第百七十話 デビュエタン
扉の先の大広間はとても広い空間だった。
高く伸びる吹き抜けの天井はドーム状、天井画が描かれ金色と銀色の装飾が所狭しに飾り付けられており、大小様々なシャンデリアが吊るされ、シャンデリアのクリスタルが魔法光の灯りと窓から入る自然光によって煌びやかに乱反射している。
床と天井の間にはぐるりとテラスのような回廊が中二階が存在し、四方を見ると上へと続く階段が見える。
床は先程のようなモザイクタイルではなく、白大理石を大きめにカットしたタイルが敷き詰められていた。
本来傷つきやすい大理石を床材に使うなんて大変だと思ったが、この世界には魔法と言うものがありちゃんと保護の魔法を掛けているんだろう、傷など一つも見当たらない。
暫く口をポカンと開けたままその場に立ち尽くしてしまったが「立ち止まらず進んで下さい」という係員の人の声を聞いて慌てて前に足を動かした。
「確かにこの広さなら学園の新成人全員が入りきるだろうね」
「逆に広すぎて不安になるんだけど」
歩きながら会場を見渡したシエルの言葉に頷きつつ、本当に広い空間に圧倒された。
「ここで踊るのか…」
今まで踊ってきたところと言えば一番大きくても前世の学校の体育館程度の大きさの会場だった。
だがこの開場の広さはどうだ。体育館の大きさの建物がいくつも入る大きな会場で踊ると思うと足が震えてくる。
たくさんの人間がこの場にいるからまだ良いが、これがこの空間に俺一人ぽつんといると想像しただけで不安な気持ちになった。
「開演時間にはまだ少し時間があるな。なぁ、あそこにいかないか?あそこならこの会場全てが見渡せるぞ」
ヤンが指差した場所は中二階の回廊だ。
そしてヤンは俺達の返事を待たずに回廊へと続く階段を目指し歩き出す。
俺達も慌ててヤンの背中を追いかけた。
「ねぇ?もしかしてヤン興奮してる?」
「そうかもね。多分壁や天井にある装飾品を近くで見てみたいんじゃないかな?」
いつも冷静で大人な対応をするヤンが歳相応の反応を見せるのは珍しい。
特にこう言ったパブリックな場所で感情をあらわにするのは本当に珍しい。
俺達の中で歳相応の反応を見せるメンバーは少ないのだが、その中でもヤンは一番感情の起伏が分り辛い。
いつもマイペースなフェディは自分の嗜好にあった物を発見すれば興奮して顔色を変えたりするし、シエルも人前では感情の起伏を見せないがプライベートな空間の中なら歳相応の反応を見せる。
シエルの場合は出が24家なので、裏表の使い分けを教わってから学園に送り出されたのであろう。
フェディも24家の血は強いが親が変わり者だったせいもあるのか、そう言った教育は受けていないといっていた。
他国とはいえ大貴族家出身のユーリは、聖帝国に来るまで自国で本当の自分を押し込めていたという理由もあるとは思うが、その反動で底抜けに明るいルピシーや用心深いが自分の懐に入れた者はとことん面倒を見るゴンドリアの影響を受けたのか感情の起伏がとても分りやすい。
ヤンはチャンドランディア藩王国連邦と言う国の王子の一人で、その中でも国の位が高いと言われるらしいマハルトラジャ家の出である。
そんなヤンは物心つく前から帝王学を学ばされており、6歳で聖帝国に来た時から王族の誇りを持って学園生活をすごしてきた。
流石に学生全員が平等と言う理念の下で学ぶ学園の中では人を見下したりするような行動は絶対にしないが、やはり何処か尊大な態度が出てしまうらしく、本人に悪気は無いのだがそう言った態度で相手に不快感を与えてしまうケースがコレまで何回かあった。
特に年上の先輩との事案が多く、そう言った場合はヤン自身が説明して謝罪したり、俺達がフォローに回ったりして争いごとを未然に防いできた。
そう言った態度を出来るだけ矯正しようと努力してきたらしいが、三つ子の魂百までもではないのだが、どうしても冷たいという印象は消えなかったのだ。
