第百八十三話 レイナーズ
良かった。踊れてる。
意識を取り戻してからのゴンドリックさんのレッスンの甲斐もあってか違和感無く踊れている。
相手の女の子も最初ぎこちないダンスだったが、3分もするとスムーズにステップを踏んで微笑み返してくれるほどの余裕が出てきたようだ。
「良かった」
「え?何がだい?」
「私ダンスが苦手なんですけど、このダンス曲は初心者向けなのでステップも練習どおりに踊れてます。でもすみません下手ですよね」
「そんな事ないよ。俺もダンスは苦手だしこんな大きなところで踊るのは初めてだから緊張してるんだ」
「でもとっても上手ですよ」
「ありがとう」
あれ?俺今メッチャ青春してね?
ぶっちゃけこの世界に来て初めての体験なんだけど!
ファーストタイム!ファーストタイム!!
「きゃ!」
急にリフトをしたせいか女の子が驚いて声を出してしまった。
落ち着け!落ち着くんだ俺!!
甘酸っぱい経験はここから広がっていくんだぞ!!
その頃、俺のダンスを外野から見ていたメンバーはと言うと─
「何あれ、気持ち悪い。完全に猫被ってるわね」
「いやぁ。ある意味強烈だね。普段しないような表情と言葉遣い聞いて寒気の後に腹筋が痙攣してきたよ」
「おいアレを見ろ。頬が引き攣ってるぞ。不気味を通り越して恐怖だな」
「確かに気色悪いね、うん。セボリーって普通に美形の部類に入ってるのに色々残念だからね、うん」
「顔もそれなりに良いし優しいし色々気遣いも出来る癖に大事な所が残念なのよね」
「鈍いとも言うけどね。学園の女子からは結構人気もあるのにコーセー目当てだからって言って距離置いてるし。別にコーセー目当てでも良いから付き合っちゃえば良いのにね」
「学年で次席の成績で、しかもあの歳で自分の会社を持ってるって時点で女子受けが悪いわけないのに、変な所で留め金がかかるんだろう」
「今の会頭の名義はシエルだけどね、うん。しかも学年主席もシエル」
「僕は実家の問題があるから気軽に女の子と遊べないからね」
「あ。どうやら少し余裕が出てきて調子に乗ってきてるわね。ステップが乱れてきたわ」
「ああ!あんなリフトの持ち方したら女の子に負担がかかります!」
「減点ね。ああ!なんか見てるほうがハラハラしてきたわ!何この我が子の成長を見守る親のような気持ち!」
─ボロクソの方向で好き勝手言われていた。
「ごめん。吃驚させたね。俺もやっぱりテンパってる」
「いえいえ」
しっかり基本に忠実に。リズムに乗って優しくそして滑らかに。
確かに先程この子が言ったように、このダンス曲は初心者向けのゆっくりしたスタンダードワルツなので基本を守っていればそれなりの形にはなる。
だが、実はこの基本と言うのが一番難しい。
しかもゆっくりした曲調なので粗が見え易い。
よし!今の背面のホールドは綺麗にいった!
「…良い匂い」
どうやら香玉が仕事をしてくれているようだ。
香玉は宿主が汗をかいたり緊張したり心拍数が早くなっていると強く香りが出てくるようで、俺に宿っている香玉はフローラルに柑橘系を混ぜたような香りなので女子受けが良いらしく、良く何処の香水を使っているのかと聞かれる。
正直に香玉の匂いと言いたいのだが、それを言ってしまうと色々と面倒臭いので貰い物で瓶にも銘柄が入っていないので良くわからないといつもはぐらかしている。
ダンスを踊りながら他のペアを避けていると、やはりこの香りが気になるのかチラチラと振り返られる。
「そう言えば…」
「ん?」
「胸元のムーンローズ開花してますね」
「ああ。そうなんだ。もしかしたらコレの香りかもしれないね」
女の子のたわわに実った胸元に刺さっているムーンローズは蕾のままで、周りを見渡してみても俺の他にムーンローズが開花している人はいなかった。
なんか俺のムーンローズだけやる気満々でフライング気味だから恥ずかしいんだけど。
コレってある意味いじめだよな。
おい。このムーンローズを指した運営、どう言う事か説明しに来い。
☆★
セボリオンが運営を罵っていた同時刻、アルグムン主教座の奥深くで二人の人物が淡く輝く宝玉の前に佇んでいた。
『ウルヴェナーク・セルナ・ヴェントリ・アントパシニス・イレイウィクト・ラシェウェ・イル─』
片方の人物の口から発せられる言葉は古代精霊アルゲア語よりも古いとされ神々が喋ったと言われる失われた言語、《全てを支配し君臨する声》と意味を込めレイナーズと呼ばれる言葉である。
