第百七十八話 扉
良く言えば古めかしく趣のある扉、悪く言うのならボロく小汚い扉。
俺達の前方に見えたのは、大きな体格の人なら通るのも苦労するような小さな扉だった。
流石にきちんと清掃や手入れをされているのか、埃がたまっていたり汚れていたりと言う事はないのだが、時の経過で飴色を通り越して黒く変色し、素材の木自体が痩せ今にもギシギシと音を立てて倒れそうなほどの貧相な扉は豪華で重厚な旧アゼルシェード城の中でひときわ異端名存在に思えてしまった。
しかも先程の係員の人が言った事を反芻するのなら、今からこの扉を潜って会場に行くらしい。
「なぁ。あの扉の大きさを見る限り一人一人入っていくって事だよな?」
「だろうね。そう思うとここまで歩かされた時間も説明がつくね」
「まぁ確かにな。でも全員通るのにどれだけ時間かかると思ってるんだよ」
そんな事を話している間にも前方にいる奴等が次々と扉に向かっていくのが見えた。
勿論一列に並んでだがな。
扉の前にいた眼鏡の係員さんが扉のノブに手を掛け扉を外開きの方向に開け、前列の新成人に入るように促す。
だが促された新成人は躊躇するように足を止めてしまう。
扉の奥に繋がる景色を見たからだろう。
俺もどんな景色なのだろうと背伸びをして覗き込んでみたが、何も見えない。
いや、正確に言うのなら見ることは出来るのだが、見ることが出来たのは真っ黒い空間だけ。
扉の向こうは深い暗闇が立ちこめ、それ以外は何も見ることが出来なかったのだ。
それは俺達より前にいて扉を潜るように促された奴も同様なのだろう、立ち止まった後2~3歩後ずさり後列の奴等に軽く身体をぶつけている。
「こ、こ、ここを潜るのですか?」
「はい。早く入りなさい。後が閊えていますよ」
「こ、この奥には何があるんですか?」
「行けばわかります。さぁ」
「はいそうですかと言えるわけ無いじゃないですか!こんな怪しい物通れる筈が無い!」
「では退きなさい。ここを通らなければあなたのデビュエタンはここで終わりです。お疲れ様でしたどうぞご帰宅を」
「そ、そんな!」
「嫌なら早く行きなさい。早くしないと強制的にご帰宅して頂きますよ」
「そんな横暴な!」
「デビュエタンは遊びではなく儀式ですと先程お伝えした筈です。参加する気が無いのなら早くお帰りなさい」
名前を知らない前列の奴。お前のリアクションは全うだ。普通の感覚で言ったら躊躇するに決まってる。
俺も色々経験してこなかったらそうなるよ。
「う…ぅう。クソ!!」
そいつは余程帰宅するのが嫌だったのか、覚悟を決めゆっくり恐る恐るではあるが扉の奥へ足を踏み出していった。
そしてそいつが扉の奥に入った瞬間、そいつの姿もまた暗闇に飲まれ見えなくなってしまった。
それを見た周りの奴等の息を呑む音が先程までざわついていた空間に静かに響き、その後はまるで空間全体が一時停止したかのように止まってしまう。
「さぁ、次の方どうぞ」
だがその一時停止を、係員の淡々とした声が再生ボタンを押すかのように解除し次を促してくる。
次に促された奴も躊躇はしていたが踏ん切りがついたのか次々と扉の奥へと消えていった。
「い、嫌だ!俺は入りたくない!!」
「ではご帰宅を」
中にはどうしても入ることが出来いないような奴もほんのひと摘みはいたが、俺の前にいた奴等は殆ど扉の奥に消えていった。
俺はその光景を見ながらあの扉について少しの既視感を覚えた。
あれはウィルさんが苗木選定の儀を終え、帝佐さんに連れられて公爵位を承る─ぶっちゃけ顔合わせと言う名のわんこ蕎麦ならぬ強制わんこ酒盛り大会だったらしいけど─ためにベルファゴル大公と一緒に扉を潜り、聖下の元に消えて行った光景に似ていた。
