第百九十三話 名
結局あれから眠れなかった。ついでに公星はベッドを占領して鼾をかきながら爆睡してるけどな。
そろそろいい感じの時間になり始めたころ、そろそろ着替えるかと考え始めた時あることに思い至った。
「あれ?今俺寝間着姿だけど正礼服どこにいったんだろ?しかもマジックポーチも見当たらないから帰りの服もないんですが?俺の着替えないじゃん。どーするよ」
部屋に備え付きのクローゼットを開けても空っぽで、あるのはハンガーだけである。
「……まぁいいや。死ぬわけでもないし、勝手知ったる場所だからこのままで」
5~6秒ほど思案した結果、もうこのままでいいやという結論に行き当たった。
無い物は無いんだから仕方がない。
いざとなったら聖育院にある服を適当に見繕って貸してもらえばいいだけだ。
きっとマジックポーチもゴンドリアあたりが保管してくれているだろう。
ノックの音が聞こえた。
「どうぞ」
俺がそう答えると院長先生が部屋へ入ってきた。
「おはようございます。修復は完了したようですね」
「おはようございます。貫徹でやらせていただきました」
「そうですか。ではこれを」
「おお!俺のマジックポーチ。ありがとうございます」
「では着替えを済ませて私の部屋へ来なさい。デビュエタン後にする筈だったあれこれについて説明をします」
「はい。わかりました」
院長先生が出て行ったあと、俺は寝ている公星を無視しつつマジックポーチから着替えを出した。
ああ。やっぱり正礼服は入ってないな。
まぁこのマジックポーチは俺にしか使えないようにしているから当たり前か。
着替えも終わり俺は公星を放置すると決め、マジックポーチを定位置の腰につけて部屋から出て院長室へと向かっていった。
「失礼します」
ノックをして返事が返った後、俺は促されてソファへと腰を下ろした。
院長が自ら俺にお茶を淹れてくれ、俺が一口飲んでカップをテーブルに置いた後話始めた。
「まずは成人おめでとう」
「ありがとうございます」
「これであなたはサンティアスの養い子ではなくなり、聖帝国を支える大人の一人となります。あなたは既に商会を持ち自らの力で生きていける地盤を持っていますが、我々サンク・ティオン・アゼルスはあなたにとっての帰る場所であり頼れる場所になり続けましょう。逆にこちらが頼ることがあるかもしれませんが、出来るだけでもいいので力を貸してください」
この後、いろいろな話を聞いた。
成人後も二十歳までは後見という形でバックアップを続けてくれるということや、中等部を卒業してから職の斡旋や高等部進学時の奨学金取得方法、更には俺がずっと気になっていたサンティアスの連絡網のことなど、その他にも1時間ほど話が続いた。
「では、これで最後の話になります。あなたの名前についてです。これを見てください」
俺の前に一枚の紙が差し出された。
「これはあなたの戸籍表の写しです。あなたが聖育院に来てから昨日までの間こちらで管理をしていました。本来ならばデビュエタンの少し前に本人に成人後の名前の確認を取らせるのですが、あなたの場合はその時意識不明の状態でしたので事後確認という形になってしまいました」
俺はその紙を手に取り何が書かれているか見てみる。
「ハンス・シュミット?」
そこには本籍地として聖育院がある場所のサンク・ティオン・アゼルスの地名と、見たことも聞いた覚えもない名前のが記載されていた。
間違えを消すように名前の真ん中に2本線が引かれているが、普通に読める。
「それがあなたが聖育院に来る前に登録されていた名前です。いえ、登録されているかのように細工されていた名前です」
「?」
何を言われているか一瞬分からず首をかしげてしまう。
というかハンス・シュミットって英語のジョン・ドゥと同じような名前じゃなかったか?
