第百七十一話 デビュエタン二
少し縦に長い長方形の中に草のアーチ、そしてそのアーチの内側にピケットの横姿の紋章。
その紋章が何故か目立たない手すりの裏部分に彫られていた。
シエルですら知らない紋章。一体この紋章は何の紋章なんだ?
聖帝国の中で紋章はたくさんあれど、家紋を持っている家は少ない。
24家かエルトウェリオン王国時代に貴族だった家、もしくは聖帝国初期の一代貴族に叙された一族の直系くらいしか持っていないのではないだろうか。
何故なら今現在、一代貴族に叙されても家紋を新しく作る事を禁じている。
正確には禁止はされてはいないのだが暗黙の了解で作る事を憚られているらしい。
その理由は、貴族名鑑や紋章図鑑を更新するのが面倒だからと言う理由もあるかもしれないが、昔その家紋を使って詐欺などの不正が行われていたからのようだ。
勿論アルゲア教を表す宗教紋やサンティアスの紋章なんてのもあるが、それは個人の家で使ってはいけない紋章である。
なので家紋は減る事はあれど増えることはほぼないとされている。
ではこれは昔に没落した貴族家の廃家紋、失われた家紋なんだろうか…
「失われた家紋か?」
「ん~~?いや違うと思うよ。失われた家紋なら図鑑に載ってるから見覚えがあると思うけど、僕この紋章は見たこと無い」
「悪戯で彫られたって事も無いよな?」
「そんなことしたら子供でも死刑だよ。国章は唯一の物として敬われ、その栄光を傷つけるモノは極刑が待ってる。国章と同じ場所に彫る事を許されてると言う事は、聖下がお認めになられたものか、それに等しい止ん事無き紋章。つまりここに彫る事を認められた正当なる紋章と言う事になるね。それにもし悪戯だとしてもこの紋章結構昔に彫られたものだよ。薄くて見づらいし」
「ああ、確かにそうだな。もし悪戯だったら即消されてるだろうしな」
俺はマジマジと紋章を見てみるとまた在る事に気が付く。
ん?あれ?あの長方形のマークってもしかして本か?
「なぁ。あのピケットの外側の形ってもしかして本かな?」
「ちょっと待って下さいね。よっと。…はい。確かに本ですね」
俺達の中で一番身長が高いユーリが背伸びをして確認するとやはり本のマークだった。
つまりあの紋章はピケットが表紙の本の紋章と言う事か。
「あれ?もしかしたらコレって草じゃなくて木かもしれませんね。木があってその木から伸びた枝の葉っぱがアーチ状になってます」
「木?」
「木の紋章と言えばサンティアスだよなぁ。生命と知識の木」
「サンティアスと縁が強いアゼルシェード家だから木なのかな?」
「どうでしょうね」
「ん~~何でだろうな」
その時、俺達の背後から声が聞こえた。
「いたいた。皆お待たせ」
誰かと振り返れば、まだ少し幼さが残る金髪の美少年であった。
身長は175センチほどで透き通る白い肌にエメラルドグリーンの瞳、蜂蜜色の長い髪を後で縛り右肩の前に流している。
顔には品の良さと強い意志が感じられ、覇気があり良く通る低い声だ。
着ている服は俺達と同じように白一色の正礼服なので新成人の学生だろうが、俺はこんな人物初めてみた。
「あのぉ?どちら様でしょうか?」
「俺だよ俺」
「すんません。オレオレ詐欺は間に合ってます」
「いや、だから俺」
誰やねん。お前誰やねん!
お前みたいなイケメン知らないし!!
イケメンはシエルとヤンで間に合ってるからいらねーよ!!
お前本当に誰やねん!!!
「あの…本当に人違いじゃ?」
俺の恐る恐るといった返しの後にルピシーが口を開く。
「よぉ遅かったな!」
「へ?ルピシーこの人の事知ってるのか?」
「あ?何言ってんだ。ゴンドリアじゃねーか」
「………………へ?今なんつった?」
え?空耳だよね?空耳って言え。
「ゴンドリアだって言ったんだよ」
「………………え?もう一回」
もう一回!もう一回チャンスをやろう!!
本当の事を言え!!
「だからゴンドリアって言ったの!!」
「はぁ?」
何言ってんのこの馬鹿。
こんな美少年がゴンドリアの筈無いじゃん。
「で?本当にどちら様?」
「ねぇ?こいつ本当に分ってないの?」
おい!初対面の人間相手に心底呆れたって顔すんじゃねーよ!
美少年でも許されないことはあるんだぞ!!
