第二百三話 深夜の襲来二
おっさんに名前を呼ばれ、俺は扉の外へと出て行った。
「ベリアル!!!」
侯爵が叫ぶと同時に周りの人たちが息を飲む音が聞こえる。
「おお…良くぞ…良くぞ無事で…生きておった…」
以前見た時と同じくミルキーブラウンの髪に鳶色の瞳。
身長は俺と同じくらいかそれより低く170はないだろう。
異常なほど細く痩せ細っており、頬はこけ目には隈が濃く乗っている。
おっさんよりも20程年上らしいが、80歳近くに見えた。
涙ながらに呟いているが、体を数人の男たちに拘束されたままである。
「放してくれ。もう暴れん」
先程の怒気の混じった声とは全く違う、穏やかな声だ。
侯爵を拘束していた人たちが、一人また一人と侯爵から手を離していく。
自由になった侯爵が俺のほうに歩いてくるが、先に俺に近づいてきたのは全く知らない人だった。
その人は俺の前に歩み寄ると、そのままの勢いで膝をつく。
「ベリアルトゥエル様。長きにわたるご不在からのご帰還、心よりお喜び申し上げまする。デュセルバード領全ての者があなた様のご帰還を心待ちにしておりました。最後に若様にお目にかかったのは約15年ほど前ですが、ご立派になられた姿を拝見することが出来、このジークムント感無量でございます」
ああ、この人がジークムントさんね。
先程侯爵にズバズバ意見を言ってた人。
顔は近づいてきたときにチラっと見えたけど、おっさんたちと同じ50代前半くらいに見える。
190センチ以上の上背にがっしりとした体躯、瞳の色は頭を下げているので見えないが、髪の毛は黒髪に白髪が混ざりごま塩のような色だ。
俺はなんと返せば良いのか分からず、一応お礼を言っておいた。
「……ありがとうございます」
「おい、ジーク…主より早くベリアルに言葉をかけるな」
「こうしてご成長されたお姿を拝見しますと、若様はバルシネイラ様似でございますな」
「おい。だから」
侯爵の言葉を無視してジークムントさんは更に言葉をつなげる。
「髪と目の色は違いますが、幼い頃の姫様に良く似ておいででございまする」
「あの…頭を上げていただけませんか?」
「若様達が何処かへお消えになられてから、お屋形様はずっと若様達をお探しになられておられました…もちろん某らも我武者羅にお探し申しておりました。ですが足跡さえ分からずじまいの日々。若様達がお消えになられてからの数年、お屋形様はまるで狂ったようでございました……某ら家臣の言葉も耳には届かず、食事も殆どおとりにならず、寝ることさえ放棄していた時期もございました…」
ジークムントさんは頭を上げることもせず独白を続けた。
「祈りを捧げ、いつ何時でも若様達の情報を耳に入れることが出来る様にと、あれほどお好きであった酒も一切断ち、公務以外の外出も全くしようとはいたしませんでした。ようやっと…再び酒を嗜まれるようになられ、浅くでも眠れるようになったのはこの数年ほど前のこと……いつ…いつか屋形様が自らお隠れになられてしまうのではないかと、家臣一同気が気ではございませんでした」
ジークムントさんの声がだんだんと震えていく。
良く見ると床が涙で濡れていた。
「ベリアルトゥエル様…まことにご帰還お喜び申し上げると共に、心より感謝いたします…デュセルバード領の繁栄と、聖帝国の未来に栄光あれ!!」
ジークムントさんは騎士の礼をとったあと、頭を上げ俺の顔をまるで眩しい物を見るかのように見つめた。
「ジーク…」
侯爵がジークムントさんの横へ立ち、彼の肩に手を乗せた。
「済まなかった。心配をかけた…」
「…いえ!いえ!!お屋形様のご苦悩に比べれば詮無きこと!!!それにベリアルトゥエル様がお戻りになられましたが、お屋形様のご悲願はまだ成就されてはございません!!ご家族が全て揃ってお戻りになるその日まで、我ら家臣一同お屋形様をお助けいたし申す!!」
侯爵が年齢よりも老けて見えたのは、心労と睡眠不足でやつれたせいなのかもしれない。
きっと身体的、精神的にもギリギリの状態だったのだろう。
家臣さん達も、侯爵自身も。
「ヴェルナス、中に入れ。セボリオン、お前も部屋の中へ。皆、暫く二人だけにさせてやってくれ。よろしいか?ジークムント殿」
「承知いたしました」
俺と公爵を部屋の中へ導くと、おっさんは吹き飛ばされた扉を枠にはめて出て行った。
「…………」
「…………」
お互い向かい合って椅子に座っているのだが、おっさんとのやり取りよりも会話が発生せず、侯爵はただ俺の顔をずっと見ているだけで、先ほどの饒舌はどこへやら何一つ声を出していない。
「…どうも」
「っ!!」
気まずさに俺が声をかけると侯爵は一瞬体をビクつかせた後、まるで堰を切ったかのように号泣し始めた。
「…初めまして、ではないですよね?侯爵は俺の赤ん坊の時を知っていますし、俺は以前アライアス公爵の苗木剪定の儀の時にお会いしていますから」
「ベリアル!!!」
侯爵は椅子から立ち上がり、俺を抱きしめた。
その細腕のどこに力があるのだと言うほど、強く強く抱きしめた。
「ベリアル!ベリアル!!良う戻った!!!良う戻ってきてくれた!!!漸くご先祖様に顔向けできる…お前たちがいなくなってから儂は、儂は……」
それから侯爵が何を言っているのか良く聞き取れなかった。
歓喜の言葉、懺悔の言葉、怒りの言葉、戸惑いの言葉、悲しみの言葉。
全ての感情が合わさって侯爵自身整理がつかないようであった。
「…あの時…」
「うん?」
「…アライアスが選定される時…其方を見て幽かにバルシネに似ていると、心の何処かで感じておった……」
「…」
「だが…まさか本当に其方だったとは…」
「そんなに似てますか?」
「ああ。似ておる。儂が愛した女バルキルシュの娘、バルシネイラに良く似ておる…こんな立派に育って…」
侯爵はそういうとまた静かに泣き出した。
「侯爵」
「……」
「ありがとうございます。ずっと探していただいて」
「ベリアル…辛い思いをさせて済まなかった…寂しい思いをさせて済まなかった」
「侯爵。俺は一人じゃありませんでしたよ?」
「うん?」
「俺には家族がいましたから。サンティアスの兄弟姉妹たち、商会の友達。教団の大司教に、オルブライト司教。それに侯爵、あなたも。皆俺の大事な家族です」
侯爵は俺の手を取ると、自らの額に手を付けた。
「儂のほうこそ感謝じゃ……本当に、ありがとう」
部屋の小さな明り取りの窓から、朝日の光が俺たちに降り注いだ。