まるっきし身元不明者に付ける名前なんだけど…
日本で言うと名無しの権兵衛とか山田太郎とかそんなレベルなんだが…
「その後聖育院に預けられ、セボリオン・サンティアスという名前で仮登録されていました」
ハンス・シュミットの下の欄に『セボリオン・サンティアス』と書かれていてそこにもやはり訂正線が引かれており、その下に『セボリオン・ラ・サンティアス』と名前が書かれていた。
しかし、その『セボリオン・ラ・サンティアス』のほうにも訂正線が引かれている。
「あなたの場合成人前に助祭の位に叙階されていたので『ラ』の称号は名乗ることを禁じていましたが、戸籍にはきちんと称号名が記載されていました。それは聖職者名簿も同様です」
さらにその下の訂正線が入っていない名前が目に入る。
うん。なんとなく分かってたけど長いな。
それにいろいろツッコミどころも多い。
あ、それに本籍地も変わってる。
デュセルバード領レライエントに変わってる。
「ベリアルトゥエル・セボリオン・クリストフ・ヴェルナー・グレゴリオール・ラ・サンティアス・レライエント・デュセルバード。この名前があなたの本当の名前になります。非常に長い名前ですが、とても由緒正しい名前だと思います。初代デュセルバード家当主ベリアルレアスのお名前を一部あやかっていますし、ヴェルナーという名も現デュセルバード侯爵のヴェルナスレイド様からいただいたのでしょう」
うーーん。いや、一応聞きたかったことなんだけどちょっとそこじゃないんだよなぁ。
俺の個人名というか苗字のほうが気になるんですけど。
「あの、この苗字は」
「見ての通りになります」
「……改名ってできます?」
「無理ですね」
「なんでぇ!!?」
「訂正します。簡単には改名できません」
「ではどうすれば改名できるんですか?」
「誠実なる宝玉を用いなければ改名できません」
その言葉に俺は世界の声の内容を反復させた。
「レイナーズ」
「…」
その言葉に院長先生の体が一瞬震え顔もこわばった。
「俺が倒れる前に聞こえた言葉が言っていました。再登録にはレイナーズを用いて誠実なる宝玉を使う必要があると。院長先生も声を聞きましたか?」
「…?声、ですか?それはなんのことでしょうか?」
「何かしらの時に頭の中に流れる声なんですけど…登録が完了しましたとか、これより何々を開始しますとかそういった感じで、何かわからないんですけど流れるんです。ロイズさん。ロイゼルハイドさんも聞こえるらしいのですけど」
「聞いたこともないですね。ですがロイゼルハイド司祭枢機卿も聞くことが出来るのでしたら、本当に存在するのでしょうね。あなたたちは精霊の愛し子ですから、私たちには聞こえないようなことが聞こえるのかもしれません」
「…そうですか。ではレイナーズとは一体何ですか?」
「っ!……それは私が答えられるような代物ではありません」
「と、いうと?」
「私のような人間には到底理解することも、知ることすら許されない代物なのです。私はレイナーズという言葉を偶然知ったに過ぎない。その言葉を耳にすること自体烏滸がましい…」
「そうですか」
院長先生の顔が見る見るうちに青白く口元が震えていくの見て、俺はこの話題を打ち切った。
「話を戻しますが、正直に言いますとこの名前のことに関しては俺も混乱しています。24家の名前が出てくるとは夢にも思いませんでしたから」
本当は夢で見たから何となくは予想がついてたんだけどね。
「それはそうでしょう。私も先日驚きました」
「?俺のこの件に院長先生はかかわっていないんですか?」
「ええ。一切かかわっていませんね。名前確認の時に渡された書類を見て生きた心地がしませんでした。まさか侯爵家の一粒種が聖育院にいようとはとね」
「ということは、やはり俺はデュセルバード侯爵家と繋がりがあるのですね?」
「繋がりも何も…」
「なんです?」
「いえ、この話は私からお話しするような話ではないと思っただけです。何故なら私もすべてを聞かされてはいないので、話をしても余計に混乱させるだけだと思います。詳しくは当事者に聞いてください」
当事者ねぇ~。うん、すっごい嫌な予感がする。
何となく予想はついてるけど一応は聞いてみるか。
「その当事者とは誰のことですか?」
「オルブライト司教枢機卿です」
「………」
やっぱりかい!!!
あのおっさん何してくれやがった!!!
夢の内容から言って俺とあのおっさんに血縁があるかもしれないんだが…
うわっ!気持ち悪!!!
しかも何故かあのおっさんがピースしながらアッカンベしてる姿を想像しちまった!!