「嘘だぁ。だって変態で化粧お化けのゴンドリアがこんなまともな格好する筈ないじゃん」
「…あんたのあたしへの認識は良~~~く分ったわ。後で覚えてなさい」
「っ!!」
美少年の口から出てきた声は正しくゴンドリアの声であった。
確かに身長や髪の毛と瞳の色はゴンドリアだ…
「え?嘘?マジでゴンドリア?」
俺がシエル達メンバーに目線を送ると皆頷く。
「だから最初からあたしだって言ってるでしょうが」
「嘘だぁぁぁあああ!!俺は信じねーぞ!!」
「変な所で疑り深いわね」
「仮にお前がゴンドリアだとしてもさっき俺って言ってたじゃねーか!!それにさっきの声いつもと違うぞ!!」
「女装してるんだから声色と口調を変えるに決まってるじゃない」
「え?本当に?え?嘘だよね?嘘って言って。ねぇおねがい」
「しつこいわね。それじゃあ昔あんたが昔悪戯してオルブライト司教にこっ酷く怒られた後、あたしや女子達にリボンやスカートで飾り付けさせられた話一から十までしてあげましょうか?」
「やめてーーーーー!!!」
あ。これヤバイ奴だ。
この話知ってる奴、この場じゃゴンドリアしか知らないんだよ!
ルピシーはその時畑仕事してて知らない話だぞ!!
「いやだぁあ!ゴンドリックさん!それならそうと早く言って下さいよぉ!!いつも趣味の良い格好とイカしてるお化粧に素敵なお髪じゃなかったからボクチン全然気が付かなかったぁぁあーーー!!」
「あんたさっき言った言葉覚えてる?」
「え!?ヴォクチン何か言いましたっけ!?」
「誰が化粧お化けだ。コラァ」
「スンマセンッシターーーーーー!!!」
思わず久しぶりのダイビング土下座を決めた俺に、カツカツカツと苛立ち表すように床で靴を鳴らすゴンドリア。
正直怖いです。鬼神ゴンドリックさんご光臨なされましたーーー!!!
「はぁ。まぁ、久しぶりに男の格好したから仕方ないか」
「そうだよ!お前の男装姿なんて俺初めてみたぞ!!何で今日に限ってその格好なんだよ!お前学園の入学式とか卒業式でも女装してただろうが!!」
「だから前に言ったじゃないか。男女両方のパートで踊るつもりだって」
「覚えてねーよ!!それにお前の男口調違和感あるからどうにかしてくんない!?」
「そんなのこっちの自由でしょうが。男口調じゃ女装姿に合わないだろうが。今は男装中なんだから男口調が正解でしょ」
「そんな高度な謎かけわかるか!!」
確かにこいつの女装姿はそこいらの女よりも綺麗だが、すっぴんがこんなイケメンだって聞いてねーぞ!!!
「なぁ?いつものゴンドリアじゃねーか?何処が違うんだ?」
「ルピシー!?全部だろうが!!!」
「ゴンドリアいつも違う服着てるじゃねーか」
「着ている服の性別の話なんだよ!!コイツがいつも着てるのは女物!!で、今着てるのは男物!!それに口調と声も違うし、いつもしてるメイクをしてない!!それで分るかボケェ!!」
「だって雰囲気と匂い同じだろうが」
「お前人間の認識能力の基準どうなってんの!!?」
こいつの基準いつもおかしいと思ってたけど、顔とかじゃなくて雰囲気と匂いで判別してるんかい!!
コイツ色々アウトだと思ってたけどアウトを通り越して退場だ!!
「ゴンドリアさん大成功ですね!凄く素敵です!!」
「ありがとうねユーリ」
「本当に驚いたよ。この正礼服皆に内緒で準備したの?」
「そうユーリ以外だけどね。みんなのも気合入れて作ったけど、これも中々でしょ?」
「やっぱりユーリがデザインしたんだね、うん。似合ってるよ」
「そうだな。ゴンドリアはスタイルも姿勢も良いから何を着ても似合うな」
「フェディもヤンもありがとう」
あるぇ?何で皆そんな直ぐに受け入れられるわけ?
俺まだ頭混乱してるんですけど?
ゴンドリアのことで先程の紋章の事など頭から消え去っていた。
そして暫く談笑をしていると、大広間にベルの音が響き渡る。
その音はガヤガヤと煩い大広間の中でも綺麗な澄んだ音を響かせた。
「何この音?」
「ああ、そろそろ始まるって合図だろうね。ほら」
シエルは懐から出した懐中時計を俺に見せてくれた。
俺がその懐中時計を見ると、時計の針はデビュエタン開始5分前を指していた。
ここ最近で一番驚いたこと。
外が物凄く騒がしいので窓の外を見てみると、うちから10メートルも離れていない住宅から火柱が上がっていた時。
幸い丁度その時火事宅の住人はおらず、消火も早かったため人的被害は無かったが、周りの家に燃え移ってそれなりに被害が出た模様。
ついでにうちは風上だった事もあり被害がありませんでしたが、今でも焦げた匂いが消えない。
そして改めて日本の消防士の優秀さを目のあたりにしました。
消防士の皆様本当にお疲れ様。そしてありがとうございました。