第百九十五話 真名
「フンフフフーン♪」
腹も膨れ魔力も大分回復し上機嫌で商会事務所へたどり着いた俺は、何の衒いもなく扉を開き中へと入った。
「たっだいまぁ!ん?…あれ?」
俺は元気よく帰還の挨拶を告げたのだが全く反応が返ってこない。
誰もいないんだったらわかるんだが、扉の奥のオープンスペースにはルピシー以外の全員が集まっているのが確認できる。
「み、みんなどうしたの?」
「…ああ、おかえりセボリー」
どうやら本当に気が付いていなかったらしく、シエルが返事を返してくれた。
でも反応が滅茶苦茶薄いんですけど。
「体のほうは大丈夫か?まだ少し顔色が悪いぞ」
「ああ、うん。大丈夫もう平気」
ヴァン君の件で愚痴を言ってやろうと思っていたのだが、ヤンも微妙に反応が薄い。
「お茶飲みますか?」
「じゃあお願い」
「そうだ。あんたの正礼服、あんたの部屋に入れてあるからね」
ユーリはお茶を用意しに行き、普段の女装姿に戻ったゴンドリアが俺の部屋のほうに指をさした。
「そうだ。フェディ。あの薬の後味何とかならないのか?すっごい不味かったんだけど」
「良薬口に苦しだから無理、うん」
「でもロイズさんにもらった薬は」
「あの人は例外中の例外だから。それにあの人の作る薬でも不味いのはあるって本人が言ってた、うん」
何か考えるようにずっと顎に指をあてていたフェディが冷たく言い放つ。
「ところでなんでみんなこんなに沈んでるの?」
「…実はね」
何やらあったらしく、シエルが説明をしてくれた。
どうやら俺が帰ってくる約10分ほど前に来客があったらしいのだ。
初老過ぎの70を超えたほどの見た目の人物で身なりが良く、やばいほど血走った眼をしていたらしい。
そんでもって急に扉を開けて入ってきたと思ったら、何かを叫びながら事務所の奥へと入っていこうとしたようなのだ。
これはただ事ではないと思い、必死でその人の行く手を遮り事務所を死守したらしいのだ。
それでも暫くそのような攻防をしていたらどうやら諦めた様で、また何かを叫びながら出て行ってしまったらしい。
何それ?話を聞くだけでメッチャ怖いんですけど!!
「少しだけ聞き取れたんだが、ベリアルトゥエルは何処にいる?と言っていたな」
「ああ、言ってたわね。それでそんな人知らないから知りませんって言ったのよ。そうしたらそんな筈はない、絶対にいる筈だって。埒が明かなかったわ」
…え?それ俺のことじゃね?
「でも僕あの人を何処かで見たことがあるんだよね」
「シエルも?実は僕もそう、うん。でも思い出せない」
「お待たせしましたお茶ですよ。セボリーさん!どうしたんですか!?顔色が真っ青で汗もすごいですよ!!?」
「え~~っと…」
「どうしたの?何か心当たりがあるのかい?」
「病み上がりなんだから無理はするなよ」
俺が言い淀んでいるとみんなが心配そうにこちらを見てくる。
あ~これは言わなきゃいけないかな?
「あのさ、実はさ。ゴンドリアは知ってると思うんだけど。俺たちサンティアスの養い子って未成年の時って本名を教えられないんだよね。それでさ、成人すると今まで名乗っていた名前を名乗るか、元々の名前を名乗るか、それとも両方の名前をつけ足して名乗るかを選ぶわけなんだけど…」
「そうね。私も先日選んできたわ」
「ゴンドリアはどっち選んだんだ?」
「私は今まで通りの名前にしたわ」
「そうなんだ。ルピシーはどうか聞いてる?」
「あいつはそのままで通すつもりだったようだけど、ロベルトがこの名前もカッコいいって言ってたから元の名前をつけ足したらしいわ。ついでにロベルトは今まで通りのを選んでたわ」
「へぇ」
「それはそうと、セボリーの話の続きは?」
「ああ。そうだった」
話が脱線しそうになったのを感じ取ったのかシエルが修正をかけてきた。
「俺この前まで意識不明だったじゃん。だから選んでなかったんだよ。でも強制的に決められたらしくてさ」
「誰によ」
「あのおっさんぽい」
「オルブライト司教か。あの人だったらやりかねないな」
「でね。さっき院長先生から俺の本名を聞かされたのよ」
「何て名前だったの、うん?」
「ぶっちゃけ長すぎて全部覚えてないんだが、最初の名前がベリアルトゥエルだった…」
「「「「「………」」」」」
沈黙が痛いんだが。
「…じゃあ。さっきの人の探し人ってセボリーのことだったってことよね?」
「人違いじゃなければそうだろうな」
「何か心当たりはあるの?」
「わからな……いや、何となくあの人じゃないかなと思う人はいる」
「誰だ?」
「あっ!!」
「ん?どうしたシエル」
「思い出した。さっきの人」
「え!?誰誰!?」
「あ~でももしかしたら違うかも…」
「どっちよ」
「ちょっと待って。フェディ」
「うん?」
シエルはフェディに何か耳打ちをした。
「…うん!そうかも!だから見たことあったのかも、うん!でもぼくは遠目で一回しか見たことないから…」
「僕も小さい頃にちょっと会っただけだからね。でもそうだと思うんだ」