とりあえず今はこの件については横に置いておこう。
よし!これからやらなきゃいけないこともあるし、その行動に移そうか。
「わかりました。ありがとうございました。それで、まだ何か話すことはありますか?」
「いえ、もうありませんね」
「そうですか。じゃあ大変不躾なんですが、朝ご飯いただけませんか?昨日から何も食べてないので腹ペコなんです。しかも妙に魔力が足りなくて、このままじゃまた倒れそうです。やばいんです」
「…わかりました。用意させます」
「そういえばなんで俺が倒れたのかってわかります?」
「魔力不足だそうです。急激に魔力を使い果たして倒れたようですので、あなたのお友達のノインシュヴァク伯の甥御殿が作った魔力回復薬を飲ませた後、こちらへ運ばれたそうです」
「口の中がケミカルな事になってたのはフェディの薬のせいか!!!」
「命に別状はなかったようなのでルピセウスに頼んで先ほどの部屋へ移動させました。服はゴンドリックに寝間着を渡すようにと職員に言伝をして、私は作務があったのでその場を離れました。そのあとはあなた自身がご存じだと思います」
「あ~、はい」
やっぱり何となく予想した通りだよ!コンチクショー!!
変態の毒牙にかかったらどうしてくれるんだ!!!
でもまぁいいや、無事だし。
さて。それよりもごはんごはん。
今日の朝食のメニュー何かなぁ?
聖育院のメシって質素で薄味だけど出汁がちゃんと効いててうまいんだよなぁ。
あー。腹減った。
ウキウキ気分でソファーから立ち上がろうとした瞬間、壁から爆音が鳴り響いた。
俺は即座に反対方向の壁へと移動し戦闘の構えをとり、院長先生も年を感じさせない身のこなしで移動する。
「なんだ!!?」
音のしたほうを見ると、白い漆喰壁の一部が見るも無残ことになっていた。
壁の一部に50センチほどの穴が開いており、真下には崩れた漆喰壁が散乱して土煙が起きている。
なんだ!?今度こそ本当に隕石か!?
俺と院長先生は警戒は解かず隕石らしき物体の落下地点に目をやった。
「…………」
あ。土煙が少し晴れてきたぞ。
「モッキューーーーーー!!!」
俺は見事にズッコケた。
そして素早く体制を整え、物体に向かって飲みかけのお茶が入ったカップを投げつける。
「テメェザッケンナーコラァ!!!」
「モキュキュ!!!」
「何が『朝ご飯!!!』だ!!!お前に食わせる朝飯は、ネェ!!!お前暫く餌抜きだからな!!覚悟しておけよ!!!」
「モキュ!?モキュキュ!!モキュキュキュキュ!!!」
「お前本っっ当にいい加減にしろよ!!?なんで窓とか壁をぶち抜いて毎回登場しやがるんだよ!!漫画のバグキャラか!?お前は!!もっと普通に登場しろ!!そして俺を敬え!!!大体お前はなぁ─」
「セボリオン…」
「っひゃい!!」
凍った湖の底から這い上がったような声が、俺の体を硬直させた。
「この惨状。どうすればいいかお分かりですね」
「はい!!直させていただきます!!それは奇麗に優美に豪華に完璧に!!!」
「普通に直しなさい」
「喜んでぇ!!!」
「それと朝食の件ですが、やらなければならないことを思い出したのであなたの分を用意する手配が出来なくなってしまいました」
「え?」
「なので申し訳ありませんが、部屋を元通りにしたらそのまま帰りなさい」
「あのぉ?」
「私も聖職者の端くれとして大変心苦しいのですが、これも修行の内と考えなさい。わかりましたねセボリオン助祭」
「えーっとぉ…」
「わかりましたね。ベリアルトゥエル・セボリオン・クリストフ・ヴェルナー・グレゴリオール・ラ・サンティアス・レライエント・デュセルバード助祭」
「……はい…」
「よろしい。では精霊のご加護がありますように、ごきげんよう」
「ごきげんよぉ」
「モキュキュゥ」
その後、俺は自分のマジックポーチから魔力回復薬を取り出し、空きっ腹の中ドーピングしながら部屋の修復を行った。
途中で見に来る職員さん達の何とも言えない目や、妹弟達の好奇の目などを受けとめながら作業を終え、腹の虫が鳴る音を効果音にして逃げるように聖育院の門を後にするのであった。
この前あと数話で第六章が終わるって言ったけど、なんかもうちょっとかかりそうな感じがする。
セボリーと院長のやりとりを書いていたら当初予定していなかったイベントとかを書きたくなってしまった。
絶対にセオドアールとのやりとりはこれ以上に酷く長くなりそう。
嘘ついてすんません。