第百七十二話 デビュエタン三
白く染め上げられた絹の波が大広間を埋め尽くし、成人の宴が始まりを告げようとしている。
上から見下ろす景色は圧巻の一言で、これほどの人が入りきる大広間に感嘆しつつ、俺は澄んだベルの音に耳を傾けた。
『穢れなき衣を身に纏いし汝の相手は今何処
極彩色に染め上げた 愛しき相手は今遥か
幽かなる残り香頼り 捜し求めよ何処までも
流した涙は海にへと 出でた吐息は空帰る
染めろや染めろ鮮やかに
愛せ育め何時までも
愛しき人帰るその日まで』
「え?」
確かにベルの音なのだが、音にダブるように歌が聞こえてくる。
耳を閉じても頭に直接語りかけてくるようにはっきりと聞こえた。
「どうしたの?」
「…ベルの音が歌声に聞こえる」
「歌声に?」
「綺麗な音だけど普通のベルの音だぞ?」
「精霊の声に近いけど少し違うような気がするんだ」
「何て聞こえるんだい?」
「綺麗な服を着たお前の相手はどこにいる。極彩色に染め上げた愛しい人はもういない。残った香りを手がかりに何処までも探せ。流した涙は海に溜息は空へと帰る。綺麗に染めろ。何時までも育てろ。愛しい人が帰る日まで…ちょっと意訳してるけど概ねあってると思う」
「ん~~。随分と詩的な歌だね」
「誰の事を歌ってるのかな、うん」
「分かれた恋人の事を歌ってるような歌詞ね。育てろって言うのは愛を育てるの?植物や動物?それとも子供かしら?」
確かにゴンドリアの言うように、別れてしまった恋人や伴侶が帰ってくるまで残されたものを愛し育てろ、と言う歌詞に聞こえる。
俺にしか聞こえないと言う事は精霊の愛し子にしか聞こえないのだろうか?
それとも他の条件があるのか?
例えば転生者…とか。
ならばロゼやロイズさんも聞こえるはずだ。
ロゼはまだ成人していないからロイズさんに聞くしかない。
ロイズさんならこの歌の事も知っているはずだ。
また聞かなればいけないことが増えてしまった。
そんな事を考えていると午後3時になったのか、大広間の入り口から黒い正礼服を着た男女二人が入ってきた。
男の見た目年齢は約40歳といったところか、水色の髪を後ろに撫でつけ、スタンダードな黒い正礼服に白縁眼鏡の如何にも伊達男風の出で立ちをしており、もう片方は恐らく50を越えの年齢であろうか、長い茶髪を綺麗に結い上げ、黒の聖職者が着る正礼服を身に纏う優しそうな女性だった
そして二人同時に一礼をし、男が拡声器を手に持ちデビュエタンの開始を告げた。
「皆々様。本日は真に目出度く、こうして晴れの日を迎えられた事を感謝しましょう。初めてお目にかかる方が多いでしょうが私はサンク・アゼルス・ティオン学園運営理事の一人、エイド・ラザロ・フォン・サンティアス准男爵です。学園理事を代表して貴方達の成人のお祝いをさせて頂きます。さて、この場にいる方達は本日を持って成人とみなします。しかし、まだあなた達は学生と言う事を忘れてはいけません。大人になったからこそ節度を守り、卒業までの間このサンティアス学園の生徒である事を誇りに思いなさい。ではデイア殿」
男は喋り終えると拡声器を女性に渡した。
エイドと言う学園理事ははじめて見た。
いや、学園理事の人自体見たことが初めてかもしれない。
学園都市の運営体制は国とアルゲア教が共同運営している形で、その中で学園はアルゲア教の力が強く、逆に迷宮は国の力が強いとされている。
どっちにしろトップが聖下なので行き着く先は同じなのだが、要は表向きアルゲア教はクランベル大司教が、国は宰相が判断を下す責任者と言う事だろう。
まぁ恐らく大司教も宰相も多忙なので、殆ど両方とも部下に丸投げしているような物だとは思う。
と言う事は今ここにいる二人はどちらかが国側でもうどちらかがアルゲア教側の人間と言う事になる。
まぁ、女性のほうが聖職者の格好をしているんだからこの女性がアルゲア教の関係者なのは決定だけど、准男爵の称号を獲ていると言う事はこのエイドと言う男、政府から派遣された官僚なのかもな。
「エイド卿からかわりまして、わたくしの名はデイア・カーチャ・ラ・ドートと申します。サンティアス学園運営理事の一人でありアルゲア教助祭の位を承っております。皆様成人おめでとうございます。聖帝聖下と大司教猊下に代わりお祝い申し上げます。さてこのデビュエタンが始まったのは遥か昔、エルトウェリオン王国の時代からだといわれております。デビュエタンの原型はエルトウェリオン王国建国以前よりあったと伝わっておりますが、現在の形になったのはエルトウェリオン王国初期の事。このサンティアスの地より始まり全国に広まった催し物でございます。外敵を蹴散らしこの地を守り作り上げたティオン、オルブライト、ダルゴの三人が、一緒に戦い抜いた聖カオスケイドにより洗礼を受けたのが最初だといわれております」
うん。ティオン、オルブライト、ダルゴの名前は知ってるけど、聖カオスケイドって初めて聞いたんですけど。
俺は恐る恐るゴンドリアに問いかける。
「なぁ。カオスケイドって知ってるか?」
「…ハァ」
あ!テンメー!!実はイケメンだったからって調子乗ってんじゃねーぞ!!
