第百九十一話 デビュエタンの裏側
アルゲア教の大本山アルグムンの大聖堂の奥深く、中枢部ともいえる場所に一人の男が見受けられた。
男は全力疾走をした後のように呼吸は乱れ、体中から汗を流し四つ足をつき、呼吸で体を動かすたびに額から頬を伝い顎から大粒の汗がしたたり落ちていく。
「ハッ…ハァッ…ハッ」
歯を食いしばり遠のいていきそうな意識を必死で引き留め、顔だけを上へと上げていく。
男の視線に映ったものは淡い青色をしたバスケットボール大の球体で、その球体は誰の力も借りずに空中に浮いていた。
「ハァ…全てを支配する声…まさかここまでとは…これは命を削るぞ…」
男の名前はセオドアールといい、アルゲア教の幹部の中でも上位に位置する者であり、肉体的にも魔力の内包量でも通常の人間よりも恵まれていた。
そんなセオドアールでもレイナーズを使い誠実なる宝玉を起動させ真名の登録を行った結果、このような姿で醜態をさらしている。
「…やはりクランベル先生に任せたほうが良かったか?」
セオドアールは本来大司教がする筈であった真名登録を自分と変わってほしいと願い出て、大司教にその場で教えられた付け焼刃のレイナーズを使い真名登録を行った。
真名登録とは世界の記憶に接続する行為であるため、通常とはあり得ないほどの魔力体力精神力を使う。
世界の記憶を良く知らないセオドアールは、それがどれ程大それたことだったか正しく理解をしていない。
大司教でさえ正しく理解をしていないものに恐れ多きを知れというのは酷というものだが、一歩間違えば命を削るどころか忽ち命を奪われ、更には暴走していた可能性すらあった。
更に真名登録を誠実なる宝玉を用いてすること自体極めて稀であり、此度の儀式も約700年ぶりであるためその危険性を誰も認知していなかったという意味では仕方がなかったのかもしれないが、それでも事の重大さはアルグムンに収められている古文書に確と記されていた。
「ハァ…ハァ…駄目だ。体に力が入らん」
この真名登録の儀式は本来誠実なる宝玉を使う正式な方法以外でも、必ず大司教かそれ以上の地位にいる者が行うことを推奨されている。
何故ならそれは単純に燃料不足に陥るからだからだ。
大司教に任命される者は必ず一定以上の魔力を内包していないと任命されない。
更に言うなら大司教が持っている杖や装飾品はただの飾りではなく、聖帝聖下より下賜された魔法道具であり、自らの余剰魔力や大気中に存在する魔力を自動的に溜め、儀式を行う時に足りない魔力を補う蓄電池のような役割を果たしている。
なので何の補助もなく真名登録の儀式を行った結果、セオドアールは体中の魔力体力精神力を根こそぎ吸い取られ、身動きができなくなったのあった。
もし大司教が身一つでこの儀式に臨んでも、結果は同じかもしくはより悪い結果になっていただろう。
更に言えば誠実なる宝玉を使った正式な真名登録では、儀式を行う者はもちろん真名登録者にも大量の魔力を強制的に消費させることとなる。
先程セボリオンが倒れた原因は、単純に急速に大量の魔力が奪われ強制的にブラックアウトしたからであった。
セオドアールはその場に崩れ落ち、なんとか力を絞り仰向けの体制になった。
「世界の記憶…か……またこの言葉が出てきたな………いつか。いつか辿り着いてやる…」
少し話は変わるが聖帝国内における成人戸籍の登録には二段階の承認が必要である。
まず第一段階での承認は、自分が住む領内や聖帝直轄地において新成人本人または保護者、更には後見人が役所に申請を出し成人戸籍の取得をするかどうかの有無を確認する作業が行われるのだが、これはサンティアスの養い子の存在が大きくかかわっている。
他国で生まれた捨て子がサンティアスの養い子と認められた場合、他国の国籍が一時凍結され新たに仮の戸籍が作られた後、仮ではあるが聖帝国籍が付与され二重国籍の状態になる。
フェスモデウス聖帝国では生まれが聖帝国内であれば無条件に聖帝国籍が取得可能となっているのだが、サンティアスの養い子は他国で生まれた者が以前よりは少ないがそれなりに多く、他国の国籍を有している場合がある。
更には聖帝国内で生まれても他国籍保持者の両親から生まれると、その国の法律によって生まれた子に両親の国の国籍が付与される者もいる。
聖帝国では彼らなどの例外を除き聖帝国籍保持者は国籍の重複所持を認めてはおらず、もし成人聖帝国籍を取得する場合は聖帝国籍以外を捨てなければならない。
よって成人時に聖帝国籍を選ぶ場合、役所に赴き確認を行うのだ。