正式な呼び名は遠い昔に忘れ去られ、話せる人間は片手の指で収まる程度。
多くの単語や熟語の意味も唯一人を除いては深く理解する事もできず、ただただ廃れて絶滅するのを待つしかない神々の言語。
先程からレイナーズを口に出して祝詞を唱えている大司教でさえ十全に理解する事が出来ずにいる言葉の祝詞を聞きながら、セオドアールは神妙な面持ちで聖印を切っていた。
「猊下。その祝詞がレイナーズですか?」
「ええ。私には到底全てを理解する事ができない神聖な言葉です。大司教になる者は聖下よりある程度レイナーズを教えられます。正確に言えば帝佐殿を経由してですがね」
「帝佐閣下はレイナーズを喋る事ができるのですか?」
「大まかに分る程度と言われましたね」
「アルフ兄さんですらその程度しか理解できないのに私のような凡人には到底無理ですな……猊下」
セオドアールは自嘲気味に笑った後、ある疑問を大司教へ問うた。
「昔から疑問に思っていたのですが、我々アルゲア教徒は精霊を信仰し崇めている。それはエルトウェリオン王国建国前からの経典や聖典を見ても明らかです。しかし、その経典や聖典の中には神と言う名の者は唯の一度も出てきていません。レイナーズは神々の言葉。猊下の仰っていることが確かなら神とは精霊の上の存在になってしまいます。精霊の上位者とは何ぞや。精霊人ですか?上位精霊ですか?それと聖典の中に登場する精霊王と言う存在でしょうか?精霊王の事を神と読んでいるのか、はてまた別の存在がいるのか。私は常々疑問に思っていたのです」
大司教は片手で眼鏡の位置を直しながらセオドアールへと振り返る。
「大司教と言う地位にいながら恥ずかしい限りですが、私にはお答えするだけの知識がないのです」
「…」
「神と言う言葉は現在の経典や聖典にはのっておりません。ですが、エルトウェリオン王国建国以前より遥か昔、太古の原書とされる経典聖典には記述されていたと言われています」
「つまり閲覧禁止文書に指定されていると」
「いえ」
「まさか焚書で?」
「存在自体隠されています。それもまるで最初から存在しなかったかのように」
「それはまた…」
「一時期私も調べた事もありました。その際精霊道具は原書はレイナーズで表記されており、レイナーズを理解するには記録する者か記憶する者になるかそれに準じる地位に着かなければならないと言っていました」
「その精霊道具口が軽いですね。ウルムヴルですか?それともルボーシェで?」
「ウルムヴルです」
「しかし先程の二つの役職、初めて聞く役職ですな。どういった役職なのでしょうか?」
「私にも良くわからないのです。帝佐閣下ですらその地位には着いておられないようですし…閣下自身は私はその下の役職ですと仰っていました………世界の記憶」
「世界の記憶?それはいったい何でしょうか?」
「ウルムヴルが話した内容にその言葉が出てきました。恐らくですが、私はそれが原書なのではと推測しています」
「世界の記憶…」
「精霊道具はレイナーズで話しかけなければその力を十全に発揮してはくれません。いまから起動させる誠実なる宝玉もレイナーズを使わなければ本来の力を貸してはくれないのです。24家にいる精霊道具はある程度言う事を聞いてくれますが、それは精霊道具としての本質が違うからなのだそうです」
「精霊道具としての本質?精霊道具は精霊道具でしょう。何が違うと」
「我がアウディオーソ家付きの精霊道具ルボーシェは元は違う肉体を持っていたと言っていました」
「あの30メートルを越す体長を持つ大蛇のルボーシェが?」
「深く聞いても答えてくれませんでしたが、恐らくですが元は人間だったのではと。そして24家の精霊道具はレイナーズを話すことが出来るようです」
「なんですと!?」
「精霊道具同士で集まっていた時、私の知らない言葉で話していました。ですがほんの少しだけ聞き取れる単語があった。その言葉全てがレイナーズとして教えられた単語でした。ルボーシェにレイナーズを教えてくれと教えを請いましたが禁止されているので駄目だといわれてしまいましたけどね」
「私達には理解する事も許されない事柄がまだこの世界には沢山眠っているのでしょうね」
「ええ。さて、では続きを唱えましょう。誠実なる宝玉を起動させてベリアルトゥエル卿の名前を登録し直さなければ」
セオドアールはその言葉に頷くと、顔を天に向け再び聖印をきるのであった。