幕間 カリー狂想曲2
男が並び始めて約20分、店の入り口付近まで進むことが出来た。
予想よりも大分早い進みで男は内心驚いていたが、それと同時に扉から出てくる人たちの顔を見て期待を大きくし、店内から漂ってくる匂いに更に想像を膨らませた。
(ああ、なんていい匂いなんだ。こんな匂い今まで嗅いだことがない)
「メニューでございます」
「お、あ、ありがとう」
目を閉じて香りを楽しんでいると、煌めく金髪の少年がメニュー表を渡しにきた。
男はメニュー表を開くと驚き目を最大限に見開いた。
(なんてわかりやすいメニュー表なんだ。料理ごとに絵と詳しい説明がついているじゃないか。何々?マハルトラジャカリーは一番親しみやすく食べやすいカリーで、マイルドな辛さが特徴でナンと言うパンに合わせるのがおすすめ。キーマカリーは細かく刻んだ肉を野菜と一緒に水気が少なくなるほど煮込んだカリーで、サフランライスと相性が良い、か)
十数種類のカリーの説明を熟読していると、煌めく金髪の少年に入店を促されメニュー表を返し、席に案内された。
(参ったな。正直言ってどれを頼もうか選びきれないぞ。しかも辛さも調節できるし、付け合わせも追加できるとは)
男が席に着くと目の前にもメニューがあり、再びメニューをにらめっこした後、覚悟を決めたように店員を呼んだ。
「すみません」
「はい!」
注文を取りに来たのはハニーブロンドの髪を後ろにまとめて帽子をかぶり、エメラルド色の瞳が印象的な美少女であった。
「マハルトラジャカリーの3辛とナン。あとこのサラダをひとつください」
「はい、ありがとうございます。マハルトラジャカリー3辛とナンをひとつ、カチュンバルサラダをひとつですね。少々お待ちくださいませ」
注文を終えると、男は少し落ち着いたのか店内を見渡す。
(店の大きさとしては厨房も併せて30坪くらいか?内装は異国情緒はないが、清潔感があって気持が良いな。みんな笑顔で食ってるな。そんなに美味いのか。しかし本当に良い匂いだ。嗅ぐだけで食欲をそそられるぞ)
男は他の客が食べている姿を見ながら、出てくるであろう料理の味を想像した。
「お待たせいたしました。カチュンバルでございます。カリーとナンはまだ少々お時間を頂きます」
「ありがとう」
笑顔で返事を返した男は、テーブルに乗せられたサラダを凝視した。
(ほぉ。本当にトマトときゅうりを細かく切って混ぜたサラダだな。少し豆も入っているが、この豆は何の豆だろうか?さて、味はどうだ)
フォークを取りサラダをすくって口へと運ぶと、男は驚いた。
(サラダなのに少し辛い!しかもこれは唐辛子だけの辛さじゃない!数種類のスパイスを使っている!!)
「おまたせしました。マハルトラジャカリーとナンです。うん。ご注文の品はこれで全てで良かったでしょうか?」
「ああ、ありがとう」
味を確かめるように慎重にサラダを食べていると、白髪の眼鏡をつけた少年がカリーとナンを持ってきた。
男は運ばれてきたカリーをまず凝視し、そして上がってくる匂いを楽しんだ。
しかしそこで男はあることが気になった。
(どうやって食べたらいいんだ?どのようにしたら美味しく食べれるんだ?)
そう思った男は忙しく動き回っている中申し訳ないと思いつつも店員を呼び止めた。
「すみません」
「はい」
呼び声を上げるとすぐに少し茶色がかった肌のエキゾチックな顔立ちの少年が来てくれた。
「初めてなのでどうやって食べていいのか分からないのだが、教えてもらえないだろうか?」
「はい。こちらのカリーですが、そのまま食べていただいても良いのですが、お客様が一緒にご注文していただいたナンを千切ってカリーにつけて食べていただくのが一般的な食べ方になります。他にもライスでしたらライスの上に直接かけたり、逆にライスをスプーンの上にのせてカリーに浸して食べるという食べ方もございます。現地では色々な食べ方や逆に禁止されている食べ方もあるのですが、ここは聖帝国ですのでお客様のお好みに合わせてお食べ頂いてもよろしいかと思います」
「そうなのか。どうもありがとう」
後にこのエキゾチックな少年の弟から、現地ではスプーンをあまり使わず素手で混ぜたり、更には素手で直接口へ運ぶや、食事の時は基本的に左手は使わないと聞き、男は衝撃を受けることとなる。
そして元々左利きだった男はカリーを食べる際、右手だけで食事をする習慣を自身に義務付けるという何とも言えない制約をつけるのであった。
説明に納得した男は、再び運ばれてきた料理を凝視する。
(絵の通り、やはり茶色が多いな。実物を見ると一見シチューのようだが香りは全く違う。どれ)
男は籠に入っていたスプーンを手に取るとカリーをすくい、恐る恐る口へと持って行った。
(美味い!辛い!………なんだこの料理は!?色んな食材の味がする!!なんて複雑な料理なんだ!!もう一口、あれ?)