この時本当に稀なのだが聖帝国籍を選ばないまたは取得を認められない者が現れるときがある。
選ばない者の場合奴隷や移住者と同じように半永住権が付与されるので、重大な犯罪を起こさない限り聖帝国での生活には困らないようになっている。
逆に聖帝国籍の取得を認められない者とは成人前に重大な犯罪を起こした者や、明らかに聖帝国に害をなす思想を持ち尚且つ行動を起こす者たちだ。
彼らの場合二つの選択が提示される。
一つは聖帝国籍を破棄後半永住権の取得、そしてもう一つは聖帝国籍破棄後聖帝国内の記憶を消し国外退去である。
殆どの者が前者を選ぶが、本当に危険だと判断された者の場合は強制的に後者の措置が待っていた。
さて二段階目の承認であるが、先ほどの問題をクリアすると国の戸籍謄本に登録するために、各領の役所から首都シルヴィエンノープルにある日本における法務省の真珠宮へ名簿が送られ、承認後晴れて聖帝国成人戸籍の取得が認められる。
この各領から送られる方法は大まかに三つあり、一つは郵送、一つは直接本人保護者後見人が持っていく、そして最後の一つが魔道具を使って真珠宮の戸籍管理謄本に登録するかだ。
一つ目の方法が一番簡単で確実なのだが、数が多く役所のミスで送り忘れられたり配送時に書類が紛失したなどの問題が稀にあり、この方法を厭う人も少なからずいる。
二つ目の方法は行く人に時間的金銭的ダメージがある。
何故なら領内の役所で書類をもらうために書類を書き、後日役所で書類をもらった後シルヴィエンノープルへ移動し真珠宮直轄の役所へ行って書類を書き、戸籍管理局に行くために来局を予約とるための書類を書いて、、更に戸籍管理局に戸籍取得の申請を願い出るためにまた書類を書き、後日に戸籍管理局で書類を書いて提出するという非常に面倒くさい工程が待っているからだ。
そのためこの方法を使う者はほぼおらず、逆にこの方法で成人戸籍を取得したと一生話のネタに出来るほど珍しい方法である。
三つ目はいつでもどこでもできる方法ではなく、人によっては危険な目に合うかもしれないという限定的な方法だ。
この方法は魔法道具などの道具を用い自らの魔力を識別登録させ、登録させた情報を戸籍管理のデータベースへ送り直接インストールさせると言えばわかりやすいだろう。
一見お手軽そうに聞こえるが実は一番難しい方法である。
何故ならいくら聖帝国でも個人宅にそのような魔法道具を持っている人は数が知れているし、更に言えば魔法道具やそれに類する物を使わなければ行うことができず、そういった類の物を起動させるのには魔力が必要である。
魔力があっても中途半端な魔力では起動できず魔力が吸い取られ、魔力や体力が枯渇し死んでしまう恐れもあるのだ。
だが一度に大量に即登録できるという利点はとても魅力的に映るだろう。
それは誰しもが思うことであり、大昔の役所の人間ですら思っていたことでもあった。
ではどうすれば簡単に危険も少なくこの方法を行えるかを昔のある人たちは考えた。
そうだ一斉に同じ場所に集めて、魔力を持たない人でも魔力を持ってる人に力を借りてリスクを軽減すればいいんだ。
魔力を拝借するのは建物自体にそういう機能をつけてしまえ。
個人を識別する方法は一人一人に識別させるための媒体を持たせればいい。
人の魔力や精神力に反応する物がいい、ならば建物に入る直前に渡せばどうだろう。
邪魔にならず見栄えもいい物、そうだ花にしよう。どの花がいいか?
あの花なら最適だが希少な花になってしまうな、要相談だ。
要望が通った。だが貴重な花だから必ず一人一本だけという約束になった。
じゃあ招待状を持たせてそれと交換なんてどうだ。それがいい。
でもいくら建物自体にそういった機能を持たせても、切欠がないと機能しないぞ。
それにそういった機能を持たせるとちょっとした切欠で暴走する可能性もある。
あまり乱暴なことはできないぞ。
では魔法の使用を禁止すればいい、呪術で縛ろう。
呪術で縛るために少しの間、呪術の陣が張り巡らされている空間を歩き回らせよう。
だが魔法を禁止すれば切欠が作れないのではないか。
感情や心を昂らさせれば魔力が自動的に溢れ出す。
昂らせるためにも切欠が必要だ。
最初に何か心を揺さぶる感動的なことを極少数にさせれば。
それでいこう。
つまりデビュエタンとは新成人のお披露目会でもあり、役所が面倒くさい手続きを省きながら楽をするためのズルい儀式と言う訳である。
この事実を知っているのは極一部の人間だけであり、なんとなく気付いている人間もまさかそんな訳はないだろうと高を括り、真実を見失い靄の中でさ迷い続けるのであった。