幕間 カリー狂想曲1
カリー。
それは今まで食べてきたどの食べ物よりも中毒性があり、多くの人を魅了し、より幸福を与えてくれる食い物であると男は思っている。
これはそんなカリーに魅了され憑りつかれた男の物語である。
あれはおよそ2年ほど前の出来事。
世界のどの国よりも豊かで先進的な聖帝国の中でも、帝都シルヴィエンノープルとサンティアス学園都市は別格と言われるほど栄えており、流行の最先端を行く都市。新しい文化が次々と入り込み、そこらかしこで流行が生まれていく。
そんな場所にまた新しい文化の風が吹き込もうとしていた。
学園都市の中心部から少し南に位置する色街に近い繁華街、その入り口近くのビルの1階にとある飲食店が開店した。
新しい店ができる。それはいつの時代にも繰り返されてきたことである。
新規開店前にビラが配られ、道行く人々も興味をもち一度は足を運ぼうかなどと思うが、そのほとんどはその時の一過性の思い付きに過ぎず、時がたてば忘れ去られていく。流行れば繁盛し、廃れれば即閉店する。
『どうせすぐ潰れて新しい店がまたできるだろう』
男も最初のうちはそう思っていた一人であった。
その男はルオードメセトア領の田舎町で生まれ育ち、幼い時より成績優秀だったため学園都市の高等部に進学した。
生まれ育った町ではその男に勝てる同世代の人間など一人もおらず、男は意気揚々自信満々に学園都市へと乗り込んでいった。
しかし井の中の蛙大海を知らずとは良く言った物で、高等部に進学してすぐ男は自分の能力の限界を知ることとなる。
義務教育が終わる中等部までとは違い、高等部からはある分野に秀でた者や、その分野をどうしても学びたいという人間が全土から集まってくる。
さらに世界の学の権威と言われるサンティアス学園の高等部になると、世界中から優秀者が集まってくるわけで、頂点だった男の成績はほぼ最下層になり、大将を気取っていた男の高い鼻は見事にへし折られ、己は田舎の猿山の大将で、この場所では足軽のような一般兵であることを思い知らされたのだ。
男はそれからテンプレートのように坂道を転がり下りていった。
高等部を自主退学し、酒に溺れ色にも溺れた。
金が底をつき、住むところもなくなったが男を故郷に帰ることはなかった。いや、帰ることが出来なかった。男には落ちぶれてもまだくだらない恥があったのだ。
故郷に錦を飾ると言い出てきたものの、今の男には錦どころか襤褸切れすら飾れない状態であり、そんな落ちぶれた自身の姿を見せたくはなかったのである。
金を得るために定職を探すがうまくは決まらず、男は更に酒に溺れ、やがて日雇いの仕事で食いしのいだ。
モヤシのような体も肉体労働で鍛えられ、日雇い仲間に誘われて迷宮冒険者として迷宮に潜る日々を送っていたが、男はまたしても己の限界を感じていた。
迷宮で稼いだ金で住処を借り、食うに困らないだけの金を稼ぐことは出来た。
だが魔力もないに等しく肉体にも恵まれず優れた技能も有していない、そんな人間が迷宮冒険者として大成できるはずがなく、低層の階で燻ぶっているだけの日々。そんな毎日を送っていても己の人生が好転する筈もない。
ならば迷宮冒険者を引退するかと言われれば、どうやって生活をしていくのかと思いとどまり首を横に振るしかなく、かといって何か新しく始めたいことなどもなく、始めようとする気力さえない状態であった。
そんな生活を送り気付けばもう齢30の足音が聞こえてきたある日のこと、珍しく少し大きな儲けを出し久方ぶりに色街で遊ぼうかと歓楽街へ足を運んだその瞬間、男は自分の運命を見つけた。
「ん?何か嗅いだことのない匂いだ。なんだこの匂いは?だがいい匂いだな。あれか?」
男の視線の先には新規開店祝いの花が飾られた真新しい店があり、入り口から長蛇の列が連なっている。
看板を見てみればそこには『カリーサロン マハルトラジャ』と大きく描かれており、近づくに連れて店から漂ってくる暴力的なまでのスパイスの香りが男の鼻をくすぐった。
「カリー?なんだそれは?おそらくは食い物だろうがいったいどんな食い物なんだ?」
恐らく開店して間もない店で、珍しさで客が並んでいるのだろうが、この人の列はただ事ではない。
新しい物好きの聖帝国っ子としてはここは並ぶべきであろうかと悩んでいると、入り口から店員であろう少年たちが数人出てきて、並んでいる客の注文を取りはじめた。
「なぁカリーってどんな料理なんだ?」
「ご質問ありがとうございます」
男の疑問は列の半ばに並んでいた客が聞いてくれた。
「カリーとは聖帝国からはるか東にある国チャンドランディア藩王国連邦の国民食でして、数種類のスパイスを使って野菜や肉を辛めに味付けしたスープに、お米やナンと言うパンの一種を浸して一緒に食べる料理です。他にも色々なものと組み合わせたりして無限の組み合わせができるご当地食でございます。辛さも自由に調節できますのでお子様でもご安心して食していただけます」
育ちの良さそうな煌めく金髪の美少年がスラスラと説明してくれた。
「最後尾はこちらです!順番にご案内いたしますのでお並びください!今お並びになると約30分待ちとなっております!」
デカい褐色の男の様な女?が最後尾で立札を持って案内している。
大きいのでどこが最後尾なのかよくわかるな。
「カリー!!一度食ったら病みつきになるカリー!!一度は食っておかなきゃ損だぜ!!もちろん俺も大好物で閉店後鱈腹食わせてもらうぜ!!どうだ!?すごいだろ!!?」
おい!あれってこの前発売されて爆発的に売れている本の作者じゃねーか!?
確かあの男が美味いといったものは必ず美味いって言う話だよな?
「おい!ルピシー!!ちゃんと客引きしろ!!さぁ~寄ってらっしゃい見てらっしゃい食べてらっしゃい!!ピリ辛で美味しい美味しいカリーは如何!?聖帝国っ子なら一度は食しておかないと損だよ!一度食べれば後を引くマハルトラジャのカリーはここでしか食べれないよ!!」
肩に大きなピケットを乗せた少年がメニューを客に渡しながら宣伝をしている。
飲食店に動物はどうなのかと思ったが、あのピケット最近話題のピケットだ。
大人しくて賢く、食べ物を貰うとちゃんとお礼をすると有名だ。
この前など食い逃げ犯を風の魔法で捕まえていたのを見たぞ。
食い終わったのであろう奴らが、笑みを浮かべ満足そうな顔で腹を摩りながら店から出てくる光景を見て考えた。
入ってみるか?いや、でもこれから色街に繰り出す予定だ。
でも待ち時間が約30分だろ?今の時間は……5時前か。一戦交える前に腹ごしらえするか?
思わず唾を飲み込み喉が鳴り、そして腹の虫も鳴り出した。
ああ、腹が減った。
「ありがとうございます。列になってお並びください」
男は無意識のうちに列の最後尾に並んでいた。
それこそが後にこの男の人生を変えた行動であった。
明けましておめでとうございます。
本年も宜しくお願い致します。