男は驚いた。
何故なら先ほど器いっぱいにあったカリーが殆ど無くなっており、もう器の底が見えていたからである。
(お、俺はいつの間にこんなに食っていたんだ?記憶がないぞ?いや、でも何か食っていたという記憶はある…まさか無意識のうちにこれだけ食ったのか?なんてことだ!)
男は愕然としたがすぐ立ち直り、すぐにカリーと共に運ばれてきたナンを食べようと手を伸ばす。
(表面に油が塗ってあるのか少し油っぽいな…おお!まだ温かいぞ!……うん!美味い!不思議な食感だ。表面は佐サクサクしているのに中はモチモチしていて、少しの塩味と甘味そして酸味がある!この少し焦げた感じもいい味を出している!シンプルだが奥が深い味をしているぞ!!)
男は再びナンを千切り、今度は少なくなったカリーにつけて食べてみる。
(っ!!!)
男は電撃に打たれたかのような衝撃を受けた。
それと同時に今まで味わってきたことがないような幸福感に満たされていく。
それはまさに天国、男の顔もヘブン状態であった。
恐らく周りにいた客たちも男の顔を見ていたら引いていたことであろうが、幸いなことに他の客たちも自分たちの目の前にあるカリーに夢中だっため男のヘブン状態に気づかず、店員たちも忙しく動き回っていたため同じく気づくことはなかった。
不幸中の幸い。いや、天国中の幸いであった。
男は無我夢中で残りのカリーとナンに食いついた。
そして気が付けば、まるで奇麗に洗われた後の様な器と皿だけしか残ってはいない状況に絶望した。
そしてもっと食べたいという渇望が沸々と湧き上がっていき、男は声を上げる。
「すみません!!!マハルトラジャカリー4辛とナンをおかわり!!それとキーマカリー3辛とサフランライスをひとつください!!」
それは無意識であった。
まるで条件反射のごとき俊敏さで男は注文を発していた。
「…かしこまりました」
先程食べ方を教えてくれたエキゾチックな顔をした美少年の店員が、少し引き気味に返事を返して去っていくのを、男は心ここにあらず状態で見送った。
(なんなんだなんなんだなんなんだ!!この料理はなんなんだ!!一口食べることに後を引く料理なんて今まで食べたことがない。これはまさに料理の芸術だ!!)
男はまるで今食べたものにオクスリか何かヤバイ物でも入っているのではないか、と疑うくらいの勢いで空になった器を凝視し、残っていたカチュンバルを貪った。
(まだか?まだか?早く来い!ああ!早くもっと食べたい!!)
待っている男の姿はまるで何かの禁断症状に襲われ、それに必死で耐え忍んでいる様に酷似していた。
そんな男の行動を、空いた食器を素早く片付けていたピケットを乗せた少年は、心の中で新世界の神のような笑い顔を浮かべながら見ていたのであった。
「おまたせしました。マハルトラジャカリー4辛とナン、キーマカリー3辛とサフランライスでございます」
料理が運ばれてきた瞬間、男は待っていましたとばかりにナンに手を付ける。
「熱っ!!」
「焼きたてですのでご注意ください」
店員の言葉を半ば無視するような形で男は熱々のナンに再び手をかけると、今度は熱さも気にせずにナンを千切ってカリーへ浸し、口の中へと放り込んでいく。
(ああ!これだ!これを求めていたんだ!!)
そして男は5分もたたずに再びマハルトラジャカリーとナンを食いつくした。