、カリーの注文に関しての単語は覚えさせたが、日常会話どころか意思の疎通も難しいほどアルゲア語が話せない。勉強はさせてはいるが、何分私も弟も学生の身分でいつも店に出るわけにはいかないからな。かなり苦労するとは思う…」

「では私がチャンドランディア藩王国連邦の言葉を覚えればよろしいですね?それで先輩方にアルゲア語を覚えさせれば一石二鳥です」

「それはありがたいのだが、苦労すると思うぞ?何せアルゲア語とは文法が何から違うし、方言や訛りもあるからな。それにチャンドランディア藩王国連邦は公用語だけでも10を超える言語がある」

「覚えます!!絶対に!!」

「…分かった。採用とする」

「ありがとうございます!!!」

「少し脅したが、確かに公用語は10を超えるが、うちの料理人はマハルトラジャ王国の出だ。だからマハル語を覚えれば意思疎通は出来る。なので頑張ってくれ。期待している」

「はい!!ありがとうございます!!粉骨砕身頑張らせていただきます!!!」

「改めて自己紹介をしよう。私はカリーサロン・マハルトラジャのオーナーのヤンソンス・ラージャ・マハトベク・プラサドシンハ・マハルトラジャだ。よろしく」


デリスモアは涙の滲む瞳でヤンソンスを見ながら握手を交わした。





手を動かしながらそんな思い出にふけっていると、同僚の先輩料理人から声がかかる。


『おい!デリー!またヤンソンス坊ちゃんのお友達の変人が来たぞ!今日もキーマかぁ?』

『ダシャさん聞かれたら怒られますよ?』

『大丈夫だって。だってこっちはマハル語で話してるんだからな』

『そうだぜ』

『ルドラさんにヘマントも…言っておきますけどセボリオン会長は言語学も勉強してますから少しは理解されてると思いますよ?』

『ええ?マジかよ』

『皆さんセボリオン会長をボロクソに言ってますけどなんだかんだ言っても嫌いじゃないでしょう?』

『そりゃそうだ!あの人は変人でも良い人だからな!』

『俺たちの事を蔑まないしな!』

『普通なら料理人や使用人なんて物と同じ扱いなのに、あの人は俺たちの事を尊敬の眼差しで見てくれて挨拶もしてくれるからな!』

『この国ではそれが当たり前ですよ。料理人は職人として尊敬される職業ですし、それにそれが好物を作ってくれる人ならなおさらだ』

『最初は知らない国に呼び寄せられて不安だったが来てみれば天国だよこの国は』

『給料も良いから仕送りもできるしな』

『姉ちゃんたちも奇麗なのばっかりだからな!』


その言葉にデリー以外の料理人が一斉に頷いた。


『結婚を焦っちまったかなぁ?』

『お前国に息子も娘もいるんだから気を付けろよ。ヤンソンス坊ちゃんから報告がいってカミさんにどやされるぞ?』

『その分俺は独身だからな!まだ希望がある!!』

『フン!箸にも棒にも掛からないお前なんて、この国の女たちは素通りだろう!』

『皆さんもうアルゲア語理解できるでしょ?なら喋る練習もしましょうよ。ヘマントさんはこの国でお嫁さん見つけたいならアルゲア語をもっと頑張りましょう』

『あのなぁ、俺たちはお前のように頭が良くないんだよ。ある程度は理解できるようになったけど喋るのは別だ』

『俺も読むのは出来るようになったが言葉に出すのは苦手だな』

『俺はどちらも苦手だ。2年で4つの言葉覚えたお前と一緒にすんな!』

『俺はカリーに命を懸けてるからですよ。カリーのためなら言葉だって覚えます』

『『『狂ってやがる!』』』


厨房で馬鹿話をしていると、扉からヴァンサンスが顔をのぞかせる。


『皆喋ってもいいけど手を動かして仕事しなさい』

『『『『はい!!』』』』

『キーマカリー4辛とゆで卵、サグカリーの5辛にサフランバターライスとチーズナン一人前、あとチャパティ二人前、大至急。ラッシーは僕が作る』

『『『やっぱりまたか!!!』』』

「さぁ今日も会長のために心を込めて作りましょうかね。カリーの精霊に感謝を」


一瞬の祈りを捧げ忙しく動き出した男の顔には子供の様に満面の笑みが見て取れた。







「すいませーん!麦酒1杯くださーい!!」

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