「ちょっと!結局誰なのよ!!」
シエルは意を決したかのように俺の顔を見た後、少し言いづらそうに口を開く。
「デュセルバード侯爵様」
「へ?」
「な、なんで侯爵様がこんなところにいらっしゃったんですか!?」
おい、ユーリ。こんなところ言うな。
「それで、セボリーの想像してた人は誰だったんだ?」
ヤンが神妙な顔つきで俺に質問してくる。
「同じくデュセルバード侯爵かレライエント大公だけど…」
俺も一回だけデュセルバード侯爵を見たことがある。
ウィルさんの苗木選定の儀の時だ。
俺はジロジロ見られていたが、俺自身は三公爵とフェディの伯母さんに当たるノインシュヴァク伯爵しか詳しく見ていなかったので、あまりどういう人だったか記憶がない。
覚えているのはそんなに大きな人ではなかったということくらいだ。
「レライエント大公の爵位は今空席の筈だよ。何があったかわからないけど、今のデュセルバード侯爵がレライエント大公だったらしいんだけど、15年ほど前に降爵されて侯爵になられてる」
「え?なんでですか!?普通なら次代に爵位を引き継がせますよね?」
「それが良く理由がわからないんだ。父上やおじい様に聞いても答えてはくれなかったしね。僕の予想だと前デュセルバード侯爵が何か罪を犯したんじゃないかと思う」
「確か前デュセルバード侯爵って女性だったわよね?」
「うん。そうだよ」
「おい。また脱線しかけてる。話を戻そう。なんでデュセルバード侯爵がセボリーを探していたか、だ」
いつもならシエルが話の脱線を直してくれるのだが、どうやら今日はヤンがその役目を買って出ているようだ。
「俺の本当の名前…」
「うん?」
本当に言ってもいいんだろうか?
ここで俺の真名を言ってもこいつらは引かないだろうか?
真実を知っても前みたくバカみたいな話をしてくれるのだろうか?
「俺の本当の名前の苗字は……レライエント・デュセルバードって言うらしい」
「「「「「…………」」」」」
暫くの間沈黙が続き、空気が重く感じられた。
「それは真名かい?」
またもシエルが沈黙を破った。
「…そう」
「真名?真名って何よ?」
「フェディは知ってるか?」
「う~ん?ごめん。知らない、うん」
「ユーリは?」
「私も初めて聞きました」
「…ハァ」
シエルが本当に困ったと言うように額を手で押さえため息をつく。
「…あんまり言いふらしちゃいけない話なんだけど…皆、黙ってられるかい?」
俺とシエル以外の皆が重くうなずいた。
「じゃあ今から話す内容は他言無用で。特にユーリとヤンは絶対に言ってはいけないよ。他国の人間が口にしたら恐らく記憶を消されて国外追放になってしまうから」
シエルの言葉に部屋の空気は先程よりも重く張り詰めた。
「真名とは本当の名前のこと。でもただの本当の名前じゃない。戸籍謄本に載っている名前と同じ名前だとしてもそれは真名とはなりえない。真名とはこの世界の記憶に直接記憶させた名前のことを真名という」
「世界の記憶?」
「僕たち24家の人間の中でも直系の人間にしか教えられていない秘中の秘の中の一つ。24家出身で爵位を賜る、もしくは賜るであろう人間しかやらない儀式がある。それが真名登録の儀式だ。僕も卒業後、エルドラドへ帰ったら登録するらしい」
「…真名登録の儀式」
「ただし」
ここでシエルが顔の前に人差し指を立てて持ってくる。
「ただし。本当の正式な登録ではないらしいんだけどね」
「どういうことだ?」
「どうやら本当の真名登録は正式な手続きを踏んで行わなければならないらしいんだけど、その方法は僕も知らないし、父上たちですら知らないと言っていた。だから僕がするのは仮登録だと言われたよ」
「レイナーズを用いて誠実なる宝玉で登録しなければならない…」
「レイナーズ?」
「誠実なる宝玉?」
俺が無意識に小さく呟いた言葉はどうやら皆に聞こえたらしい。
「誠実なる宝玉は精霊道具だよね?でもレイナーズは初めて聞いた」
「…俺も昨日初めて聞いたんだ。それで今朝レイナーズとは何かを院長先生に聞いてみたんだけど、かたくなに教えてくれなかった。それにその言葉を聞いただけで震えてたんだ。己がそれを知ることも聞くことすら烏滸がましいと言っていた。世界の記憶も同じだ。それと…」
俺は皆の顔を見渡した。
「それと。俺は正式な真名の登録で世界の記憶に登録されたらしい」
「アカシックレコード…それは世界の記憶のことかい?」
「ああ。その読み方が正式なものらしい。俺は頭の中で声が流れるときがある。昨日倒れる前に誠実なる宝玉での真名登録が完了したと聞こえた」
「世襲貴族の苗字と、彼らが住み治める都の名を名乗ることを許されるのは24家の直系とその伴侶だけ─」
最早この場で口を開いているのは俺とシエルだけであった。
「セボリオン。いや、ベリアルトゥエル。君は正真正銘のレライエント・デュセルバード侯爵家の人間だ」
俺の前に立ったシエルは笑顔でそういった。