なのでヤンがこんなに興奮している姿が見れるのはとても珍しかった。
階段まで辿り着き階段全体を見るとかなり大きい。
石造りの螺旋階段で、手すりや上階段の裏側などには見事な彫刻が掘られている。
狭いスペースでも登れるようにと設計された螺旋階段のはずなのに、俺達が全員並んでもまだ余裕のある幅の階段だ。
階段を上りきって上から下を見下ろすとかなり高いと感じた。
恐らくは10メートルほどの高さはあるのではないだろうか。
「すげー!!高い!!高いぜ!!!」
ルピシーが騒いでいる。馬鹿は高いところが好きってのは本当だったんだな。
そんなルピシーから視線を外し、俺は周りを見渡すとある場所に目線が行った。
「なぁ。あれって何だ?」
俺が見つけたモノはそこだけ今いるテラス回廊よりも一段ほど高い場所にあり、真紅のベルベットの天幕に紫と金銀の刺繍が縫われたものが張られている場所であった。
「ああ。あそこは貴賓席だよ」
「貴賓席?」
「そう。エルトウェリオン王国時代は王と王妃しか座れなかった場所だよ。まぁ、今はそれなりのコネとお金を払えば入ることは出来るけどね。大なり小なり昔の宮殿や城には絶対に貴賓室や貴賓席が設けられているんだよ。ほら数年前に僕の実家の花祭りでセボリー達も一緒に座ったじゃないか」
「…ああ。そういった場所ね」
あの時は本当に針の筵だった。
高い場所で尚且ついろんな人の視線を一身に受ける場所なのだ。
目立って目立って最初のうちは震えが止まらなかった覚えがある。
そう言えば前世の世界でもオペラ座や歴史ある劇場だと貴賓席があったような気がするな。
大貴族の中には特別なボックス席を年間予約して、自分しか座れないようにしたということも聞いた事がある。
それと似た感覚なのだろう。
「…ああ。でもあそこはちょっとそれとは訳が違うらしいね」
「え?」
「ほらあそこ。天幕の刺繍と手すりの彫刻を見て」
「ん?………あっ」
シエルの言葉に目を凝らして天幕や彫刻を見てみると、紋章が目に入った。
唯の紋章ではない、この国の国章だ。
国の国章を冠する席に座ることが許されるのは唯一人、国家元首だけ。
つまり聖下だけだ。
紋章は様々な意味が込められており、エルドラドでは様々な場所にエルトウェリオン家の家紋が散りばめられていた。
それはエルトウェリオン家の者か、それに等しい家格の者、そしてエルトウェリオン家に認められ者だけしかその場所に座ってはいけないという印だと教えられた。
実際には紋章の付き方によって立ち入り禁止や着席禁止などともっと細かく細分化しているらしいのだが、俺が教わったのは「とりあえずこの紋章が見えたら安直に着席せず、周りの者に聞け」と教わった。
それほど紋章は重要なものであり、象徴として使われている場合、それを汚したり傷つけたりしたなら戦争になる事を覚悟しなくてはいけないのだ。
「あれ?あそこの紋章ってなんだろう?うん」
「何処ですか?」
「あそこだよ、うん。あの手すりの裏にちょっとだけ見えてる紋章、うん」
「…ああ、確かにあるな」
「でも見たことの無い紋章ですよ?一体何の紋章なんでしょうか?シエルさんは分ります?」
「え?どれどれ?ん~~?…見たこと無いなぁ」
シエルはこの国や周辺国の重要な紋章家紋全て記憶している。
元々読書家で物知りなシエルだが、貴族の家の者として覚えなければならない知識らしい。
そんなシエルが知らないとなると、既に潰れた家の家紋か廃れ使われなくなった紋章、または隠された紋章だろう。
このエルトウェリオン王国時代に建てられた建物の中に存在している紋章なのだから、きっと由緒正しい紋章なのだろう。
「でもあれ何かの動物の紋章だよね?」
「ああ、そうかもな」
「ちょっとピケットに似てる、うん」
「あー本当ですね」
「え?」
そう言われ俺も改めて目を凝らしてみてみると、そこには確かにピケットのような動物の横姿が目に入った。