第百八十一話 扉四
再び意識が覚醒した時、目の前にはまた扉があった。
だが先程のようなみすぼらしい扉ではない。大きく立派で重厚な佇まいで、俺の背丈の優に3倍以上の高さを誇り、薄鈍色で両開きの扉一面に彫刻や金銀銅の装飾細工が埋め込まれている。
「すげぇ…」
近くへ寄れば更に圧巻で、貴金属ではなく宝石類も埋め込まれており、最早芸術品と言っても過言ではない。
これだけ贅を凝らした物なのに不思議と嫌味は無く気品すら感じられた。
「…ん?」
扉の彫刻や装飾に見蕩れつつもあることに気付いた。
「これは……陣か?」
扉に彫られた彫刻、貴金属の装飾、その全てが魔法構築式を重ねた陣になっていた。
良く見れば宝石と思っていたものは純度の高い精霊石や護符の上位版である守護符や、俺も見たことも無いような強力な魔力増幅のための代物のようだ。
彫刻や装飾の文字には古代精霊アルゲア語が使われており、更には見たことも無い文字の羅列も見てとれる。
ロイズさん辺りならわかるのだろうが、俺には全く理解する事ができない。
「うわ…またぶり返してきた…」
長く上を向いていたせいもあるだろうがまだ気持ち悪さは消えておらず、立ちくらみと一緒に胸焼けに近い気持ち悪さが再び襲ってくる。
「もうやだ。こんな所早く脱出したい。兎に角出よう」
気持ち悪さを振り払うように呟き扉に手を掛けたのだが…
「ん?あれ?おろ?フンヌ!オリャ!コンニャロ!ヨッコイショー!!………開かないんですけど」
ドアを開けようと思ったらドアノブが見当たらない。
それならと押してみるも駄目で引いても駄目、昔のコントのように横にスライドさせようとしても動かないしシャッターのように上に持ち上げようとしても全く動く気配がしない。
「すんませーん。誰か開けて頂けませんかー?」
裏に回ってみて声をかけるも反応もなし。
裏から見た扉の彫刻や装飾が少し違って見えたが、今はそんな事どうでもいい。
「開けゴマ!オープンセサミ!!」
合言葉っぽい言葉を発してもうんともすんとも言わない。
マジでどうすんだよこれ。
こんな綺麗な扉を蹴るのは忍びなかったが、背に腹は変えられないと蹴ってみるも全くビクともせず、逆に蹴った足が痛んだだけの草臥れ儲け。
「すんませーん!失礼します誰かいませんかー!!?」
初心に戻ってノックをしながら声掛けをするも全く音沙汰も無い。
と言うかこの扉硬過ぎ!何の素材で出来てるんだよ!軽くノックした手が痛いわ!指が少し赤くなってるし!
もうヤダ。やってらんねー!もうおうちに帰りたいんですけど。
いや、ほんとにマジで。
「ん?待てよ?この扉の装飾や紋様って明らかに陣だよな?と言う事は魔力を入れれば何か起こるのかな?」
そうだよ。陣は魔法構築式を複数重ね合わせた魔法陣と言う名の発動機だ。
ならそのエンジンに魔力と言う燃料を与えてやったら動くんじゃね?
あれ?でもここで魔法使うの駄目って言ってたよな?
じゃあコレってアウトなのかな?
あ。でもコレ魔法じゃなくて魔力だからセーフか?ねぇ、そうだよね?
まぁいいや。ちょっと試してみよう。
あ、別に魔力垂れ流しにしても何の抵抗もないわ。
試しに手に魔力を溜めて少し放出してみても何も起こらなかった。
コレ幸いにと扉に手をつけて魔力をゆっくりと注いでいく。
「お。おお!」
俺の魔力を扉が吸収し、扉に触れている手の周りの紋様の溝が光りを放って白、赤、青、紫、緑、黄色の光が扉全体へ広がっていく。
光が広がる速さは生きているかのような個体差があり、まるで水の上に水彩絵の具をたらしたようにゆっくりと広がっていくものや、血管に血液が送り出されるかのように一気に広がっていく物と様々で、見ているだけでも面白かった。
「なんかメッチャ魔力吸い取られるんですけど。まだ余裕あるから良いけ…ど?……うぁ……これは…」
扉の溝の約7割まで光が覆い、幾何学模様や動植物の紋様が色とりどりに浮かび上がり、まるでペルシャ絨毯のように緻密で繊細な芸術品を作り上げていく。
「うわぁ…」
8割まで光が覆うと動物の紋様が動き出した。
まるでパズルが動くように動物の紋様が中央部分へと集まっていく。
それと同時に植物の紋様も動き出し扉全体に広がっていった。
俺はあることに気付いた。
最初紋様の光が移動しているのかと思ったがそうではなく、扉の紋様部分が本当にパズルのように移動しており、まるで扉全体が立体パズルのようになっていたのだ。
「うわぁ…」