何だそのルピシーを見るような目は!!
俺はアンナに残念な男じゃねーぞ!!
「あんた。聖カオスケイドと言ったら伝説の有名人よ」
「伝説?」
あ、ついでにゴンドリアが女口調に戻ったのは俺が頼んだからです。あしからず。
十年以上コイツの女口調聞いてたもんだから、急に男口調に戻ると違和感しか感じないんだよ。
「聖カオスケイド。別名預言者カスケード、又は洗礼者クルスカイド。他にも色々な呼び方はあるけど、アルゲア教の聖人の一人じゃない」
「ああそうなんだ。全然知らない」
ああ…ルピシー以外の視線が痛いぜ…
そんなに見るなよ、穴が開くじゃねーか。
「学園史の授業で出たじゃないか」
「え?出てた?」
シエルの言葉に脳内の中の記憶を反芻する。
そして記憶の残照が掘り起こされた。
「もしかして…不落の明星、暁の御子のこと?」
「「「「それ」」」」
ああ!あれか!!
おいおい、だからそんな目で見るんじゃねーよ。
「え?暁の御子って名前あったの?」
「あるに決まってるでしょうが」
「あ。そう言えばセボリーが、名前がたくさんあるから通称をテストに書けば通るだろうって言ってたの思い出した、うん」
「おお!流石はフェディ!その言葉で完全に思い出した!唯でさえ長ったらしい名前なんて覚えたくも無いのに、暁の御子を表す名前が10個以上あるとかやってられるかって!って言ってたわ俺」
俺が手を打つ動作をすると再び呆れた表情をされた。
解せぬ。
大体この暁の御子ってのは記述自体怪しいんだよ。
いきなり現れていきなり消えるみたいな記述のされ方で、お前はお助けマンですか!って叫びたくなるし、呼び名だってさっき出た名前の他に、エルカムイの丘に立つ者や東雲の君とか曙の申し子とかお前は何処の相撲取りだ!って言いたくなる名前ばっかり。
東雲も曙も大まかな意味は同じだっつーの。
それに残ってる発言が一々痛い子的なものしか無いんだよね。
今日びの中学二年生でもまともに現実を直視してるよね?って思いたくなるような発言ばっかりで、教科書に発言集みたいなものを見た瞬間大笑いして先生に注意されたの思い出したわ。
その後聖人認定されてるって聞いて、こんなのを列聖させてるアルゲア教団どうかしてるわぁ、と思ってしまったのは内緒である。
「即ち。このデビュエタンを通過して初めて正式に成人として認められるのです。皆様デビュエタンを楽しんでお過ごし下さい」
ああ!俺が暢気に中二病以下ある意味以上の人の事を思い出していたら、話の大詰めが終わっていただと?
まぁ仕方ない。ここは聞いていたと言う事にしよう。
どうせ聞いても聞かなくても同じような話だったろうし。
「では男女に分かれてください。男子諸君は私のほうへ」
エイド卿は手を上げると、俺から見て右手側の方向へ歩き出した。
それとは逆にデイア助祭は左側へ移動する。
「じゃあユーリとは一旦ここで別れるな」
「はい。後で合流しますので」
ユーリが女子の集団へ歩き出した後、俺達も階段を降り男子の集団へ混じっていった。