そう。あの時帝佐さんが出した悠久の扉の感覚に似ていたのだ。
これはウィルさんが戴冠式を終えてから聞いた話になるのだが、あの扉は魔道具の中でも特殊な物で精霊道具に近く、正確に言うなれば魔道具以上精霊道具以下で、知性はあるが意思がないと言う良く分らない代物であるらしい。
そう言われても俺は良く理解できずに側にいたロイズさんに小声で説明を求めた結果、空間移転能力を備え高性能のAIを搭載した扉型PCのような物と言う答えが返ってきた。
それを聞いても全くピンと来なかった俺が馬鹿なのか、それともこの世界の常識事態がぶっ飛んでるのかはさて置き、兎に角良くは分らないが凄い物と言う事だけは理解できた。
なんとなく煮えきれない感が伝わったのだろう、更にその後某国民的ロボット漫画の何処にでも行けるドアに近い物という説明で思わず手を打ってすっきり納得してしまったのを覚えている。
まぁ兎に角、あの扉からはあの悠久の扉のような雰囲気を感じたのだ。
流石にあの扉を潜ると聖下の所ですとはならないとは思うが、それでも不安な事には変わりない。
果たしてあの扉の奥は本当にダンス会場なのだろうか?
「では次の方どうぞ」
そんな事を考えていると俺達の番が近づいてきたようで、係員さんの声に意識が覚醒し現実に戻っていく。
考えながらも列に並び足を動かしていたのだが、既にもう俺より10人程前の人が入室を促されている。
不安はないが緊張はしているらしい。ふと手を見れば握っていた手には少しの汗が湿っていた。
俺はここであの扉を識別のスキルを使って扉を鑑定しようとしたが、何故か発動しない。
もしかしたら久しぶりに使うので上手く発動できないのでは、と思ったがどうやらそうではないらしい。
発動しようとするとまるでジャミングをかけられたかのような、何ともいえない違和感を感じたのだ。
恐らくあの扉自体がスキル魔法無効物質なのか、防犯上の理由で発動阻害魔法の術式がこの場に展開されているのではないかと推測される。
もしかしたらコレが先程係員さんの人が言っていた良くて魔法が不発になる、といっていたことなのだろうか。
二回続けて識別を試みて失敗し、もう一回挑戦しようと思った瞬間、扉の前にいる眼鏡の係員さんに顔をガン見されてしまった。
マジか。普通固有スキルの発動は気付かれることが稀なのだが、あの人が感知系のスキルを持っているか相当上位の術者、それかあの人が阻害魔法を展開していて誰がスキルを使っているのか特定出来たのかもしれない。
眉間に少しの皺を寄せた眼鏡の係員さんのガン見に気付き、俺はバツの悪いという顔をした後、識別の発動をやめて素直に軽く頭を下げる。
そうすると眼鏡の係員さんは、興味をなくしたかのように俺から視線を外し己の職務に戻っていった。
ほんの少しの冷や汗を感じつつ、昔ロイズさんから余りみだりに識別を使うなと言われたことを思い出した。
識別のスキルは相手に干渉するスキルなので、上位術者や強力なモンスターに気付かれてしまう恐れがあるらしい。
敏感な人になるとまるで身体をまさぐられているような感覚になるようで、不快な気持ちにさせてしまい逆鱗に触れる恐れがあると教えられたのだ。
なので無機物以外で識別を使う事をこの一年ほど極力避けていたのだが、どうやら少しまずったようだ。
これからは無機物でも精霊道具に近い特別な物や、周りに上位術者がいた場合は使う事を控えよう。
「お次の方どうぞ」
「はい」
そして終に俺の番が来た。
俺は先程の係員の人に目礼をした後、なんの躊躇いも無く扉の奥の暗闇の中へ足を踏み入れた。