光が9割まで覆うと先程全く読めなかった文字の羅列が光だし中央部分に集まっていく。
文字は重なるように組み合わさると扉の中央に出っ張りが出てきて、歯車のように回りだす。
その間も動植物の紋様は光を放ち移動を続けている。
「…これは」
そして完全に光が扉を覆うと歯車のように回っていた文字列の出っ張り部分が点滅し、『カチ』と言う音と共に出っ張りが沈み込み、やがて扉全体を覆っていた光がどんどんと薄く小さく消えていった。
先程と明らかに扉の雰囲気が違う。
先程の扉は重厚な中に華やかさがあったが、今は何と言うか王者の風格と言うのか自然と膝を突きたくなるような雰囲気がする。
魔力を搾り取られて立つ力がないのかと思ったが、魔力の残量はまだあるのでやはり扉自体の圧なのだろう。
俺は触れていた手を扉から離した。
「アレは…紋章か?ん~~?…え?」
先程沈んだ中央部分を見るとそこには紋章が描かれているのに気付き、目を凝らして確認しようとした瞬間、中央の紋章部分から光が溢れ出し、それに続くかのように動植物の紋様も光だして立体映像のように空中に浮かび上がった。
ただ浮かび上がるだけではない、浮き上がった動植物がまるで生きているかのように縦横無尽に動いているのだ。
あまりにも予想していなかった光景に感嘆の声も出ず、唯立ち尽くしているしかできなかった。
だがそんな時間はそうは長く続かなかった。
立体映像は直ぐに消えていく。
恐らく5秒ほどの時間だったが、それでも脳裏にあの映像が鮮明に残って離れない。
呼吸をする事すら忘れていたようで、俺は一気に息を吐き出した。
息を吐き終え改めて扉を見上げると、そこにはなにやら見覚えのある紋章が見える。
「あれは…ああ…さっきの会場の貴賓席に彫ってあった紋章だ…」
そこに彫られていたのはピケットをあしらった装丁の本の形をした紋章であった。
木の枝がアーチ状になりその中にピケットが横を向いた姿の装丁の本の紋章。
一体コレが何を表す紋章なのか、そして何の目的があり貴賓席やこの扉に彫られているのか全く分らないが、唯一ついえることは─
「可愛いなぁ。やっぱりピケットはこんな抽象的に書かれていても愛くるしさが滲み出てくるわ」
うん、可愛い。メッチャ可愛い。
真正面じゃなくって横向きってのもポイント高いわ。
この紋章作った人かなりのセンス持ってる。
「ん?あれ?なんかまたあの紋章動いてね?え?開いた!?うわ!何か落ちてきたんだけど!!?」
またもいきなり紋章が前面にせり出したと思ったら、良く分らないものがヒラヒラと俺の前に落ちてきた。
「何これ?紙か?」
恐る恐る見てみると、それは古びた紙の破片だった。
それも色あせ黄ばみを通り越し完全にアウトな色の汚らしい紙切れ。
そんな紙切れが何であそこの紋章の中に入ってたんだよ。
バッチイのでそのままスルー使用とした瞬間、俺の腰にベルトに釣り下がっていた精霊経典が勝手に浮きあがった。
「精霊経典!?ちゃんとベルトで固定してたのに!?しかも開項してるし!!」
精霊経典は浮き上がったままパラパラとページを開き、自身の中に入っている風の陣を発動させ、落ちていた紙切れを浮き上がらせる。
そしてその紙切れを自身の中に吸収してしまった。
俺は急いで精霊経典を掴んで回収し中身を確かめてみると、最後のページにあの汚らしい紙切れがくっついていた。
「こら精霊経典汚いからこんなもん製本すんな!!っよ。あれ?取れない!おりゃ!破けない!?なんで!!?」
精霊経典はそれなりの強度を持たせているが、俺が破ろうとすれば結構簡単に破る事ができる程度の強度だ。
それなのにこの汚らしい紙切れのあるページはどうやったって破る事ができなかった。
「なんなんだよ!もう!幸いな事に変な臭いはしないからまだセーフだけど、気分的にメッチャ嫌なんだけど!!ハァ…」
溜息を零し再び紋章を見てみると丁度元の場所に引っ込み、そして直ぐに『ガコン』と言う音が聞こえると、扉が自動的に動き出した。
静かに両扉が動き出し、約15センチほどの隙間が出来た。
恐る恐る隙間を覗いてみたが何も見えず、呼吸を整える。
精霊経典を定位置に仕舞い、覚悟を決めて両手で扉を押せば、何の抵抗も無くゆっくりとだが扉が更に開いていった。
眩しい。
そう思った瞬間、俺の足は無意識に扉の奥に進んでいく。
反射的に目を閉じていたようで目を開けると、そこには俺と同じ年頃の男女達が正礼服を着てペアで踊っていた。